2015年12月24日木曜日

ヒロさんへの置き手紙

ご自身がとても難しい状況に置かれているのに、
貧しい子どもたちを思いやり、気力を振り絞った
ブログ記事、ありがたく嬉しく拝読しました。

いつも『人の4倍勉強』しているヒロさんを
「良い子」だと好評価して下さる先生がたと、

たまに問題行動を起こしてしまうヒロさんを
悪い子」だから排斥しようとなさる先生がたの、

狭間で生じたpoliticalな軋轢に巻き込まれ、
一生懸命 勉強してきたことが 一切無駄に』
なりかけてはいるけれど……

やっぱり、ブログの引退勧告を受けた時と同じく、
ヒロさんはボチボチ“免許皆伝”を言い渡されても、
大丈夫じゃないかなとヒルマ小母ちゃんは思うんです。

***

だってヒロさんは今度こそ
「毎日・毎年」シッカリ積み上げていく努力は、

「10年後・20年後・30年後」の夢を、
一つ一つ 順番に考えて、一つ一つ 準備して、
一つ一つ かなえていけるようにするための、

絶対に必要な前提だ!という因果、
身をもって経験できたのですから。

2015年12月19日土曜日

大統領さんへの御礼状

どうもどうも、お久しぶりのブログ連載
おおきに、ありがとう存じます。

前回、返信差し上げてから、ちょうど一年経ちますが
大統領さんも、いろんな事に巡りあわはったようで。

ずいぶんと「大人」にならはったなぁ
て、感心したり 嬉しくなったり……
モニタの前で、百面相しながら拝読しております。

やっぱしあん時、“予言”させて戴いたとおり

『外見そのまま、中身ごっそりと
だれかの人格と入れ替わったかのような』変化

いつの間にやらキッチリと、遂げてきはりましたなぁ

***

私事で申しわけございませんが、一年前のウチとこ
ホンマは、エライ煮詰まっておりましてん。

面倒くさいトコは、端折らして戴きますけど。
要するにウチの娘が、障害告知を受けた時は、
ヒロさんより難儀な特性、抱えとったんどすな。

2015年12月17日木曜日

客観的な認識・消極的な善意

何十年ぶりかで芥川龍之介の『鼻』精読したのは、無論、理由がある。

禅智内供の長い鼻のように否応なく衆目を集めてしまう、あからさまな異様ではないけれど。五感や認知の凸凹という自他共に諒解し難い“多様性”ゆえ、一層つかみ所の無い疎外感を抱える娘へ、これまで試行錯誤を重ねつつ“自家製療育”を施してきた

しかし幸甚にも、入学を許可戴けた大学で春学期の順調を見届け、いよいよ「療育」ではなく「支援」に移行すべき時機と判断できた所で、親として厳に自戒すべき陥穽、すなわち共依存の心裡を改めて、出来うる限り深く広く考察しておきたかったからだ。

***

五感や認知の凸凹を抱える子ども達を、傲慢にも支援できるつもりでいた無知蒙昧と自己過信ゆえ、苦い後悔を味わった経験……娘が最初に就学した小学校で遭遇した“事件”は、忽然と消えてしまった“大切な物”と引き換えに、二つの教訓を与えてくれた。

第一に、発達障碍当事者は、politicalな軋轢に巻き込まれやすいこと。
第二には、だからこそ我が子の抱える“難儀”とのみ、向き合うべきこと。

すなわち娘の療育と、彼女に関わって下さる方々との交渉へこそ専心し、
他人様の五感や認知の凸凹へ対しては、努めて“消極的な善意”に終始する。

具体的には、診断・告知の有無を問わず、五感や認知に凸凹を抱えておられると想定すれば、言動に納得し上手く配慮できる子ども達や大人達に出遭ったとしても、当方が進んで「支援」にまで踏み込む積極性は厳に慎む、という教訓だ。

ある意味、利己的で冷淡な対応ではある。

然れど「悪い子」であれ「良い子」であれ、「幸せ」であれ「不幸せ」であれ、当事者の置かれた状況へこちらの尺度で手前勝手な優劣を付け、「支援すべき」と主観的な判断を下す積極性は、それが善意に根ざしていたとしても、五感や認知の凸凹から価値観に於いても“多様性”を呈する彼らの、尊厳に抵触するのではなかろうか?

