2017年5月4日木曜日

ひきこもらせない文化

この2年半あまり、発達障碍の二次障害で通うべき所へ通えなくなってしまった当事者・ご家族・支援者の日常を、拝読拝聴する機会に様々な奇遇で恵まれて参りました。

その『励ます力』を繋ぐ御縁に接しつつ、私自身がずっと抱き続けていた疑問は、お子さんが不登校からのひきこもりに陥ってしまう家庭と、すったもんだがありながらも通うべき所へ通い続けられる家庭を、分かつ「決め手」は一体なんなのか?ということ。

無論、不登校・ひきこもりのハイリスクを抱える我が娘の就学就労支援に備えるべく…との必用もありますが、そもそも私自身の好奇心が提起して止まない疑義でした。

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この疑問へ「不登校・ひきこもりになるか、そうならずに済むかを分けるのは、障害特性の程度に決まってるでしょ」と即答なさるのは、僭越ながら机上の学問へ没頭するのみで当事者さんを支えるご家庭それぞれの「毎日」に接しておられない専門家の方々。

されど暇に飽かせてネットの渉猟を広げてみれば、生来のいわゆる特性が「個性」の範囲で社会適応へ向かうか/「二次障害」へと増悪してしまうか、当事者さんを取り巻く育ちの環境=家庭の文化で大きく左右される「毎日」がリアルに綴られているのです。

「障害」を生じさせているのは当事者の特性ではなく調整不全の不合理へ陥った育ちの環境の方…という仮説は、金沢大学子どものこころの発達研究センターが監修した『自閉症という謎に迫る 研究最前線報告』の第4章で三浦 優生 先生が展開なさった自閉的な行動パターンの表出には文化的影響が関連する』という考察にも合致します。

さらに実際の類例からは、他者と繋がる知恵を育めなかったゆえに社会へ背を向けがちになる彼らの「障害」が適応へ向かうか・増悪するかの岐路が、生まれ持った多様性を「個性」として保護者が受容/当事者が承認しているか・「障害」として保護者が疎外/当事者が卑下しているかで、まず大局を定められていく次第が垣間見えて来ます。

注視すべきは、この第一の分岐に於いて
専門家から下される診断が必ずしも善処へ向かう要諦にはならない

すったもんだがあっても「通い続けられる」ケースでは、特性が「個性」と「障害」の狭間にあり幼少時の見立て(保健師・保育士や幼稚園教諭などの指摘)をスルーしてしまった経緯に親御さんが綴っておられる後悔を多々拝読しましたが。診断で「障害」と銘記されなかったからこそ、お子さんの不備不足を平易に受容・承認できたとも解釈できるのです。

むしろ、それまでは「個性」と捉えていた「普通」の枠に当て嵌まらないお子さんの発達の凸凹へ、部分的な不適応(限定的な逃避や状況的な緘黙、特定課題の不消化など)を契機に「障害」という認識が賦与されてしまったことで、疎外感を喚起された親御さんの動揺からせっかく醸成されていた「うまくいっちゃう文化」が損なわれる危惧さえ生じ得ます。

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加えて拙宅の発達障碍当事者「自家製療育」を振り返って試みた解題に拠れば、彼らの「ひきこもらない力」すなわち社会の中で自己実現の主体となるべき人格の獲得には、「自分にピッタリの、でも息苦しくないペルソナ=自己の外的側面」が必須。

つまり、努力の義務履行に見合った成果としての「肩書き」を名乗る権利行使、例えば「〇〇高校の☆☆クラス生」とか「△△大学の★★学部生」といった所属意識が、発達の凸凹を補填しつつ人格を構築していく基盤として、思いのほか大切らしいのです。

確かに不登校やひきこもりへ陥ってしまう経緯は対人的な不適応の発生とは限らず、学級や学校に対する帰属感が順当に得られなかった、あるいは少しずつ希薄になってしまったため「ひとりでに」自信を失い通えなくなったケースも相当数を占めている模様。

