2014年11月30日日曜日

A Lovely Curious Scientist

語学が苦手なことで世界一有名な科学者は、断然、益川敏英先生ってことになるのだろう。なんてったってノーベル賞の受賞記念講演を、日本語でやっちゃうという異例が罷り通ったのだから、文句なしの“史上最強”。ご自身の不得手を、全く卑下してらっしゃらないからこその、快挙である。

とは言え無論、語学自体を軽視しておられる訳ではなく。

「やっぱり、英語もできたほうがいいね」と、羞じらう笑顔がとってもラヴリー。正に『自己評価高いのに謙虚な御方』で、私にとって“一番尊敬できると思える”お人柄。数日前、朝日新聞に掲載された『耕論』で、言及なさっている大学院入試の逸話は、ご人徳が遺憾なく発揮されたゆえの成功譚だ。

『数学と物理学は満点』なのに、『ドイツ語は完全白紙』な“確信犯”。その上『英語も散々』だった学生を、「語学は入ってからやればいい。後から何とでもなる」と執り成して下さった「電子顕微鏡の世界的権威(上田 良二 先生と拝察)」こそが、ノーベル物理学賞の栄誉をもたらした、真の立役者なのかもしれない。

しかし益川先生も、最初からこの境地に、至っておられた訳では無いだろう。

今になって、振り返れば。凄まじいほど先鋭化した数学的論理思考が、圧倒的優位を占めていたから、言語的論理思考に割り当てられる脳の機能は、母語である日本語だけで精一杯だった、などと屁理屈も捏ねられるが。中学・高校時代は、英語がちっとも頭に入らない焦りで、随分お悩みになっただろうなぁ、と想像する。

その苦しいお気持ちを昇華して、ご自身が天賦の才と信ずる数学へ、全身全霊を傾け『自分のセンス、感覚を研ぎ澄まして』いったからこそ。大学院入試からノーベル賞の受賞記念講演まで、前代未聞の“方便”を使っても周りの方達が支援したくなっちゃう、ご人徳を備えるに至ったのだと、私は思う。

そして益川先生は、ご自身の人生に関わった、他者への敬意と仁愛を惜しまない。

『語学が大嫌い』な自分でも、ノーベル物理学賞を取れたのは、『日本語で最先端のところまで勉強できるから』『自国語で深く考えることができるのはすごい』と、全ての先達へ向けた畏敬の念へ帰着したり。

『英語が0点の学生がいたとしても、それだけで門前払いにするようなことだけはしないで』『20年もたてば、日本語で話せばすぐに翻訳してくれる器具が間違いなくできている』と、未だ見ぬ将来へ思いを馳せる。

それが益川先生を、「CP対称性の破れ」という“多様性”の起源発見へ導いた、学問への情熱、すなわち好奇心を支える礎なのだと、私は思う。


2014年11月24日月曜日

心を読み解く身体

実は私にも、心が、生命の本体たる身体を、手放しかけた経験がある。

前回、話題にした事故が、それ。自転車ごと空堀へ落ちたとは言え、咄嗟に左脚を衝いて身体を支えれば、石垣の角へ頭を強打するまでには、至らなかった筈で。

現場へ駆け付けた皇宮護衛官から、“加害者”として職務質問された予備校生も、「アタマ怪我したんわメッチャトロい本人のせいやんなんで俺がこんな目ェに遅刻してまうし堪忍して」的態度を、「相手は血ィ流してはるんやで逆走して来たんは君やろ逃がさへんぞ早よぅ答え」と(無論、もっと上品な言葉で)窘められていた。

しかし私は、その件を結局、事故扱いにしなかった。無線で要請した救急車を待つ間、“被害者”の意識状態を確認すべく、「前、見てへんかった?」と優しく問い掛けて下さった皇宮護衛官氏へ、「ぃや、見てた筈なんですけどぉ」と口籠もるしか術が無かった自分の、脳裏にあった映像は実の所、衝突直前の現場ではなく。

