2017年9月13日水曜日

メンター(仮) になろう!

当事者が 子どもでも成人でも 個性が 早熟でも晩熟でも
直面する支障が 集団教育への不適応でも ひきこもりでも

発達障碍の二次障害を回避/回復し自立を支える第一歩は、当事者が一人で群れずに熱中できる「好きなこと」 を共に愉しみながら、彼らに潜在している創造力を暗示する藁のように些末な事象を、糾って縄へ拵えるような工夫が叶うメンターをさがすこと

そして、最終学歴が中等教育でも高等教育でも、特性に付与された名が多様性発達でも発達障害でも、当事者の自立を叶えるのはメンターを介して習得する大人のリテラシーだとすれば家庭の埒外にメンターを探し当てるまで暫定的にご家族のどなたかが −−− 多くの場合は親御さんが −−− 「メンター(仮)」を務めるに勝る策は無いでしょう。

要するに、お子さんの育ちを主導なさるご家族兼任の暫定メンターが、生来の五感や認知の凸凹という「苦手を避け」構造的・弁証的に「配慮と我慢」の必要を体験させることで、社会と呼応する知恵 −−− 他者と繋がる知恵=対人性能や他者へ資する知恵=代行性能 −−− の自得を促すことさえできれば移行的措置としては最善の対策なのです。

最終学歴の課程途中で退学したり就職活動が不首尾に終始したり、学校という所属を失った場合は当面の「通うべき場所」として就労移行支援事業へ赴くのが「普通」とされている昨今ですが、学生としてのモラトリアムを経ても一人で群れずに熱中できる「好きなこと」の昇華、すなわち自発的な探求で切磋された「得意」を発現させられなかった「特別」なケースが、相談面接や集団支援が主体の「普通」なサポートだけで個性を開花できると期待なさるのは僭越の弁にて恐縮ながら浅慮としか申し上げられません。

専門家の支援を受けさせてるんだからとか、疾うに成人してるんだからと放任せず、叶う限り親御さんには自ら「メンター(仮)」となる「特別」な策を検討願いたいのです。

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では、お子さんの「メンター(仮)」って一体どうすればなれるのでしょう?
前回の「Who're their Mentors?(誰が彼らのメンターなのか?)と題した記事では、
メンターは「好きなこと」 の先達として、尊敬できる「大人」なのです。
と結語しました。つまり条件としては、
1. お子さんが「好きなこと」へ導ける
2. 尊敬できる「大人」
という2つを満たせれば良いわけです。

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まず一点目。再々綴っておりますが、お子さんが「好きなこと」とは一人で群れずに熱中できること・興味関心の趣くまま自発的に探求していることです。仮に学校へ通えている間は暇さえあれば自学自習していたとしても、所属を失った途端にゲームやネットで明け暮れているのだとすれば、残念ながら勉強が「好きなこと」だったのではなく単にお子さんが認知しやすい報酬 −−− 相対的な高得点・好成績は承認欲求を満たすのに恰好の代償です −−− で釣られ、与えられた課題を受動的に消化していたに過ぎません。

最終学歴の課程途中で就学意欲を突如失ったり就活を始めるや自身の志望を俄然言語化できなかったり、自立への方途が阻まれてしまうのは、「普通」の育ちを辿った「みんな」との比較に基づく相対的な学業成績のみだと生来抱える五感や認知の凸凹に支障され、自己承認が安定的に成立し得ないためでしょう。親御さんから御覧になれば、高校や大学へ合格できた/卒業単位を満了できた経緯は立派な「成功体験」とお感じになるでしょうが、当事者さんの自己肯定感を育むには「特別」な「成長体験」こそが必須。

たとえ職業には直結しがたい趣味の範疇に留まる力量だったとしても、お子さんならではの「好きなこと」で同好の仲間に一目置かれる「成長体験」は、他者と繋がる知恵=対人性能や他者へ資する知恵=代行性能を萌芽させる土壌となってくれます。受験勉強で消耗しゲームやネットへ逃避する以前の純粋に自発的な「好きなこと」へ、当事者さんが回帰できる環境を「ひきこもらせない文化」に次ぐ支援としてご高配戴ければ、彼らの「好きなこと」へ共に熱中できずとも「得意を伸ばす」端緒は作り出せるのです。

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そして二点目の尊敬できる「大人」。すなわち親としてのお立場は一旦離れて、当事者の人格を損なうこと無く尊く在らしめるには、人生の先輩としてなにを・いつ・どう伝授すべきかを細やかにお考え下さる思い遣り深い他人 −−− 難しいとは存じますが、例えばお母様でしたら「賄い付きの下宿の小母ちゃん」的な役回りでしょうか −−− を演じて戴きたい。それが叶えば自然と、お子さんに必要なのは凸凹を「個性」として受容/承認することと自律的な生活習慣を稽古/体得させることだとご納得戴けると思います。

集団教育への不適応でも ひきこもりでも、最終学歴での中退でも 就職活動の不首尾でも、お子さんが二次障害を発してしまったご家庭で「うまくいっちゃう文化」を醸成し直す唯一の方法は、「相手も/自分も責めない」こと。そして、生じた問題を家族全体で支えていくため、「相手も/自分も成長させる」こと。親御さんがたには僭越の弁にて恐縮ながら、親である前に「大人」であって戴ければこの上なしと私は願っております。つまりは『大人が、子どもに尊敬されなくて どうするのかということです。

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