2014年4月18日金曜日

三度の飯より

好きなのは、推敲だったのか……
この歳になって初めて、自覚させられた。

や、家族が居りますので、実際に三度とも食べるのを忘れちゃう、ってのは、
免れてますけど。昼食スルーがザラになっちゃいましたねぇ、殊に原稿中は。
んな事してると叱られるので、相方には内緒ですがw

嘗ては、読む事に餓えた子供だった。

幼稚園の自由時間。遊戯室での“おままごと”は、いつもお父さん役を志願した。『新聞読んでるところ』『お仕事中』と称して、“お教室”から持ち出した本を、読む事が出来たから。

就学すると、教科書は配付された即日、学級文庫は数日で、読み尽くした。定期購読していた学習雑誌も、最初は付録目当てで『科学』を選んだが、翌年から、読み物が多い『学習』に変更してもらった。

新聞はもちろん、父の趣味の本や、業界誌まで渉猟。本文は、さすがに理解しきれなかったので、コラムや投書欄を拾い読みした。商品包装に印刷された広告文・説明文さえ、読んだ。未習の漢字も多かったが、アタリを付けて読んだ。

とにかく文字と見れば、条件反射的に、読んでいた。そして、大人の目がなければ、三度の食事より、読む事の方を優先していたのは、間違いない。

加えて我ながら面白いのは、その抑えがたい欲求を、他人事のように客観する己が、既にして、心の奥に住まっていた事。

(必要もないのに、何故私は、これほど読む事に餓えているのだろう?)

明るい外の世界で、手当たり次第に何か読んでいる自分を、仄暗い小部屋の内側から、楕円に穿たれた窓越しに、不思議なものだと眺め遣る“もう一人の自分”を、明瞭に意識していた。

数十年を経て、ようやく、その因果に得心する。

幼い私を、文字に餓えさせていたのは、今の私。

読まずに居られぬ“必要”を、物心ついたばかりの自分に、生じさせていたのは。
人生の折り返し点を過ぎつつある年齢に至り、心の奥深く閾下に潜在していた、
完結を綴るまでは死ねない物語を、畢竟、意識させられることになってしまった
“もう一人の自分”なのだ。

『今の私』視点で回顧すると、因果の時系列が
逆転してるように、見えちゃいますけどね。

発達心理学で解題すれば、幼児期健忘の混沌を脱し、エピソード記憶が発達する4〜5歳頃から、メタ認知能が発達する5〜6歳頃にかけて、自発的に好んでいた行動にこそ、その人本来の“potential”が示唆されている、といった所。

俗諺で言えば、正に『三つ子の魂百まで』ですなぁ。

……という自覚を得る切欠を与えて下さった、完結を拝読するまでは死ねない物語へ、ささやかながら感謝の意を捧げるべく。“在庫”補充たる読書と、叶う事なら三度の飯より優先したい原稿作業のため、4月いっぱい乃至、黄金週間の連休が始まる頃までは、こちらの更新が滞る予定。

然したる意図もなくヨロヨロと始動した、素人字書きの“core dump”ですがw
わざわざのお運びを戴き、御笑覧下さる、ありがたくも奇特な皆様方へ、
深謝と共にお知らせ致します。


2014年4月16日水曜日

盤上の景色

将棋には、縁遠い家庭で育った。

父は、仕事でも趣味でも、電気の回路図に向かっているのが、好きな性分。そのせいか、若い頃から、将棋より囲碁の方が、好みに叶っていたらしい。偶々、棟続きの隣が町会の集会所兼碁会所、という家に引っ越して、一層熱心に、石を並べるようになった。

折りたたみ式の碁盤と、質素な碁笥。定石集や、詰め碁の問題集が、身近に在りながら、私は囲碁を覚えなかった。就学前、試みに五目並べを教えた処で、父は、私の壊滅的なセンスの無さを、既にして見抜いたのだろう。

それ程までに、私は手の先というものが、読めない。ただ、父の側で囲碁の本をめくっている間に、『盤上の景色』という言葉だけは、何時とは無しに、心の隅に刻まれていた。が、私にとってのそれは、自分の手で形作るものではなく、対局者の傍に在って、有為転変の様を心愉しく眺める、不可思議で美しい憧れとなった。