芥川龍之介の『鼻』で喩えれば、弟子の僧は師匠に「食事の間、鼻を持上げていて欲しい」と依頼された際、快く応ずるだけで充分だった。中童子が粗相をした時は彼の無礼を窘め、自分の不在にも内供が難儀なさらぬよう、「出入りの指物師に、良い按配で鼻を支える台でも誂えさせましょうか?」とお伺いすれば最善だったのだ。

如何に強く同情を動かされようとも、本人から頼まれもせぬのに『知己(しるべ)の医者から長い鼻を短くする法を教わって』来た軽佻と、内供の他愛もない策略に乗った振りで『口を極めて、この法を試みる事を勧め出した』浮薄は、意想外に繊細な恩師の尊厳に対する敬意と仁愛が、弟子として些か不足していたせいなのかもしれない……

2015年11月20日金曜日

消極的な敵意・積極的な善意

ふと思い立って、芥川龍之介の『鼻』を再読。持っていた文庫本は、引っ越しを繰り返すうちに処分してしまったので、恐縮ながら青空文庫さんのお世話になる。

大概の解説は、『傍観者の利己主義』が作品の主題、だとしているけれど……

更に踏み込んで、支援者の「ネガティヴなイネーブリング」まで看破しえた点にこそ、芥川龍之介の天才が現れていると私は思う。

すなわち、不遇に在って自尊心を傷つけられていた主人公・禅智内供が、中盤で一旦は『のびのびした気分になった』ものの、自分を取り巻く『傍観者の利己主義』を感じ取って、より深刻な鬱屈に陥ってしまった際。最も辛辣な陰口を叩くに至ったのは意外にも、内供への同情を動かされ支援を申し出た『弟子の僧』だった……という迫真。

傍観者の『消極的な敵意』は確かに不快だが、ご当人が本来お持ちの能動的な意欲に集中なされば、大きく影響を及ぼすことは無い。実際、禅智内供も『法華経書写の功を積んだ時』にも、同じく『のびのびした気分になった』ご経験をお持ちなのだ。

しかし支援者である筈の最も近しい者が、当事者の眼前に文字通り『ぶら下っている』問題の解決を、助けるように見えつつ却って“難儀”を増悪させる事態、すなわちネガティヴなイネーブリングは積極的な善意が動機だから、実は一層、厄介である。

***

内供の“難儀”は、食事の際に少々不便なほど長すぎる鼻、それ自体ではない。

著者が解説しているように、自分だけが特異な“多様性”を抱える疎外感と、奇異の目に晒され続けたゆえの『自尊心の毀損』つまりは“二次障害”が、『鼻を苦に病んだ重な理由』。だから、弟子の僧が同情から施した『長い鼻を短くする法』は、積極的な善意に拠るものだったとしても、問題を解決するどころか一層こじらせちゃったわけで。

互いに最も近しく在るがゆえ、却って当事者と支援者の間に横たわる、深くて大きな心理的乖離を克明に活写しているのが、『長い鼻を短くする法』を詳述した場面。
内供は、不足らしく頬をふくらせて、黙って弟子の僧のするなりに任せて置いた。勿論弟子の僧の親切がわからない訳ではない。それは分っても、自分の鼻をまるで物品のように取扱うのが、不愉快に思われたからである。内供は、信用しない医者の手術をうける患者のような顔をして、不承不承に弟子の僧が、鼻の毛穴から鑷子(けぬき)で脂(あぶら)をとるのを眺めていた。
親切を施されても尚、『不愉快に思われた』のは、理の当然。支援者たる弟子の僧は、当事者たる内供の“難儀”を、人間の尊厳に抵触する『自尊心の毀損』ではなく、より浅薄な、相貌に対する単純な劣等感、と誤解していたのだから。

加えてこの場面は、同情を動かされた支援者が避けがたい陥穽、すなわち親切を施す者の優越感を、巧みに描いて誠に秀逸だ。床板に横たわり己の『皹(あかぎれ)のきれている』足で鼻を踏まれている師匠を、『時々気の毒そうな顔をして』『禿頭を見下しながら』弟子の心を満たしていた感情は、その実、奈辺に在ったのか……想像に難くない。

《以下、芥川龍之介 作『鼻』のネタバレ御注意!》

2015年11月6日金曜日

住まうもの・訪うもの

進駸堂書店員にして本と映画の小粋なコラムニスト・すずきたけし氏が、『WEB本の雑誌』〈横丁カフェ〉で連載してらっしゃるレビュウに心惹かれ、フリーランスのカメラマンにしてマタギ自然塾主催・田中康弘氏の、話題作『山怪』を読んだ。

