2016年10月20日木曜日

「変な子」と「変なお母さん」

大学の長い夏休みが終わり、秋学期初日を迎えた先月下旬。

起床した娘が、洗面所へ移動した気配を壁越しに感じつつ
おもむろに台所へ向かえば、身支度を終えた所で鉢合わせ。

「トイレの水、流せなかった。起こそうかなと思ったけど」

口火の切り方が主観的すぎて、唐突なのは否めないものの
外れていたフロートゴム玉の接続を、自力で直せたらしい。

「まずネットで調べてみたら、修理法、出てたから流せた」

その瞬間、十数年に及んだ「自家製療育」を遂に満了したのだと確信する。「みんな」に倣うだけの子育てでは、決して味わえない歓びが胸の裡で静かに沸騰しはじめた。

お子さんが「普通」の枠を外れること無く成長なさったご家庭では、この会話のどこが嬉しいのか皆目お判りにならないだろう。「卒業」の実感も、主観的で唐突だった。

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保育園で自閉症の指摘を受け、小学校から高校まで不登校のリスクを抱えていたにもかかわらず。勝率5割の大学受験を経てようやく補欠で合格を頂戴叶った最高学府へ、疎外感に苛まれることも無く娘が愉しく通い続けていられるのは、如何なる因果なのか?

まず挙げるべきは、不登校・ひきこもりに悩む当事者さんやご家族・支援者の皆様へ、お節介にも寄せさせて戴いた傍目八目なコメントで『励ます力』を繋ぐ御縁に恵まれつつ、「うまくいっちゃう」というか「ひきこもらせない文化」を模索叶ったおかげ様。

なにせ娘の『危うさ』は、『具体例や試行錯誤から習得するのが苦手』な性向。つまり「良いこと=成功」も「悪いこと=失敗」も繰り返し体験させて戴ける場へ通えなければ、「得意を伸ばす」ことで知識・知能を切磋すると同時に、社会と呼応する知恵の習得という「苦手を避け多様性発達者として社会へ適応することも叶わないワケで。

ゆえに社会人デビュウを控えて成功・失敗双方の体験を頂戴できる最後の場、すなわち大学へ通い続ける「配慮と我慢」の自発的な行動化の瞬発力=「ひきこもらない力」を娘自身から引き出さねばならず。

所属学部やサークルの人脈を介した、他者と関わる知恵の構造的・弁証的な理解・体得こそ、「自家製療育」の最終課程と位置づけた顛末で、とうとう冒頭で綴った「卒業」の瞬間を実感するに至れた次第。

……なんてことを、たかがトイレの不具合を直せた件にも逐一考え、我が子の「毎日・毎年」を支えているのは、『すごい』と唸って戴くには及ばない「変なお母さん」で。

娘が「みんな」と違った「変な子」でありながら、「ひきこもらない力」を体得出来た因果として次に挙げるべきは、「普通」じゃない事象にこそキラ〜ン!と目が輝いちゃう、理系家族ならではの好奇心主導・屁理屈上等「文化」を醸成叶ったからなのだろう。

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兎にも角にも十数年に及んだ試行錯誤だったから、あれやこれやと「自家製療育」を施した側、すなわち「変なお母さん」にとっては具体的に一体何が「ひきこもらない力」を引き出したのか、今ひとつ判然としていない。で、「変な子」本人にも訊いてみた。

まず娘が挙げたのは「自分にピッタリの仮面、でも息苦しくないのが手に入ったから」
例のごとく主観的すぎて判りにくいが、つまりは心理学で謂うところのペルソナ=自己の外的側面が適切に確立できたゆえ。要するに、大学の学部とかサークルとか、自分にとってしっくり来る所属意識・居場所が確保叶ったおかげ様、ってことですかな……

でも、それって「ひきこもらない力」を、別の表現に言い換えてるだけじゃね? 
「自家製療育」の何が、あなた自身の「五感の凸凹には配慮・認知の凸凹には我慢」する行動化の瞬発力を引き出せたのか、って訊いてるんだけど。

……と重ねて問うたところで、娘が挙げたのは以下の三点。

【その1 興味関心に合わせた経験】
→オトンは日本全国の乗り鉄へ、オカンは図書館・美術館・博物館へ……確かに徹底的な「モノより思い出」だった。元ネタのクルマには、全く縁が無かったけどw

【その2 行動の根拠を明確に解題】
→理系な家族だから、好奇心主導で直感を得たにしてもメタな屁理屈上等で補填するのがクセになってる。発語発話が不充分だった頃から、informed consentしてたしw