次の引越で、碁会所とは縁遠くなった。父の仕事も忙しくなり、我が家の美風は廃れてしまった。私が再び盤上の、しかし、“見えない”景色に会したのは、大学に入った年。

目隠し将棋を指せる同級生二人と、同じクラスになった。

確か、学園祭の準備中。アニメやSFを逍遙していた話頭が、何故か将棋に落ち着いた。理学部男子は一様に、何某かの心得があるようだった。中でも数学志望のS君と、化学志望のK君は、目隠し将棋まで出来る。そりゃスゴイ!対局を見せてくれ、という次第になった。

物理志望のT君が、書き留めてくれる棋譜を覗き込みつつ、男子達は観戦に興ずる。地球科学志望のN君は、大変親切なことに、都度の局面まで描いてくれた。しかし、駒の動かし方さえ心許ない私は、専ら、対局中の二人を眺めていた。

白皙のS君は、眼鏡を掛けた怜悧な面差しを、然程変えることなく、耳に心地好いテノールで棋譜を伝える。その間、ゆったり腕を組み、端然と座したまま。対照的にK君は、やおら椅子を蹴って立ち上がると、辺りを歩き回ったり、頭を掻きむしって唸ったり。絞り出すような調子で、返す手を口にする事もあった。

各々の性格が如実に顕れて、誠に面白く、その後も幾度か、私は二人に対局をねだった。指し手が己の心の裡に妄想し、尚且つ相手と共有できる架空の『盤上の景色』で、互いに棋力を尽くして一戦交える模様に、魅了されたからだ。

勝敗は、両者気付かぬうちに、疾うに自陣が詰んでいた旨、S君が自ら申告したり。前半の攻めが見事に奏功したものの、途中、持ち駒が判らなくなってしまったK君が、潔く投了したり。“見えない”盤上ゆえの、意外な終局も、また、興趣が尽きなかった。

そして、今年の第3回将棋電王戦

小説家たる“心の師匠”と密かに仰ぐN先生が、ブログで言葉を尽くし、敬愛の意を表しておられた、森下卓九段に俄然興味を惹かれ、先週末の『情熱大陸』を拝見した(ニコニコ静画で棋譜もアップされてます。お判りになる方は、ご参照を)。

相変わらず、棋譜はおろか局面を図示されても,皆目、判らない。けれど、と言うより故にと言うべきか、番組中、対局に臨むプロ棋士の皆様方の、所作に目を奪われた。殊に、駒を扱う手の流麗な動きには、“愕然”という表現が、全く大袈裟でないほど、心底、魅了されてしまった。

確かに、目隠し将棋の観戦では、一度も目にする事が、出来なかった光景ではある。しかし、あたかも手先それ自体が、高度な知性を有する優美な生命体であるかのように。無言の儘、盤上に配した自陣の駒へ、気魄を吹き込む高雅な挙措は。

やはり、自ら形作った『盤上の景色』に於いて、己の総力を注いで戦う事を、生涯の生業と心に定めた、プロ棋士の矜恃があってこそ。コンピュータ側の指し手は、融通の利かない動作が、健気だが無闇に大仰で、畳の上に在るのは如何にも場違いな、ロボットアームだっただけに。

人間としての立ち居の美しさが、一層、際立ったように思う。

惜しむらくは、森下九段の対局の模様が、僅か30秒しか、放映されなかった事。プロ棋士側が二連敗を喫した後、ようやく一勝をもぎ取った所で、負け越しを決してしまった惜敗だったため、あまり時間は、割き難かったのかもしれない。

それにしても、対局開始時には、機構上、ゆるゆるとしか動けない「電王手くん」に合わせ、上げかけた頭を、再度、深く下ろす御様子。135手、9時間を超える激戦の末でも猶、端座なさった背を真っ直ぐに、礼をしながら負けを認める仕草。

真摯で律儀、誠実で純真なお人柄が、一瞬にして伝わって来た。

プロの矜恃を心得ぬ者が、たった一人、相応しくない職位に在っただけで、“業界”全体がどれほどの厄介を被るか。物思いをせずに居られぬ日々が、続く折しも。

斯く在るべし、斯く在れかし、と深く心に響いた番組だった。


2014年4月14日月曜日

皇帝の新しい服

「あるところに、虚栄心ばかりが強く、美しい衣装で着飾って、
 それを見せびらかす事にしか関心の無い、王様がおりました。

 ある日、二人組の詐欺師がやって来て、
 『今在る地位に不適任な者、あるいは、絶望的に愚かな者には
  見ることが出来ない布で、極上にして最高の衣装を仕立てます』
 と約束すると、王様は大喜びで、彼らを雇い入れました。