著者・田中氏は、長崎県の佐世保すなわち港町のお生まれでありながら、主にマタギの取材を目的に、評者・すずき氏は、栃木県の小山すなわち関東平野の宿場町にお住まいながら、ご趣味の釣りで、奥山へ分け入ることを頻繁になさっておられる。

つまりご両人とも、山人が暮らす深山渓谷を「訪う者」でいらっしゃるわけだ。

対して読者である私は、小学3年の冬にすずき氏がお住まいの街へ“下りる”まで、深い谷川の傍に刻まれた杣道を通学路にするような、山懐の町に生い育った。

要は、著者・評者が訪れる深山渓谷の端に「住まう者」だったわけで。お二人が語る処の正体不明な『何か』、すなわち『山怪』と共に嘗ては在ったことになる。

そんな「住まう者」の視点から本書を拝読すれば、著者・田中氏が丹念に綴った『山怪』は、評者・すずき氏が僥倖に感謝した『失われゆく民俗系怪異譚』というより、自身の遠い記憶を呼び覚まし思い起こす『井戸掘りの呼び水』となってくれた。

***

昨夏の暑気払いに寄せた拙文で触れたとおり、名付け親が旧い火山を御神体とする正二位の大御神、しかも数え九つまで神奈備で育ったため護りが強く、怪談の持ち合わせは無いと自分では考えている。

つまり『打当集落前山の鈴木進さん』や『比立内の佐藤正一さん』あるいは『四万十川で川漁師をしている麻田満良さん』と同じく、自らは『不思議な体験はまったく無い』と主張する「住まう者」だ。

2015年10月31日土曜日

わるいのはママです!

朝、起きて台所へ行く。

昨晩洗って、水切り籠へ入れた食器の隙間から、
いつも使っている万能包丁の刃が、覗いている。

今日も、何の不安もなく、刃物を放置できる。
私は、そんなことにさえ幸せを感じる母親だ。

「幸せ自慢」も「修羅場話」も、本旨ではない。
ただ、『発達障害な僕たちから』のヒロさんから、
あなたは何者なのですか
と、ご質問戴いたのに、お応えしているだけのこと。
もう一つの記事で、青木先生が思わず唸って下さったらしい
「あの人すごいな」が読後の一言だった
という件さえ、自嘲の念は湧いても決して自慢には思わない。

殊に、青木先生へ心酔なさってらっしゃる皆様がたには、
どうか誤解なきよう、蛇足ながらお願い申し上げたい。

『すごい』母親なんて……。
当事者は無論のこと、支援者にとっても専門家にとっても、ウザいだけだ。

***

同級のお友達に何年か遅れて、ようやく二語文の発話が……と安堵したのも束の間。

『わるいのはママです!』

自閉圏の子にありがちな、言葉遣いだけは慇懃だが、内容は自分勝手としか言い様が無い娘の発言に、私は頭を抱えた。しかもご丁寧に、音声言語に先んじて覚えてしまったひらがな・カタカナで、おえかき帳にも同じ文言を書き殴っている。

保育園でも全く同じ調子で、先生やお友達に向かって『わるいのは〇〇です』なんて言ってたら……沸騰し煮詰まる妻を見かねた相方が、「今夜はオレが面倒みるし。アンタは一晩、頭冷やしといで」と、都内のビジネスホテルを予約してくれた。

2015年10月29日木曜日

美味しい食べ物・ 正しい人々

ブログ『発達障害な僕たちから』のヒロさんに、ご多用を押して丁寧なコメント返しを戴きました。文中で『あの、マンガ届けられましたよ』と言及して下さったのは……

先月末、名古屋へ赴いた際、サポートセンター名古屋の事務所までお邪魔して、一階受付でご対応下さったスタッフ様に言づけさせて戴いた、とある自主制作マンガのこと。

その本へ添えたお手紙、若干の改稿・補足を加えて再掲しておきます。

***

ヒロさん、大統領さん、
俊介さん、大野さん、名無しさん、

そしてブログには登場していないけれど、
青木先生はじめサポートスタッフの方々が
この本を読んで戴きたいと判断なさった皆さん、

いつも大変お世話になっております、ヒルマです。

この度、ご紹介致します『Artiste アルティスト』という作品は、
「さもえど太郎」というペンネームを名乗ってらっしゃる女性が
“自主出版”したマンガです。

商業作品ではないため、一般には市販されていません。
今年8月に東京で開催された展示即売会「コミティア」で発行・頒布、
現在は、アリスブックスで委託通販なさってます。

