2017年8月26日土曜日

Who're their Mentors?

当事者が 子どもでも成人でも 個性が 早熟でも晩熟でも
直面する支障が 集団教育への不適応でも ひきこもりでも

二次障害を回避/回復し自立を支える第一歩は、当事者が一人で群れずに熱中できる「好きなこと」 を共に愉しみながら、彼らに潜在している創造力を暗示する藁のように些末な事象も見過ごさず、糾って縄へ拵えるような工夫が叶うメンターをさがすこと

そして、最終学歴が中等教育でも高等教育でも、特性に付与された名が多様性発達でも発達障害でも、自立を叶えるのはメンターを介して習得する大人のリテラシーであるがゆえ、親御さんが我が子の自立を支えたいと願いつつも、彼らの「好きなこと」へ共に熱中できないなら、暫定的な「メンター(仮)」を務めるのが精々。お子さんの未来を見据え「得意を伸ばす」には、家庭の埒外でメンターをさがすほか術はありません。

つまるところ、娘の五感や認知の凸凹という「苦手を避け」ヘッポコ母ちゃんの兼任するメンター(仮) が構造的・弁証的に「配慮と我慢」の必要を体験させることで、社会と呼応する知恵の自得を促してきた拙宅流の就労支援の「予習」は、娘なりに「藁」のような些末な事象も撚り集め懸命に糾った「縄」すなわち大学で培った人脈を手繰って、家庭の埒外に正真正銘のメンターを探し当てるまでの移行的措置だった、という次第。

今後は、他者と繋がる知恵=対人性能や他者へ資する知恵=代行性能の不備を自家メンター(仮) が補塡しつつも、大局的には娘自身がメンターと心に定めた師匠から、知識と知能=専門性能の切磋に併せ大人のリテラシーを伝授戴いていくことになります。

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では、お子さんが師事すべきメンターって一体どうやってさがしたらよいのでしょう?

史上最年少で将棋のプロデビュウを果たした藤井聡太 四段のように、職能へ直結しうる大人顔負けの「得意」が明瞭なら師匠の探し方に迷う余地もありませんが、五感や認知の凸凹を抱えるお子さんの大部分はむしろ晩熟型「職業人として何を為すか そのために何を学ぶべきか」という認知を確立していく高等教育の途上で、中等教育までの得意教科に惑わされることなく一人で群れずに熱中できる「好きなこと」−−− 学力や職能へ繋がる「得意」に合致するとは限りません −−− へ接点を求めるべきなのでしょう。

と言うのも、「普通」の枠に寄り掛からない「特別」な育ちを要するお子さんが中等教育まで相対的な好成績を上げていた教科 −−− 算数・数学、理科や社会が定番のようです −−− は、事実情報の集積に優れた脳の機能様式と相性が良かっただけで、潜在している創造力の反映とは必ずしも言えないのです。真正の「得意」なら学業のみに留まらず、一人で群れずに熱中できる「好きなこと」へ昇華されている −−− たとえ高得点・好成績という報酬が無くても、興味関心の趣くまま自発的に探求している −−− 筈だからです。

ところが、受験科目という観点で相対的な学力ばかりに気を取られ、例えば数学や理科の成績が良いから理系へ行けば良いとの短絡で進路を定めてしまった場合、高校までと打って変わって実習が一挙に増え語学や人文社会科目の必修も一定課せられるカリキュラムへ順応しきれず、不登校や履修不全に陥ったケースが往々にして生じている模様。

となれば、正真正銘の「得意」が未だ明瞭でない当事者の高等教育段階での進路の選び方 −−− メンターをさがす人脈の始点として、非常に大切 −−− は、叶う限り学際的であるべきだと私は考えています。最高学府に相応しい知識と知能=専門性能の萌芽がお子さんにあるなら親御さんには大いに奨学なさって戴きたいのですが、専門の選択は叶う限りの先送りをお奨めしたいのです。昔風なら教養学部文理学部、昨今の改組ですと総合科学部人間科学部と呼称するようになった学際的な課程を是非ご検討願いたい。

お母様がたの実感からすれば、極端に幼い所があって覚束ないからこそ得意教科を活かして早く専門性や技術を……と先走るお気持ちは拝察しますが、自発的な探求まで昇華されていない学力や職能は一旦つまずいてしまうとゲームやネットへ −−− もっと安直に高得点・好成績という報酬を得られる体験へ −−− 置き換わるだけ、と重々ご承知おき願います。ご事情が許す最大限で、学生としてのモラトリアムを推奨したい所以です。

