「普通」の枠に嵌め込まれたままの地平をわざわざ離陸せずとも「みんな」へ倣うだけで大過なく平穏に齢を重ね所属を得て来た「良いお母さん」達へ、私は不遜な批判を加えようとしているわけではありません。できる限り効率良く仕事や家事を片付けて確保した時間に、できる限り効果が高そうなノウハウの勉強へ努めるのが、「良いお母さん」にとって精一杯の頑張りなのだと平らかに了承した上、果たして「特別」であるがゆえのお子さんの問題をノウハウで解決できるのか疑わしい、と懸念しているのです。
他所様の親御さんをあげつらうのは、拙ブログの本来の意図ではありませんが……
『なんでこうなるの?親と子どもと』と題し疑義を呈して下さった、サポートセンター名古屋のヒロさんからの「宿題」へお応えしよう、というのが今回の趣旨です。
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ヒロさん曰く、発達障碍の二次障害からひきこもりに陥ったお子さんが、ご家族への暴力・暴言を表出している −−− 直接の対象になりがちなのは、お母様だそうです −−− 場合、ご家庭が取っている対応として『圧倒的に多い』ケースは『なんとかしなければと思いながら、なんともならずに、暴力に耐えながら過ごしている』中で『「自分のお腹を痛めた子どもだから、自分の責任でなんとかしなければ」と頑張るお母さん達』。
特にヒロさんが
『なんだかな。 切ないね。 お母さん達は一生懸命なのに。』と深く心を痛めておられたのは、暴れる子ども達が『求めているものは それじゃない』のに『ものすごく ズレている』お母様がたの『勘違い』です。例えばカウンセリングの勉強会や有名カウンセラーの講演会へ熱心に足繁く通っておられながら、
『で? お母さん、あなたの お子さんは? 何も変わっていない!?』という状況が −−− 実際に勉強会や講演会へ参加してみたお母様のブログから察すると、少なからず −−− 生じている模様なのです。
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拙記事の趣旨は、何も改善しない理由は縋った「藁」がカウンセリングだったという『勘違い』なんです!ひきこもりの解決には断然これが効果的!といったノウハウ −−− やり方に関する知識 −−− ではありません。お母様がたの相談先が、有名精神科医の講演会だろうが 就労移行支援事業所の説明会だろうが 大学の学生相談室の担当教官だろうが、偶然掴んだ「藁」へ縋り付く一方でそれを撚り集め縄へ糾う知恵が働いていなければ、ご家庭の「ひきこもらせる文化」は遺憾ながら何も変わりようがないというお話。
ですので、ひきこもりからの家庭内暴力という発達障碍の深刻な二次障害を解決する方策は真っ先にご家庭の文化=親子の関係性を改善するため、親御さんの −−− 特に暴力・暴言の対象になりがちな、お母様の −−− 他者と繋がる知恵=対人性能をお子さんに対して精一杯働かせて戴かねばならない、というのが結論。更に詳しい解題は、恐縮ですが拙記事『ひきこもらせない文化』『「藁」を糾える文化』をご精読下されば幸甚です。
という次第で、ヒロさんから頂戴した『なんでこうなるの?親と子どもと』という宿題へは、親御さん −−− 特に子育ての主導権を握っておられる、お母様 −−− の他者と繋がる知恵=対人性能をお子さんに対して精一杯働かせていらっしゃらなかったから『ものすごく ズレている』『勘違い』が生じてしまったのだ、とお答えすることになります。
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という回答だけで終わらせてしまうと、師兄たるヒロさんへ対人性能を精一杯働かせていないという非常に無礼な仕儀になってしまいますので、以下で説明を試みますね。
サポートスタッフの皆様にはご多忙を極めておられるところ大変申し訳ありませんが、ヒロさんへ読解のご助力を、私からもどうぞ宜しくご対応のほどお願いいたします。
第一に『ものすごく ズレている』『頑張るお母さん』には、お子さんを「他者」と捉えることができていない徴候があります。
ヒロさんの文章で「自分のお腹を痛めた子どもだから、自分の責任でなんとかしなければ」「いざとなったら この子と一緒に……」と綴っておられる部分が、その証左。ひきこもっているのも暴力・暴言を表出しているのも、その主体はお子さんです。従って、お子さん自身が『なんとかしなければ』と考えられるよう、支え扶けて行くのが再起へ繋がる道理なのですが、『ものすごく ズレている』お母さんは自分の子どもが起こした自分の問題だから自分の頑張りで『なんとかしなければ』と『勘違い』なさっている。
それから、第二に『ものすごく ズレている』『頑張るお母さん』の対人性能は「普通」の枠に嵌め込まれたままの「みんな」に対してしか働かない徴候があります。
ヒロさんのブログですと『有名なカウンセラーに寄り添いながら、全国の講演会を制覇した』お母様が典型例。「普通」の「みんな」へ対してなら対人性能を存分に働かせることがお出来になるので『「カウンセラーを名乗っていい とお墨付きをもらいました」と誇らしげに』自慢なさるほど成果を上げられるのですが、「普通」の枠から外れた相手には「間違っている。カウンセリングで正さなければ」という価値観なのでしょう。
さらに、第一の徴候(自分と相手に対する自我他我の認知に不備があること)と第二の徴候(自分の価値観に沿わない事象は受容しないという認知の不足があること)は、自己理解すなわち自己を掌握し自己実現の主体となるべき人格の成立に不備不足があることを示唆している、と私は解釈しています。語弊を懼れず一言でまとめちゃえば、たぶん「定型発達症候群」なんでしょう。
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拙ブログで度々繰り返している解題ですが、発達障碍の二次障害を防ぐ/二次障害からの再起を促す上で最も望ましい当事者との関係性は、上から目線で「みんな」の「普通」つまり定型発達の標準を知識として教え諭すカウンセラーではなく、自己を掌握する能力=人格の育ちを扶け他者と繋がり社会と呼応する知恵を伝授するメンターです。
そしてメンターとしてお子さんとの関係を構築することは、「普通」の枠に嵌め込まれ「みんな」が立つ地平を離れられない「良いお母さん」ですと、遺憾ながら不可能に近いと申し上げて良いでしょう。ネットを渉猟して拝読拝聴した限りではありますが、お子さんが発達障碍を抱えつつも二次障害の回避/再起へ向かうケースは必ず、主導なさっている親御さんがどこかしら「変なお母さん」の素質を備えてらっしゃるからです。
ゆえに『なんとかしなければと思いながら、なんともならずに、暴力に耐えながら過ごしている』お母様がたには、お子さんをご家庭の埒内へ囲い込むのは一日も早く止めて親子が物理的にも心理的にも距離を置く方便の算段にこそ頑張って戴ける知恵に、一日でも早く気づいて下さったら……と非力ながらも深く共感しつつ懸念するばかりです。
【補記】「お母さん」と「子」連作として不定期連載しております。お時間許す範囲で併せてご笑覧賜れますと幸甚。
>>前篇『「良いお母さん」と「悪い子」』を読む
>>前篇『「変な子」と「変なお母さん」』を読む
>>続篇『緘黙する子と優しいお母さん』を読む
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