また、第1話第2話は、ウェブでも公開されています。
#作品の閲覧には、pixivアカウントが必要です。

***

主人公の名前は、ジルベール・ブランシャール。
フランスはパリの有名レストランで皿洗いをしている、27歳の青年です。

第1話を読んで戴くと、彼がどんな人物なのか判ってくるのですが……
少しだけ種明かしをすると、どうやらジルベールも『五感に凸凹がある』
みたいなんです。

2015年10月27日火曜日

この親にしてこの子あり

『お元気になられてなにより』

更新再開後の記事をご笑覧下さった方から、こんな優しいお心遣いを戴きました。

確かに、原稿できなかった事情を『同級生の皆さんに後れを取りやしないか、と気を揉んで』と綴りましたから。“普通”のお母様がたなら「気を揉む→心配が嵩じる→不安が募る→元気が無くなる」状況だったでしょうね、言われてみれば。

されど憚りながらヒルマ小母ちゃんは、時に「筆者は男性」と勘違いされちゃうほど、筋金入りの「いけず」なメタ認知を備えた理系女子。しかも“普通じゃない”事象にこそキラ〜ン!と眼が輝いちゃう、好奇心主導な元実験研究者ですので……

この十数年間、試行錯誤を重ねてきた“自家製療育”の過程で、自分なりに日々考察を続けてきた結果、抽出に至った

 メタ認知・感覚情報の共有力・行動化の瞬発力が、全て揃えば
 感覚や認知に凸凹があっても、ライフを溜めて成長して行ける

という『理 (ことわり)』を、サポートセンター名古屋ヒロさん達だけでなく、娘も実証してくれるだろうか?という不遜なワクテカ感の方が、ぶっちゃけ勝っておりまして。

ぃや〜むしろメチャメチャ元気でしたね〜w 当時のツイート再録編集してたら、いつまで経っても原稿作業が終わらなくて。自分の字書き厨っぷりにエエ加減腹立ってきたくらいw 実はずぅっと元気でした(テヘペロ) せっかくいたわって戴いたのに、恐縮の極みです。

原稿へ集中しかねた経緯を、具体的に補足すれば。

補欠合格で辛くも入学を許された大学へ進む、という彼女にすれば生まれて初めての「背伸び」をした娘が、『失敗しない経験』を積めるよう、青木先生のアドヴァイスを参照させて戴きつつ、心配ならぬ“心配り”すなわち配慮にこそ注力しておりました。

***

しかし、蓋を開けてみれば……

さすがは最大事業規模を誇るトップ型スーパーグローバル大学が、総力を上げて取り組んだユニバーサルデザインに基づく学内SNS……なんて書くと、ワケ判りませんけどw
要するに、世界中から数万人の学生院生が集うマンモス大学なればこそ、“多様性”への配慮は、必然的に大学経営の根幹となる次第らしく。

スマホでもパソコンでも端末の操作さえできれば、履修登録その他諸々の手続き一切は、自宅でも自習室でも本人が落ち着ける場所で、済ませることが出来ましたし。

いざという時に相談できる・情報提供や啓発活動も行っている「障がい学生支援室」が設置されており、昨年から発達障碍への対応も始動したことが分かりましたし。

新入生は担任教授が指導して下さる「基礎ゼミ」で、週に一度は同じ顔ぶれのクラスメイトと学習法やデータ解析を履修する上、高校から引き続いて茶道サークルへ入会させたので、『知り合いをつくること』もバッチリ完了。

クラスでは級友にパソコンの使い方を、サークルでは初心者にお点前の所作を、請われて教える“役割”が天然自然に実現し、『具体的な所属場所』を確保できました。

***

でも、いちばん肝要だったのは……

2015年10月24日土曜日

冠省、“発達障害な僕たち”さま

サポートセンター名古屋ヒロさんが、ブログ卒業非障害自閉症スペクトラムへの旅立ちのスケジュールを、宣言なさったお祝いにかこつけて。“種明かし”ついでに、旧来の診断名なら高機能自閉症児の親だった、なんて次第まで白状しちゃいましたが。

私自身はやっぱり、当事者でも支援者でも専門家でもなく……

ヒトの脳の働きに興味があり、趣味の範囲で勉強している「野次馬の傍目八目」という間合いを、この機に詰めようなどという目論見は、毛頭ございません。

当事者の親御さんの中には、一念発起して専門家の資格をお取りになったり、自ら支援の場を発足・運営なさったり。尊いお志に基づいた「行動化の瞬発力」を、遺憾なく発揮してらっしゃる皆様が、幾人もおられますけど。

