本科生中3保護者さん 2012.01.15 23:33
今週、国語の授業を受けた娘が帰宅して開口一番、「演習で出た詩、とても気に入ったよ!」 夕食後、食器を洗う私の傍らにプリントを持って来て朗読してくれたのは、茨木のり子さんの『ぎらりと光るダイヤのような日』でした。ずっと国語が苦手だった娘の心に、この詩に共鳴できる感性が育ってくれたか...と感無量でしたが、この『面白がる能力』が願わくば志望校合格にもつながってほしいと思う、欲張りな母です。
長野先生さん 2012.01.16 07:41
本科生中3保護者さまおよそ4年前、『長野先生の幸せに生きるヒント』にアップして下さった『面白がる能力』という文章の、コメント欄から抜粋した遣り取りです。
おはようございます。
それはよかった。K先生の授業ですね? そうした経験一つ一つが大きな何かの胎動になっていくと思います。先生にもお伝えしておきます。お知らせいただいて、ありがとうございました。
あと少しですね。最後まで応援していきたいと思います。
実は、「本科生中3保護者」という全くひねりの無いペンネームで、コメントさせて戴いたのが、人生初の入試にへっぽこ娘が挑む不安から、お邪魔しておりました当時の私。無粋な筆名にも、『願わくば志望校合格に』というせっかちな期待にも、余裕の無さが見え見えでお恥ずかしい限り。
『欲張りな母』と自己ツッコミ入れている所が一応、理系女子の矜持。とは言え、頂戴したお返事にある、授業をして下さったK先生へのきめ細やかな心配りや、『経験一つ一つが大きな何かの胎動に』という鷹揚な俯瞰や、『励ます力』の頼もしさには無論、遙かに及ぶべくもございません。
とは言えこの頃は、確か3週間後に都立高入試の出願を控え、よりによって最後の模試で、過去最悪の合格予想判定が出てしまった次第でして。我が身の煮詰まり具合に赤面しつつも、渦中に在っては『客観的な認識』云々なんて言ってる余裕無いよ〜と、今の自分へツッコんでみたり……
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本科生中3保護者さん 2012.02.24 09:16
振り返ってみると、Z会進学教室で娘が得た最大の『財産』は、『真面目に勉強する場』に身を置き、何の遠慮も気兼ねもなく思いっきり勉強できた経験かもしれません。受検直前の週末は朝から自習室を利用させていただき、娘曰く「一人で勉強合宿してるみたい」な状態でしたが、そのうちに気の合う友達もやって来て一緒に勉強し、時々、長野先生がいらして中の様子をご覧になった後、何も仰らずにすうっと去って行かれる...とても幸せな時間だったようです。ありがとうございました。
長野先生さん 2012.02.24 09:46
本科中3生保護者さま更に一ヶ月余り後、『塾の財産』と題された記事へ再び寄せさせて戴いた遣り取りが、こちら。前日の学力検査を無事に終え、数日後の合格発表を待っていた時の心境です。
おはようございます。
コメントをありがとうございました。昨日は都立入試を終えてから何名かの生徒がいらっしゃったのですが、さらに勉強している子までいてびっくりしました。
やはり彼らが最大の財産であると思います。
その結果、努力の甲斐あって、第一志望の都立高校へ見事合格!