研究室の実験台と、器具を操作する自分の手、だったから。

***

たぶん私が『死んで生き返りましたれぽ』を、pixiv連載の段階で既に、他の読者より僅かばかり深く踏み込んで、読み解くことが可能だった由縁は。

実験操作や料理の手順、もしくは小説創作時の場面描出に、限定ではあるけれど。作者と同じく“視覚思考者”である件が、大きいのだろうと拝察している。

書籍版『死んで生き返りましたれぽ』には、作者が脳浮腫を患っていた最中の体感を、丹念に綴った文章が追加されていて。視覚野がある後頭葉に、浮腫が発現した理由を鑑みれば、そもそも作者の脳の機能様式が視覚思考優位、つまり普段から酷使しがちだった領域ゆえ、必然的に負荷も大きかったから、ではなかろうか?

私自身は、知能発達に不可欠なエピソード記憶・言語習得に必須な意味記憶の発現に伴い、言語的論理思考優位へ移行したようで、描く力が急激に低下してしまったが。小学校低学年まで、本を読んでいなければ、描くことに耽溺していた。一時は周りの大人達も「ひょっとしたら、将来は絵描きに」などと、考えていたらしい。

その“描く力”の名残、すなわち視覚思考優位モードへ、心の本体たる脳が、事もあろうに自転車での通学中、うっかりシフトしてしまったため、生命の本体たる身体を手放しそうになった、というのが冒頭の顚末。

サヴァン症候群自閉症スペクトラムを主題にした、『視覚の囚人』『感覚の囚人・共感の達人』での考察を経て、心が身体を介して社会と繋がるため、一番重要な感覚は視覚だと、確信するようになったのだが。

要するに、本来は心が外界と繋がることを、専らの目的に機能させるべき視覚が、思考の主要ツールとして先鋭化かつ酷使された結果。外界の状況に応じて、身体に妥当な行動化を指示する能力の、発現・発達を逸してしまう。あるいは概ね定型の発達を遂げた者でも、“行動化の瞬発力”を著しく損なう、という次第なのだろう。

***

『付録』には、本編でチラ見せして下さった『診断書』の全体画像と、ご家族への病状説明時に提示された『記録メモ抜粋』も掲載され、入院経過中、殊に当初数週間の激闘が、生々しく伝わって来る。

ザックリ言えば、有り得ないほど劇症の2型糖尿病患者が、
なぜか突然、救急外来で受診、という前代未聞の緊急事態。

だから『壮絶闘病レポ!!』の惹句は、医療関係者の観点からすれば、これ以上ない表現だし。単なる実務上の都合から変更された発売日が、『世界糖尿病デー』だったという偶然は、この御本に授けられた天命を、暗示しているのだと思う。

けれど、控えめながら丁寧な、改稿の手が加わっている本編や、書籍化の機会に追加された、写真や文章を拝読すると。

危うい生命の遣り取りを経て、辛くも取り戻した身体を介し、
心がもう一度、外界と繋がる、その過程を丹念に辿りながら。

それとは気付かぬまま『ゆるやかな自殺』を誘った、『死に至る病』を患う仕儀に己の心が陥った由縁を、ひとつずつ少しずつ読み解いて来た、とても静謐な(ゆえに上記の惹句とは、些かならず乖離してしまった)恢復の記録なのだ、とも思う。

心の本体たる脳と、生命の本体たる身体の有り様に、一切の疑問を抱かず。
易々と外界へ繋がれる、定型発達ないし健康な、世界の大多数を占めている人々には、おそらく真価を読み解くことが、難しいであろう一冊。

然れど、他者との違和感に苛まれ、心や身体を患って、“行動化の瞬発力”つまりは『生きる勇気』を見失いかけている人々、そして、彼らを癒やす術を志す人にこそ、全力でお奨めしようと目論んでいる。