野次馬は、客観的かつ冷静な俯瞰に在るというだけで、八目も先まで手が読めちゃうワケですし。博士号を允許戴けるまで、理学すなわち世の理 (ことわり)を究める学問にて、鍛えて参りましたメタ認知をこそ、今後も活用いたしたい所存。

***

てなコトで、実は大学受験より手に汗握ってた、娘の学期末試験真っ最中な今夏7月。ブログ『発達障害な僕たちから』好奇心と敬意と仁愛を以て、寄せさせて戴いておりましたツイートを……

衒いの無い穏やかな筆致で、たくさんの有意義な示唆を与えて下さった俊介さん
10年越しの粘り強い支援に応えて、熱い魂を見事に花開かせて下さったヒロさん

若干の改稿を加え、深謝を込めて再掲いたします。

2015-07-06 『みんなの状況 俊介』へ寄せて


『2年前には今の状況なんかまったく想像できなかった』
『そのギャップに戸惑う』
『自分じゃない気がして少しきみが悪い』

その感覚が、メタ認知が成熟し自我が確立していく徴候なのでは……と思います。

『残念なんですけれど、僕は泣くまでにはいきません』

ぃやぃや、恬淡として穏やかな人柄こそ、俊介さんの素敵な所ですから。『なるほどそうなのかと気付き』を得て下さったなら、それに勝る幸せはございません。
明日から勉強する料理には、熱くなって戴きたいですが。

そして大野さんは、方向性さえ定まれば進捗が素晴らしく早い所が、さすがです。

ブログの続きを書こうと深く悩んでらっしゃるご様子、俊介さんは若干心配なさってますけど。ひょっとしたら沈思黙考するのが、大野さんにとっての“安心毛布”(俊介さんにとっての格闘ゲーム)なのかも。

端から見ると、スゴク大変そうに感じられるかもしれませんけれど……

本人はあれこれ思索を巡らせること自体、案外楽しんでらっしゃる所があるのかも知れませんよ。サポートセンター名古屋的には稀なケースと拝察しますが、ワタクシ的にはむしろ、大野さんのようなタイプは馴染みがございますので。

2015-07-07 『こうして僕は回復した 俊介』へ寄せて


『人の視線が怖いのです。でも幼稚園児やかなりの高齢者の視線は怖くありません』

これこそが、当事者さんの実感ならではのリアリティ。
定型多数派視点の現象論では、決して到達し得ない臨場感です。

視線は本来、他者と感覚情報を交感・共有するため、最も基本的かつ重要な非言語コミュニケーション(いわゆる共同注視)なのですが。俊介さんは鋭敏すぎる五感をお持ちなため、他者の感覚情報を精細緻密かつ大量に感受しすぎて、いわば共同注視への過剰適応状態に陥ったものと拝察します。

『自分の妄想なんです』とメタ認知が冷静に判断していても、一度ワーキングメモリが感覚飽和=パニックに至ってしまうと、手が震えたり叫びだしたくなる衝動に駆られたり。身体の制御まで出来なくなって、その場にしゃがみ込むか、全速力で逃げ出す他に、為す術が無くなってしまうのでしょう。

就学前のお子さんや、かなりご高齢の方々は、相手の共同注視が未発達あるいは衰えてらっしゃるので、たぶん俊介さんの視覚過敏を以てしても、過剰適応を起こす危惧が無い。ゆえに、そういった皆さんの視線は、きっと怖くないのですね。

#共同注視(joint attentionの訳語です)については、脳科学辞典サイトで「共同注意」の項をご参照下さい。

勿論『環境を変える』という具体策こそ『とても大切』ですし、支援を受けている今の俊介さんは、どうすればいいか重々分かっておられますが。

『視線が怖い』という“現象”の理 (ことわり)を解きほぐすことで、自己評価を不当に貶めていた誤学習を修整する一助となれば、身に余る幸甚です。

2015年10月21日水曜日

人類のワイルドカード

『知ったふうな口ききやがって!
 どんなに苦しい思いをしてるか……あんたに判るわけ無いだろ!!! 』

『どんなに苦しいかは、“識って”るだって?!

 “感じる”ことが出来ないくせに……あんたに判るわけ無いだろ!!!

