2014年11月17日月曜日

理系女子の真実

伝染性単核球症、いわゆる“kissing disease”だね」

ご丁寧に俗称まで補足して病名を告げると、内科の医師は、揶揄を含んだ視線を患者に向けた。なるほど……

(世に謂う“セクハラ親父”は、斯くも不躾で、下卑た顔付きをするのか)

私は、自分の冷静な眼差しを意識しながら、了解の意を短く伝える。
この診断に、若い女性患者が動揺を示さないのは、大いに不服だったと見え、医者は更に踏み込んで、心当たりがあるの?と、言わずもがなの質問をした。

「はい。あります」

自分では抑えたつもりだったが。僅かに挑戦的な色が、声に出てしまった。
内科医は、おや?という表情に変わり、手元のカルテに視線を移す。初診した若い耳鼻科医は、案の定、所見に加えて私の“身分”と“所属”も、記していたようだ。

「……あぁ、そう。それは、どうも……」

結局、患者ではなく医者の方が、狼狽を顕わにすることになった。

***

大学院に進んだばかりの修士課程2年間は、なかなかに波瀾万丈だった。

まず、与えられた研究テーマの進捗に難航した。しかし、秋から助手として着任した師兄の、アドヴァイスが見事に奏功。仕切り直した実験計画で、順調に転ずる。

次の春は、 実験の段取りを思案しつつ自転車で通学する途上、舗道を逆走して来た予備校生と正面衝突&御所のお堀へ愛車ごと転落。幸い、空堀で深さは40 cmほど、加えて堺町御門詰めの皇宮護衛官に、即時救護して戴けたので大事には至らず。

救急搬送を初体験+左後側頭部を5針&右手小指を3針縫っただけで済んだ。

極めつけが秋に、交際を始めて間もない相方からEBウイルスを初感染し、2週間の入院中、冒頭の遣り取りを交わす破目になった次第(あ、皇宮護衛官じゃないですよ相方は、メチャメチャ残念なんですがw 大学院の同級生、という有り勝ちな話)。

当時を思い起こすとツッコミどころ満載。文字通り「穴があったら入りたい…(>_<)…」けれど、男性ばかりの環境で、肩肘張ってる自分が健気で愛おしくもある。修士論文の締切直前、半泣きで徹夜しつつ、師兄のダメ出しを乗り越えたのも懐かしい。

退官間際に進学して来た弟子が、二人目にして最後の女子学生だった、師父も。
温かく見守っていた妹弟子に、アッサリ甥弟子と婚約されてしまった、師兄達も。

「ホンマに、大丈夫かいな?」と内心ハラハラしながら、極力控えめに気遣って下さる事はあっても。

決して、女子学生だからと甘やかす事は無かったし、ましてや、キャッチーだからという軽佻浮薄な理由で、理系女子という“看板”を、予算獲得やら対外広報やらの「売り」にするなぞ、絶対に有り得なかった。

更に加えて、当の本人が嬉々として従うなぞ、まるで思いも寄らぬ事だった。

***

いったい、いつからこの国は、職能には全く関係無い筈の“女子力”を、女性アナウンサーやら女性研究者やらへ、付帯させる事が“お約束”になっちまったのか? 

挙げ句の果てに内閣までが、『女性活躍担当大臣』やら『女性活躍推進法案』やら。軽佻浮薄な“看板”を恥ずかしげも無く、見せびらかす御時世とあっては……

然れど、当該ニュースを「それが普通でしょ?」とスルーしちゃうのではなく。

「おかしな事」「怖い事」と認識する感覚&発言する勇気を、たくさんの将来有望なお若い方が持っていて下さる事にも、心強く有り難く思える、今日このごろ。
小母ちゃんは「昔は良かった」とは、よう申しまへんぇ(*^_^*)


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