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大学では、学業だけでなくサークル活動もメンターに繋がる人脈を糾っていくため大切な拠点むしろ他者と繋がる知恵=対人性能や他者へ資する知恵=代行性能の発露を促す上では、共に熱中できる「好きなこと」を介した安定的な関係性の方が学業より有効ですし、単位や成績の縛りが無い環境こそ、小さな「失敗体験」を積んで生来の凸凹に対する「配慮と我慢」の自得の要を当事者が理解していくために打ってつけなのです。

ただし入会に際しては、お子さんの「好きなこと」を第一に選ぶのは無論ですが運営幹事や年間行事などの体制がきちんと定まった、いわゆる公認サークルをお奨めします。対人性能代行性能を養う「失敗体験」を積むための親御さんによるサポートがしやすいことに加え、伝統のあるサークルは卒業した先輩がたが活動に関わって下さる機会も期待できるので、メンター探しの布石を置くという意味でも大きな利点となります。

仮に学業の方で何某かの不適応が生じ留年休学という事態へ到っても、熱中できる「好きなこと」でメンバーと一緒にサークル活動へ打ち込めているなら、他者と繋がる知恵や他者へ資する知恵が確実に発露し自己理解の基礎となる所属意識が育まれ始めた証左です。どうか親御さんがたには、単位が取れていないなら退学して働きなさい!などと短慮へ走らず、家庭の埒外でメンターに巡り逢うことの重要をこそ優先願いたい。

最終学歴が中等教育でも高等教育でも、その学校生活は多様性発達者が社会で必要とされる力を教育インフラを活用して発現させるラストチャンス。単位を満了し高卒・大卒という肩書きを手に入れるだけでは、社会と呼応する知恵の自得は決して促せません。

親御さんが我が子の自立を支えたいと望みつつも、その価値観がお子さんの「好きなこと」と一切交わろうとしないご家庭では、辛うじて「ひきこもらせない文化」の醸成は叶ったとしても「うまくいっちゃう文化」への熟成は極めて難しいでしょう。でも子育てを主導なさってきたお母様がたが、迷妄する彼らの「好きなこと」を尊重し家庭の埒外にメンターを求めようと覚悟を据えれば、希望へ向かう好転の道筋が見えてきます。

当事者にとって自立を叶える第一歩は、「好きなこと」 を共に愉しみつつ彼らに潜在している創造力を糾ってくれるメンターへ、自らの向上を目指して入門を決断する意志
そして彼らのメンターは「好きなこと」 の先達として、尊敬できる「大人」なのです。

2017年8月18日金曜日

メンターをさがせ!

『最も難関かつ大切なのは、就職活動と社会人になった最初の数年間』

大学1年生だった娘へ宛てとある成人当事者ブロガー様」から『ストレートな表現になりますが』と丁寧な前置きを添えて頂戴した上記のご忠言を機に、この2年間「大人の発達障害」に対する自立支援の最も重い要諦はなんなのか?という課題を、当事者・ご家族・支援者の日常へネットを介して接する機会に恵まれながら模索してきました。

そのお蔭様を以て娘は自家製支援のみで、後は大学の関係各位にご指導ご鞭撻を宜しく頂戴するばかりという所へ漕ぎ着けています。無論、不備不足は依然として多々ありますし親としての気持ちが彼女から離れることはありませんが、今後は娘自身の他者と繋がる知恵で社会と呼応しつつ自己の人生を主導して行くだろうと信頼叶うようになりました。その拠所は、彼女自ら「藁」のように些末な事象も丹念に撚り集め糾った「縄」−−− 大学で培った人脈 −−− を伝手に家庭の埒外でメンターを得られたという事実です。

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五感と認知の凸凹という「苦手を避け」構造的・弁証的に「配慮と我慢」の必要を体験することで社会と呼応する知恵の自得を促す就労支援の「予習」と、多様性発達者ならではの「得意を伸ばす」ことで『自己の向上を意志する』人格を育み知識知能の切磋を励ます修学支援の「補習」を、バランス良く支える上で最も望ましい当事者との関係性も発達障碍の二次障害を回避/二次障害の回復を促す場合と同じくメンターです。