当事者さんへ宛てた「野次馬の傍目八目」を書きながら、ずぅっと胸の裡に渦巻いていたのは、こんな調子で繰り返される、“もう一人の自分”との激しい応酬でした。

支援者でも専門家でもないくせに。ヒトの脳の働きを趣味で勉強してきただけの私が、お節介にも発達障碍当事者さんへ、再々、自己流の考察を寄せさせて戴く“動機”。

それは第一に、彼らの“多様性”へ向けた、好奇心と敬意と仁愛
そして傲慢にも支援できるつもりでいた、無知蒙昧と自己過信への苦い後悔

でも、自分のメタ認知が容赦なく繰り出す、手厳しいツッコミに閉口しつつ
猶も書かずに居られない、最大の駆動力は、理系女子の屁理屈ではなく……

やっぱり、五感や認知の凸凹を抱えて生まれてきた、“多様性”ゆえの
疎外感に苛まれ苦しんでいる子を持つ、親としての思いだったんです。

***

『それならそうと、最初から言ってくれれば……なんで隠してたんだよ?!!』
『突然、そんな“告白”されても……何が何やら……混乱してまうやろ……』

ヒロさんや大統領さんは、困惑なさってるかなぁ。申し訳ありません。

『当事者でも支援者でも、専門家でもない』てのはホントだし、『学生の頃からヒトの脳の働きに興味があって、趣味の範囲で勉強してきた』てのもホント。だけど、自閉症スペクトラムの子を持つ母親という“正体(の一部)”を、敢えて申し上げずにおりました旨、深くお詫び致します。

でも、ヒロさんも大統領さんも、自分自身の五感や認知の凸凹が、次から次へと生じさせる問題へ、まだまだ直面しなければならなかった、去年の11月

自閉圏だけど予後は悪くない娘の話を、最初にしていたら……

『はいはい。娘さんは「程度の良いアスペルガー」なんですよ、俺と違って!』

自閉症スペクトラムなのに『社会適応は悪くない』おかげで、不登校でも引きこもりでもなく。『むしろ適応の良好な』娘を持つ、母親の自己流な考察を書かせて戴いても、そんな感じで一蹴されちゃってた気がするんですけど。

ヒロさんや大統領さんは、どうお思いになりますか?

2015年10月20日火曜日

爾後の顚末

ブログ更新が滞っておりました四半期の間にも、
過去記事のご閲覧、誠にありがとうございました。

休止中は、本来業務すなわち家事へそれなりに注力しながら、猛暑の最中に引越を敢行していたり。その間、例によって下書きは溜まりつつも、完成に至らず。

原稿へ集中できなかった事情は、娘の大学受験がおかげさまでどうにか落着したものの、実は補欠合格で辛くも入学を許可戴けた私立大学へ進んだため。正規合格した同級生の皆さんに後れを取りやしないか、と気を揉んでおりました次第。

世間一般の親御さんは大学受験の最中にこそ、心配が嵩じ不安が募る向きが主流なご様子ですけど。高校までの手篤いご指導を離れた「爾後」こそ、娘の将来にとって遥かに肝要なのは、私自身の経験からも重々承知しておりましたし……

***

しかし、蓋を開けてみれば……

1月中旬のセンター試験から3月半ばの補欠合格結果発表まで、2ヶ月に渉って己の不備不足へ否が応でも直面し続けた苦い経験は、努力の何たるかをようやく彼女に知らしめてくれた模様。

親バカ全開、恐縮の極ではございますが。春学期を修了し9月初頭に公開された成績判定は、未だ嘗て無いほど良好な結果。口喧しく娘を叱咤してきたオカンも、事ここに至り遂に降参ですw

国立・私立の差はあれど……

一浪しての大学合格、そして理学部生なのに数学の必修単位を落としてたオカンは最早、先生がたへご心労をお掛けしつつも現役合格、更に留学や奨学金公募の推薦基準にも適うGPAを獲得できた娘へ、どうこう言える分際にはございません。

***

さて、30年振りの大学受験に、今回は親の立場で考察を巡らせつつ……

同じく昨年の晩秋から一年近く、心の発達や脳の機能様式の違いすなわち感覚や認知に凸凹をお持ちなために、社会への適応に難儀を抱えてらっしゃるお若い方達へも、文章を寄せさせて戴いて参りましたけれど。

ここらで一つ、“種明かし”をいたしましょう。

2015年7月3日金曜日

前略、“発達障害な僕たち”さま

先月末、一週間に渉り、NPO法人青少年生活就労自立サポートセンター名古屋のブログ『発達障害な僕たちから』へ、寄せさせて戴いたツイート再録です。

多忙を極めるサポートスタッフの皆さんに、コメント管理の労をお掛けするのは、恐縮至極。そして同じく、ご多用を押して記事を書いて下さってる当事者の皆さんに、コメント返しのお気遣いを強いるのは、本意ではございません。