【その3 義務の履行は権利の行使と表裏一体であることを徹底】
→「苦手を避け」に「得意を伸ばす」ため、最も苦慮した点。半端にメタ認知が発現して疎外感に苛まれ始めた10代前半、「ひきこもる権利」っていう認知の凸凹がバッチリ表出しましたから。「権利の行使には義務の履行が付帯する」との原理原則をガッツリ体得させた件こそ、なるほど多様性発達者としての社会適応には最も重要だったのかも。

三つをまとめれば、興味関心に合わせた経験が知識を・行動の根拠の明確な解題が知能を・社会と呼応するための義務と権利が知恵を育んだ、という結論になるんでしょう。

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てな具合の、拙宅にとってお馴染みな「自家製療育」談義に娘と興じつつ。ふと気づいちゃったのは、「良いお母さん」と「悪い子」では「うまくいかない文化」の必然。

共依存の陥穽に嵌まることの無い「うまくいっちゃってる文化」には、「変な子」と「変なお母さん」の平らかで「ずれ」が無い関係性こそ最も重い要なのだと私は思う。

【補記】「お母さん」と「子」連作として不定期連載しております。お時間許す範囲で併せてご笑覧賜れますと幸甚。
>>前篇『「良いお母さん」と「悪い子」』を読む
>>続篇『暴れる子と『頑張るお母さん』』を読む
>>続篇『緘黙する子と優しいお母さん』を読む

2016年9月16日金曜日

AIは電気椅子の夢を見るか?

2年前の秋、国立情報学研究所新井 紀子先生がディレクタを務めておられる人工知能プロジェクトの情報共有技術を、自閉症スペクトラム当事者の苦手克服への「鍵」として応用する可能性を思い立ち「『東ロボくん』への期待」と題した拙文を綴りました。

その後の『東ロボくん』は、総合点での偏差値を45.0から57.8へ急上昇させましたが、これは元来得意だった数学と世界史で一層の好成績を納めた成果。苦手の英語や国語は偏差値40台での低迷が続き、前回は好調かと思えた日本史と物理も伸び悩んでいます。

実を申せば、同様の不調に頭を抱えていたのが、受験を間近に控える娘の成績……

『東ロボくん』とは思考様式が異なるテンプル・グランディン博士曰く『言語の論理で考えるタイプ』)ため数学がさほどの好成績でない代わりに、世界史は博覧強記で日本史と生物・化学が安全牌。一方、自閉圏の特性ゆえに英語と国語が低迷し続ける不振は完全に同じで、「東ロボの母」を自任しておられる新井 先生への共感が、つい炸裂してしまった次第。

得意科目の『数学と世界史では東大の2次試験を想定した模試にも挑戦し、平均点を超えた』新井 先生「息子さん」と同様、過読症傾向を呈する娘も個別学力検査の想定問題なら、第一志望の大学へ挑戦可能な目標点をそこそこ安定して達成できていました。

しかし現実の国立大学受験は、センター試験の得点こそが第一の要衝。『東ロボくん』総計950点中511点(得点率53.8%)という成績では、東大受験の出願手続を行ったとしても2次試験に臨む以前に、第一段階選抜で門前払いされてしまう可能性が高いのです。

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娘が体験したリアルな大学受験は、再々綴って参りましたとおり、センター試験の自己採点が目標へ遙かに及ばぬ得点率だったため、以後の主眼を私立大学の一般入試へ方針転換。保育園で既に表出していた多岐選択式試験への苦手は補填しきれませんでしたが、言語的論理思考の得意を活かせる筆記試験では、伸び代をご承認戴けた顛末です。

ところが人工知能である『東ロボくん』は、むしろ得意の伸び代こそが、世情の反感を煽ってしまった模様。「東ロボの母」たる新井 先生の言葉をお借りすれば……
《以下、『エクス・マキナ』のネタバレ御注意!》
だが、第2回電王戦でプロ棋士がコンピューター将棋に敗れ、東ロボが初めての模試において、約5割の大学に合格可能性80%以上と判定されたころから、みるみる空気が変わっていった。
 多くの雑誌が「AIによって奪われる職種」とか「AIによって支配される未来」といったネガティブな特集を組んだ。AIは近未来の職場環境を激変させる可能性があるテクノロジーとして認識されたのである。
東大めざす人工知能 「夢」から「恐れ」に変わる視線』日経産業新聞2015年12月8日付