つまり、お子さんの最終学歴が中等教育であれ高等教育であれ、その特性に付与された名が多様性発達であれ発達障碍であれ、二次障害を回避/回復して自立への成長を叶えるのは、メンターを介して習得する大人のリテラシーなのだと私は考えています。

凸凹を抱えたお子さんの育ちを主導するのが「普通」の枠に嵌め込まれたまま「みんな」へ倣うだけで大過なく齢を重ね所属を得て来た「良いお母さん」だったとしても、メンターへ師事させてこそ「特別」な子の将来は拓かれるという目処さえ立っていれば、弟子入りに備え家庭で注力すべきは凸凹を「個性」として受容/承認することと自律的な生活習慣を稽古/体得しておくことで、「みんな」が辿る「普通」の枠へお子さんを無理矢理嵌め込もうとするのは勘違いとご了解戴けるのではないかと思うのです。

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では、この子はメンターへ師事させてこそ自立が叶うという目処は、どう判断すべきでしょうか? 史上最年少で将棋のプロデビュウを果たした藤井聡太 四段のように、早熟の天才が明瞭であれば師匠への入門の要は疑う余地もありませんが、五感や認知の凸凹を抱えるお子さんの大多数はむしろ晩熟型ではないかと私は考えています。

すなわち同年齢の子ども達に比較して何某かの発達の遅延があり −−− お母様がたの実感からすれば、極端に幼い所があると表現する方が適切かも知れません −−− もしくは才能と言うより何某かの興味関心の偏向が顕著で、 同年の他者と上手く繋がることが叶わず集団教育への精神的参加に難渋しているという徴候が目安となりそうです。

留意すべきは、たとえ齢が離れた遊び友達は一定いても/個人的な学業成績は優れていても、同学年の他者と連携して課題へ取り組む際の齟齬を見逃さないこと。同年齢の集団教育は謂わば日本社会の雛型なので、そこでの支障は大学生活・就職活動・社会人デビュウなど「みんな」なら「普通」の努力を積むことで乗り切れる人生の岐路に於いて不適応を生じ二次障害を発する危惧を事前に察知する上で有効と考えられるからです。

同年の子どもたちと関わることが苦手で集団教育への参加に支障があると、「普通」の「良いお母さん」定型発達症候群に陥って我が子を仲間はずれにされるまいと躍起になりがちかと拝察しますが、むしろ一人で群れずに都度の最善を選択し行動化していける「特別」な育ちを期待された子なのだと捉えて戴きたい。親御さんが「みんな」が辿る「普通」の枠には寄り掛からず「特別」な育ちを糾おうと覚悟すれば、ご家庭で天然自然に醸成されていく「うまくいっちゃう文化」へ、お子さんも応えてくれる筈。

そして「普通」の枠に寄り掛からない「特別」な育ちには、お子さんが一人で群れずに熱中できる「好きなこと」 −−− 学力や職能へ繋がる「得意」に合致するとは限りません −−− の工夫を愉しみ極める創造力を共有しつつ、都度の最善を選択し行動化していける大人のリテラシーの習得へ結びつけて下さるメンターとの関係性が必須なのです。

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さて、私としては娘の成人を目前に控え「大人の発達障害」への自家製支援を個人的に模索していたわけですが、全く独立に全く同一の結論へ −−− 発達障碍の二次障害を回避/回復させる上で、当事者が必要としている関係性はメンターであるという実践へ −−− 到達した方々とネットを渉猟する途上で巡り逢うことができました。

お一方は勿論、拙ブログでも連鎖の機会を再々頂戴しておりますサポートセンター名古屋青木 美久 先生です。当事者のお一人であるヒロさんの文章を通じ、ひきこもりからの家庭内暴力という深刻かつ困難な二次障害の回復に於いて、お子さんが親御さんの元を離れメンターへ師事することの重要を繰り返し説いておられます。

更にもうお一方は、娘の同学の先輩である中里 祐次さん。小学1年生で発達障碍と診断された息子さんの育ちを模索する過程で、拙文でも言及させて戴いたnanaioさんの『現役東大生が50円で売っていたので8歳児と数学を語ってもらった話』に接し、発達障がい児とメンターを繋ぐWEBサービス事業化を構想後、一気呵成に実現なさいました。