そんな次第で、自己リプにてボソボソ独白しておりましたが。一気読みできると、また違った形でお役に立てるかも……と若干の改稿を加え、転載してみました。

2015-06-24『ひきこもっている人たちの声 青木』へ寄せて


ひきこもりに至る“難儀”は、当事者『自身が どうしていいのかわからない』こと。
そして、他者に『伝えたところで どうなるわけでもないと思っている』こと。

感覚過敏が嵩じた感覚飽和もしくは感覚鈍磨のため、当事者さんはご自身の【感覚情報】を【意味や行動にまとめあげるのがゆっくり】すなわち自分が“感じる事・思う所”こそ、むしろ“まとまらない・客観できない”という特性がある。

だから『どうしていいのかわからない』

ご自身の【感覚情報】を【意味や行動にまとめあげるのがゆっくり】だと、それを待てない周囲は、ついつい何でも先回りしがち。親御さんや先生が整えてくれた“お膳立て”に、応えられるうちは表面上、問題が無いように見える。

しかし他者との齟齬が一旦生じた時には、
『伝えたところで どうなるわけでもない』と“誤学習”をしてしまう。

たとえ当事者自身の【感覚情報】を【意味や行動にまとめあげるのがゆっくり】でも、
当人が『どうしたらいいのか』を自ら掴むまで、ジックリ待つことが支援の第一歩
になる所以です。

あ、親御さんや先生の整えた“お膳立て”が、たとえ日本で最難関とされる最高学府でも、あきまへんぇ。東京大学へ入学・卒業できても、修士課程で生じた他者との齟齬に、不適応を起こして不登校→ひきこもり、というケースもあるのですから……

大野さんの俠気溢れるカミングアウトは、発達障碍は知的障害でも学校制度の問題でもないことを実証し、たとえ東大へ入れても相応しい支援・適用すべき合理的配慮が成されなければ、社会へ適応できないことを提起する上で、大変意義深い一歩なのです。


2015-06-25『電話の問い合わせが400件に 俊介』へ寄せて


発達障碍者は他者の気持ちに寄り添うことが苦手…広く流布されている障害特性ですが、実はまるで見当違いな誤解ではないか…俊介さんの文章を読むと、そう思います。

過ぎるほどに鋭敏な五感を介し、他者の【感覚情報】を非言語的な“事実情報”として精細緻密に読み取れる一方、自分自身の【感覚情報】すなわち「感じる事・思う所」こそ、むしろ「まとまらない・客観できない」というジレンマ。

他者の気持ちに過ぎるほど寄り添えるから『他の人と同じことをしたいのに』
自分自身の【感覚情報】を、取るべき行動へまとめ上げることが困難だから
『不安が強くてできない』ジレンマ。

それを打開してくれた『適切な支援』は、
取るべき行動を明示し、“役割”を与えてくれること。

『自分の無力さを感じ』つつも、かつての不安に陥ることなく『何ができるかわからないけれど、なんとかしたい』と思えるのは。『与えられた役割』が、今の俊介さんにはハッキリ見えているから…なんですね。

自身の【感覚情報】を行動へまとめ上げるのが【ゆっくり】な特性を、待ってあげられない周囲が先回りして整えた“お膳立て”は、(たいてい見当違いな)“手段”に過ぎません。たとえ“お膳立て”が、日本で最難関とされる最高学府への入学であっても、東大生になることは“役割”じゃないので。

大野さんも、今は『経済的に独立して、結婚し家庭を築き、親と家族がともに過ごす』という、自分が果たすべき“役割”を明確にイメージできています。

でも、それを可能にしたのは、
東大進学という“手段”を目標と勘違いしてた受験勉強じゃなくて…

揺れる気持ちを支え続けながら、
『将来のことを話し合って』くれた『適切な支援』なんです。

2015年6月14日日曜日

“合理的配慮”どないしょか?

3回に渉り、長々と綴ってしまいましたが。思いがけなく娘が“被害者”となった
この“事件”を、端的に一文で書き表すなら、以下のようになるでしょう。
他罰的な大人と独善的な大人の争いに巻き込まれ、
利己的な大人の手段で逃避せざるを得なくなった。
あれ?『発達凸凹当事者さんと直に関わりを持った経験』の話だったのに……

1. クラスメイトの15%以上が、発達凸凹当事者(専門家から勧告を受けた)
2. 上記のうち、定常的な他害行動を発現しているクラスメイトが1名
3. 上記の他に、多動傾向があって立ち歩いてしまうクラスメイトが10%

という、クラスの4分の1が、発達凸凹あるいは問題行動が出てるお子さんで、
占められていたゆえの「学級崩壊」は、“事件”の原因じゃないの?

