2014年4月5日土曜日

道を尋ねる

新作の筆に詰まり、また“在庫”補充の日々に戻っている。

実は、先月中に公開する予定で、連作の第1回を書き始めてはいた。だが、少しく経緯があって、連載を急ぐ必要が無くなり、放り出した態になった。気負いの無くなった眼で原稿を見直せば、何処か物足りないのも確かで……これも好機と開き直り、もう一度、最初から構想を練り直している最中だ。

“在庫”に少々不足の感があっても、兎に角書き出してしまえば、脳の機能様式が圧倒的に言語思考優位なおかげで、なんとか力尽くで捻伏せてしまえる感触は、ここ1年間の字書き精進で得られた。

しかし構想が甘ければ、いずれ手が止まってしまう。
散文書きも実験と同様だ。

行きたいと思っていた展覧会へ出向き、道すがら、訪ねてみたかった場所を散策。予て読みたいと考えていた、けれど新作には直接関係しない本たちを、味読する。今は磯田道史先生の著作を、集中的に読んでいる。『武士の家計簿』の原作で広く知られるようになった方だが、より一般向けに書かれた『江戸の備忘録』を手始めに。

昨年、関東大震災に取材した『BS歴史館』で拝見。怜悧な語り口に魅せられた。更に、先年、茨城大学から静岡文化芸術大学へ転任なさった動機を知って、一層惚れ直した次第がある。

その文章からは、史書を縦横無尽・自由自在に読み解く楽しさと、そこに綴られた先人達への深い尊敬の念、そして古今の“史書読み”への熱い共感が、控えめながらじんわりと伝わってくる。ごく稀に司馬遼太郎御大を彷彿させる筆致も垣間見え、磯田先生もスゴクお好きなんですねぇ、と何やら微笑ましくてニヨニヨしてしまう。

いわゆる名文、ではないと思う。

けれど、自分自身が愛して止まない研究対象を、丹念に。
ただし、読者が圧倒されてしまわないよう、懇切に。

真摯誠実なお人柄が忍ばれる、誠に心地好い文章だ。

本編もさりながら、『あとがき』が素晴らしい。幾度読み返しても、その度に、万感が胸に迫って、深い嘆息が漏れる。殊に、『一生、史書を読んで暮らせればいい』とだけ思っていた彼が、存外にも何冊もの“本”を著す機会を得る事になった、とある“偶然”に触れた一節。

『ある日、図書館のなかを、うろついていたら、
 見知らぬ人に本のありかを尋ねられた』

なんの野心も思惑もなく、『本のことを訊かれると黙ってはいられない』から、自分が読みたい古文書は後回しに、『それなりに親切にして案内をした』だけ。純粋な好奇心と澄明な探求心があってこそ、真の研究者は、理系・文系の別なく世に現れ、人間社会を潤す知恵をもたらしてくれるのだ、としみじみ実感する。

そう言えば私も、度々、道を訊かれた。

大学院入試を受けに行った、古都の街角。英会話も覚束無いまま留学した、アメリカ西海岸の広大な大学構内。引っ越したばかりの、この界隈でも。

自身が不案内なのに、お応え出来るべくもなく、心苦しいばかりだったのに。何故、道行く人は、心許ない顔をしていた筈の私に、敢えて声を掛けるのか? 長らく、不思議に思っていたのだが……

諸々、思う処あって、昨年来は私の方から、“道”をお尋ねしてみる事にした。

突然、声を掛けられた皆様は、きっと内心、面食らったに違いない、と恐縮の極みだけれど。いずれも『親切にして』各々の“道”を『案内』して下さった。

お陰様で、実り多く心愉しい一年となった事を、心底より感謝申し上げている。

次は、出版の順序を遡って『殿様の通信簿』、そして博士号申請論文でもあった『近世大名家臣団の社会構造』を読んでみよう。純粋な好奇心と澄明な探求心が導く“偶然”には、きっと佳き“必然”への道標が隠されているのだと思うから……

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2 件のコメント:

  1. お邪魔します。いつも思いますが精緻で誠実な文体。読んでいてほっとしますね。絵も同じだと思います。勉強になりますね。今後ともよろしくお願い申し上げます。Ryota

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  2. 早速の初コメント、ありがとうございます!
    をを!今の設定でコメント戴くと、こうなるのか〜と粗忽なブログ初心者はアタフタしておりました(滝汗) こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します!

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