2014年12月12日金曜日

敬愛する心の共振

前回レビュウした、司馬遼太郎『胡蝶の夢』。実は、臨床心理士ブロガー『ひなママさん』へ、初めてコメントさせて戴いた話題だったりします。当該の記事で、

 『「発達障害」をはじめとする
  自閉スペクトラム症の研究や分類が
  普及するほどに
  文化、文学までもが退化していくのではないか』

と慨嘆なさっておられた一節に、深く感ずる処があったゆえ、なのですが。

ひなママさんのブログ『グレーな卵、金の卵になあれ』の読者は、障碍当事者の親御さんが、圧倒的に多いご様子。ですから、当事者でもなく支援者でもない、謂わば“野次馬の突撃”には、内心きっと面食らっておられただろう、と拝察します。

然りながら、当方と致しましてはジックリと、時に数ヶ月あるいは年単位で、ブログなり作品なりを、僭越ながら吟味させて戴いた上、「この御方は、敬愛申し上げるに相応しい」と確信できた場合に限り、“突撃”させて戴いておりますので。

一緒に紹介させて戴いた、“小説家たる心の師匠”こと長野正毅先生は、勿論申し上げるに及ばず、『発達障害な僕たちから』のお二方も、当方が捧げたささやかな敬愛へ、ガッツリバッチリお応え下さっています。

あ、大統領さん&ヒロさんへ向けた気持ちも、無論、敬愛なんです。定型多数派に有り勝ちな、「自閉症スペクトラム当事者さんで、二次障害に苦しんできたのに、頑張ってて偉いなぁ」という、ぶっちゃけ“上から目線”な、ではなく。

より良き処を目指そうと努力する、純粋な心根こそが、敬意の念の対象で。
自分は達し得ない、未来を担ってくれる若さこそが、仁愛の向く先なんです。

そして、当方が捧げたささやかな敬愛は必ずや、その相手に共振するんです。

***

私がブログを始める、キッカケになって下さった、“敬愛するブロガー様”へ。
あなたは、私が捧げた密やかな敬愛の心へ、共振しようとして下さってます。

けれど、生来鋭敏すぎる五感が、身体の内外から細かく大量に受け取ってしまう、あなたの“感覚情報”は、量も質も他の人達と異なっていたから。“事実情報”を共有することでしか、他者と繋がることが出来なかった。

今のあなたが、行動化を通じて天然自然に、他者への敬愛を示す方法を”知らない”のは、心の発達や脳の機能様式の違い、すなわち地球上のあらゆる生命を司る、万世普遍の原理=多様性の所為。

ですから、まずは、ご自分の多様性を否定せず、承認して下さい。
それから「多様性の承認」という行動を、周りにも向けて下さい。

見解の相違・価値観の違い・嗜好の差異……あなたと他者との間には、数え切れないほど、“事実情報”の共有に齟齬が生じていることでしょう。でも全ては、万世普遍の原理=多様性の所為なので。

全能の神でもないのに、それら齟齬の存在を否定することは、
傲岸不遜ではないか?と私は思うのです。

中にはどうしても、あなたのnegativeな “感覚情報”を喚起して、承認し難い“事実情報”もあるでしょう。 あまりに強烈な嫌悪感で、ワーキングメモリが飽和してしまうことも、あるかもしれません。

でも、negativeな “感覚情報”を、そのまま行動化するのは、危険なのです。
否定する心も、必ず相手に共振して、あなたへの否定になってしまうから。

あなたにとって承認し難い“事実情報”は、ひとまず文章に書き下すことで、ワーキングメモリの“感覚飽和” を、回避できるかも知れません。あまりに強烈な嫌悪感を喚起された場合は、それも一緒に書き出しちゃいましょう。

少し落ち着いたら、今度は、あなたのpositiveな “感覚情報”を喚起する、好ましい“事実情報”を書き足して。相手について、思いつく限りの事実情報”を、1枚の紙面上(PCやタブレットの、ワークシートでもOK)で、総覧できるようにします。

さて、ここに至っても、その齟齬は依然として、承認しがたい存在ですか?
敬意の念の対象や、仁愛の向く先が、発見できない残念な御方でしょうか?
どうにも判断に迷う場合は、個々の“事実情報”へ、重み付けしてみて下さい。

ジックリ吟味して戴いた上で、猶、あなたが承認すら出来ない相手は、「敬愛申し上げるに相応しい御仁ではない」と結論して差し支えない、と私は考えてます。

あなたの公平で誠実なお人柄は、重々、信頼申し上げておりますから。

ただし、そこまでの悪人は、滅多にいないものですし。仮に、そんな御仁に出逢ってしまったら、むしろ遠ざけるべきで。その節は、別途お知らせ下さい。

長文、失礼致しました。
より良き処を目指す、あなたの険しい道を、些かでも照らす灯となれば幸甚です。


0 件のコメント:

コメントを投稿