 二人組の言う不思議な布は、大臣達にも、当の王様にも、実は
 見えていなかったのですが、今在る地位に己が相応しくないと
 思われるのを怖れ、皆一様に、見える振りをしていたのです」

("The Emperor's New Clothes" From Wikipedia, the free encyclopediaより引用・筆者訳出)

デンマークの童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンが、1837年4月7日に
出版した代表作 “Kejserens nye Klæder” は、直訳すれば『皇帝の新しい服』となる。

日本では『裸の王様』の題名で知られた寓話。仕立屋が王様に売り込んだのは、
『愚か者には見えない服』だと思っていたのだが。本来、主題となっているのは、
今在る地位に不適任な者には…見ることが出来ない』という設定の方らしい。
だとすれば、俄然、思い浮かぶのは……

先日の記事では『O嬢の物語』にもなぞらえた、STAP細胞論文を巡る“騒動”。

『虚栄心ばかりが強く、美しい衣装で着飾って、それを見せびらかす事にしか』
関心を示さず、果たすべき務めを怠ったために『今在る地位に相応しくない』と
断罪される『絶望的に愚かな』王様からは、“もう一人のO嬢”を連想してしまう。

それでは『今在る地位に不適任な者、あるいは絶望的に愚かな者には見えない』
という、摩訶不思議な、しかし、実は存在していなかった“布”が、STAP細胞の
実態、という事になってしまうのだろうか?

いえいえ。ここからが、寓話では片付けられない、自然科学の醍醐味なのです。

今月1日に行われた、理化学研究所の記者会見に対して、iPS細胞研究所所長の
Y先生がコメントなさったとおり。『STAP現象』については再現実験の結論が
出ていない現状、実在するのか否かは、まさしく“神のみぞ知る真実”だ。

とは言え、香港中文大学のL教授がなさった判断も、また、一つの正解だったり。

『STAP現象』がホンモノだったとしても、率直に言って「へぇ。意外と簡単に、
“万能細胞”を誘導出来る方法も、あったんだ〜」程度のモノなんです、実は。

なので合理的な香港人が『これ以上実験を続けるのは人手と研究資金の無駄』と、
行き掛かり上、検証実験を行わざるを得なくなった理化学研究所の動向も鑑み、
ご自身の研究に専心なさる事を決断したのは、個人的に超絶納得だった。

でも、気の毒な王様を騙した“二人組の詐欺師”は、“もう一人のO嬢”を指導した
V教授とS副センター長なんでしょ? ちょうど、二人だし……と思われちゃう
のでしょうね。不幸な偶然に過ぎないのですが、ムチャクチャ判りやすい構図だし。

これまた、自然科学に馴染みが薄い方には、ご理解戴き難いのでしょうけれど。
実は、実験研究こそが“二人組の詐欺師”。すなわち、実験操作と結果考察が、
気の毒な王様こと“もう一人のO嬢”を、陥れた二人組なのだと私は拝察している。

“もう一人のO嬢”は、少なくとも一回は、“万能細胞”を誘導出来た!と考察可能な
結果を、確かに得た事があるのだろう。ただし、決定的にメタ認知能が欠けている
彼女には、どの実験操作が“万能細胞”誘導に重要なのか、“コツ”を見抜けなかった。
あるいは、結果考察の段階で、自己突っ込みが甘かったために、普遍性・再現性を
客観的に担保出来ていない、という可能性もある。

で、実を言うと、自身でさえ未だに、再現が覚束無い。それなのに……

V教授には、出来たって報告して、褒められちゃったし。博士号欲しいし。
S副センター長に今更、出来ません、って言ったら、クビになっちゃうし。

スミマセン。直前の8行分は、私の妄想です。
でも、当たらずとも遠からず、だと自負はしている。
“気の毒な王様”は永遠に認めないだろう、とも誠に遺憾ながら思っているが。

200回以上作製云々と口走った瞬間、彼女が認知を拒む
哀しい事実が、全て、見えてしまったような気がした。

美容師さんは、今までにお客様何人カットしたか数えないし、
漫画家さんは、今までに原稿何ページ描いたか数えない、ですよね?