つまり、当事者が子どもでも成人でも 個性が早熟でも晩熟でも 直面する支障が集団教育への不適応でもひきこもりでも、発達障碍の二次障害を回避/回復し自立を支える第一歩は、当事者自身が一人で群れずに熱中できる「好きなこと」 を共に愉しみながら、彼らに潜在している創造力を暗示する藁のように些末な事象も見過ごさず、糾って縄へ拵えるような工夫が得意なメンターをさがすこと。お子さんの「好きなこと」へ親御さんが共に熱中できないなら、ご家庭の埒外でメンターをさがすほか術はありません。

親御さんの価値観がお子さんの「好きなこと」と一切交わろうとしないご家庭では、辛うじて「ひきこもらせない文化」の醸成は叶ったとしても「うまくいっちゃう文化」への熟成に到るのはおそらく難しい。お母様の相談先が、有名カウンセラーの講演会だろうが 大学の学生相談室の担当教官だろうが 就労移行支援事業所の説明会だろうが、当事者と合致するメンターに巡り逢うのはまず不可能だからです。お子さんの自立を親御さんが離心無く真摯に支えたいと願っておられるなら、メンターをさがして下さい。

2017年8月8日火曜日

暴れる子 と『頑張るお母さん』

「変なお母さん」好奇心主導な傍目八目から拝見すると、大抵の「良いお母さん」は子育てという行為を「みんな」が経ている「普通」に倣えば上手く行く筈、と根拠無く思い込んでおられるようにお見受けします。お子さんが「普通」の枠から明瞭な逸脱を呈していても、その因果へ「疑問を持って 詳しく調べる」工夫を凝らし「特別」な育み方を模索しようとはなさらず、「普通」の枠内へ嵌め込み「みんな」に足並みを揃えさせようと腐心し、ご家庭の埒内へ囲い込んでなんとかしなければと躍起になるばかり。

「普通」の枠に嵌め込まれたままの地平をわざわざ離陸せずとも「みんな」へ倣うだけで大過なく平穏に齢を重ね所属を得て来た「良いお母さん」達へ、私は不遜な批判を加えようとしているわけではありません。できる限り効率良く仕事や家事を片付けて確保した時間に、できる限り効果が高そうなノウハウの勉強へ努めるのが、「良いお母さん」にとって精一杯の頑張りなのだと平らかに了承した上、果たして「特別」であるがゆえのお子さんの問題をノウハウで解決できるのか疑わしい、と懸念しているのです。

他所様の親御さんをあげつらうのは、拙ブログの本来の意図ではありませんが……
『なんでこうなるの?親と子どもと』と題し疑義を呈して下さった、サポートセンター名古屋ヒロさんからの「宿題」へお応えしよう、というのが今回の趣旨です。

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ヒロさん曰く、発達障碍の二次障害からひきこもりに陥ったお子さんが、ご家族への暴力・暴言を表出している −−− 直接の対象になりがちなのは、お母様だそうです −−− 場合、ご家庭が取っている対応として『圧倒的に多い』ケースは『なんとかしなければと思いながら、なんともならずに、暴力に耐えながら過ごしている』中で『「自分のお腹を痛めた子どもだから、自分の責任でなんとかしなければ」と頑張るお母さん達』。

特にヒロさんが
『なんだかな。 切ないね。 お母さん達は一生懸命なのに。』
と深く心を痛めておられたのは、暴れる子ども達が『求めているものは それじゃない』のに『ものすごく ズレている』お母様がたの『勘違い』です。例えばカウンセリングの勉強会や有名カウンセラーの講演会へ熱心に足繁く通っておられながら、
『で? お母さん、あなたの お子さんは? 何も変わっていない!?』
という状況が −−− 実際に勉強会や講演会へ参加してみたお母様のブログから察すると、少なからず −−− 生じている模様なのです。

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拙記事の趣旨は、何も改善しない理由は縋った「藁」がカウンセリングだったという『勘違い』なんです!ひきこもりの解決には断然これが効果的!といったノウハウ −−− やり方に関する知識 −−− ではありません。お母様がたの相談先が、有名精神科医の講演会だろうが 就労移行支援事業所の説明会だろうが 大学の学生相談室の担当教官だろうが、偶然掴んだ「藁」へ縋り付く一方でそれを撚り集め縄へ糾う知恵が働いていなければ、ご家庭の「ひきこもらせる文化」は遺憾ながら何も変わりようがないというお話。