だったら、ドラマとして素晴らしい幕切れ、なんですけどねぇ……
当時の私は内心、恐らく併願優遇で入学許可を戴けた、いわゆる“押さえ”の私立へ進学することになるだろうと予想していました。事実、翌週には、降りしきる春の大雪で演出された劇的な“不合格発表”を見届け、舗道に積もった雪で難渋しつつ入学手続のため当該私立高校へ向かう閏日を、娘と一緒に過ごすこととなりました。
「自己肯定感を持たせるために、成功体験をさせましょう」
発達障碍当事者を療育・支援する立場なら、必ず目にしたことのあるお馴染みの一文。
言葉通りに受け取れば『自己肯定感を持たせる』ことを最優先に、そもそも進学教室の入塾テストで成績が希望講座の基準へ達しなかった時、黙したまま粛々と一段階レベルが低いクラスに通うべきでした。
そして、夏期講習当時の娘が持ち合わせていた学力でもそこそこ通用する、第一志望から二段階か三段階ランクの低い都立高校なら、なんとか合格を戴けたかもしれません。
しかし目先の成功体験を優先させていたら、優秀な学友と『真面目に勉強する場』に身を置き、遠慮も気兼ねもなく一生懸命に頑張った経験は、逸してしまったでしょう。加えて私立高校の手厚いご指導の元、群れずに努力を重ねる誠実や愚直に高い志を掲げる根気を、磨かれる機会に恵まれることも無かったわけで。
ぶっちゃけ、第一志望から二段階ないし三段階もランクを下げた都立高校では、昨春辛くも合格させて戴けた大学へ、出願することさえ難しかったのでは?と思っています。
『とても幸せな時間だったようです。ありがとうございました』
数日後に“不合格発表”を予想していながら、穏やかにコメントを結べたのは、高校合格という目先の成功を確信していたから、ではなく。もっと未来の・もっと大きく娘の将来を左右する、大学合格という成功体験を実現するため、高校受験では失敗を経験させよう!と利己的で冷淡な対応を決断出来ていたから、なんです。
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ほぼ確信犯的に高校受験の失敗を実の娘に経験させ、更に3年後の大学受験期、“心の師匠”たる長野先生から『この時期にその発信をなさるのも すごい胆力』と呆れ返られた、私自身の『励ます力』。その“源泉”は、ふたつの「失敗体験」にありました。
一つ目は、私自身の失敗。つまり公立トップ校で青春を謳歌し過ぎて、大学受験は一浪してしまった経験です。へっぽこ娘の障害特性を鑑みれば、自学自習を旨とする都立トップ校より、私立高校で受けられる手厚いご指導の方が最善なのは、明白でした。
けれど、もっと未来の・もっと大きく娘の将来を左右する、大学受験をこそ最優先に決断を下すことが出来た“源泉”は、とある成人当事者ブロガー様が真摯に綴って下さった「失敗体験」。そして、たとえ失敗の経験でも丁寧に分析し誠実に適応すれば、発達に凸凹を抱えていても自己肯定感へ至れる、と証明して下さった「成長体験」でした。
「自己肯定感を持たせるために、成功体験を」という惹句は、「苦手を避けて、得意を伸ばす」同様、目先の失敗や苦手を恐れるあまり・同情するがゆえの、過剰な先回り、すなわち当事者が持ち合わせていた筈の潜在力をスポイルしてしまう、共依存の「ネガティヴなイネーブリング」へ支える者をミスリードしかねない、と私は思うのです。
私自身の『励ます力』の“源泉”となって下さった「とある成人当事者ブロガー様」は、医療機関での受診や心理面接を利用しつつも、社会的支援を受けない非障害自閉症スペクトラムとして、成育・自立できる生来の特性やご家庭の状況に恵まれた結果、「ネガティヴなイネーブリング」の陥穽を免れることが叶った、と言えるかも知れません。
生まれながらに五感や認知の凸凹を抱える当事者さんが、生来の障害特性ゆえに妬んだり悩んだり暴れたりしている様は、確かに深く同情を動かされます。あるいは長年、当事者さんの「毎日・毎年」を支え続けていらしたご家族は、近しい存在ゆえの暴言暴力に傷つき苛まれ、お子さんと対峙することに疲弊しきっておられるかも知れません。
でも、親が鷹揚な俯瞰に至り、殊更に「情」を封じて、失敗の経験をも恐れぬ
『消極的な善意』を決断すれば、子も身の丈相応の覚悟を据えてくれるのです。
私たち母娘の経験が『励ます力』の源泉となり得ましたら、身に余る幸甚です。
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