2017年8月18日金曜日

メンターをさがせ!

『最も難関かつ大切なのは、就職活動と社会人になった最初の数年間』

大学1年生だった娘へ宛てとある成人当事者ブロガー様」から『ストレートな表現になりますが』と丁寧な前置きを添えて頂戴した上記のご忠言を機に、この2年間「大人の発達障害」に対する自立支援の最も重い要諦はなんなのか?という課題を、当事者・ご家族・支援者の日常へネットを介して接する機会に恵まれながら模索してきました。

そのお蔭様を以て娘は自家製支援のみで、後は大学の関係各位にご指導ご鞭撻を宜しく頂戴するばかりという所へ漕ぎ着けています。無論、不備不足は依然として多々ありますし親としての気持ちが彼女から離れることはありませんが、今後は娘自身の他者と繋がる知恵で社会と呼応しつつ自己の人生を主導して行くだろうと信頼叶うようになりました。その拠所は、彼女自ら「藁」のように些末な事象も丹念に撚り集め糾った「縄」−−− 大学で培った人脈 −−− を伝手に家庭の埒外でメンターを得られたという事実です。

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五感と認知の凸凹という「苦手を避け」構造的・弁証的に「配慮と我慢」の必要を体験することで社会と呼応する知恵の自得を促す就労支援の「予習」と、多様性発達者ならではの「得意を伸ばす」ことで『自己の向上を意志する』人格を育み知識知能の切磋を励ます修学支援の「補習」を、バランス良く支える上で最も望ましい当事者との関係性も発達障碍の二次障害を回避/二次障害の回復を促す場合と同じくメンターです。

つまり、お子さんの最終学歴が中等教育であれ高等教育であれ、その特性に付与された名が多様性発達であれ発達障碍であれ、二次障害を回避/回復して自立への成長を叶えるのは、メンターを介して習得する大人のリテラシーなのだと私は考えています。

凸凹を抱えたお子さんの育ちを主導するのが「普通」の枠に嵌め込まれたまま「みんな」へ倣うだけで大過なく齢を重ね所属を得て来た「良いお母さん」だったとしても、メンターへ師事させてこそ「特別」な子の将来は拓かれるという目処さえ立っていれば、弟子入りに備え家庭で注力すべきは凸凹を「個性」として受容/承認することと自律的な生活習慣を稽古/体得しておくことで、「みんな」が辿る「普通」の枠へお子さんを無理矢理嵌め込もうとするのは勘違いとご了解戴けるのではないかと思うのです。

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では、この子はメンターへ師事させてこそ自立が叶うという目処は、どう判断すべきでしょうか? 史上最年少で将棋のプロデビュウを果たした藤井聡太 四段のように、早熟の天才が明瞭であれば師匠への入門の要は疑う余地もありませんが、五感や認知の凸凹を抱えるお子さんの大多数はむしろ晩熟型ではないかと私は考えています。

すなわち同年齢の子ども達に比較して何某かの発達の遅延があり −−− お母様がたの実感からすれば、極端に幼い所があると表現する方が適切かも知れません −−− もしくは才能と言うより何某かの興味関心の偏向が顕著で、 同年の他者と上手く繋がることが叶わず集団教育への精神的参加に難渋しているという徴候が目安となりそうです。

留意すべきは、たとえ齢が離れた遊び友達は一定いても/個人的な学業成績は優れていても、同学年の他者と連携して課題へ取り組む際の齟齬を見逃さないこと。同年齢の集団教育は謂わば日本社会の雛型なので、そこでの支障は大学生活・就職活動・社会人デビュウなど「みんな」なら「普通」の努力を積むことで乗り切れる人生の岐路に於いて不適応を生じ二次障害を発する危惧を事前に察知する上で有効と考えられるからです。

同年の子どもたちと関わることが苦手で集団教育への参加に支障があると、「普通」の「良いお母さん」定型発達症候群に陥って我が子を仲間はずれにされるまいと躍起になりがちかと拝察しますが、むしろ一人で群れずに都度の最善を選択し行動化していける「特別」な育ちを期待された子なのだと捉えて戴きたい。親御さんが「みんな」が辿る「普通」の枠には寄り掛からず「特別」な育ちを糾おうと覚悟すれば、ご家庭で天然自然に醸成されていく「うまくいっちゃう文化」へ、お子さんも応えてくれる筈。

そして「普通」の枠に寄り掛からない「特別」な育ちには、お子さんが一人で群れずに熱中できる「好きなこと」 −−− 学力や職能へ繋がる「得意」に合致するとは限りません −−− の工夫を愉しみ極める創造力を共有しつつ、都度の最善を選択し行動化していける大人のリテラシーの習得へ結びつけて下さるメンターとの関係性が必須なのです。

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さて、私としては娘の成人を目前に控え「大人の発達障害」への自家製支援を個人的に模索していたわけですが、全く独立に全く同一の結論へ −−− 発達障碍の二次障害を回避/回復させる上で、当事者が必要としている関係性はメンターであるという実践へ −−− 到達した方々とネットを渉猟する途上で巡り逢うことができました。

お一方は勿論、拙ブログでも連鎖の機会を再々頂戴しておりますサポートセンター名古屋青木 美久 先生です。当事者のお一人であるヒロさんの文章を通じ、ひきこもりからの家庭内暴力という深刻かつ困難な二次障害の回復に於いて、お子さんが親御さんの元を離れメンターへ師事することの重要を繰り返し説いておられます。

更にもうお一方は、娘の同学の先輩である中里 祐次さん。小学1年生で発達障碍と診断された息子さんの育ちを模索する過程で、拙文でも言及させて戴いたnanaioさんの『現役東大生が50円で売っていたので8歳児と数学を語ってもらった話』に接し、発達障がい児とメンターを繋ぐWEBサービス事業化を構想後、一気呵成に実現なさいました。

つまり、当事者が子どもでも成人でも 個性が早熟でも晩熟でも 直面する支障が集団教育への不適応でもひきこもりでも、発達障碍の二次障害を回避/回復し自立を支える第一歩は、当事者自身が一人で群れずに熱中できる「好きなこと」 を共に愉しみながら、彼らに潜在している創造力を暗示する藁のように些末な事象も見過ごさず、糾って縄へ拵えるような工夫が得意なメンターをさがすこと。お子さんの「好きなこと」へ親御さんが共に熱中できないなら、ご家庭の埒外でメンターをさがすほか術はありません。

親御さんの価値観がお子さんの「好きなこと」と一切交わろうとしないご家庭では、辛うじて「ひきこもらせない文化」の醸成は叶ったとしても「うまくいっちゃう文化」への熟成に到るのはおそらく難しい。お母様の相談先が、有名カウンセラーの講演会だろうが 大学の学生相談室の担当教官だろうが 就労移行支援事業所の説明会だろうが、当事者と合致するメンターに巡り逢うのはまず不可能だからです。お子さんの自立を親御さんが離心無く真摯に支えたいと願っておられるなら、メンターをさがして下さい。

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