2017年9月29日金曜日

緘黙する子 と 優しいお母さん

「変なお母さん」好奇心主導な傍目八目から拝見すると、大抵の「良いお母さん」は子育てという行為を「みんな」が経ている「普通」に倣えば上手く行く筈、と一括りに思い込んでおられるようにお見受けします。お子さんが「普通」の枠から明瞭な逸脱を呈していても、その因果へ「疑問を持って 詳しく調べる」工夫を凝らし「特別」な育み方を模索しようとはなさらず、「普通」の枠内へ嵌め込まれた「みんな」と足並みが揃わなければ、ご家庭の庇護へ囲い込んでどうにか始末を付けねばと腐心なさるばかり。

「普通」の枠に嵌め込まれたままの地平をわざわざ離陸せずとも「みんな」へ倣うだけで大過なく平穏に齢を重ね所属を得て来た「良いお母さん」達へ、私は不躾な批判を加えようとしているわけではありません。できる限り効率良く仕事や家事を片付けて確保した時間に、できる限り効果が高そうなノウハウの実行へ尽力するのが「良いお母さん」にとって精一杯の頑張りなのだと平らかに了解した上、お子さんが「特別」であるゆえに直面している難儀を果たしてノウハウで解決できるのかと懸念しているのです。

他所様の親御さんをあげつらうのは、拙ブログの本来の意図ではありませんが……
『母の思い。30年間ひきこもった元東大生』と題し疑義を呈して下さった、サポートセンター名古屋「東大さん」こと大野さんへお応えしようというのが今回の趣旨です。

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大野さんは、有名中高一貫校から現役で東京大学へ合格。しかし『良い就職』を目的に東大の修士課程へ進んだところで不登校に陥り、どうにか修了へ漕ぎ着けたものの指導教授の推薦は当然戴けず。『気力を振り絞ってなんとか社会復帰したいとアルバイトにも挑戦』なさっても叶わず、2013年の3月に『30年近くぶりで、家族以外の人と会うことに』なるまでひきこもり、今は50代後半……私より数歳、年長でらっしゃいます。

大野さんのひきこもりは、『30年間、母は僕を一度も責めませんでした。』『「諦めない限り、必ず希望はあるんだ。」と励まし』支え続けて下さったお母様にせよ『「最後に親孝行できてよかったね。お母さんの死に顔は微笑んでいたよ。間に合ったんだよ。」と』語りかけて下さったお姉様にせよ、生い育ったご家庭ではむしろ「ひきこもらせない文化」が醸成されていたと拝察される稀なケースです。大野さんご自身さえ、
他人の話を聞きますと、「20年間もよく1人で部屋の中に入られたな。」と思ってしまいます。でも僕は30年間ですからね。最近は、本当に30年間ひきこもっていたのかと自分で疑ってしまうことがあります。
と疑義を呈しておられる。どれほど「得意を伸ばす」ことで知能と知識を先鋭化させても、迂闊に「苦手を避けて」他者と繋がり社会と呼応する知恵の育ちの遅れを放置すると −−− 「普通」の枠へ嵌め込まれた「みんな」からすれば大野さんが辿った進路はエリートコースですが −−− 五感や認知に凸凹を抱えている自閉圏のお子さんにとっては自身の人生を幸せに生きる力が削がれてしまう旨、克明に思い知らされるケースなのです。

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それでは、ご自分で俯瞰なさっても尚、ご家庭の環境も学校への適応も非の打ち所が無かった大野さんが、なぜ『30年間ひきこもっていたのか』?

解題への手がかりは、かつて大野さんと一緒にサポートを受けていた俊介さんから頂戴した遣り取りの中で、見つけることができました。
そういえば、ヒルマさんという方が僕たちのブログを解説してくださったんですよ。その中で、大野の頭が硬いことを30年近くひきこもったのでこんな風になったのかと僕が思って書いたら、そうじゃなくて、それほどの強い特性ゆえに30年間も引きこもったんだと教えてくれました。 なるほどそうなのかと気付きましたよ。
俊介さんは、非常に穏やかで衒いの無い素直なお人柄。五感の凸凹が激しい特性ゆえ −−− 拙ブログで常用させて戴いている『五感の凸凹』という表現、俊介さんの文章に由来しています −−− 視覚過敏に起因すると考えられる『人の視線が怖い』という感覚のために、大学へ入った直後から10年間ひきこもってしまった御仁です。とにかく『能天気な僕』と自称なさるほど安穏な人格者にも関わらず、俊介さんをして『とても頭が固いというか融通がきかない』と呆れさせるほど、大野さんの認知の凸凹は強烈らしい。