Amazonさんのカスタマーレビューにも、
本記事の一部を抜粋・改稿して掲載させて戴きました!
医療を学ぶ皆さんへ、医学哲学の入門書として、お奨めしたい一冊

2014年11月17日月曜日

理系女子の真実

伝染性単核球症、いわゆる“kissing disease”だね」

ご丁寧に俗称まで補足して病名を告げると、内科の医師は、揶揄を含んだ視線を患者に向けた。なるほど……

(世に謂う“セクハラ親父”は、斯くも不躾で、下卑た顔付きをするのか)

私は、自分の冷静な眼差しを意識しながら、了解の意を短く伝える。
この診断に、若い女性患者が動揺を示さないのは、大いに不服だったと見え、医者は更に踏み込んで、心当たりがあるの?と、言わずもがなの質問をした。

「はい。あります」

自分では抑えたつもりだったが。僅かに挑戦的な色が、声に出てしまった。
内科医は、おや?という表情に変わり、手元のカルテに視線を移す。初診した若い耳鼻科医は、案の定、所見に加えて私の“身分”と“所属”も、記していたようだ。

「……あぁ、そう。それは、どうも……」

結局、患者ではなく医者の方が、狼狽を顕わにすることになった。

***

大学院に進んだばかりの修士課程2年間は、なかなかに波瀾万丈だった。

まず、与えられた研究テーマの進捗に難航した。しかし、秋から助手として着任した師兄の、アドヴァイスが見事に奏功。仕切り直した実験計画で、順調に転ずる。

次の春は、 実験の段取りを思案しつつ自転車で通学する途上、舗道を逆走して来た予備校生と正面衝突&御所のお堀へ愛車ごと転落。幸い、空堀で深さは40 cmほど、加えて堺町御門詰めの皇宮護衛官に、即時救護して戴けたので大事には至らず。

救急搬送を初体験+左後側頭部を5針&右手小指を3針縫っただけで済んだ。

極めつけが秋に、交際を始めて間もない相方からEBウイルスを初感染し、2週間の入院中、冒頭の遣り取りを交わす破目になった次第(あ、皇宮護衛官じゃないですよ相方は、メチャメチャ残念なんですがw 大学院の同級生、という有り勝ちな話)。

当時を思い起こすとツッコミどころ満載。文字通り「穴があったら入りたい…(>_<)…」けれど、男性ばかりの環境で、肩肘張ってる自分が健気で愛おしくもある。修士論文の締切直前、半泣きで徹夜しつつ、師兄のダメ出しを乗り越えたのも懐かしい。

退官間際に進学して来た弟子が、二人目にして最後の女子学生だった、師父も。
温かく見守っていた妹弟子に、アッサリ甥弟子と婚約されてしまった、師兄達も。

「ホンマに、大丈夫かいな?」と内心ハラハラしながら、極力控えめに気遣って下さる事はあっても。

決して、女子学生だからと甘やかす事は無かったし、ましてや、キャッチーだからという軽佻浮薄な理由で、理系女子という“看板”を、予算獲得やら対外広報やらの「売り」にするなぞ、絶対に有り得なかった。

更に加えて、当の本人が嬉々として従うなぞ、まるで思いも寄らぬ事だった。

***

いったい、いつからこの国は、職能には全く関係無い筈の“女子力”を、女性アナウンサーやら女性研究者やらへ、付帯させる事が“お約束”になっちまったのか? 

挙げ句の果てに内閣までが、『女性活躍担当大臣』やら『女性活躍推進法案』やら。軽佻浮薄な“看板”を恥ずかしげも無く、見せびらかす御時世とあっては……

然れど、当該ニュースを「それが普通でしょ?」とスルーしちゃうのではなく。

「おかしな事」「怖い事」と認識する感覚&発言する勇気を、たくさんの将来有望なお若い方が持っていて下さる事にも、心強く有り難く思える、今日このごろ。
小母ちゃんは「昔は良かった」とは、よう申しまへんぇ(*^_^*)


