2016年4月10日日曜日

あなたが あなたで あるために

娘が高校を卒業し、レイティングが全面解禁されたのを機に、劇場版アニメでもハリウッド映画でもない「大人の映画」を、母子で観に出かけることが幾度かありました。

補欠合格の結果を待つ間に、御縁を繋ぐ験担ぎも兼ねて『KANO 1931海の向こうの甲子園』を有楽町で。入学行事や受講登録が完了し、通学にも慣れてきた黄金週間には、文化人類学を専攻する試金石として『セデック・バレ』を六本木で……

以後は、所属学部でもサークルでも趣味の合う知己を得られた様子で、娘が私と一緒に出かける機会も無かったのですが。

語学留学やら帰省やらで、友人たちが不在がちだった再びの春休みに、ちょうどジェンダー論を履修した娘と、期間限定公開の『SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁』や、封切られたばかりだった『リリーのすべて』を池袋で鑑賞しました。

これら4本の映画は一見、趣向にも主題にも共通点はありません。主人公も、海を越えて活躍した甲子園球児植民地支配に抗うべく蜂起した先住民現代へスピンオフした史上空前の名探偵世界で初めて女性に変身した男性、と多種多様です。

けれど、どの作品も等しく、社会的少数者である自己同一性の尊厳を、守り抜こうとした人々の葛藤と克己が、確かな実存性を以て虚心坦懐に平易端然と描かれています。

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英語原題『The Danish Girl』『リリーのすべて』とした邦題は、映画の全貌を的確に表象する、極めて秀逸な訳出でした。

男児として生を受けEinarという男性名を授けられ、美術学校で知り合った妻と仲睦まじく暮らしていた主人公の、Liliという女性名を名乗る「内なる自己」が、精神と肉体の同一性を「回復」しようとした葛藤と克己こそ、この作品の主題だったからです。

しかし、『英国王のスピーチ』数々の栄冠を受けたTom Hooper監督が、静謐な叙情に徹した映像の洗練と、Einarの妻・Gerda 役を射止めたAlicia Vikanderの、質朴な情感に溢れた名演の迫真に、他者を愛し続ける真実の深淵と孤高を幾度も反芻するにつけ……

版権やら興行やら「大人の事情」を一切無視して、真摯誠実に率直普遍なタイトルを付けるなら……原語では『The Danish Girls』そして邦訳は『リリーとゲルダ』と題すべき映画だったのでは?と私は思うのです。

主役を演じたEddie RedmayneのEinarからLiliへの変貌が、余りに見事かつチャーミングだったため、ほとんどの映画評では言及されていないようですが。
《以下、『リリーのすべて』のネタバレ御注意!》

些細なきっかけで「内なる自己」が女性であることを“再発見”する以前、Gerdaの夫すなわちEinarとして生きることに、何の疑念も抱いていなかった主人公の個性を、Tom Hooper監督敢えて史実に反し、あくまで男性として極めて魅力的に描出しています。

2年連続で英国男性ベストドレッサーに選ばれた、俳優自身の男伊達を存分に活かし、自宅アトリエでの油彩画制作中も、仕立ての良いストライプの三つ揃いを粋に着こなしたEinarは、眉根を僅かに顰めて紙巻きタバコを吹かす仕草も、ダンディズムそのもの。

穏和な人柄と確かな才能で画壇での地歩を着実に固めていく、風景画家としての有能ぶりや、妊娠を望みながら思うに任せぬことに加え、肖像画家としても力を発揮しきれていない妻の苛立ちを、鷹揚に受けとめる夫としての包容力も、頼もしい理想の男性像。

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されど、主人公の「内なる自己」すなわちLiliと自称する女性の片鱗を、序盤では微塵も表出させず、ひたすらGerdaの「理想の伴侶」すなわち良き夫たるEinarのダンディズムを、英国紳士の真髄として渾身の描出で映像化したTom Hooper監督の企図にこそ……

『リリーとゲルダ』が共々に翻弄され流離した、混迷の深淵を丹念に描く中盤と……『リリーとゲルダ』が各々に相剋し克己せねばならなかった、喪失の孤高を精緻に綴る終盤を……観覧した一時を彩る“刹那”ではなく、幾度も反芻せずには居られぬ“記憶”として、この作品が脳裏に刻みつけられた所以があるのではないでしょうか。

愛する人が その人で あり続けるために

才能と包容力を兼ね備えた頼もしい「理想の伴侶」を、永遠に失ってしまう道だったとしても、混迷の深淵と喪失の孤高を選択する覚悟こそ、他者を愛し続けることの真実であり、『The Danish Girls』すなわち『リリーとゲルダ』が女性として共々に・各々に、生涯求めて止まなかった「母性」の本質なのではないか?と私は思うのです。

「母性」に迷いを感じておられる皆様にこそ……

リリーがゲルダへ最後に贈った言葉を、是非ぜひご鑑賞戴きたい一作です!


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