実験研究者だって、その実験操作が、妥当な結果考察で、普遍性・再現性を
客観的に担保出来ているホンモノなら、今までに何回…なんて数えません。

200回でも、2000回でも。自分が望んだとおりに、
再現して欲しかったんでしょうね……彼女は。

皮肉でも、揶揄でもなく、心底、痛ましいほどに、気の毒な“王様”だと思う。
どんなに望んでも、彼女を雇ってくれる、まともな研究機関は皆無だろうから。



さて、この後の物語で、唯一ハッキリしている事は、皆様も御存知のとおり。

「遂に衣装が完成した旨を、二人組の詐欺師が恭しく奏上すると、
 王様はそれを身に着け、臣民達の前を、麗々しく行進しました。

 街の大人達は、自分が愚か者だとは思われたくなかったので、
 王様ご自慢の衣装が見える振りをし、追従しました。

 けれど群衆の中で、一人の子供が「王様は、何も着てないよ!」
 と、思わず叫んでしまいました。すると、その叫びは、次第に
 観衆全員にまで広がって行き……

 王様は縮み上がり、心の裡では、臣民達が口々に叫んでいる事こそ
 真実なのではと気付きながらも、ひたすら、行進を続けるのでした」

("The Emperor's New Clothes" From Wikipedia, the free encyclopediaより引用・筆者訳出)

『今在る地位に不適任な者、あるいは絶望的に愚かな者には見えない』
という摩訶不思議な衣装の正体は、浅薄な虚栄心、との寓意は、恐らく
永遠に、“真実”であり続けるのだろう。


2014年4月13日日曜日

うつくしきもの

『なにもなにも、小さきものは、皆うつくし』

千年以上前、この至言を以て、“小さきもの”達への愛を、熱く表明して下さった
先達が、“うつくしきもの”(現代語では、可愛らしいもの)を綿々と綴った段。

幾度も繰り返し(さっき数えてみたら5回も!)、その仕草を様々に描出しては、
『うつくし』『らうたし(今で言えば、愛おしい)』と、激しく“萌え”を滾らせて
らっしゃるのが、『ちご』すなわち、乳飲み児=赤ん坊だったりする。

他にも『雀の子』や『鶏の雛』、子供であれば『大きにはあらぬ殿上童』とか
『八つ、九つ、十ばかりなどの男子』も(正に“ショタ”ですね)挙げておられるが。

清少納言こと諾子(なぎこ)様には、赤ん坊が一番の萌えポイントだったらしい。

個人的にも、激しく同意!

矮小なくせに、標準サイズのものと全く同じ性状を一人前に備えてる点こそが、
“小さきもの”達が『かわいい〜vvv』という情動を著しく刺激する所以だと思うし。

成人身長の1/4〜1/3、体重は1/25〜1/10くらい。なのに精緻を極めた再現性!(違)
しかも、いっちょまえに“意志”を持ってて、勝手に動き回っちゃったりもする。

更に、“マイナー贔屓”を全開にすれば、赤ん坊の中でも、新生児こそ一押し!

いやいや。自覚しておりますよ〜。たいへんマニアックな嗜好である事は。

特に分娩直後は、羊水でふやけちゃってプヨプヨした感じだし。眼が開いても
視力が出てないせいもあって、寄り目になっちゃったり。写真を何枚撮っても、
変顔だし。誰もが『かわいい〜vvv』と反応できるビジュアルじゃないですよね。

でも、ホラ。手指をよ〜く御覧になってみて下さい。

桜貝を薄く削り出したような、繊細にして精緻な爪が、1本に1枚ずつ付いてて。
関節にも、あなたの指とソックリな皺が、キチンと律儀に刻んであるでしょう?

誰が拵えたものでもなく。
たった一つの、細胞から。

いまだ、ヒトの手では再現できていない、奇跡の御業が。
けれど、ヒトの胎内で天然自然に起きた、生命の営為が。

ひたすらに尊く健気で……心の奥に『うつくし』という情動を喚起しませんか?

しかし、全体像に目を遣れば、正直言ってシュールで……正にギャップ萌え!
そして、新生児は生後28日未満まで。生まれてから4週間の“期間限定”という
レア感も、“小さきもの”マニアの心を、イイ感じでくすぐってくれるのです。

生まれたばかりの赤ちゃんを迎えた御家族は、大きな大きな喜びと一緒に、
かけがえのない大切な、けれど小さくてか弱い生命を、守り育てる重責で、
きっと、大きな大きな不安も、感じていることでしょう。