2014年11月15日土曜日

身体を取り戻す心

糖尿病については前職で、疫学から臨床まで、かなり深く学んだ。

職務上、患者さんと直に接する機会は、得られなかったけれど。データを解析する必要から、特に診断基準となっている各種検査値に関して、その道の権威と謳われる先生に、伝手を頼って御教授を請うた事もある。

だから村上竹尾さん『死んで生き返りましたれぽ』を、pixivで拝読した時。一番愕然とさせられたのは、診断書に記された来院時の検査値だった。殊に血中グルコースが932 mg/dlというのは、こんな数字が出せるのか?!と目を疑う値。

普通なら、ここに至る遙か手前で倒れている筈で。極めて頑健な身体をお持ちだったからこそ、ご自宅のトイレで人事不省に陥っている所を、発見される状況になるまで、ご自身を痛め付ける仕儀になったというのは、誠に皮肉な話だ。

健全なる肉体にだって、不健全な心が、宿ることはある。

肉体的には、むしろ恵まれていた作者が、糖尿病性ケトアシドーシスは勿論、横紋筋融解症からの急性腎不全と高アンモニア血症、全身状態の悪化から肺炎と敗血症、更に脳浮腫まで。主治医が『全部 死ぬ病気です』と断言した合併症を、同時多発するほど重篤な糖尿病を患った原因は、スポーツドリンクの過剰摂取。


元来極めて頑健な身体をお持ちでありながら

本来は“身体に良い”筈のスポーツドリンクで

なぜ心肺停止に至るまで病んでしまったのか?


その委細は無論、日常の偶然の蓄積が必然の奇譚へと帰着した、本作をお読み戴きたいが。生命の本体たる身体を顧みる事さえ忘れ、作者の心が惑溺し翻弄されていた「それ」と、一度は生きる事を放棄してしまった身体を、再び心が取り戻す力の源泉となった「それ」は、表裏一体……とだけ申し添えておこう。

そして浮腫で壊れかけていた脳が、嘗て世界と共有していた“事実情報”の記憶を、回復してくれた契機は紛れもなく、大切な人達との対話を通じて、一度は失ってしまった“感覚情報”をひとつずつ少しずつ、再共有して行くことだった。


患者が 家族が 医師が 看護師が  

如何にして、死への恐怖を乗り越え、

再び生きる勇気を、獲得して行くのか?


克明に物語ってくれた作者へ、『世界糖尿病デー』に合わせ出版を企画して下さった関係者の皆様へ、心からの感謝を込めて……

Welcome Back to Your Life and We All Love and Appreciate Your Story !

【追記】
 ご指摘の箇所、自分でも全く気付かぬうちに、潜在意識からポロリしたかも……です。拙宅も家族一同、ハマっておりますのでw 『犯罪係数』だとしても、滅多に拝めない値、なのでございましょうねぇ> T 様


