2014年9月24日水曜日

夏の思い出

8月に生まれた娘の誕生日は、例年、夏休みの真っ最中。鉄分多めの相方からは夏の旅行を、私からは道中に読む本を贈るのが、いつしか誕生祝いの習いとなった。

時々、車窓に目を遣りながら小さな手で紐解く本が、児童書から小説へ変わって、はや幾年。今年は遂に、彼女の方から「忙しいから遠出は無理」と旅行を断られ、代わりにトーハク「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」へ行こう!と纏まる。

美術は大の苦手だが、史記・三国志クラスタなので同行するか…と思われた相方は別件が入って、娘と二人、鶯谷駅の南口から炎天下の新坂を上る。敢えて上野で降りないのは、混雑を避け目的地へ速達する、お馴染み“急がば回れ”のアプローチ。

坂上に設けられた墓参者目当てのタクシープールを横断し、職員通用門を横目に正門へ向かって辿るのは、彼女が小学校へ上がる前から通い慣れた、人通りの疎らな舗道。訪れた日は、楠並木の梢から降ってくる蝉時雨が、殊の外、賑やかだった。

***

「あの人は相変わらず、やりたい放題だねぇ」
「でも当時の所有者は、皇帝だったからねぇ」

特別展を堪能した後、敷地内のレストランで遅い昼食。他愛ない会話の主人公は、昨年観た「上海博物館 中国絵画の至宝」展以来、母娘揃って一方的に親近感を抱いている、乾隆帝こと愛新覚羅弘暦陛下である。

如何なる『神品至宝』であっても、余白があれば御名御璽だけでは飽き足らず、自作の漢詩を讃として書き込みまくり、時には、若い頃に献じた頌詞を、後年、削除・改訂までなさっていた、マニアックな御仁だ。

「“持ち物には名前を書きましょう”的なw」
「“見ましたハンコ+ひとこと”みたいなw」

叶う事ならトーハクの“中のヒト”になりたい、と志している娘。将来は台北や北京の博物院まで、満洲族でありながら、漢族伝統の文物を蒐集かつ溺愛しまくった『十全老人』が、故宮に遺したコレクションを観に行きたいらしい。

***

午後も、娘の希望で“総合文化展”を観る次第となった。まずは、お気に入りの東洋館から、特別展に合わせて企画された、特集展示「日本人が愛した官窯青磁」へ。

金繕いが施され口縁に覆輪が嵌められた、南宋官窯の逸品『青磁輪花鉢』。完形としては世界に4点しかない稀少な米色青磁や、川端康成が愛蔵した端正な青磁盤。生産窯不詳ながら、印象的な造形と深遠な釉調の美しさゆえ国宝となった『青磁下蕪瓶』と並んで、全く思いがけない事に、その茶碗があった。

『青磁茶碗  銘  馬蝗絆』

足利義政が蔵していた折の逸話は、どこかで読んだ覚えがある。けれど、まさか実物を目の当たりに出来るとは……半ば呆然としながらも、六弁の花びらを象った優美な口縁の造形と、釉薬の濃淡が織りなす円やかな景色に、心を奪われる。

ひび割れを繋ぎ留める鎹から滲み出た、錆色を認めた刹那、一つの天啓が閃いた。
娘が自分の将来を期しているのは、義政公も生涯追求し続けた、数寄の道なのだ。

すなわち、愛蔵の品に無様な鎹を打たれて突き返されても、猶。立腹するどころか、美を解する心を喪失した彼の国(当時の王朝は)の不幸を憐れみ、大きなイナゴ(馬蝗)が襲来した天災と見立て、以前にも増して慈しむ在り方。

両親が志した自然科学とは、合理の様式が異なるだけ。この世界の多様性を愛おしみ、そこに隠れされた理を探究する真髄に、相違は無いのだ。

そして、良く言えば磊落、有り体に言えば暢気に過ぎる彼女の性分は、案外、その道に向いているのかもしれない、とも思う。

親バカなのか、バカな親なのか……多分、両方だけどw
見守ってやるしかないなぁと、妙な所で腹を括ったのが
今夏最高の思い出と、なってくれますように。


0 件のコメント:

コメントを投稿