ですので、ひきこもりからの家庭内暴力という発達障碍の深刻な二次障害を解決する方策は真っ先にご家庭の文化=親子の関係性を改善するため、親御さんの −−− 特に暴力・暴言の対象になりがちな、お母様の −−− 他者と繋がる知恵=対人性能をお子さんに対して精一杯働かせて戴かねばならない、というのが結論。更に詳しい解題は、恐縮ですが拙記事『ひきこもらせない文化』『「藁」を糾える文化』をご精読下されば幸甚です。

という次第で、ヒロさんから頂戴した『なんでこうなるの?親と子どもと』という宿題へは、親御さん −−− 特に子育ての主導権を握っておられる、お母様 −−− の他者と繋がる知恵=対人性能をお子さんに対して精一杯働かせていらっしゃらなかったから『ものすごく ズレている』『勘違い』が生じてしまったのだ、とお答えすることになります。

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という回答だけで終わらせてしまうと、師兄たるヒロさん対人性能を精一杯働かせていないという非常に無礼な仕儀になってしまいますので、以下で説明を試みますね。
サポートスタッフの皆様にはご多忙を極めておられるところ大変申し訳ありませんが、ヒロさんへ読解のご助力を、私からもどうぞ宜しくご対応のほどお願いいたします。

第一に『ものすごく ズレている』『頑張るお母さん』には、お子さんを「他者」と捉えることができていない徴候があります。

ヒロさんの文章で「自分のお腹を痛めた子どもだから、自分の責任でなんとかしなければ」「いざとなったら この子と一緒に……」と綴っておられる部分が、その証左。ひきこもっているのも暴力・暴言を表出しているのも、その主体はお子さんです。従って、お子さん自身が『なんとかしなければ』と考えられるよう、支え扶けて行くのが再起へ繋がる道理なのですが、『ものすごく ズレている』お母さんは自分の子どもが起こした自分の問題だから自分の頑張りで『なんとかしなければ』と『勘違い』なさっている。

それから、第二に『ものすごく ズレている』『頑張るお母さん』の対人性能は「普通」の枠に嵌め込まれたままの「みんな」に対してしか働かない徴候があります。

ヒロさんのブログですと『有名なカウンセラーに寄り添いながら、全国の講演会を制覇した』お母様が典型例。「普通」の「みんな」へ対してなら対人性能を存分に働かせることがお出来になるので『「カウンセラーを名乗っていい とお墨付きをもらいました」と誇らしげに』自慢なさるほど成果を上げられるのですが、「普通」の枠から外れた相手には「間違っている。カウンセリングで正さなければ」という価値観なのでしょう。

さらに、第一の徴候(自分と相手に対する自我他我の認知に不備があること)と第二の徴候(自分の価値観に沿わない事象は受容しないという認知の不足があること)は、自己理解すなわち自己を掌握し自己実現の主体となるべき人格の成立に不備不足があることを示唆している、と私は解釈しています。語弊を懼れず一言でまとめちゃえば、たぶん定型発達症候群なんでしょう。

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拙ブログで度々繰り返している解題ですが、発達障碍の二次障害を防ぐ/二次障害からの再起を促す上で最も望ましい当事者との関係性は、上から目線で「みんな」の「普通」つまり定型発達の標準を知識として教え諭すカウンセラーではなく、自己を掌握する能力=人格の育ちを扶け他者と繋がり社会と呼応する知恵を伝授するメンターです。

そしてメンターとしてお子さんとの関係を構築することは、「普通」の枠に嵌め込まれ「みんな」が立つ地平を離れられない「良いお母さん」ですと、遺憾ながら不可能に近いと申し上げて良いでしょう。ネットを渉猟して拝読拝聴した限りではありますが、お子さんが発達障碍を抱えつつも二次障害の回避/再起へ向かうケースは必ず、主導なさっている親御さんがどこかしら「変なお母さん」の素質を備えてらっしゃるからです。

ゆえに『なんとかしなければと思いながら、なんともならずに、暴力に耐えながら過ごしている』お母様がたには、お子さんをご家庭の埒内へ囲い込むのは一日も早く止めて親子が物理的にも心理的にも距離を置く方便の算段にこそ頑張って戴ける知恵に、一日でも早く気づいて下さったら……と非力ながらも深く共感しつつ懸念するばかりです。