2014年11月12日水曜日

好奇心と敬意と仁愛と

100人に1人、ひょっとしたら3人、「その子」は生まれます。

ご両親にとって初めての、あるいは2人目、もしかしたら3人目の
お子さんかも知れません。ご家族は皆、無事の誕生を言祝ぎます。

6ヶ月後、9ヶ月後、12ヶ月後、ひょっとしたら18ヶ月後

ご両親は、違和感を抱き始めるかも知れません。

2年後、あるいは3年後、もしかしたら4年後

ご両親は、「その子」の詳しい検査、または定期的な観察、
もしくは療育を勧められるかも知れません。

そして自閉症スペクトラムという言葉を、知る事になります。

***

ご両親が抱く違和感は……

他の子ども達が、『あったかい』『やわらかい』『いいにおい』がする
「おかあさん」に抱かれたがるというのに……

「その子」は、『うーん!(あつい!)(いたい!)(くさい!)』と
「おかあさん」を押しのける事かも知れません。

他の子ども達が、「おかあさん」と“視線”を交わしながら、一緒に絵本を読んだり、手遊びをしたり、うららかな午後の散歩を楽しんでいるというのに……

「その子」は一人で、ひたすら絵本のページをめくりたがったり、ひとつ所でグルグル回りたがったり、初めての場所を怖がって泣き叫ぶ事かも知れません。

でも「その子」は……

過ぎるほどに鋭敏な五感が、小さな身体の内外から
【細かく大量に】受け取り続ける【感覚情報】で、
育ち始めたばかりの脳を、“占拠”されてしまうから

お腹がすいた時、ごはんを食べさせてくれたり、
服が汚れた時、着替えさせてくれたりする人を、
「おかあさん」と、呼ぶことになっている。

そんな“事実情報”を共有するだけで、精一杯なのです。

***

10年後、15年後、ひょっとしたら20年後

成長するにつれ「その子」自身も、違和感を抱き始めるかも知れません。

“事実情報”を共有するだけは、他の子ども達と仲良くできない事や、
「その子」が判らない“なにか”を、他の子ども達は共有している事に

30年後、あるいは40年後、もしかしたら50年後

社会人になった「その人」は、気付くかも知れません。

「その人」が判らない“なにか”を共有する時、
他の人達は密やかな“視線”を交わしている事に

“事実情報”の共有に齟齬が生じた時、「その人」が憤りを抑えられず、
他の人達と喧嘩になってしまうのは、“なにか”を共有できていないから
なのかも知れないと

***

けれど私は、「その子」あるいは「その人」の
多様性を、好奇心と敬意をもって、愛したい。

そして、あなたが……

他の人達と充分に共有できていない“なにか”は、【感覚情報】なのだと

共有できない理由は、鋭敏すぎる五感が、身体の内外から【細かく大量に】
受け取ってしまうゆえに、あなたの【感覚情報】が、他の人達の“なにか”と、
量も質も異なっているためだと

【感覚情報】で脳を“占拠”されているから【身体内外からの情報を絞り込み、
意味や行動にまとめあげるのがゆっくり】で、他の人達と“なにか”を共有する
ことに支障があるため、心の発達や脳の機能様式の違いが生じたのだと

好奇心と敬意と仁愛をもって、伝えたい。

でも、あなたの……

脳の機能様式の違いをこそ、好奇心と敬意をもって、私は言祝ぎたい。

多様性こそが、地球上のあらゆる生命を司る、万世普遍の原理だから

困難を背負って猶、社会に貢献したいと願う仁愛に、敬意を抱くから

***

前回の記事へ『一読しただけでは難しいです』とのご意見を戴いた(妄想深読みを文章化しただけ、でしたから。御指摘のとおりで、誠に恐縮)ことから、発想の基盤になっている『感覚の囚人・共感の達人』の主旨を、改稿してみました。

これまで直接・間接に邂逅できた、ASD当事者さん達への“頌詞”でもあります。

なお【】内は、綾屋 紗月 氏『発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい』より借用した表現です。発達障碍当事者研究に御興味おありの皆様には、以下の過去記事もお時間許す範囲で御参照戴けますと幸甚。

  >> 第1回『視覚の囚人』
  >> 第2回『視覚の天才 (1)』
  >> 第3回『視覚の天才 (2)』
  >> 第4回『視覚の天才 (3)』
  >> 第5回『感覚の囚人・共感の達人』

2014年11月10日月曜日

『東ロボくん』への期待

メディア各社の報道内容は、概ね「面白研究紹介」的な論調でしたけど。人工知能の苦手を如何にして克服させるか?てのは、教育技術論として非常に重要、且つ興味深い研究テーマなんですよね、ホントは。

無論、『東ロボくん』の“母”を自任しておられる新井 紀子先生は、そこを主眼に人工知能プロジェクトのディレクタを務めておられる訳ですが。

『情報共有』をキーワードに、最先端研究を推進してらっしゃる立場に在っても、プロジェクトの経過を報道する記者達から、「ロボットは東大に入れるか」というcatchyだけれども表層的な話題ばかり強調され、人間同士であるにも関わらず微妙にズレた解釈をされてしまうのが、なんとも遣る瀬無い。