でも、大丈夫。その不安は……

地球に、ヒトという生物が誕生して以来、連綿と感じ続けて来た気持ち。
千年以上前にも、『うつくし』『らうたし』と綴られた気持ちですから。

病院の待合室や、お買い物の途中。
久し振りに出た街角や、電車の中。

赤ちゃんを笑顔で見遣りつつ、『かわいい〜vvv』と“萌え”を滾らせてる誰かに
出遭ったら。御家族の不安も、思い切って、ちょっぴり打ち明けてみて下さい。

我らが“小さきもの”マニアの同志諸氏は、きっと、心から気遣ってくれる筈です。


2014年4月10日木曜日

今、ふたたびのオカルト

「なぜだっ!誰も録画予約していないなら、どうして、こんな映像がっ!」
(ホントは、スルーしたいとこやけど。それはそれで、面倒になりそやな……)

サッサと片を付けるべく、“上田っぽい”ボケに、まじツッコミを入れてやる。
「こないだのNスペに割り振ったコード、まんま流用しただけと、ちゃうの?」

冷淡な返しに、ノリ悪いなぁと溜息混じりでボヤく、拙宅のAV担当者はさておき。

超絶見事な“オカルト好きホイホイ”だった「超常現象 科学者たちの挑戦」の
コードを、「幻解!超常ファイル」にそのまま再利用。家族の誰も知らぬ間に
「File-01 私は宇宙人に誘拐された!?」が録画されている!

……という素敵な“超常現象”を演出して下さるとは。
先の拙文では、番組編成に対する妄想深読みなぞ、試みておりましたけど。

BSプレミアムで放映してた「幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー」
総合テレビへ進出させるに当たり、“天下のNスペ”枠を前座番組に使ってしまう!

という、大胆不敵な番組プロモーション戦略だったなんて。
なかなかの策士であらしゃりますなぁ。さすがは、NHK広報局(違)

てなわけで『NHKならではの超常現象ガチンコ検証番組!』との自画自讃にも、
素直に期待出来ちゃう番組が、嬉しい事に再来しました。“番組情報”によれば、
『一部未公開映像を加え、新たに再構成』との事で、唯の再放送ではないそうな。

BSで御覧になってた皆様も、毎週土曜の夜10時30分は、NHK総合をチェケラ!

《以下、「File-01 私は宇宙人に誘拐された!?」のネタバレ御注意!》

2014年4月6日日曜日

咲かない桜

九段下の駅は、一度だけ、下車した事がある。
4月の上旬だった。けれど花見が、目的ではなく。

初めて辿る街路の先には、武道館の大屋根。
だが、コンサートに来たわけでもなく……

予備校の入学式に出席する事にしたのは、浪人が決まっても尚、軽佻浮薄なままの好奇心が為せる業。出身校は公立だが、私服だったから、卒業前となんら変わらぬ出で立ちで、何事か言いたげな母親を尻目に、自宅を後にした。

乗換駅のプラットホームで、偶然にも、中学で親しかったT君に行き逢い、しかも、目的地が同じである事を知る。

「W君は、第一志望、合格したって」

T君は、穏やかな口調で、旧友が進学した大学の名を、教えてくれた。

3年前、教師から太鼓判を押された公立高校に、W君は合格できなかった。その報に皆が耳を疑う中、彼は、仲間内で唯一人、私立高校へ進学した。

「Hさんは、芸大の音楽学部、現役合格だよ」

すごいでしょ!と、学業の傍ら、電車を乗り継ぎ、レッスンに通っていた同級生の吉報を、私は、誇らしげに告げた。

武道館の周りには、名残の桜が、咲いていたかも知れない。

しかし私は、明るく広大なホールの無数の観客席が、ほとんど埋まっていた事だけを、鮮明に記憶している。主催者の思惑どおり、帰宅した私は机に向かった。

国立大理系志望者の教室では、案の定、見渡す限り男子ばっかり……と思ったが。

生物選択者の教室では、数少ない女子が集まり、昼食を一緒に摂る仲間が出来た。理学部志望は、私だけ。あとは全員、国公立の医学部を、目指していると言う。

各々、近県の大学名を、志望校に挙げる中、私ともう一人だけが、遠隔地への進学を希望していた。

「名物のお好み焼き、食べてみたいんだ〜」

人懐こい笑顔で志望理由を語る、その子の快活な機智を、私達は屈託無く喜んだ。

主要教科を受講する教室では、模試の結果が出る度、成績順で席替えがあった。一度だけ、全く慮外な事に、クラスで二番の好成績を取れた事がある。一番は、公立出身の男子だった。

生物選択の理系女子達は、無邪気に私の快挙を賞賛し、一人は、こう悔しがった。

「一番だったら、前期の学費、返してもらえたんだよ〜。惜しかったね!」

世事に疎い私は、そんな事も心得ていなかった。ただ、予備校1年間の授業料が、公立高校3年間のそれと大体同じ額で、世の中は帳尻が合ってるもんだな〜と、妙な慨嘆を漏らした事がある。彼女は、そんな戯れ言を、覚えていてくれたのだ。