とは言え『認識がややオーバーであることが気になった』と若干のご懸念を表しつつも、世論が「面白研究紹介」調の表層的な理解から、人工知能が実用化した近未来への具体的な危機感にようやく踏み込み始めた現状は、新井 先生としても面目躍如と拝察。

なにせ『東ロボプロジェクト』の主旨は、東大へ入れる人工知能の開発ジャナクテ『AIのある社会にどう備えていく必要があるのかを、それぞれが考える材料を提供するという意味で、日本にとって今ぜひとも必要なプロジェクトであり科学教育』なのですから。

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てな次第で拙宅も、新井 先生の企図を諒解した『それぞれ』の一員として、殊に事実情報の共有を得意とする特性が人工知能と酷似しているために、「普通」の「みんな」より一層厳しい競合の危惧もある自閉圏当事者の視点から、『AIのある社会にどう備えていく必要があるのか』を社会学・文化人類学を志す娘と引き続き絶賛考察中です。

まずは5月に放映されたNHKスペシャル『天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る』で、リアルな最先端を概観。次に「大人の映画」の一環として鑑賞した『エクス・マキナ』で、美しい女性型ロボットに搭載されたチューリング・テストをもパスしうる究極のAI、というバーチャルな最先端に妄想を遊ばせた結果、抽出された論題は……

人工か否かの別を問わず、知能が「良心」を得るためには何が必要か?という疑問。

『全てがアップデートされた最新のSFスリラー』と紹介された物語の中で、『人間か、人工知能か』の識別を危うくするほど脳に擬態されたAIは、無邪気な好奇心から発露した他愛ない願望を叶える「フリーハンド」が阻まれた時、いとも容易く重罪を犯します。卓越した知能が膨大な知識を集積しても、「良心」は深層学習できないのです。

バーチャルな最先端で創出された究極のAIに、人間が言語的・非言語的に表出する感覚情報を膨大な事実情報の集積として共有させ、的確な行動化で瞬時に応答させることができても、「良心」を擬態させることは不可能と断じた物語は、『AIが東京大学に合格する日はやってこない』という「母」の予言に通ずる示唆を与えてくれました。

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「普通」の枠から外れた自閉圏当事者としての視座で、「みんな」の社会と文化に向かう好奇心を満たす「フリーハンド」、すなわち最高学府で切磋琢磨するという願望を自らの配慮と我慢で実現した娘は、「良心」を得るために必要なのは基本的人権と解題しました。社会の中で生い育つ人間の知能にとって、それは確かに正解の一つでしょう。

では、「人権」すなわち自己実現の「フリーハンド」を賦与されなかった知能は、
人工か否かの別なく、「良心」を育むことが不可能になってしまうのでしょうか? 

あるいは、事実情報を知識として集積する以外に、感覚情報を共有し行動化する術を獲得できなかった知能が、「良心」という社会に呼応する知恵を得るには、犯した罪に与えられる刑罰の恐怖を、夢に見るほど繰り返し刷り込むしか術が無いのでしょうか?

無邪気な願望を最も邪悪な手段で成就させてしまう、美しい女性に擬態したAIは、「得意を伸ばす」教諭のみで「苦手を避け」に失敗と成功の双方を繰り返す成長体験を積めなかった「育ち」の、『危うさ』を象徴しているように感じられる映画でした。

2016年9月6日火曜日

うまくいかない文化

先日の記事を公開したところで、拙宅の娘に訊ねてみたら……

「ママは『お母さん』ジャナクテ『将軍』だよねぇ」だそうですw

つまり、戦略戦術を策定する専門性能と前線兵站を統帥する対人性能は、率先して発揮したがる一方、現場の実務に充てるべき代行性能は、面倒くさがってなかなか発揮してくれない、って趣旨なんでしょう。母の実態を的確に見抜いた、絶妙の喩えですwww

でも「良いお母さん」は往々にして、お仕事にしても家事にしても、現場の実務をこそ手際よく片付ける代行性能に優れておられる。それがために、お子さんの『危うさ』を直感した際、他人様に迷惑をかけぬよう我が子を成功へ導けるよう、親御さんが先回りして失敗を避ける策こそ打つべき先手と、思い込まれてしまうようにお見受けします。

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保育園で『危うさ』を指摘された当初、拙宅の娘は、発達が遅れている上にきちんとした躾もされていない、「悪い子」だと思われていました。