***

前回の記事で私自身がモニョってた件も、端的に言えば『情報共有』、詳しく言えば「二次小説、すなわち、原作の世界観・登場人物をどんなに上手く剽窃できていても書き手は原作者様と別人」という、極めて基本的な“事実情報の共有”が、出来ていなかったゆえの“遣る瀬無さ”なんですよね、要するに。

ただし、“事実情報の共有”に齟齬があった一方、『勘違いをなさった読者様』は、原作漫画と拙作二次小説の妙味(大雑把に括れば「恋愛もの」なので、主要カップルの心情とそれを演出する物語の雰囲気、ですかね?自作を分析するのは超絶照れますけどw)については、的を射たご感想をお寄せ下さってる。

つまり、“感覚情報の共有”率は充分に高かった。

それが為に『基本的な“事実情報の共有”が、出来ていなかったゆえの“遣る瀬無さ”』という私自身のnegativeな感情を昇華して、読者様から戴いたメッセージを『無邪気な誤解』『微笑ましくも粗忽な勘違い』と許容できたし、『そのような誤解も招き得る、と事前に想定できなかった自分自身に』メタな自己ツッコミも出来た訳で。

ちなみに当該『読者様』との遣り取りは、終始、SNSのメッセージ機能を利用 。直接お目にかかったわけでもなく、そして恐らくは、最初で最後の“接触”でしょう。

けれども両者の間には、『読まさせて頂いてます』『応援しています』『よろしくお願いします』『ありがとうございます』といった“テクスト”を介し、positiveな【心理感覚の共有】を行う仮想的な【場の共有】が確かに実現していた。

極めて基本的な“事実情報の共有”に齟齬があったにも関わらず、私達が相互理解と共感に至り【親しさ・共同性】を構築できた結果、“事件”が難無く落着した(結論のみを言えば、私は彼女からのリクエストを穏便にお断りできた)“鍵”は、『とあるWEB漫画』を愛読しているという【心理感覚の共有】が根底にあったからだろう。

(注意:【】内は綾屋 紗月 氏『発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい』より借用した表現;詳しくは拙ブログで8月に公開したコラム『感覚の囚人・共感の達人』をご参照下さい)

***

さて、『東ロボくん』が昨年度の「全国センター模試」で出した成績傾向を詳しく見てみると、ちょっと興味深い妄想深読みが出来たので、記録として残しておく。

毎日新聞 2014年10月23日 東京夕刊掲載記事
『チェック:東ロボくん猛勉強!! 国立情報学研の人工知能 東大届かず私大A判定』
より引用させて戴きました

総合7科目の偏差値が45だったので、これを上回った教科を“得意”・下回った教科を“苦手”と定義すれば、日本史・世界史・数学・物理が“得意”で、英語・国語(ただし現代文のみ;古文は勉強してないようですw)が“苦手”らしい。

日本の大学受験を経験なさった皆様なら、概ね同意戴けると思うが。“事実情報の共有”は比較的“得意”なゆえに、歴史や数学・物理はまずまずの成績だった一方で、どうやら“感覚情報の共有”が“苦手”なため、現代文の『小説の読解』や英語の『対話文を完成させる問題』で得点できない様子。

この成績傾向、自閉症スペクトラム(Autistic Spectrum Disorder、略称:ASD)当事者、殊に『音楽と数学で考える(パターン思考)タイプ』の当事者さんが訴える得意・苦手と、定性的にかなり合致しているように思う(現実の当事者さんは、もっと顕著な凸凹に苦慮して居られるのだが)。

そして今年の『東ロボくん』は“苦手”の英語で『会話文を完成させる問題の「特訓」が奏功し、昨年より43点アップ』。総合成績の偏差値も47.3に上がったそうで。

他者との【心理感覚の共有】を行う、仮想的な【場の共有】が困難だとしても。
対話の「特訓」で比較的得意な“事実情報の共有”を最大限に活かす事が、ASD当事者さんにとっても苦手を克服する一つの“鍵”となり得るのかも知れない。