つまり、お母様をはじめとするご家族が「ひきこもらせない文化」を醸成 −−− お子さんの生まれ持った多様性を「個性」として受容し、五感の凸凹へ自ら配慮する生活習慣を稽古付けた上、認知の凸凹で失敗するフリーハンドを許容 −−− して下さったとしても、当事者が『とても頭が固いというか融通がきかない』タイプである場合は独りでに自らの脳内で「ひきこもる文化」を構築する危惧を潜在させている、ということでしょう。

そして一旦、頭の中で当事者独自の「ひきこもる文化」が確立されてしまうと、たとえご家族は失敗するフリーハンドを許容しようという鷹揚なお心構えで『「諦めない限り、必ず希望はあるんだ。」と励まし』続けたとしても、ご本人の頑迷強固な観念を溶かすことは不可能に近い。ネットの渉猟で拝見した範囲ですが、二次障害後の社会適応が叶ったケースは概して、メンターとの出逢いに恵まれた方々に限られているのです。

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大野さんのような、ご家族の鷹揚さが却って仇を為し30年近くひきこもってしまった例はさすがに稀少ですが、『とても頭が固いというか融通がきかない』タイプの自閉圏当事者さんは一定散見され、以下のプロファイルが共通していると私は拝察しています。

  1. 一人で群れずに熱中できる好きなことは、机上で自学自習する勉強
  2. 感覚過敏は比較的軽微で、中等教育までの適応には概ね支障が無い
  3. その一方で未決問題へフリーハンドが行使できず緘黙してしまう

3番目は、正解が定められていない状況に対してどう応じたら良いのか分からず、フリーズしてしまう状態。たとえば「あなたは、何がしたい?」といった自由度が高い質問だと、専門課程進級時のゼミ/卒業研究のテーマ/就職活動の業種を選択すべき年齢に到って尚、黙り込んでしまう。緘黙は謂わば「脳内ひきこもり」の徴証なのでしょう。

他に感想文や報告書が苦手/口頭発表を要求される行事を避ける/服装の色彩に強いこだわりがある、といった共通項が見受けられるようです。彼/彼女らは「苦手は忌避し続けるしか/得意で矜持を保つしか、術は無い」という諦観と自負に囚われ、医師・弁護士といった国家資格や検定試験 −−− 正解が定義されている勉強 −−− の権威に縋る一方、正解が定まっていない状況への不安ゆえに実体験へ踏み出すことが極めて難しい。

しかし緘黙という「脳内ひきこもり」から脱するために必要なのは机上の勉強ではなく、さらに言えば就労移行支援事業で設定される予定調和な職業体験でもありません。

実生活の中で生ずる様々な場面で「失敗体験」を積み重ねて当事者が自身の不備不足へ向き合いつつ、フリーハンドの行使に必須な大人のリテラシーを伝授して下さるメンターとの関係性を構築するほかに、術は無いのです。上述の「脳内ひきこもり」を呈する当事者さんたちは、親御さんがたいへん寛容でご家庭には「ひきこもらせない文化」が醸成されていた様子も共通項なのですが、過ぎるほどに優しい生育環境が苦手の忌避を助長/障碍の自覚を遅延し、失敗の蓄積と昇華が阻まれたとも拝読されます。

一人で群れずに机上の自学自習に熱中でき、学校生活への適応に一見した限りでは支障が無いとなれば、中高一貫校を目指して小学生から受験勉強へ邁進させるのが「普通」の枠へ嵌め込まれた「みんな」からすれば優等生たる常道。ですが「脳内ひきこもり」の危惧を潜在させている「緘黙する子」にとっては誠に遺憾ながら、十代前半までに多様な実体験で知恵を育む機会を逸して障碍を増悪させたと結論せざるを得ないのです。

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「優しいお母さん」が「緘黙する子」の不安を思い遣り「かわいそう」と慈愛をお感じになるのは、天然自然の摂理でしょう。されどお子さんが自己へ向き合うべく築こうとしている家族以外の「大人」との関係性を、「かわいそう」と阻む庇護は「脳内ひきこもり」を20年30年へ引き延ばすだけと大野さんは身を以てご教示下さっているのです。

【補記】「お母さん」と「子」連作として不定期連載しております。

>>第1回『「良いお母さん」と「悪い子」』を読む
>>第2回『「変な子」と「変なお母さん」』を読む
>>第3回『暴れる子 と『頑張るお母さん』』を読む

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