【補記】「お母さん」と「子」連作として不定期連載しております。お時間許す範囲で併せてご笑覧賜れますと幸甚。
>>前篇『「良いお母さん」と「悪い子」』を読む
>>前篇『「変な子」と「変なお母さん」』を読む
>>続篇『緘黙する子と優しいお母さん』を読む

2017年8月5日土曜日

多様性発達者の修学支援

通うべき所へ通い続けられる「配慮と我慢」の自発を最優先に据え、娘が大学生活に馴れてきた頃合いを見計らいつつ2回生で早々に始動した就労支援の「予習」は、3回生の春学期を終えた現時点で『何をしたいのか そのために何をすべきか』という認知を彼女自身が把握できる俯瞰を確立し、後は大学のキャリアセンターやサークルの大先輩がたのご指導ご鞭撻を宜しく頂戴するばかり……という所へギリギリで漕ぎ着けました。

これでようやく、修学支援へ主力をシフトできます。

あれっ?! 修学支援で卒業単位を満了できる見込みが立ってから、就労支援へ移行するんじゃないの?と思った親御さんには僭越な物言い誠に恐縮ながら、それこそ「就活がうまく進まない」盲点。「みんな」なら卒業の目処が立った頃合いで始める就労支援を、むしろ先行させ「予習」しておかねば充分に特化した修学支援とはなり得ないのが「普通」の枠を大きく逸脱したPolymorphous Developments=多様性発達者なのです。

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その理由は、大学すなわち高等教育に於ける修学とは何を以て完了と判断するのか、改めて「疑問を持って 詳しく調べる」ことで自明となります。たとえば、毎度リンクでお世話になっているウィキペディアの『概要』から引用させて戴くと、
『高等教育は、中等教育を修了した者またはそれと同等以上とみなされた者が知識・倫理・技術などを深く学び、さらにそれらの理論や実践を身に付ける。そのことを通じて、課程を修了した後に、職業人(研究者を含む)となるなどして広く社会に、教育の成果を還元する。』
とあります。つまり厳密には、授かった教育の成果を社会へ還元すべく「職業人として何を為すか そのために何を学ぶべきか」という認知を学生自身が把握できる俯瞰に専門課程の段階で到達していなければ、高等教育を万全に修めたとは言い難い。これは、前々回の拙記事で言及した某有名私立大の学生相談室でのご対応を、僭越の誹りを敢えて懼れずお節介にも『大いに憂慮すべき現状』と論評させて戴いた根拠でもあります。

すなわち合理的配慮を提供すべき立場に在りながら「みんな」が辿る「普通」の枠に合わせて卒業単位さえ揃えられたら修学支援は完了と判断し、キャリアセンターの就職支援で成果が出せないならとっとと卒業して学外の就労移行支援事業所へどうぞと勧告する対応は、最高学府が担保すべき高等教育の本懐を踏みにじる行為にほかなりません。

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さりながら法制化以後も私立学校では合理的配慮が努力義務と規定された以上、大学側から十全のサポートを引き出すには、相談室へ縋る一方ではなくwin-winの関係へ持ち込める交渉材料が必須。そのためにも単に「みんな」の「普通」に追い着かせようという観点ではなく、多様性発達者ならではの「特別」を磨いておく備えが大切でしょう。

すなわち「みんな」なら卒業の目処が立ち始める3回生の秋学期頃おもむろに、就職したら『何をしたいのか』という認知を意識するのが「普通」でしょうが、1年以上前倒しで2回生への進級早々に就労支援の「予習」を始動しておけば、五感や認知の凸凹を抱える多様性発達者にとって習得が苦手な社会と呼応する知恵の育ちを構造的・弁証的に促しつつ、元来得意な知識・知能の切磋をより重層的・多元的に発展できるのです。

とは言えこの戦略は、ムダに鋭敏な五感で身体の内外から感受し続けるムダに精細な情報ゆえに、脳が飽和しがちな当事者の許容量に対し相当な「配慮と我慢」を要します。例えば「みんな」なら大学生活に余裕が出て来る2回生から3回生は、講義の合間に定期のアルバイトを入れて就労への「予習」とするのが「普通」なのでしょうが、日常の体験から他者と繋がる知恵を自得するのが苦手な多様性発達者からすれば却って鬼門。

