前々回の記事で言及いたしましたように、お子さんの「育ち」の場で醸成される「文化」こそ「うまくいっちゃった」ケースへ落着させるため最も重要な徳目、とご教授下さったのは、Z会進学教室・渋谷教室長の長野 正毅 先生でしたが……
「かわいい子」とは思っても「かわいそうな子」と思うべきではない。
すなわち「情緒的」ではなく「合理的」であることこそ実の親が施す「自家製療育」の要諦、という認識と受容を支えて戴いたのは、沖縄でご活躍の精神科医・やんばる先生こと後藤 健治 先生のブログ『意味不明なヒトビト』でした。
保育園で「詳しい検査」を受けた後、主任保育士のN先生を介し、障害告知と共に定期観察をご提案戴いた時点で、専門医の受診については「様子を見ましょう」と先送り。そして、年長組まで検査と観察を続けて下さった上、就学前健診を控えた秋に担当の臨床心理士さんから戴いたのは、「普通学級で大丈夫でしょう」との結論だった一方……
娘の予後が良好だったのは、幸運にも保育園での活動に療育的な要素があり、一緒に通園していたお友達のご家庭も含め、「うまくいっちゃう文化」が醸成されていた賜物でした。小学校で行われた健診当日、娘は校長先生との面接で終始緘黙。保育園では何度も予行練習して下さったのに、初対面の相手にフリーズしてしまう顛末だったのです。
まさしく、やんばる先生曰く『たまたま環境に恵まれていたり、努力の結果として表面上世間に適応している人は「医学的には発達障害と診断されない」という問題』で……
幼児期のスクリーニングに携わった心理の専門家が仰る「普通学級で大丈夫」との結論は、親御さんの心情を慮る余りか、「学びの環境を整え、ご家庭での努力を積めば」という条件を言外にされてしまいがち。障害の受容までフォロー戴けない職責の曖昧さも仇となり、就学後の「合理的配慮」が「情緒的庇護」と勘違いされる一因とも拝察しており、公認心理師法の施行に当たって、抜本的な改革を強くお願いしたい問題点です。
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就学後の環境に恵まれなかった結果(“合理的配慮”シリーズで詳説)、臨床心理士さんから頂戴した「普通学級で大丈夫」という助言は、遺憾ながら実効叶いませんでした。しかし当時は、学びの場で醸成されている『文化圏』に支障がある、という俯瞰を未だ得られていませんから、俄然、娘の発達の凸凹に対する不安の方が嵩じて行くこととなり……
保育園の頃からお世話になっていた、小児科のかかりつけ医へ相談しましたが、都内の専門病院をご紹介下さりつつも、「そこを受診するほどではないなぁ」とのお見立て。止むなく「自家製療育」の弊害で抑鬱気味だった夫の通院先へ、定期検診のついでに娘を伴ってお邪魔してみたのですが、「二次障害が出たら、また来て下さい」との所見。
またも『環境に恵まれていたり、努力の結果として表面上世間に適応している人は「医学的には発達障害と診断されない」という問題』に頭を抱えながらも、考えてみれば。初めて訪れたメンタルクリニックの診察室でも娘は緘黙することなく、初対面の医師に対しても概ね視線を合わせ、内容的にも妥当な会話ができていた件に思い当たり……
ブログに綴られたやんばる先生の論考や解題、あるいは自閉圏当事者さんのご経験を参考に、元実験研究者な理系女子が試行錯誤して来た「自家製療育」が、暗中模索ながら一応の奏功を示した、つまり危惧すべきは臨床心理士から指摘された「普通」の枠に当て嵌まらない発達の凸凹ではなく、医療技術を必要とする二次障害なのだと気づかされました。「学びの環境を整え、家庭での努力を積む」ことのみで、今に至る所以です。
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世界的嚆矢たるテンプル・グランディン博士のご著書に加え、未だ日本では書籍化されていなかった発達障害当事者研究の一端へ、Doctors Blog βに掲載されていたやんばる先生の記事を通じて接することが叶ったおかげさまで、不登校やひきこもりといった二次障害に陥ることなく、拙宅の娘は順当に大学2年生として成人の年を迎えられました。
彼女も、ネットを駆使したからこそ「うまくいっちゃってる」実例なのです。
とは言え、大学に進んでようやく、「合理的配慮」すなわちノートPCを使った要約筆記やスマホの録音機能を利用した聴講が、特別な許可を申請するまでもなく当たり前に実現できる『文化圏』で、本来有していた伸び代を存分に発揮し、未だ嘗て無かった好成績を上げ良好な友人関係を築いている娘を眼前にすると、憮然としてしまうのが本音。
