一昨年の春。先般、開業100周年を迎えた、この私鉄沿線に移転してきたのも。
昨年の春。とあるWEB漫画の二次創作物として、制服警察官を主人公にした小説を、書かせて戴くようになったのも。
今年の春。世間で俄に『集団的自衛権』という文言が、取り沙汰されるようになったのも。全て偶然の為せる業、ではあるけれど。
『この世には偶然なんてないわ。あるのは、必然だけ』という
壱原侑子女史の至言が、殷々と響く、心の裡で……
7年前の春を待たずに、殉職なさった警視庁警部・宮本邦彦氏と、
近しく在った皆様へ、交々、想いを馳せながら……
二次小説シリーズの御愛顧感謝作品で、以下の一節を綴らせて戴いた。
短銃を所持していた容疑者から後輩を庇い、怪我を負った若い制服警官・劉峰に、彼が最近、同僚・黄聡を失った事を知り、老練の医務官・尹大夫が忠言する場面。
あ、舞台は1930年代の香港です。
この辺がアレで、宮本警部には誠に恐縮ですが。
***
「君が取った行動を、知らされた時。
朋友を失って、自棄を起こしたんじゃないかと」
尹は首を左右に振って、取り越し苦労をするのは、
年寄りの悪い癖だな、と苦笑を零した。
「あの……尹大夫。俺は……」
「身を挺して他者の命を救う事ばかりが、警察官の本懐でもあるまい。
だが黄聡に限っては」
生まれ付いた血筋かもしれん、と言い継ぐも。
劉峰の苦しげな表情に気付き、済まない、余計な事だった、と慌てて打ち消す。
「自身が健やかなればこそ、存分に法の番人たる働きが出来る。
それも、理に叶った道だ」
「……全然、違いますよ、尹大夫。
多分、いろいろ、巡り合わせが、悪かっただけで……」
「我知道了、你不用説了(もう判ったよ、皆まで言うな)」
能う限りの労しげな微笑を患者に向け、その肩を優しく叩いた後。
尹は踵を返し、隣室の診療机に戻った。
***
宮本警部は勿論、命を危険に曝す行動を、自ら取ろうとしている旨、明瞭に自覚なさっていただろう。けれど決して、己の命を捨てようとした訳ではない。
殊にご遺族・同僚の皆様の慚愧を想うと、私は、強く信じたくなる。
警部はきっとご自身も、ホーム下のスペースへ退避しようと考えていた筈。ただ、駅前交番に勤務する警察官として、日夜、近しく接しておられた市民の安全を優先したが為、間に合わなかっただけなのだと。
警察学校で習い性となった当たり前の事を、実行なさっただけ、なのだと。
この事件を知った時の首相は、事故殉職した宮本警部を、緊急叙勲の対象とするよう、警察庁へ異例の指示を出した。その結果、警部が鬼籍に入られたわずか17日後に、正七位・旭日双光章が授与される。
また、4ヶ月後には、警部を讃える記念碑の除幕式が、勤務なさっていた交番に隣接する駅北口前で行われた。地元町会のご尽力で建てられた『誠の碑』は、生涯、駐在所勤務に徹した宮本警部に如何にも相応しく、遺された皆様への大きな慰めになったと思う。
しかし、緊急叙勲の大仰さには。当時の首相、すなわち7年後の今、内閣総理大臣に返り咲き、A級戦犯被疑者だった祖父の悲願でもある『集団的自衛権』の行使容認を、強硬に主張するA氏。
彼が有している、犠牲に対し異例の賛美を呈する“嗜好”の危うさを、疑い懼れずにはいられない。
警察官と同じく自衛官も。
国内に在っては、常ならぬ事態に際し、時に自らの命を危険に曝す行動をも取りつつ、様々に困難な任務を果たす事で、市民の安全を優先して下さっている。されど国外に在っては。『外交努力で不必要な敵はつくらないことこそ内閣の責任』と主張なさる、NGO「ペシャワール会」の現地代表・中村哲氏の論に激しく同意。
『戦場に行ったことのない人間』が、近しい者には決して犠牲が生じない、内閣総理大臣という立場に在って、単なる“嗜好”に基づき、数多の自衛官へ犠牲を強いる主張を、繰り返している。
そんなA氏から仰々しい叙勲を追贈された、と知ったとしても。
警部がお喜びになる事など決してない。私は、そう信じている。
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