予備校に入ってからは、決して予習を怠っていなかったのだが。相変わらず数学には悩まされた。対して、国語と生物は鉄壁。“隠れ文系”の、面目躍如であった。

殊に生物は、嬉しい事に、クラスメイト達からも、大いに頼りにしてもらえた。浸透圧を、ベクトルを使って解題した時なぞ、二番を惜しんでくれた彼女からは、「絶対、先生より分かり易い!なんか、感動した!」と面映ゆい位、褒められた。

出身校からたった一人、その予備校へ通う私の、閾下へ抑圧していた寂寥を、彼女は、無意識に感じ取り、癒やしてくれていたのだと、大人になった私は思う。

翌年の春の桜も、私は、定かに覚えていない。

新幹線のプラットホームで、合格した大学へ赴く私を、意想外に見送ってくれた、彼女の明るい笑顔さえ、情けない事に、年々朧気になっていく。ただ、耳朶を優しく打つアルトの声。そして、別れ際に手渡してくれた、駅売りの甘栗の赤い袋だけは、不思議と色褪せる事なく、思い起こせる。

浪人生は、賀状を交わす事も憚られたし、携帯電話は、まだ無かった時代の話だ。

けれど先日、イベントの帰途。
池袋の一角で、偶然にも、彼女達の母校の傍を通り過ぎた時。

白衣を着た彼女が、今は患者さんに掛けているであろう、あの快い声を、心の裡にハッキリと聴いた気がした。そして、あの旅立ちの日に、初めて食べた甘栗は……

今でも、私の大好物だ。


2014年4月5日土曜日

道を尋ねる

新作の筆に詰まり、また“在庫”補充の日々に戻っている。

実は、先月中に公開する予定で、連作の第1回を書き始めてはいた。だが、少しく経緯があって、連載を急ぐ必要が無くなり、放り出した態になった。気負いの無くなった眼で原稿を見直せば、何処か物足りないのも確かで……これも好機と開き直り、もう一度、最初から構想を練り直している最中だ。

“在庫”に少々不足の感があっても、兎に角書き出してしまえば、脳の機能様式が圧倒的に言語思考優位なおかげで、なんとか力尽くで捻伏せてしまえる感触は、ここ1年間の字書き精進で得られた。

しかし構想が甘ければ、いずれ手が止まってしまう。
散文書きも実験と同様だ。

行きたいと思っていた展覧会へ出向き、道すがら、訪ねてみたかった場所を散策。予て読みたいと考えていた、けれど新作には直接関係しない本たちを、味読する。今は磯田道史先生の著作を、集中的に読んでいる。『武士の家計簿』の原作で広く知られるようになった方だが、より一般向けに書かれた『江戸の備忘録』を手始めに。

昨年、関東大震災に取材した『BS歴史館』で拝見。怜悧な語り口に魅せられた。更に、先年、茨城大学から静岡文化芸術大学へ転任なさった動機を知って、一層惚れ直した次第がある。

その文章からは、史書を縦横無尽・自由自在に読み解く楽しさと、そこに綴られた先人達への深い尊敬の念、そして古今の“史書読み”への熱い共感が、控えめながらじんわりと伝わってくる。ごく稀に司馬遼太郎御大を彷彿させる筆致も垣間見え、磯田先生もスゴクお好きなんですねぇ、と何やら微笑ましくてニヨニヨしてしまう。

いわゆる名文、ではないと思う。

けれど、自分自身が愛して止まない研究対象を、丹念に。
ただし、読者が圧倒されてしまわないよう、懇切に。

真摯誠実なお人柄が忍ばれる、誠に心地好い文章だ。

本編もさりながら、『あとがき』が素晴らしい。幾度読み返しても、その度に、万感が胸に迫って、深い嘆息が漏れる。殊に、『一生、史書を読んで暮らせればいい』とだけ思っていた彼が、存外にも何冊もの“本”を著す機会を得る事になった、とある“偶然”に触れた一節。

『ある日、図書館のなかを、うろついていたら、
 見知らぬ人に本のありかを尋ねられた』

なんの野心も思惑もなく、『本のことを訊かれると黙ってはいられない』から、自分が読みたい古文書は後回しに、『それなりに親切にして案内をした』だけ。純粋な好奇心と澄明な探求心があってこそ、真の研究者は、理系・文系の別なく世に現れ、人間社会を潤す知恵をもたらしてくれるのだ、としみじみ実感する。