『自閉症という謎に迫る 研究最前線報告』でも、ご指摘が散見されましたが。資格制度から療育技術まで、日本とは全く異なった『文化圏』を有する欧米の模倣を是として来た心理の専門家は、当事者を育て支えて行くべき親御さん達へ同情的傾聴によって迎合するのみで、情緒的庇護の蒙を啓き障害の受容から合理的配慮へ至る気づきを導いて戴けないなら、「育ち」の場で『社会的資源をめぐる争いの最前線』を生じさせてしまう葛藤を、逆に煽っただけでは?と個人的経緯からも疑問視せざるを得ないからです。
また、今春施行された障害者差別解消法の合理的配慮規定等と共に、両輪を成すと期待された公認心理師法の成立・施行を、遅延させていた主な争点は『臨床心理技術者の業務に「医行為」が含まれるのか否か』、つまり第四十二条の『支援に係る主治の医師があるときは、その指示を受けなければならない』との一節と、総括されていますが……
概ね大過なく今に至る娘と謂えども、大学受験の最中に感覚飽和が身体症状として表出し、一時的ながらフリーズがパニック発作へ増悪した経験もある、当事者の親から拝見すれば、まずは合理的配慮の実現を優先し、教育支援と医療支援の協働こそ急務とすべき日本の『文化圏』にあって、なおも欧米流に拘泥し、自らが医師と同等の職権を得ることばかり主張し続け、法案成立を遅らせていたのか?と疑懼の念を抑えられません。
振り返ってみれば我が家とて、偶然の好条件がいくつか重なってくれた次第で、辛くも「うまくいっちゃってる」現状に着地が叶っただけ。最善を期すなら、センター試験方式への不適応を二次障害の端緒と見抜ける医療支援を受けることで、『自閉的な行動パターンの表出』を避ける対策を大学受験前に講ずべきだったと反省しているからです。
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そもそも欧米で、心理専門職の面接支援が「うまくいっちゃった」ケースを主導しうるのは、告解が慣習として根付いているキリスト教圏だからではないでしょうか。当事者と家族の関係性、あるいは学校や地域社会との間で不適応が生じても、宗教的な師父・師兄が介入することで「うまくいっちゃった文化」の歴史的背景が、現代では臨床心理学の学位を取得した専門職によって、合理的に引き継がれている印象を持っています。
対して、信仰を介したコミュニティが、近世以来の都市化の進行と共に瓦解してしまった日本では、お子さんの通う学校を中心としたコミュニティが、「育ち」の場で醸成される「文化」を全方位的に左右しています。急務は教育支援と医療支援の協働と前述した所以ですが、教室での不適応を抱える当事者の避難場所として、学校の保健室が機能している現状を発展し、合理的配慮の実現を叶える方策こそ有効ではと拝察する次第。
新たに誕生する公認心理師の皆様に於かれては、欧米の追随に走り職権の独立性に固執することなく。藩校・寺子屋以来の歴史的背景を建設的に活かし、教室でお子さん・保護者に接しておられる先生がた=教師と、診察室で当事者・ご家族に接しておられる先生がた=医師との協働を支え、「育ち」に関わる大人たちが陥りがちな情緒的庇護の蒙を啓き、合理的配慮へ導く「師=メンター」のお働きを是非ともお願い申し上げます。
「普通」の枠に嵌め込めない凸凹を抱えたお子さんに対し、教師が知ゆえに惑い医師が仁ゆえに憂うならば、「勇=心の強さ」を熟知しておられる筈の心理師は、その衝動すなわち情緒的葛藤が「育ち」の場で『社会的資源をめぐる争いの最前線』を生じさせる勇ゆえに争う事態をこそ懼れ、関わる大人たちの認識と受容を支えて戴きたいのです。
そして、定型どおりの発達過程から外れたお子さんを「ふるい」にかけ、欧米から輸入された『ほとんど効果は実証されていない』療育技術を、一律に施すのではなく……
五感や認知の凸凹ゆえに止むなく生じてしまった「勘違い」を、お子さんの嗜好や価値観を尊重しながら丹念に修整して行くことで、「うまくいっちゃった」ケースすなわち定型発達からの逸脱を呈しつつも『発達障害的な行動』を表出させない「合理的配慮」を体得した多様性発達者 Polymorphous Developmentsとしての社会適応を目指し、当事者が生きていく『文化圏』に即した医療を探求しておられる本田 秀夫 先生や後藤 健治 先生を、「師=メンター」と仰ぎ模倣追随する視点こそ是非ともお持ち願いたい。
脳の機能様式の多様性へ好奇心と敬意と仁愛を抱く、元実験研究者な理系女子としても心底より期待申し上げております。
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