【追記】
 サヴァン症候群の画家達に端を発し、ASD当事者の「脳の機能様式」をあれこれ考察してみた関連記事も、6本目となりました。発達障碍当事者研究に御興味おありの皆様には、以下の過去記事もお時間許す範囲で御参照戴けますと幸甚です。

  >> 第1回『視覚の囚人』
  >> 第2回『視覚の天才 (1)』
  >> 第3回『視覚の天才 (2)』
  >> 第4回『視覚の天才 (3)』
  >> 第5回『感覚の囚人・共感の達人』


2014年11月6日木曜日

創造者と消費者の狭間で

昨春以来、とあるWEB漫画の二次小説書かせて戴いている経緯は、当ブログでも何度か話頭にしたが。先日、全く思いも寄らぬ、と言うより、至極不本意な出来事に行き当たり、些かならず憮然としている。

とある読者様から、『あなたを原作者様だと勘違いしてました』とメッセージを戴いたのだ。個々の作品に逐一「二次創作」タグを付け、作品を公開している SNSアカウントのプロフィールでも「二次小説」「二次書き」と連呼しているのに。 何故『勘違い』をされてしまったのか……

まさか、原作者様の“自演”だと思われていた?

というのは、さすがに妄想深読みが過ぎる邪推、かつ自惚れが過ぎる僭越だろう。単に、無邪気な誤解と考え、念のためプロフィールに、原作が自主制作漫画なので一応の許可を頂戴した上での二次創作だが、原作者様が主催なさっているWEBとは独立した運営である旨、注意書きを加えた。

にしても、不愉快な気持ちは、燻り続けている。

その矛先が向いているのは、無論、微笑ましくも粗忽な勘違いをなさった読者様ではなく。そのような誤解も招き得る、と事前に想定できなかった自分自身に、腹が立つ。まぁ元実験研究者には毎度お馴染みの、メタな自己ツッコミですがw

そもそも、二次小説を書かせて戴きたい!と思い立ったのは、原作の素晴らしさ、そして原作者様の“描く力”と“語る力”を賛美したいが為。ならば感想をお送りすれば充分なのだが、それだけじゃあ芸が無い、と字書きの業が疼いてしまった次第。

有り難くも頂戴した“萌え”を燃料に
世界観・登場人物を拝借して縦横に

この原作でなければ創造し得ない物語として、胸の裡に滾る存念を二次小説に綴る至福は、何物にも代え難かったけれど。『微笑ましくも粗忽な勘違い』をしていたのは私で、恐るべき不遜を働いてしまったのでは?という疑懼が湧き上がる。

……でも、原作者様は鷹揚に笑って……きっと、赦して下さっちゃうんですよ。

そんな安定の潔さも、天然自然なドラマツルギーも。創造者としての“覚悟”の座り具合が、痺れるほどにカッコイイ御方だからこそ。単に無邪気な読者として、彼女が物語った作品を、蒙昧に消費するだけでは忍びない!と滾ってしまうんですがw

この“狭間”でアンビヴァレンスを味わわせて戴くのも、悪くなかったけれど。
“覚悟”を据える準備も、頂戴した“萌え”を燃料に、企てていきたいものです。


2014年11月2日日曜日

2014年11月1日土曜日

Welcome back to your "HOME" !