そう言えば私も、度々、道を訊かれた。

大学院入試を受けに行った、古都の街角。英会話も覚束無いまま留学した、アメリカ西海岸の広大な大学構内。引っ越したばかりの、この界隈でも。

自身が不案内なのに、お応え出来るべくもなく、心苦しいばかりだったのに。何故、道行く人は、心許ない顔をしていた筈の私に、敢えて声を掛けるのか? 長らく、不思議に思っていたのだが……

諸々、思う処あって、昨年来は私の方から、“道”をお尋ねしてみる事にした。

突然、声を掛けられた皆様は、きっと内心、面食らったに違いない、と恐縮の極みだけれど。いずれも『親切にして』各々の“道”を『案内』して下さった。

お陰様で、実り多く心愉しい一年となった事を、心底より感謝申し上げている。

次は、出版の順序を遡って『殿様の通信簿』、そして博士号申請論文でもあった『近世大名家臣団の社会構造』を読んでみよう。純粋な好奇心と澄明な探求心が導く“偶然”には、きっと佳き“必然”への道標が隠されているのだと思うから……

と言う経緯で『にほんブログ村』へ、思い切って参加させて戴く事にしました。
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2014年4月3日木曜日

O嬢の物語【追補】

大学生の時、4年間お世話になった女子寮。

卒業した先輩のどなたかが置いて行った、澁澤龍彦訳の文庫本
(確か、河出書房版)で、この“Littérature et sexualité”を読んだ。

今ほどには、性的表現の年齢制限が取り沙汰されなかった暢気な時代。
子どもだった私は、背が高い上に、眼鏡を掛けた老け顔なのを幸い……

まだ小学生なのに、中学生のような顔をして公立図書館に通い詰め、
“大人の本”が並べられた書架で、有吉佐和子だの、宮尾登美子だの。

中学・高校では大手を振って(?)『アンナ・カレーニナ』や
チャタレイ夫人の恋人』や『痴人の愛』やら『仮面の告白』やら。

その手の小説を、そこそこ読み漁っていた19歳にとっても、
この物語『Histoire d'O』は、いろんな意味で衝撃的だった。

ポーリーヌ・レアージュ(Pauline Réage)という女性名のペンネーム。
名乗った著者の正体は、長らく秘匿されていた。

が、出版から40年を経た1994年。翻訳家・批評家として活躍してきた
とある知的な淑女 が、このスキャンダラスな小説の作者である事実を、
その死の4年前に告白する。

さて……

先月14日の記者会見報道に接した際、千里眼事件が頻りに思い浮んでしまった
STAP細胞論文を巡る“騒動”。

次いで、今月1日の午前から午後に渉って行われた記者会見については、
iPS細胞研究所所長のY先生が発表なさったコメントに、完全同意だけれど。

その渦中にある“もう一人のO嬢”が、行き着く先は?

留学時の指導教授だったV博士から『彼女の博士論文は見ていない』と
アッサリ切り捨てられたのに。

理化学研究所の調査委員会が『責任は重大』と結論した、二人の共著者は、
共に『自責の念を覚えている』『共著者の一人として……おわび申し上げる
とのコメントを発表したのに。

一人、詭弁だらけの反論を発表し、上記調査委員会へ不服申し立てをする事で、
今後、徒に醜聞の泥に塗れて行くであろう、彼女の“Histoire”を慮ると……

誠に遺憾だが、この小説を想起してしまう。

【追補:以下、説明不足とご指摘受けた点、2014/04/08に追記・補足しました】

この“騒動”の渦中にあって“もう一人のO嬢”が取った愚行は、自然科学者として
必要不可欠な、己の感情・思考・行動全てを明晰に客観・制御するメタ認知能を、
彼女が決定的に欠いているという事実を、残酷なくらい赤裸々に、露呈している。

『悪意の有無』は問題ではない。

投稿した論文を幾度も却下され、格別入念なデータ管理が要求されている状況下
なのに、プロの研究者であれば、いや、それを目指す学生・院生だったとしても
有り得ない『間違い』を犯してしまった時点で、既にして、自然科学者の適性が
根本的に不足していた、との結論が出ているのだ。

先月14日の記者会見で、N先生が口になさった『未熟な研究者』との表現は、
手ぬるい。『研究者以前』だ、と断言なさったK知事の批判。専攻は違うが
大学院の後輩に当たる私にとっては、正直、矜恃を代弁して戴いた感もある。

