5月末日。あさま515号の車窓は、麦秋の黄金色と新緑の萌黄色に彩られていた。
読みさしの文庫本を、携えてはいたが。眩しい陽光の下、照り映える色彩に心惹かれ、さして進まぬうちに閉じてしまう。
昨年の夏以来、ずっと焦がれていた『放浪の天才画家』の“最高傑作”を、観に行くのだ。活字を追って仄暗い脳裏に、架空の光景を妄想するよりも。明るい窓外に、彼の愛した『きれいな景色』を眺めながら向かう方が、きっと相応しい。
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生まれて初めて観た展覧会で、脳裏に刻まれた「長岡の花火」。1950年に制作されたその貼絵が、山下清の代表作である事は、間違いない。
画面の下辺から平行に、近景から遠景へ。
河原にひしめく花火見物の群衆は、一人ずつ律儀に描出された後姿が、次第に小さくなり……丹念に並べられた、無数の石ころへと変じて行く。人波の先には、蕩々と流れる信濃川。細波立った水面に映じた、花火の反射光が目映く煌めき、その楕円の中心に、花火師達が乗り込んだ小舟が一艘ずつ浮かぶ。
対岸にも、人の手業とは信じ難いほど、細かく千切った紙片を砂子の如く並べ、地平線上には、遙かな山並みを在るが儘の容で描き……画面の上半分を超えて広がる、無数の星々をちりばめた夜空には、丁寧に撚った極細のコヨリを、幾本も精密な放射状に貼り付けて、見事な花火の大輪を色鮮やかに描いた。
度重なる放浪から、ふらりと舞い戻った養護施設で、誰に教わる事も無く。
驚異的な映像記憶を元に貼絵を制作する毎、独自に編み出された“超絶技巧”は、瞠目すべきものだけれど。その構図はまるで、児童画の様相。つまり透視図法が未成熟で、立体感が表現出来ていないのだ。
しかし昨年の夏、『美の巨人たち』で放映された「ロンドンのタワーブリッジ」では。鮮烈な色彩が躍動する巧緻な貼絵と、端正なパースペクティブが描写する立体感が、完璧に共存していた。
山下清を素朴派と見做し、画法の未熟さこそ評価すべき作風と考える向きは、童画然とした「長岡の花火」を、画家の“最高傑作”に挙げるかも知れない。実際、展覧会のチケットや作品集の表紙には、この作品がデザインされている。
だが個人的には、手技だけでなく絵画技術も頂点に達した晩期の貼絵、殊に1965年に制作された「ロンドンのタワーブリッジ」を、“最高傑作”と称したい。更に言えば、幼い私が“行ったと思っている”「山下清原画展」の記憶を上書きする事で、『視覚の囚人』が『視覚の天才』へと変貌した過程を、見極めたかった。
>>『視覚の天才 (2)』を読む
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