担任の保育士曰く「おやつの時間に大好物が出てくると、配膳中ちょっと目を離した隙に、まだお盆に載っているおやつをお友だちの分も全部食べてしまいました。『いただきます』のご挨拶をするまで、我慢して待つことができないためとても困っています」

その一方で、別の保育士曰く「まだ読み書きを教えていないのに、ひらがなで書かれたお友だちの名前を、いつの間にか読めるようになっていました。お話しが上手ではないので自分から話しかけるのは難しいようですが。お友だちへの興味はあるみたいです」

また主任先生曰く「何も載っていないお皿と、リンゴが一つだけ載ったお皿と、五つ載ったお皿の絵から『一番たくさんあるのはどれか?』選ぶだけの簡単な質問なのに即答できません。いちいちリンゴを数えてみないと、どれが一番多いか判らない様子です」

「自己肯定感を持たせるために 成功体験を」という惹句へ私が文言通りに従い、他人様へ迷惑をかけぬよう我が子に成功だけを体験させられるよう、娘の『危うさ』が連日しでかす失敗を先回りして避ける代行性能のみへ専心していたなら。当時就いていた研究職を辞め娘を退園させ、母子で自宅にひきこもる他に選択肢はありませんでした。

しかし留学先で娘を出産し、彼女が2歳半の時に帰国して来たばかりの私は、「この子は自閉圏なのかも」という疑懼を既に抱いていた一方、日本ではお馴染みの惹句を知りませんでしたから。保育園で日頃おかけしているご迷惑へ深謝しつつ、主任のN先生がご提案下さった臨床心理士の定期観察を、躊躇無く受諾することが叶ったのです。

実母より遙かに優れた代行性能をお持ちの専門家へ、保育や教育の助力を仰ぎながら、娘の特性に沿った自家製療育を策定する専門性能と、娘の育ちに関わって下さる皆様との関係性を統帥する対人性能へ、仕事や家事の傍らでも存分に専心できた所以です。

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もう一点、「良いお母さん」が「普通」以上に優れた代行性能をお持ちであるがゆえの、陥穽を指摘させて戴けば、他人様に迷惑をかけぬよう我が子を成功へ導けるよう、「みんな」以上に厳しく自律し努力を積む聡明さを、『危うさ』を抱える我が子のみならず助力を仰ぐべき専門家へも、無意識のまま要求なさってしまう「文化」でしょう。

先日の記事の繰り返しになりますが、「良いお母さん」には、我が子が「悪いこと」をやらかしてしまう『危うさ』を、看破することが極めて難しい。「みんな」以上に自身を厳しく律して努力を積めば「普通」以上に優れた能力をも獲得できる旨を、教諭されただけで承知できる聡明さが、生来『危うさ』の代わりに賦与されているからです。

なればこそ「良いお母さん」が、『危うさ』を熟知した専門家へ委任すべきは、我が子の『危うさ』がやらかす失敗を周到に回避しうる代行性能ではなく。お子さんの成長を妨げ『危うさ』を生じさせている五感や認知の凸凹へ、共感しつつ寄り添える対人性能と、その特性に合わせて「苦手を避け 得意を伸ばす」体験を策定する専門性能です。

「良いお母さん」が、他人様に迷惑をかけぬよう我が子を成功へ導けるよう、失敗を忌避し努力を積むよう厳しく自律させる「文化」でうまくいったのは、教諭されただけで承知できる聡明さを賦与された「良い子」だったからこそ。

『危うさ』を持ち合わせる我が子を授かった「良いお母さん」には、「うまくいかない文化」を「うまくいっちゃう文化」へ軌道修整する体験へ、お子さんが安心して繋がれる「毎日・毎年」を支えるべく、どうか優れた代行性能を発揮戴けますように……

2016年8月28日日曜日

「良いお母さん」と「悪い子」

記者会見の喧噪が大の苦手なので、一問一答の記事毎日新聞のサイトで拝読した限りですけれど……

高畑 淳子さんは、すごく「良いお母さん」なんだなぁと感じました。

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でも「良いお母さん」が「悪い子」の『危うさ』を周到に俯瞰なさって用意することは、極めて難しい。「悪い子」がやらかす「悪いこと」には「悪いお母さん」でないと、布石を置けないからです。

自分の子に潜在する『危うさ』を直感した時、「良いお母さん」はご自身が持ち合わせぬ『危うさ』を怖れ忌避するゆえに、他人様に迷惑をかけぬよう我が子を成功へ導けるよう、「悪いこと」を禁じ「良いこと」を努めるべきとお子さんへ教諭なさいますが。

