2015年6月11日木曜日

“合理的配慮”アカンのは何?

前回は明記しませんでしたが。この“事件”は、今から10年以上前、娘が小学校低学年の時に起きました。発達障害者支援法が施行されて、11年目の現在、

1. クラスメイトの15%以上が、発達凸凹当事者(専門家から勧告を受けた)
2. 上記のうち、定常的な他害行動を発現しているクラスメイトが1名
3. 上記の他に、多動傾向があって立ち歩いてしまうクラスメイトが10%

という、当時としてもかなり稀だった深刻な状況は、滅多に生じないのではないかと思います。

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それから、努めて客観的な記述を心掛けましたので。『入学以来の経緯』があったにしても、子どもの“大切な物”が教室で紛失しただけで、わざわざ別の自治体へ転校するなんて随分大仰な、とお感じになった方もいらしたかも知れません。

実際、クラスメイト達の保護者も、私の決断に共感し励まして下さった、ママ友達だけではなく。悪いのは「2.のお子さん」なのに、何故お宅が転校までしなきゃいけないのか、と義憤しつつも、暗に疑問を呈された親御さんがおられました。

正直な所を打ち明ければ、私自身の裡にも、大きな困惑がありました。

当事者でも支援者でも専門家でもなく、所詮は野次馬に過ぎないという自戒から。加えて、科学者としての矜恃にかけても。発達凸凹当事者である「2.のお子さん」に、「悪い子」という“ラベル”を、決して貼り付けたくはなかった。

でも“事件”を機に、娘が転校すれば……
残された子ども達・大人達から、『「2.のお子さん」って、そんなに「悪い子」なんだ!?』と思われてしまうかもしれません。

その一方、実験研究者としての経験は、複数の問題が錯綜しているために、期待される結果を出せないシステムは、部分的な改善を試みても徒労に終わる。ゆえに手間は掛かっても、再構築する方策が最も有効、と冷徹に告げていました。

然れど、決め手になったのは理系女子の屁理屈ではなく。
強烈な危険信号を発していた、母親としての直感でした。

「2.のお子さん」が“大切な物”を秘かに紛失させた可能性は、極めて考えにくい。

ですが、だとすれば『他罰的で療育を怠っている「悪い親」の、他害行動を発現している「悪い子」は、懲らしめてやるべき。そのためには、もう一人の子の心を傷付けたって構わない』と考える、独善的な人物が教室に居たことになるのです。

もしかすると、あの人が“真犯人”だったのかもしれない……

なんて、『動機の根源』から冷静に、分析的な推理が可能になったのは、事が済んで数年経った頃です。当時はとにかく、ウチの子をあの“場”に置いてはならない!という、利己的な母性に衝き動かされていました。

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“真犯人”が抱いた『動機の根源』を、示唆してくれたのは娘の“後遺症”でした。

あの日、教室後方のロッカーから、忽然と消えてしまった“大切な物”は……

とあるコンクールで頂戴した、大きくて立派な表彰状。キッチリ丸めた上、主催団体が用意して下さった筒に納めてありました。『校長先生の指示』は、全校集会で改めて表彰したいから学校へ持参しなさい、というお褒めの言葉でもあり。

謂わば、「良い子」の“ラベル”だったわけです。

ただし、小学校低学年の子ども達にとって賞状用の丸筒は、単に見慣れない“珍しい物”に過ぎず。その意味する価値……「良い子」の“ラベル”となる“大切な物”……を一目で承知できたのは、恐らく大人だけだったのではないかと思うのです。

娘は生来、誰かと競うこと、殊に、誰かを残して自分だけ先んずることを、嫌う性分で。最初に就学した小学校でも、先を争って課題に取り組むより、発達の凸凹ゆえ何かと遅れがちな友達へ、寄り添っている方が好きな子でしたが。
《追記:本人から「算数だけは面白かったから、積極的に取り組んでたよ!」と訂正の申し入れがありましたw 》

“事件”後は更に、表立って賞められることを、事情を知らない方からすれば奇異に映ずるほど、忌避するようになりました。

幼いながら直感的に、「悪い子」の“ラベル”のみならず「良い子」の“ラベル”も等しく、あの“場”に沈潜していた不穏な『動機の根源』だと、明確な言葉には出来ずとも、鋭敏かつ的確に看破していたのでしょう。

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すなわち、障碍当事者への“合理的配慮”を具現化するために、必ず乗り越えなければならない、最大最強の心理的障壁とは……

我が子でも、よそ様の子でも。発達に凸凹が有るか否かは、一切関係なく。
「悪い子」であれ、「良い子」であれ。“責任者”であれ、“真犯人”であれ。
“ラベル”を貼り付け、優劣を付けたがる、人間の至極自然な感情なのです。

次回はこの心理的障壁を、乗り越える方法について考察していきたいと考えてます。

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