一見すると大過なくバイトをこなしている様子でも、与えられた課題なら知識(=既得の事実情報)知能(=鍛錬した思考過程)を駆使して定められた正解へ到達できる生来の得意で、指示されるがままに限定的な他者へ資する知恵=代行性能を発揮しているだけ。就労に要する『様々な業界や職種に転用可能なスキル』、すなわち『問題解決のための情報収集力・対人コミュニケーション力・組織対応力』といった発展的な他者と繋がる知恵=対人性能の誘導にまで到るのは、バイトを介した不安定な人脈では難しいでしょう。

という次第で学期中の定期バイトも休暇中の短期バイトも −−− 通学の交通費・食費やサークルの会費・諸経費など授業料以外に要する日常の支出が結構な額に上る旨、スマホの表計算アプリで記録させ勤労の行動化への自覚を促しつつ −−− 親の督促は「配慮と我慢」。一度だけですが、サークルで使う私物に高価な品を奮発したいとの動機で自発的に学内公募の短期バイトへ参加しましたから、ゆっくり奏功していると考えています。

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「みんな」が当たり前に経ている「普通」の一部を棚上げして確保した時間と脳の容量は、娘ならではの「特別」すなわち元来得意とする知識と知能=専門性能の切磋を、他者と繋がり社会と呼応する知恵=対人性能の伸長へ連動させることに、絶賛注力中。具体的に言えば、第一志望の教授からご指導戴ける運びとなった専門ゼミと、幼い頃から慣れ親しんだ場の「中の人」になれる国家資格を取得するため必須な実習講座ですね。

これもまた大学生なら当たり前に経ている「普通」の体験ですが、多様性発達者ならではの「特別」を磨く好機として最大限に活かそうと目論むのが、拙宅特製の修学支援。

まずはオカンの入院を機にガッツリ根付い「報告・連絡・相談(ホウレンソウ)」の習慣応用し、毎回の履修内容を娘が自発的に言語化→親子で論考を交えて重層化→多元化させる自学自習の課題を協議することで、単位取得に留まらない「特別」を目指してます。4回生への進級時には専門ゼミ/実習講座の各指導教授へ卒業研究/就職活動のメンターをお願いすべく、win-winの関係へ繋がる交渉材料に昇華させていく戦術です。

と言うのも、3回生ともなれば講義内容の専門性が高くなり、殊に娘が得意の語学や社会学の領域では、私が教えてもらう一方。一般教養課程での「予習」ではGPAの高得点を交渉材料に基礎ゼミ担任教授へ暫定メンターをお願いしたのと同じ要領で、本格的に家庭の埒外でメンターとの長きに渉る人脈を築く段階が、いよいよ迫っているのです。

たいへん有り難いことに、娘は生来得意な知識と知能=専門性能の切磋を積むため、本邦有数の規模を誇る大学図書館書籍文献を我が庭の如く渉猟する日々を、心の趣くまま絶賛堪能中。曰く「こんなに勉強が楽しいのは生まれて初めて」と晩熟を謳歌している彼女へは、小学5年で担任して下さったS先生が「大学へ入ってからの方が、上手くいくタイプ」と断言しメンターを務めて戴けた僥倖の予言通りなのだと話しています。

つまり娘の多様性発達者ならではの「特別」は、「みんな」が辿る「普通」を外れているからこそ育った『自己の向上 −−− より自分らしく より愛情深く より公平に よりおおらかに より世の中に役にたつように より人間らしく −−− を意志する』人格なのです。

***

他所様のお子さんをあげつらうのは本意ではありませんが、娘曰く「普通」の育ちを辿った「みんな」は概ね −−− 学友の多くは首都圏にある中高一貫校の出身ですが −−− 大学での勉強を楽しいと感じていない、とのこと。大抵は叶う限りの楽をして単位を揃える方策に腐心し、就職までの数年間を効率良く遊ぶことへ注力している。察するに小学生から受験勉強へ邁進させられ疲弊してしまったのだろう、というのが彼女の見立て。

娘は学友たちを批判しているわけではありません。できるだけ楽単(楽に取れる単位、という意味ですね)を集めて確保した時間に、できるだけバイトを入れて遊ぶための小遣いを稼ぐのが、「みんな」にとって「普通」の大学生活と平らかに承知し大らかに受容した上、10年間も懸命に勉強し続けた成果がそれじゃ気の毒、と共感を抱きつつ俯瞰している。

