九段下の駅は、一度だけ、下車した事がある。
4月の上旬だった。けれど花見が、目的ではなく。
初めて辿る街路の先には、武道館の大屋根。
だが、コンサートに来たわけでもなく……
予備校の入学式に出席する事にしたのは、浪人が決まっても尚、軽佻浮薄なままの好奇心が為せる業。出身校は公立だが、私服だったから、卒業前となんら変わらぬ出で立ちで、何事か言いたげな母親を尻目に、自宅を後にした。
乗換駅のプラットホームで、偶然にも、中学で親しかったT君に行き逢い、しかも、目的地が同じである事を知る。
「W君は、第一志望、合格したって」
T君は、穏やかな口調で、旧友が進学した大学の名を、教えてくれた。
3年前、教師から太鼓判を押された公立高校に、W君は合格できなかった。その報に皆が耳を疑う中、彼は、仲間内で唯一人、私立高校へ進学した。
「Hさんは、芸大の音楽学部、現役合格だよ」
すごいでしょ!と、学業の傍ら、電車を乗り継ぎ、レッスンに通っていた同級生の吉報を、私は、誇らしげに告げた。
武道館の周りには、名残の桜が、咲いていたかも知れない。
しかし私は、明るく広大なホールの無数の観客席が、ほとんど埋まっていた事だけを、鮮明に記憶している。主催者の思惑どおり、帰宅した私は机に向かった。
国立大理系志望者の教室では、案の定、見渡す限り男子ばっかり……と思ったが。
生物選択者の教室では、数少ない女子が集まり、昼食を一緒に摂る仲間が出来た。理学部志望は、私だけ。あとは全員、国公立の医学部を、目指していると言う。
各々、近県の大学名を、志望校に挙げる中、私ともう一人だけが、遠隔地への進学を希望していた。
「名物のお好み焼き、食べてみたいんだ〜」
人懐こい笑顔で志望理由を語る、その子の快活な機智を、私達は屈託無く喜んだ。
主要教科を受講する教室では、模試の結果が出る度、成績順で席替えがあった。一度だけ、全く慮外な事に、クラスで二番の好成績を取れた事がある。一番は、公立出身の男子だった。
生物選択の理系女子達は、無邪気に私の快挙を賞賛し、一人は、こう悔しがった。
「一番だったら、前期の学費、返してもらえたんだよ〜。惜しかったね!」
世事に疎い私は、そんな事も心得ていなかった。ただ、予備校1年間の授業料が、公立高校3年間のそれと大体同じ額で、世の中は帳尻が合ってるもんだな〜と、妙な慨嘆を漏らした事がある。彼女は、そんな戯れ言を、覚えていてくれたのだ。
予備校に入ってからは、決して予習を怠っていなかったのだが。相変わらず数学には悩まされた。対して、国語と生物は鉄壁。“隠れ文系”の、面目躍如であった。
殊に生物は、嬉しい事に、クラスメイト達からも、大いに頼りにしてもらえた。浸透圧を、ベクトルを使って解題した時なぞ、二番を惜しんでくれた彼女からは、「絶対、先生より分かり易い!なんか、感動した!」と面映ゆい位、褒められた。
出身校からたった一人、その予備校へ通う私の、閾下へ抑圧していた寂寥を、彼女は、無意識に感じ取り、癒やしてくれていたのだと、大人になった私は思う。
翌年の春の桜も、私は、定かに覚えていない。
新幹線のプラットホームで、合格した大学へ赴く私を、意想外に見送ってくれた、彼女の明るい笑顔さえ、情けない事に、年々朧気になっていく。ただ、耳朶を優しく打つアルトの声。そして、別れ際に手渡してくれた、駅売りの甘栗の赤い袋だけは、不思議と色褪せる事なく、思い起こせる。
浪人生は、賀状を交わす事も憚られたし、携帯電話は、まだ無かった時代の話だ。
けれど先日、イベントの帰途。
池袋の一角で、偶然にも、彼女達の母校の傍を通り過ぎた時。
白衣を着た彼女が、今は患者さんに掛けているであろう、あの快い声を、心の裡にハッキリと聴いた気がした。そして、あの旅立ちの日に、初めて食べた甘栗は……
今でも、私の大好物だ。
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