しかし、AO入試枠が広がり、大学院の定員が大幅に増やされてしまった今日。

昔ながらの四畳半的研究室に代わり、カッコ良くて小綺麗な“ラボ”が、
どの大学・研究機関でも、続々と新設されるようになった、今日……

いずれも、文科省から出された方針に沿った結果だけれど、だからといって
「研究者になりたい!」という夢を語り、大学院へ進学して来た若人の全てが、
真理を探求するに相応しいメタ認知能と高邁な精神を、備えているわけじゃない。

「残念だが、君には研究者の適性が無い」と、指導する立場にある者が明確に、
学生・院生の内に見極め、止めてやらねばならぬ事例も、大幅に増えている。

丁度60年前に刊行された『O嬢の物語』に話を戻せば……

政府当局による猥褻容疑告発が、裁判の場で広告禁止と未成年者への販売規制に
決着した後。何十年も経って名乗り出た『Histoire d'O』の著者は、執筆の動機を
以下のように語ったという。

『ポーラン(=オーリーの雇い主)に熱烈に恋していたオーリーは、
 彼の気を引くためにこの物語を書いたと述べている。親子ほど歳が下で、
 しかもたいしてかわいくもない自分が、女性の噂の絶えない人気文化人
 だったポーランの気を引くにはそれしかなかった』

強烈な恋情は、確かに一時、才媛の心を、完全に支配していたかもしれない。

けれどもドミニク・オーリーは、有名になりたいという浅薄な欲望を、優れた
小説家に相応しいメタ認知能で制御し、賢明にも架空の女性を名乗ることで、
スキャンダラスな物語の真の作者でありながら、我が身の尊厳を守り通した。

だが、科学論文の著者に於いて、その方法は採り得ない。

自然科学者として欠くべからざる適性を、自分が有していない事を、依然として
客観出来ないまま、「今後も理研で研究生活を続けたい」と、“騒動”の渦中に
在り続けようとする“もう一人のO嬢”を慮ると……

家族でも友人でも、誰でも構わない。彼女を大切に思う人があるならば。

誰か彼女を止めてくれ!


2014年4月1日火曜日

オカルトなんか

『だいっきらい!!!(ドカッ)』

父がオカルト研究に没頭するあまり家族を捨て、故にそれを嫌うようになった
黒髪ロング+ニーソの美少女なら、即座に一蹴(字義通りw)しちゃう所だが。

心霊現象、生まれ変わり、テレパシー……
『いわゆる“超常現象”の正体』に『最新科学で挑もうという世界的な潮流』
を取材したNHKスペシャル(!)が放送されると聞き及び、喜び勇んで録画。

あ。エイプリル・フールのネタじゃあございませんよ。

『キルラキル』最“襲”回に滾ったあまり、先週書くつもりだった記事が、
本日にズレ込んでしまいまして。紛らわしくて恐縮です。

さて、改めて……

“公式”の放送内容紹介に、
『カラクリを白日の下にさらす』
『トリックが明かされるような』

と、ニヨニヨしちゃう惹句が躍ってる「どんと来い!超常現象

じゃなくて

超常現象 科学者たちの挑戦」ワクテカしながら拝見しました〜vvv

元実験研究者としては、期待どおりの“上田っぽい”演出はともかく

『スリルに満ちた知的発見の連続』
『科学の本質に迫る知的エンターテイメント』

なんて散々煽りまくってた割には、あれ〜?なんか地味じゃね?
との印象をお持ちになった方も居られたんじゃなかろーか……と

親戚の小母ちゃん(誰の?!)みたいに気を揉んじゃいましたけど。

いやいやいやいや!

ああいう「え〜!それってオカルトでしょ?」と他人様から
眉を顰められちゃうよなテーマで、キッチリ自然科学者として
研究費獲得&お仕事続けてる所こそが、正に“挑戦”なのです!

そう全力で弁護したくなる、メチャメチャ真摯な内容。さらに加えて、

自然科学 vs. 超常現象

に取材した番組の放送が、STAP細胞論文“騒動”に言及した拙文と、
なかなかのsynchronismを呈してくれた件も、妙に示唆的だったり。

そう言えば、ちょうど先週末から始まったNスペ新シリーズ
iPS細胞研究所所長のY先生が、司会なさってたなぁ……

てな、NHKの番組編成に対する、妄想深読みはさておき。