無論、相対的には少数ながら個性的な「特別」を早熟させた上に大学での勉強も大いに満喫し、かつ更なる向上を志して意識の高い有意義な数年間を積んでいく学友 −−− 有り難いことに娘が所属しているゼミやサークルには、このタイプの地方トップ高出身のお子さんが幾人もおられます −−− の優秀さも、率直な敬愛を抱きながら俯瞰しています。

それと同時に、自分は発達障碍の告知を下され自家製療育を受けたからこそ「普通」の枠に嵌め込まれたままの「みんな」が立つ地平を離陸し、自己の向上を意識的に志せる自分ならではの「特別」な俯瞰への飛躍が叶ったのだと −−− 多様性発達者として生を受けたのは、むしろ幸運だったのだと −−− 一点の曇りも無く納得できる認知を得た模様。

S先生から頂戴した10年を見通す予言には比ぶべくもありませんけれど、1回生の秋学期を終えようという頃、大学合格が『大きく娘の将来を左右する成功体験』なのは『娘自身が、自分の障碍に納得していないから』と、一見逆説的な論旨を張った「変なお母さん」の屁理屈上等な傍目八目が、布石の回収を果たせたと言うところでしょうかw

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そして私自身の「変なお母さん」ならではの「特別」は、子育てという行為を単に「みんな」が辿る「普通」の家族の営みとして限定することなく、好奇心主導理系女子として授かった専門教育を実践し社会へ還元するためのケーススタディ −−− 五感や認知の凸凹を生来抱える子どもの成育過程を社会的・文化的背景と関連させながら詳細に論考し,そこから一般法則を見いだしていく俯瞰 −−− へ昇華させようと試みる意志です。

一人娘の発達に顕著な遅れがあると指摘されても平らかに承知し大らかに受容した上、本格的に自家製療育を始動した小学4年生 −−− 中高一貫校を目指すお子さん達なら受験勉強を始める時機ですね −−− から数えれば12年間に渉って勉強し続けた成果をつらつら鑑みるに、最終学歴が中等教育であれ高等教育であれ多様性発達者としての成長を叶えるため修めるべき学びの本質は「大人のリテラシー」だと考えるようになりました。

「リテラシー」という言葉は旧来「読み書き能力」という意味でしたが、近頃は「情報を的確に読み解き、それを活用するために要する力」を意味する用語。そして「大人のリテラシー」とは、自我他我の両方から感受・認知した情報を的確に読み解いた上、自身にとっても他者にとっても最善を導く選択は何か模索できる力 −−− 知識と知能=専門性能知恵=対人性能の両方が概ねバランス良く成熟した状態 −−− を意味しています。

勿論、定型発達のお子さんであっても「大人のリテラシー」は修めるべき学びの本質である筈ですが、「普通」の育ちを辿ったケースは概ね「みんな」に倣うだけで楽をして単位を揃えられる。つまり感受・認知した情報を意識的に読解・模索せずとも天然自然に妥当・相応な行動化が叶ってしまうため、「普通」の枠に嵌め込まれたままの地平をわざわざ離陸せずとも「みんな」大過なく平穏に齢を重ね所属を得て来たのでしょう。

しかし人間の社会を牽引して来たのは常に、自我他我の両方から感受・認知した情報を的確に読み解いた上、自身にとっても他者にとっても最善を導く選択は何か模索できる力、すなわち「大人のリテラシー」を備えた人格だったことを歴史が証明しています。

早熟の才能が顕れなかったとしても「普通」の枠に嵌まらない多様性を備えたお子さんは、「みんな」が立つ地平を離陸し自己の向上を志す「特別」な俯瞰へ飛躍しうる晩熟の可能性を大いに潜在させている旨、十全に汲んだ修学支援をこそ願って止みません。


【補記】Polymorphous Developments=多様性発達者とは……
定型発達からの逸脱を呈しつつも、発達障害的な行動を表出させない「合理的配慮」を自ら体得できた症例です。信州大学医学部付属病院 子どものこころ診療部本田 秀夫 先生が仰る、「非障害自閉症スペクトラム」に想を得ていますが、拙文における「多様性発達者」の定義は、専門医の診断も専門家の療育指導も、その有無を問いません。