2014年5月9日金曜日

風の谷に住まう

今の住まいに引っ越して来たのは、2年ばかり前。

地史的には洪積台地の端に当たるので、旧い河川が刻んだ深い谷(今は道路)が、幾筋も交錯している。それが丁度、風の通り道になるらしく、陽が傾く時刻になると、街全体が強風で洗われる日が、度々ある。

谷の先に広がってるのは『酸の海』じゃなくて、荒川の河川敷ですけどねw

拙宅は、東南東を向いた斜面の上。台地の頂から、一段下がった区画にある。谷を挟んで相対する斜面に、幾重にも立ち並んだ家々の壁が夕陽に照り映え、サントリーニ島の街並みを想わせる風情(これまた、あくまでも雰囲気のみw)。

早暁であれば、昇って来た太陽を向かいの丘越しに望み、鳴き交わす留鳥の声を愉しめる。ご近所の何軒かが立派な保存樹をお持ちで、キジバトメジロの姿を、年中、見かける。一昨年の金環日食も、終始、居間から観察出来た。

毎度お世話になっている区立図書館は、谷二つ向こうの、やはり台地の上にあるのだが、石器時代(と言うより、今や“縄文草創期”と呼ぶべきか……この辺の話は、また後日)から江戸期に至る、住居遺跡の上に建っていたり。

縄文海進でも水没しなかった界隈の丘の上は、1万数千年前から暮らしやすい場所だったらしい。

そして、つい先日、5日早朝に起きた地震(リンク先で、発生日・最大震度を入力して検索願います)も、北緯34°56.6′・東経139°29.7′・深さ162 kmの震源、すなわち日本海溝で、北米プレートとフィリピン海プレートの下に沈み込んだ太平洋プレートの内部から、直接、地殻を伝わって来た感じの“硬い”揺れ。

感覚的には、震度3だった(故に、目は覚めたが起きずw)。皇居お濠端(縄文海進では海の底だった沖積平野)に設置された大手町の震度計では、最大震度5弱を記録した、というから、同じ23区内でも、随分な違いである。

……と書くと、引っ越し先を極めて丁寧かつ慎重に探した、と思って戴けるかもしれないが。

実際は全く逆で、探し始めてから転居するまで、たったの1ヶ月。しかも引越日は4月4日という、二度と実行したくない弾丸移転だった(あ、夜逃げじゃないですよw)。3月に入ってから、出来れば月末、遅くとも翌月第1週に入居出来る物件を、某所の半径5km以内で探す(イザという時に、歩いて帰宅可能な範囲、って事です)という条件だけでも、相当な無理があるのに。

地震・防災クラスタな相方(あ、素人ですが、学会の公開シンポジウムを聴きに行っちゃう程度にマニア)が、耐震基準が改正された1982年以後の竣工じゃなきゃとか、周辺が木密(あ、「木造住宅密集地域」の略です)だとか、地図上では台地っぽくても谷を埋めた盛土造成地かもしれんとか、注文が多い事この上なく。

ようやく探し当てたマンションの一室は、当然の事ながら不動産的にはワケあり。必然的にお家賃が割安で、文字通り東奔西走して下さった、駅前不動産事務所の営業担当さんには、申し訳ないほどの斡旋手数料だった。

あ、事故物件とかじゃないですよ〜。玄関ホール・エレベータホールの直近、つまり共用廊下側の部屋に住環境上の難あり(人通りが多い、陽当たり・通風が悪い)って“だけ”。相方は、むしろ防犯・防災面では好条件だ、と喜んでたり。

上記営業担当さんにしてみたら、非常に稀なタイプのお客だったでしょうね。

まぁ時期的に、引っ越し代が割高かつ若干トラブルもあって。収支は相殺されちゃいましたけど……

個人的には、相方が繰り出す論破不能の“こだわり”で、時折キレそうになったり。引越直前、久方ぶりに二日完徹する破目にもなったので、もう懲り懲り。とは言え、喉元過ぎれば何とやらで、その内にまた、引越騒ぎが起こるんだろうなと覚悟しつつ。

今暫くは、斯様に長閑な環境でありながら、スタバやミスドまで徒歩数分、という好立地を、存分に楽しみたいと思います。


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