2014年3月20日木曜日

そんなオカルト

『……ありえません(キリッ)』

完全理論派麻雀を武器に、昨年度の全国中学生大会個人戦を制覇した
巨乳美少女なら、その決め台詞で一蹴できちゃうんだが。

現実の世界、ましてや独立行政法人から特定国立研究開発法人への
移行を控えたこの時、理化学研究所理事長職に在るN先生……

その苦渋を慮ると、閉塞感の余り、つい埒もない妄想へ逃避したくなる。

STAP細胞論文を巡る『疑惑』

個人的には、嘗て所属してた学会の理事長声明に激しく同意、だけれど。
静観すべしと自戒しつつ、連日の報道には、negativeな心持ちになってしまう。

“騒動”の構造的には、かの千里眼事件が頻りに思い浮かぶ。

特定の個人だけが『出来る』と主張している段階では、
STAP細胞も、千里眼や念写と同様、オカルトでしかないのですよ。

誰でも・何処でも・何時でも、所定のプロトコルに従えば、
『出来る』あるいは『検出・観測される』という普遍性・再現性が、
客観的に担保されている現象でないと、自然科学の俎上には載せられない。

実験研究者であれば、当たり前過ぎていちいち言及しない“常識”が
スッポリと抜け落ちている人物なのに、何故、研究職に就けたのか?

今月14日の記者会見で、N先生が度々、口になさった(と報じられている)
『未熟な研究者』という言葉に滲む、強烈な慚愧の念が、胸に迫る。

私事ですけど……

昔々、お世話になった大学では、理・工学部への入学を許可された新入生が
人文科学の単位を揃えるために、カバラとか生命の樹とか薔薇十字会とか、
いわゆる神秘学=オカルティズムの研究を専門になさってる教授の講義、
なぜか実質、必修だったんですよね。

『元素の動きは、曜日によって違うんです!』

などと、選りに選って理・工学部生へ、熱く語る教授の講義は、
完全に“ネタ”として扱う同級生が大部分。でも私自身は、
こういう学問が“哲学”の範疇で生き残って来た、という文化史的に面白かった。

んで、『薔薇十字会の神智学』をテキストにしたゼミまで、
調子に乗って、受講しちゃいましたが。

おかげで『鋼の錬金術師』を存分に堪能出来ました!というのは余談。
だけど現状、STAP細胞の立ち位置は、まさに“賢者の石”だよなぁ。

今にして思えば我が母校は、理学・工学を学ぼうと志す好奇心旺盛な若人に、

自然科学 vs. オカルト

可能性 vs. 妄想

の厳然たる相違について、学ぶ機会を設けて下さってたのかと。

当時の化学科で“鬼軍曹”と渾名されつつ、学部生・院生を厳しく指導し、
ノーベル賞の栄誉を母校へもたらして下さった、N先生……

何故、これほど『未熟な』人物なのに、研究職に就けたのか?

報道の向こうからは、自然科学を真摯に愛おしみ続け、
『有機化学は麻雀よりやさしく、麻雀より面白い』
と至言なさった実験研究者の、寂寞たる苦渋が伝わって来る。


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