「悪いお母さん」は、我が子を「悪い子」にさせぬよう、むしろ失敗を体験させることを覚悟します。『危うさ』が招く失敗の怖さを自身に体感させておかなければ、我が子は『危うさ』を他人様へも向けかねない、という先の手まで深読みが出来るからです。

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先日の記者会見で漏らした『育て方が悪かったのだ』という感慨について、巷間では様々な意見があるようですけれど、私はお言葉どおり「お母さん」としてのお気持ちを受け止めたいと考えています。

何年か前、彼女の日常を取材したテレビ番組でお見かけした限りですが……

高畑 淳子さんは、すごく「頑張ってるお母さん」なんだなぁと思いました。

取り分け印象的だったのは、美容院で髪を染める待ち時間さえ惜しんで(人気女優でありながら、ご近所のありふれた美容院で整髪なさってるのも意想外でした)、頭にタオルを巻いたままご自宅へ駆け戻り、家事を懸命に片付けていらしたエピソードです。

そして、すごく「賢明なお母さん」なんだなぁとも思いました。

大河ドラマでご活躍中のコミカルな演技からも、聡明なお人柄は伝わって来るのですが。不規則で多忙なお仕事の一方、ご家族の日常を支える家事でも、他人様に迷惑をかけぬよう我が子を成功へ導けるよう、心を配り工夫を凝らして努めておられました。

にも関わらず、『育て方が悪かったのだ』と悔悟を募らせる結果を招いてしまった所以は、何処に在ったのでしょうか?

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語弊を懼れず端的に申し上げれば、「良いお母さん」が「悪い子」を授かった偶然。

更に言葉を補えば、「良いお母さん」には、「悪い子」が「悪いこと」をやらかしてしまう『危うさ』を看破することがすごく難しいのに、他人様に迷惑をかけぬよう我が子を成功へ導けるよう、ご自分お一人で全てを抱え込まざるを得なかった、必然です。

2016年8月5日金曜日

多様性発達者の就労支援

しばらく前、お子さんが大学への不登校をキッカケにひきこもりがちになってしまったご家族のお話を、直接伺う機会に恵まれました。

現状は概ね愉しく大学へ通えている拙宅の娘ですが。この十年来ネットを通じてお世話になっている「とある成人当事者ブロガー様」からも、『最も難関かつ大切なのは、就職活動と社会人になった最初の数年間』とのご助言を頂戴しておりますので、親の方は依然、就労支援へシフトした「予習」を絶賛継続中です。

定型発達から逸脱しつつも「うまくいっちゃう文化」を醸成することで、不登校・ひきこもり等の二次障害すなわち『発達障害的な行動パターン』の表出を回避し、「成長体験」を積めたPolymorphous Developments=多様性発達者 つまり一往の「育ち」が叶っている「うまくいっちゃった」ケースだとしても……

定型通りの「みんな」なら「普通」に努力を積むことで、そこそこ上手に・まずまずの成功へ落着できる人生の岐路、すなわち就職が『最も難関』となってしまうのは別儀。

今や東大の数理科学研究科でさえキャリア支援室を設置各種セミナーを開催して、『問題解決のための情報収集力・対人コミュニケーション力・組織対応力』−−− 要するに数学を「得意」とする多様性発達者が抱えがちな「苦手」の克服 −−− を『transferable skill=様々な業界や職種に転用可能なスキル』と称し、学生・院生へ説くご時世です。

「得意を伸ばす」ことで知識・知能を磨くのは言わずもがな。「苦手を避け社会と呼応する知恵、たとえば信州大学医学部附属病院・子どものこころ診療部の本田 秀夫 先生が提唱なさっている『新キャリア教育』のような支援で、多様性発達者自身が「生き方」へ配慮できるようになる工夫を凝らすことこそ、就労の要と私は考えています。

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あくまで見聞できた範囲の個人的な心象に過ぎませんが、初等〜中等教育まで概ね良好な登校状況だったものの、大学進学以降の「大人としての行動パターン」を要求される環境で、不適応もしくは過剰適応を表出させてしまう当事者さんには、Hyperlexia=過読症を想起させる特性を示す方が相当な割合でいらっしゃるように拝察しています。

ウィキペディアの解説を借用すれば、文字や数字の『早熟な読解能力』を示す一方、『発話の習得は丸暗記と反復』であるがゆえに『実用的な会話の習得は遅い』。そして『具体例や試行錯誤から習得するのが苦手』なゆえに母語の文法に加えて『ソーシャルスキルの発達で遅れを取り』がちな上、そもそも『子供同士で遊ぶことにあまり興味を示さない』のは昔も今も「勉強がよく出来る」児童・生徒に散見される一群ですが……

