2015年10月21日水曜日

人類のワイルドカード

『知ったふうな口ききやがって!
 どんなに苦しい思いをしてるか……あんたに判るわけ無いだろ!!! 』

『どんなに苦しいかは、“識って”るだって?!

 “感じる”ことが出来ないくせに……あんたに判るわけ無いだろ!!!

当事者さんへ宛てた「野次馬の傍目八目」を書きながら、ずぅっと胸の裡に渦巻いていたのは、こんな調子で繰り返される、“もう一人の自分”との激しい応酬でした。

支援者でも専門家でもないくせに。ヒトの脳の働きを趣味で勉強してきただけの私が、お節介にも発達障碍当事者さんへ、再々、自己流の考察を寄せさせて戴く“動機”。

それは第一に、彼らの“多様性”へ向けた、好奇心と敬意と仁愛
そして傲慢にも支援できるつもりでいた、無知蒙昧と自己過信への苦い後悔

でも、自分のメタ認知が容赦なく繰り出す、手厳しいツッコミに閉口しつつ
猶も書かずに居られない、最大の駆動力は、理系女子の屁理屈ではなく……

やっぱり、五感や認知の凸凹を抱えて生まれてきた、“多様性”ゆえの
疎外感に苛まれ苦しんでいる子を持つ、親としての思いだったんです。

***

『それならそうと、最初から言ってくれれば……なんで隠してたんだよ?!!』
『突然、そんな“告白”されても……何が何やら……混乱してまうやろ……』

ヒロさんや大統領さんは、困惑なさってるかなぁ。申し訳ありません。

『当事者でも支援者でも、専門家でもない』てのはホントだし、『学生の頃からヒトの脳の働きに興味があって、趣味の範囲で勉強してきた』てのもホント。だけど、自閉症スペクトラムの子を持つ母親という“正体(の一部)”を、敢えて申し上げずにおりました旨、深くお詫び致します。

でも、ヒロさんも大統領さんも、自分自身の五感や認知の凸凹が、次から次へと生じさせる問題へ、まだまだ直面しなければならなかった、去年の11月

自閉圏だけど予後は悪くない娘の話を、最初にしていたら……

『はいはい。娘さんは「程度の良いアスペルガー」なんですよ、俺と違って!』

自閉症スペクトラムなのに『社会適応は悪くない』おかげで、不登校でも引きこもりでもなく。『むしろ適応の良好な』娘を持つ、母親の自己流な考察を書かせて戴いても、そんな感じで一蹴されちゃってた気がするんですけど。

ヒロさんや大統領さんは、どうお思いになりますか?

ところで“程度”の良し悪し以前に、旧来の診断基準に従えば、娘はアスペルガー症候群にさえ該当しません。最初の所見は発語・発話の顕著な遅れで、まず聴覚の精密検査を受けたくらいでしたから……

テンプル・グランディン博士と同様、高機能自閉症という診断が妥当。

つまり、娘の様子に違和感を持った保育園の先生が、公的機関へ派遣依頼して下さった臨床心理士さんから、最初の詳しい検査を受けた後。定期的な観察をご提案戴いた時点で、娘の特性は、たぶん同じ齢のヒロさんより、深刻だったんです。

自閉症児にお馴染みの、モノ並べもクレーン現象も常同運動もガッツリあって、
臨床心理士さんからは、詳しい検査と定期的な観察をバッチリ勧告されて……

昨年11月に公開した一文では『ひたすら絵本のページをめくりたがったり、ひとつ所でグルグル回りたがったり、初めての場所を怖がって泣き叫ぶ』だけだった「その子」が

先日の記事で“日本を代表する名門私立大学”に『先生がたへご心労をお掛けしつつも現役合格、更に留学や奨学金公募の推薦基準にも適うGPAを獲得できた』娘と、同一人物

さてはて、ヒロさんもウチの娘も『みんな誤診』だったんでしょうか?

***

もちろん私は、『みんな誤診』だとも『発達障害なんかそんなもんはない』とも、思ってませんよ。娘の“多様性”に気付いて下さった保育園の先生にも、卒園まで検査と観察を続けて下さった臨床心理士さんにも(結局お互いの都合が付かず、一度も直にお話しできなかったのは、とても残念ですが)深く感謝しています。

就学前健診を控えた年長組の秋、その臨床心理士さんが出した結論は「普通学級で大丈夫でしょう」でした。一般的な親御さんなら「あぁ……ウチの子は“普通”だった!」と、安堵に胸を撫で下ろした瞬間、なんでしょうけど。

理系女子のメタ認知は、筋金入りの「いけず」でございますから。「公的機関での療育は定員に全く余裕が無いので……発達障碍に理解のあるお宅なら、自助努力で大丈夫」と“信頼”されちゃったんだなぁ、って覚悟を決めました。

以来、十数年間に渉って、専門家や支援者の先生がた、そして当事者の皆さんがお書きになった膨大な文章の、ごく一部へ接してきましたが。

現状、私自身の結論は『人類のワイルドカード

しかも、使い方のルールが“ゲーム”ごとに全く違うため、どうしたら能力を発揮できるのか判明しがたい。ゆえに、高い確率で“ゲームに大きく負けてしまう危惧をも秘めた、ワイルドカードです。

“普通のカード”だけ・前もって判っているルールに従うだけで、深く考察することもせず、効率良く“ゲーム”に勝ちたい……そんな『楽になりたい精神の怠慢』を、自覚できていない“プレイヤー”からは、邪魔者扱いされても致し方ないのかも知れません。

でも……今のヒロさんなら、“カード”も“ゲーム”も“プレイヤー”も、すべて本質的には同じものを示唆している暗喩だと、ご理解戴けるでしょうか? 

つまり、何もかもあなたの手の内にある、ということです。


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