どんなに芝居が上手い役者さんでも、演技力だけでは如何ともしがたい事がある。
半年以上前の話で恐縮だが、今年の元旦に観た『利休にたずねよ』では、世評に違わぬ研ぎ澄まされた映像美を賞嘆する一方、観衆が熟知した(と思っている)歴史上の人物を演ずる困難に、つくづく感じ入ってしまった。
利休居士を演じたのは、十一代目 市川 海老蔵。Wikiに拠れば身長は176cmとのことだが、体格にも増して場を圧する持ち前の存在感こそが、これ以上は望めぬほど相応しい配役である旨、私如きが申し上げるまでも無く。
然りながら対する関白秀吉公は、世に周知され、原作冒頭でも利休居士の独白として叙述されている通り、『小癪な小男』でなければならない。先に茶頭として仕えていた『精悍な骨柄』の信長公ではなく、思わず『猿めが』と罵りたくなる『下司』な男が、天下人となってしまった歴史の“あや”こそ、物語の根幹なのだから。
しかるに現実の体格が、僅かであっても利休役より長身というのは、秀吉役に配された俳優さんからすれば、誠に酷な話。これ以上は望めぬほど、利休居士に相応しい当代きっての歌舞伎役者と、対峙せねばならなかった大森南朋さんは、御自身の身長にも苦戦なさっておられたのでは?と、つい銀幕の裏側を拝察してしまう。
加えて物語の佳境で、白刃を交える如き遣り取りを主客が交わすのは、好悪に関わらず膝突き合わせねばならぬ、狭い佗茶の席。カメラワークで案配を工夫する術も無い。そこを敢えての配役ならば、受けて立った俳優の意気に感じて、脚本で思い切った加勢をして差し上げても良かったのに、と埓もない事を考えてしまった。
年初に観た映画を今頃になって思い出したのは、同じ時代を描く『軍師官兵衛』の第31回「天下人への道」で、荒木村重役を務めた田中哲司さんの主役を遙かに凌ぐ高身長(岡田准一くん、ゴメンナサイ!)を、むしろ大胆に活かしたカメラワークが、鮮烈な心理描写、そして主人公の未来を暗示する演出となっていたから。
果たして第33回「傷だらけの魂」は、
“荒木村重”回と称すべきか、“田中哲司”回と讃すべきか!
主君を裏切り、朋友を陥れ、一族郎党を捨てて、意地汚く生き延びた煩悩からも逃げ続け、刀を捨て、剃髪して、茶道に専心しながらも救われぬまま、開き直ったように官兵衛の眼前に立ち現れる忘恩の徒。その浅ましさを『乱世が生んだ化け物』と自嘲する台詞は、魁偉な役者さんが吐いてこそ、凄みが増すというもの。
今は関白の御伽衆・道薫として奉仕する村重に、未だ秀吉になびかぬ茶々が、城を捨てた懺悔話を所望するという筋立ては、ヘロデ王に預言者・ヨハネの斬首をねだったサロメを彷彿させて、正に劇的!脚本もまた、裏切り者の難役に挑む俳優の意気に応え、渾身の趣向を凝らしていたのが、観ていて大変心地良かった。
映像美だけ、あるいは主役だけが突出するのではなく、登場する各人の見せ場を丁寧に工夫する有り様は、『人は殺すよりも使え』という軍師自身の生き様にも似て……企画意図にも合致した好感が持てる制作姿勢に、今後の展開も期待したい。
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