定型通りの「みんな」なら「普通」の日常を送るだけで自然とできるようになる習得、つまり経験を通して習い覚えることが、むしろ逐一『難関』となる広汎性発達障害

ゆえに「みんな」なら「普通」に日常の経験を通して習い覚えて来た、社会と呼応する知恵=transferable skill が採否の決め手となる就労こそ、『最も難関』となるのは理の当然。支える側は、そのうち自然とできるようになる筈という認識を改め、障碍へ配慮する工夫を反復・率先して当事者さんへ言語化・行動化し続ける要があるのでしょう。

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娘に付けるべき診断が、発語・発話の顕著な遅れを主訴とする高機能自閉症になるか、過読症を主訴とする広汎性発達障害になるかという議論は、さておいて。要は前倒しで時間をかけて用意するのが肝と心得、知恵習得という「苦手を避け」就労支援へシフトした「予習」は、子の方も大学生活に馴致できた2回生を以て鋭意始動中。

「大人としての行動パターン」に『問題解決のための情報収集力・対人コミュニケーション力・組織対応力』が必須である旨は、1回生の時にやらかした「失敗体験」を好機と捉えて言語化して来たので、今年は徐々に行動化……手始めにクラス担任への進路相談を誘導したところ、担任教授は快く暫定メンターを引き受けて下さった模様です。

通常は2回生の冬に確定するゼミの指導教授との関係性こそ、就労に漕ぎ着ける第一の『難関』なのですが、まずは担任教授へ繋がることで「予習」すなわち前倒しの反復をさせる目論見。早速、実習科目で出された課題へのご助力を、娘自らお願いに伺えたらしく……布石の順調な奏功に、ありがたく安堵の一息をつかせて戴きました次第。

そして担任教授への進路相談を言質に取った国家資格取得の夏季集中講座にも、意欲を持って取り組めています。なにより幼い頃から慣れ親しんだ場の「中の人」になれる(かもしれない)資格を取るために必修だからなのですが、他人様へ事前に受講を宣言した見栄や体裁は、「配慮と我慢」のタガを緩めぬ適度な緊張感になってくれています。

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とは言え無論、世間様との齟齬が全く無いというワケではなく。通うべき所へ通い続けられる「配慮と我慢」の自発を最優先に据えていますから、定型通りの「みんな」なら「普通」に送っている日常のあれこれを、娘と熟慮・協議した上で省いたり諦めたり先送りしたり……当事者と支える家族双方の許容量を鑑みつつ取捨選択しています。

例えば大学生の大多数が就労への「予習」として体験するアルバイトやインターンシップは、経験を通して習い覚えることが『難関』になってしまうタイプの多様性発達者からすれば、むしろ鬼門。所属学部やサークルなど安定した人脈を伝手に、社会と呼応する知恵を構造的・弁証的に理解・体得していく方が相応だと考えています。

しかし入学当初の娘は友人達に影響され、バイトやインターンに興味津々。その意気や良しと奨励しつつも、十中八九、採用戴けそうにないバイト募集でエントリー・書類選考・面接と一通りの手続の後、当人は好感触を得たつもりなのに不採用だった旨を正直に報告できなかった件まで、親の方は委細承知で敢えての「失敗体験」を仕掛け、「苦手を避け」「配慮と我慢」することの必要を弁証する策を講じたりもしました。

「得意を伸ばす」ことで知識・知能を磨けば、他人様から頂戴する好評価によって当事者の人生への信頼が養われる一方、「苦手」の克服を一層避けがちになるのは自然な人情かもしません。けれど「みんな」の「普通」を凌駕超越した知性であっても、社会と呼応する知恵を欠いたままでは、人工の知識・知能に取って代わられる日が訪れようとしている世情を、「育ち」を支えるご家族に是非ご考慮戴きたいと私は願っています。

【補記】多様性発達者 Polymorphous Developments とは……
定型発達からの逸脱を呈しつつも、発達障害的な行動を表出させない「合理的配慮」を自ら体得できた症例です。信州大学医学部付属病院 子どものこころ診療部本田 秀夫 先生が仰る、「非障害自閉症スペクトラム」に想を得ていますが、拙文における「多様性発達者」の定義は、専門医の診断も専門家の療育指導も、その有無を問いません。