殊に大学以降の不適応では、他者から与えられた課題であれば知識(=既得の事実情報)と知能(=鍛錬した思考過程)を駆使できる学力を備えていながら、自身の未決問題(例えば、今学期はどの講義を受けるか? 卒業研究はどんなテーマに取り組むか? 大学卒業後はどんな仕事をするか?)には回答する術を俄然見失ってしまうタイプのお子さんが「ひとりでに」自信を喪失→休学で再起を待機しても実効策を打てぬまま中退→ひきこもりへ至る事例が散見されるようです。

これら「大人のひきこもり」で予後の良し悪しを分かつ「決め手」は、自律的な生活習慣を支援者が稽古/当事者が体得できたか? 失敗するフリーハンドを支援者が許容/当事者が行使できたか? の二点であると複数の典型例から拝察させて戴きました。

支えるご家族からすれば、意外に感じられるかも知れませんが、
この第二の分岐で要諦となるのは学力でも職能でもありません

なぜなら通うべき所へ通えなくなった当事者の不備不足は、「普通」なら「ひとりでに」獲得できる筈の自己を掌握する能力=人格が、生来抱える五感や認知の凸凹ゆえ十全に発達し得なかった旨こそ主因。五感の凸凹へ自ら配慮できる生活習慣と、認知の凸凹が招いた失敗から我慢を自得する経験が、彼らにとって一番必要な支援だからです。

そして二次障害を防ぐため/二次障害からの再起を促すため、当事者の「毎日」を支えておられるご家族に最も必要とされるのは、特性を理解する好奇心と 人格を尊ぶ敬意と 個性を言祝ぐ仁愛だと私は確信します。お子さんの特性を疎外する劣等感でも 人格を軽んずる庇護でも 個性を圧殺する共依存でもないのは、言うまでもないことでしょう。

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さてさて斯く申す拙宅も、認知の凸凹を自己修整できる我慢と所属意識の育成を優先し、ずっと棚上げしてきた自活に必用な家事を、ようやく娘へ稽古付け始めました。

3年生への進級と共に、卒業研究はどんなテーマに取り組むか? 修学後はどんな仕事に就くか?という未決問題へ彼女なりの回答を創造できつつあるためですが、実は起爆剤となる変事も勃発した所為だったり……その話は後日、追々綴らせて戴きましょう。

2 件のコメント:

  1. 久しぶりに拝読させていただきました。
    大学を中退した息子。友人と遊ぶ楽しさも覚え(思いだし)、その遊ぶお金を稼ぐためバイトを続けています。

    自立には程遠い状態かとは思いますが
    私としては楽しそうにバイトの話や遊んできた話をする息子を見て
    随分と久しぶりに いじめに合う前、発達障害と診断される前の息子…を思いだし、息子との会話が楽しいと思うことが増えていることに気付きました。

    そう… こうやって明るい子供だった、ちょっと変わってはいるけど、そのキャラクターが妙に面白い… そんなふうに思っていた時の感覚に私自身が戻って?いることにも気づいたり…

    大人になり対応が難しい面もありますが
    そこは私もそれなりに対応の方法を覚えてきており
    スムーズとは言えなくとも 息子をいう存在を肯定出来ている自分であるなら乗り越えられるものであると信じています
    これからも きっと山あり谷ありだとは思いますが
    一番大切なことを忘れずに 見守っていきたいと思っています。
    お嬢様の家事のお稽古 進み具合など また折をみてお話いただけると
    うれしいです。

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    1. 早速の閲覧&コメントを、ありがとうございます!
      確認&公開に手間取りまして、誠にあいすみません(平伏)

      genki-genkiさまには、他では決して得られない「気づき」をいつもご教示戴いておりますこと、感謝に堪えません。今後ともどうぞ宜しくご贔屓ご鞭撻のほど、お願いいたします。

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