2014年8月9日土曜日

汝、殺すなかれ

質問:あなたが手にしたことのあるもっとも貴重なものは?
回答:字義通りに考えれば……
   己の生命を超えて『貴重なもの』は、他に無いでしょう。

質問:どうして人は殺しあうのでしょうか?
回答:Homo sapiensが進化する過程で“同種同士、殺し合える方が生存に有利”
   な選択圧が掛かったからですよ?更に“同種同士、殺し合うことを禁忌
   とする方が生存に有利”な選択圧が掛かったから、上記の疑問も持てる
   ようになった次第。あれ、これって常識じゃ無かったっけ?

ask.fmのアカウントで、こんなメタ認知トレーニングに興じていた先月。予て気になっていた『イノサン』の作者・坂本 眞一 氏が、“歴史出典”となさっておられる『死刑執行人サンソン ― 国王ルイ十六世の首を刎ねた男』を読んだ。

応報論であれ、予防論であれ。死刑が刑罰としての有効性を発揮し得るのは、人間が己の生命を『貴重なもの』と認識しているから。そして、その極刑を執行可能なのは、人間が『殺し合える』と同時に『殺し合うことを禁忌とする』からこそ。

殺し合うことが禁忌でなければ、法の下に死刑を執り行う権威を、国家は担保出来なくなる。従って刑の実行者たる処刑人は、国家、あるいはその所有者たる絶対君主と並び立つ権威を帯びぬよう、蔑まれ嫌悪され忌避されることが必然だった。

著者の安達 正勝 先生曰く、「ひと昔前までは『しょせん、死刑執行人が書いたものなのだから』あまり信頼に値しないという雰囲気があった」らしい、『サンソン家回想録、七世代の死刑執行人』の記述へ依拠した本書。

扉から参考文献リストまで含めても、僅か253ページの新書でありながら、アンリ−クレマン・サンソン(『イノサン』の主人公“シャルロ”の孫)が執筆・刊行した、全6巻に渉る上記回想録を縦横無尽に読み解き、四代目当主・シャルル−アンリ・サンソンの数奇な生涯を、鮮烈かつ濃密に描出している。

また、一個人の評伝ではあるが、フランス革命という世界史的大事件と、死刑制度ならびに死刑執行人の変転をも、明解に叙説する進取果敢な良書でもある。従って、並みの伝記とは異なり、時系列を自由自在に渉猟する。

池田 理代子 先生『ベルサイユのばら』で“歴史出典”となさった、シュテファン・ツヴァイク『マリー・アントワネット』は、後に歴史上の重要人物となる、しかし当時は平凡だった者同士が、偶然としか言い様のない、されど回顧すれば運命的な、邂逅を遂げる一瞬こそツヴァイクの醍醐味、と旧い訳者が賞賛していたが。

安藤先生も素晴らしく美味なる邂逅を、二度三度と叙述する。如何にもフランス人らしくハンサムでダンディー、けれど敬虔なカソリックでもある青年が、死刑執行人の家に生まれ付いたが為、苛烈な宿命へ絡め取られていく様を、膨大な回想録から選り抜いたエピソードで、活写して余す所がない。

《以下『死刑執行人サンソン ― 国王ルイ十六世の首を刎ねた男』のネタバレ
  『イノサン』の妄想深読み(当たってたら、ネタバレかもよ〜)御注意!》

国家の所有者にして罪人に死を下賜する国王・ルイ16世と、下された刑罰の執行者・シャルル−アンリ・サンソンは、生涯に三度、対面している。

最初はヴェルサイユ宮殿で、謁見の目的は俸給未払い(合計すると数年分!)の直訴。しかし王自身の言葉を借りれば、『国の金庫は今のところほとんどからっぽ』で、勅裁を仰いでも即応は出来かねた。シャルル−アンリが債務不履行で投獄されぬよう、ルイ16世は3ヶ月間有効の「通行免状」を、その場で発行させる。

二度目はバスチーユ陥落後、国王一家が軟禁状態にあった、チュイルリー宮殿で。刑罰の人道主義化を推進すべく、新たに開発された“斬首機械”の検討会だった。「お忍び」の参加ではあったが、ルイ16世が発した指摘は、当初、半円月形に設計されていた刃を、直角三角形の斜辺に当たる、斜めの刃に修正する契機となった。

非常に印象的なのは、世間で蛇蝎の如く忌避される処刑人に対し、国王が終始平らかに接していたことだ。

初めて死刑執行吏を目にした時は「わずかに身を震わせた」ものの、通行免状に署名した後、手ずから書類を渡した。ギロチン開発の検討会では、指摘に賛同したシャルル−アンリに「満足そうな様子で微笑んだ」という。最後に邂逅した処刑台の上でさえ、ルイ16世は「むしろ前よりもずっと尊厳にあふれているように」見えた。

国家の所有者たる絶対君主として、生まれながらの権威を帯びた彼には、己が有する国権の代行者たる処刑人を、蔑み怖れる由縁が全く無かったのだ。

処刑台の上で茫然自失し、激しく心を乱したのは、シャルル−アンリの方で。王権を剥奪されて猶、君主の矜恃を保ち続けた死刑囚「ルイ・カペー」が、国民の幸福を念じつつ罪なくして革命に殉じた後。魂の救済を求めた処刑人は、全編中、随一のクライマックス — 著者が仏文科を志した若き日より愛して止まないバルザックの、短編小説『贖罪のミサ』から引用した一場 — へ向かうこととなる。

そして終章に至り、成り上がりの皇帝・ナポレオン・ボナパルトに邂逅したシャルル−アンリは、我が身に課せられた宿命的なアンビヴァレンスを、否定することも拒むこともなく、ある信念、すなわち呪われた己の一族を救済する唯一の結論を得るのだが……

***

坂本 眞一 氏『イノサン』は、第1話を拝読した限り、歴史上のシャルル−アンリが身一つに抱えていたアンビヴァレンスを、どうやら“シャルロ”と“マリー−ジョセフ”の二つの人格に分割して、描こうとなさっておられるようだ。

『次女 マリー−ジョセフ・サンソン』の「後にランスの処刑人 ジャン−ルイ・サンソンと結婚」とされるべき解説文が、掻き消されていること。

シャルル−アンリ・サンソンの辿るべき履歴を記した、見開きページの後姿が“シャルロ”の黒髪ではなく、“マリー−ジョセフ”を想起させる金髪で描かれていること。

これらは何れも『イノサン』が、拷問部屋で父から折檻を受けて猶、己の宿命を背負いかね『やっぱり…僕にはできない……』と悲嘆に暮れる異母兄“シャルロ”を、幼い異母妹“マリー−ジョセフ”が盗み見た瞬間、第1話の最終ページで分岐した平行世界の物語だと、示唆しているのだろう。

コミックス作品ならではの挑戦で、半村 良 御大『戦国自衛隊』がそうだったように、ある種のパラダイムシフトを起こせる一作となる可能性も感じられる。

然りながら個人的には、その身一つにアンビヴァレンスな宿命を背負ったがゆえ。

人間の無垢も残虐も
革命の栄光も悲惨も
この世の正義も悪も

全てを受け容れ認めることで、死刑制度の廃止という、一見、自身の履歴にも一族の歴史にも矛盾した、しかし自身の贖罪と一族の救済を約束する、透徹な信念に辿り着いた歴史上のシャルル−アンリ・サンソンこそ。

如何なる物語より劇的、かつHomo sapiensの在るべき進化の可能性を、証し立てる存在なのだと思う。


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