2014年8月30日土曜日

「猿」に仕えた男

どんなに芝居が上手い役者さんでも、演技力だけでは如何ともしがたい事がある。

半年以上前の話で恐縮だが、今年の元旦に観た『利休にたずねよ』では、世評に違わぬ研ぎ澄まされた映像美を賞嘆する一方、観衆が熟知した(と思っている)歴史上の人物を演ずる困難に、つくづく感じ入ってしまった。

利休居士を演じたのは、十一代目 市川 海老蔵。Wikiに拠れば身長は176cmとのことだが、体格にも増して場を圧する持ち前の存在感こそが、これ以上は望めぬほど相応しい配役である旨、私如きが申し上げるまでも無く。

然りながら対する関白秀吉公は、世に周知され原作冒頭でも利休居士の独白として叙述されている通り、『小癪な小男』でなければならない。先に茶頭として仕えていた『精悍な骨柄』の信長公ではなく、思わず『猿めが』と罵りたくなる『下司』な男が、天下人となってしまった歴史の“あや”こそ、物語の根幹なのだから。

しかるに現実の体格が、僅かであっても利休役より長身というのは、秀吉役に配された俳優さんからすれば、誠に酷な話。これ以上は望めぬほど、利休居士に相応しい当代きっての歌舞伎役者と、対峙せねばならなかった大森南朋さんは、御自身の身長にも苦戦なさっておられたのでは?と、つい銀幕の裏側を拝察してしまう。

加えて物語の佳境で、白刃を交える如き遣り取りを主客が交わすのは、好悪に関わらず膝突き合わせねばならぬ、狭い佗茶の席。カメラワークで案配を工夫する術も無い。そこを敢えての配役ならば、受けて立った俳優の意気に感じて、脚本で思い切った加勢をして差し上げても良かったのに、と埓もない事を考えてしまった。

年初に観た映画を今頃になって思い出したのは、同じ時代を描く『軍師官兵衛』第31回「天下人への道」で、荒木村重役を務めた田中哲司さんの主役を遙かに凌ぐ高身長(岡田准一くん、ゴメンナサイ!)を、むしろ大胆に活かしたカメラワークが、鮮烈な心理描写、そして主人公の未来を暗示する演出となっていたから。

果たして第33回「傷だらけの魂」は、
“荒木村重”回と称すべきか、“田中哲司”回と讃すべきか!

主君を裏切り、朋友を陥れ、一族郎党を捨てて、意地汚く生き延びた煩悩からも逃げ続け、刀を捨て、剃髪して、茶道に専心しながらも救われぬまま、開き直ったように官兵衛の眼前に立ち現れる忘恩の徒。その浅ましさを『乱世が生んだ化け物』と自嘲する台詞は、魁偉な役者さんが吐いてこそ、凄みが増すというもの。

今は関白の御伽衆・道薫として奉仕する村重に、未だ秀吉になびかぬ茶々が、城を捨てた懺悔話を所望するという筋立ては、ヘロデ王に預言者・ヨハネの斬首をねだったサロメを彷彿させて、正に劇的!脚本もまた、裏切り者の難役に挑む俳優の意気に応え、渾身の趣向を凝らしていたのが、観ていて大変心地良かった。

映像美だけ、あるいは主役だけが突出するのではなく、登場する各人の見せ場を丁寧に工夫する有り様は、『人は殺すよりも使え』という軍師自身の生き様にも似て……企画意図にも合致した好感が持てる制作姿勢に、今後の展開も期待したい。


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