そういえば萩尾望都先生の最新作『AWAY -アウェイ-』第1巻も、主人公がメガネ男子なんですよね……

物語の“主役”は、カバー表に描かれた鹿賀 一紀(カガ カズキ・中学2年生)嬢に違いないんですけど。第1巻収録の、世界が『メチャメチャ』になって十日余りが経過した「4月1日」と、日付が変わるのとほぼ同時に各国で“異変”が起きた「3月21日」は、彼女のイトコに当たる大熊 大介(オオクマ ダイスケ・高校2年生)君の視点で語られます。

なんとなれば大介は、『榛野市のイケメン』『ミスター榛野』と称され、みんなから人望を寄せられる『桜木台高のプリンス』なので。高校生を束ねるリーダーとして、大人たちが消えてしまった町で、残された子どもたちを守るため、八面六臂の活躍をせねばならなかったから……

十代の少年少女が、就学年齢に達していない『小さい子』は勿論、生後間もない『赤ん坊』の生命まで預かる事になる設定は、確かに小松左京御大の短編小説『お召し』ですが。原案どおりの12歳以下の小学生達ではなく、中学生・高校生が次々に勃発する難題へ、大人の手を借りず対処せねばならない状況は、『11人いる!』あるいは『トーマの心臓』で描かれたモチーフの、“変奏”でもあります。

***

『トーマの心臓』の舞台となったシュロッターベッツ高等中学には、何人かのメガネ男子が脇役ながら登場してるんですけど。同級のヘルベルトも、一学年下のレドヴィも、最上級生のバッカスも。メガネを掛けた生徒達は共通して、みんなから人望を寄せられる『委員長』ことユリスモール・バイハンの、品行方正・成績優秀で優等生然とした振る舞いに、むしろ懐疑的な眼を向けます。

更に、『八角メガネ』を掛けて登場する、サイフリート・ガストの役回りを考え合わせると。極めて勉強熱心な『委員長』でありながら、メガネを掛けて“いない”主人公・ユリスモールに対峙するメガネ男子達は、一見して非の打ち所が無い優等生の、ずっとひた隠しにして来た弱点を、時に冷静もしくは冷淡な、時に酷薄あるいは残忍な視線で、暴き出す存在だったりするのです。

然りながら、自らメガネを掛けて“いる”主人公・大介は、『桜木台高のプリンス』としてリーダーシップを発揮しようと、懸命に努力しつつも、ちゃんと動揺したりテンパったり、時に遣り場の無い憤りをぶちまけたり。自身の弱点を顕わにする事に、何の屈託もありません。

でも……カバー裏に描かれた大介は、メガネを掛けてないんです!(とは言え萩尾先生が、その点に何らかの意図を込めてお描きになったのか、は不明ですけどw)。

***

物語の行方は、大人たちが消えてしまった町で、今後ますます、大変な事態が生じていくに違いないんですけど。萩尾先生がこれまで描いていらした、時に極めて深刻もしくは残酷な、あらゆるモチーフの“変奏”を交々満載しつつ、『AWAY -アウェイ-』の空気はちっとも重苦しくない。むしろホッとするような、『11人いる!』を想起させるイイ感じのゴタゴタ感があります。

多分それは、舞台となっている『榛野市(ハンノシ)』のモデル、すなわち萩尾先生がお住まいになってる飯能市の空気が、反映されてるんじゃないかなぁ、と拝察(あ、娘が まだ小学生だった頃、偶然ですが品川に住んでて、飯能まで何回かお邪魔した御縁がありましてw)。

子どもたちが抑圧される事なく、ちゃんと動揺したりテンパったり、自身の弱点を顕わにする事に、何の屈託も抱かず暮らしているhometownで。

時に冷厳あるいは酷薄なメタ認知が命ずる“描かねばならぬ事”ではなく、心が天然自然に“描いてみたくなった事”を創作のhome groundたるSFで。

自由闊達に物語って下さる萩尾先生へ、“Welcome back to your HOME !”と言祝がせて戴きたくなる最新作ですv

#9月半ばより始まった怒濤の“秋季コミックスレビュウ”は、これにて完結!
#お時間許す範囲で、他の5篇にも御笑覧を賜れますと幸甚です。

  >>第1回『奇譚の日常』
  >>第2回『日常の奇譚』
  >>第3回『『それ町』第13巻感想!』
  >>第4回『日常の偶然・必然の奇譚』
  >>第5回『エゾノー発・イーハトーブ行』