読んで下さった皆さんが、そう疑問に思って下さったなら、誠にありがたい。
実の所、発達に凸凹が・障碍が有るか否かは、“事件”の本質じゃないんです。

***

今、振り返ってみれば。関わっていた大人達は誰一人として、問題行動で不適応すなわち障碍を訴えている子ども達(専門家から勧告を受けたか否かは、本質的な問題ではありません)へ、妥当かつ充分な対応が、全然出来ていませんでした。

4. 加配の教職員は、学級当たり1名
5. 都合がつく保護者が、随時教室で担任を支援する

なんて、ぶっちゃけ「おためごかし」に過ぎない、名ばかりの支援は、所詮、大人の欺瞞でしかなかったと猛省しています。

他罰的だったり、独善的だったり、利己的だったり。

あの“事件”で、「悪い子」であれ「良い子」であれ、“責任者”であれ“真犯人”であれ、“ラベル”を貼り優劣を付けたがる、negativeな感情ばかりが噴出してしまったのは。大人達の側も、事態への不適応を起こしていたからに他なりません。

“合理的配慮”を具現化するつもりだったのに。人間として天然自然な、だからこそ最大最強の心理的障壁を、むしろ助長増幅してしまった、その原因は……

『発達障害者です。みなさまのご理解を!!』と『首からプラカードでもぶら下げ』るような、不愉快極まりない思いを、子ども達に強いておきながら。

その実、彼らが抱えている難儀の本質も、訴えている障碍に合致する支援が何なのかも、全く心得ていなかったのに。支援できる「つもり」になっていた大人達の、無知蒙昧自己過信にありました。

***

とは言え、私自身が蒙を啓いて戴いた、綾屋 紗月 氏『発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい』は2008年の刊行。しかも医学書院から出版された、支援者・専門家向けの単行本です。

障害特性の本体は、過ぎるほどに鋭敏な五感が、身体の内外から【細かく大量に】受け取り続ける【感覚情報】で、脳を“占拠”されること。つまり、感覚過敏による【感覚飽和】なのだと、一般に認知されるようになって来たのは、ごく最近。

今から10年以上前、しかも支援者でも専門家でもなかった教職員と保護者の不見識は、止むを得ない仕儀でもありました。

更に言えば、合理的配慮の実例として良く挙げられる、聴覚や視覚の障碍は、感覚の不全ないし欠損で。障碍を体験したことのない多数派であっても、「聴こえへんかったら・見えへんかったら、難儀やなぁ」と共感・理解しやすいのに。

発達障碍は当事者自身が、【身体内外からの情報を絞り込み、意味や行動にまとめあげるのがゆっくり】であるため、感覚過敏ないし【感覚飽和】によって障碍が引き起こされている因果を、自覚・認知できていないことさえあって……

掴み所の無い不快感や不安に苛まれるまま、発現してしまう問題行動に相応しい支援は何なのか、当事者本人は勿論、その家族でさえ、見抜くことがとても難しい。周りの定型多数派にとっては、尚更、共感・理解することが非常に困難です。

そして人間は、共感しがたい人・理解できない人へ、天然自然な感情のままにnegativeな“ラベル”を貼り付け、自分より劣った存在と見做しがちなのです。

#【】内は『発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい』より借用した表現です。

***

だとすれば、最大最強の心理的障壁を乗り越える方法は、一体なんでしょう?

当事者とその家族の側も 周りの定型多数派側も
診断名の“ラベル”を貼って、済ませるのではなく。

発達障碍を正しく識るより他に、術はありません。

授業中、自席を離れて歩き回るのも 友達と仲良くできないのも
学校の成績が芳しくなくても 知能検査の点数に偏りがあっても

心の発達や脳の機能様式が違うからで、「悪い子」だからではありません。

定型多数派向けに設定された教育課程や試験の結果で、当事者自身でさえ把握しがたい“多様性”に潜在している能力を、一律に査定し優劣を付けられると考えるのは、無知蒙昧と自己過信でしかありません。

当事者本人であれ その家族であれ 周りの定型多数派であれ
発達障碍に、negativeな“ラベル”を貼り付けたくなったとしたら

“多様性”への不適応があるためで、当事者の特性が「悪い」のではありません。

定型多数派向けに設定された社会で、当事者自身でさえ予見しがたい“多様性”が、齟齬や軋轢を生じるのは、当然なのですから。“責任者”や“真犯人”を追求して、何も解決できない無意味な時間を徒に費やすより……

相応しい支援・適用すべき合理的配慮は何か
明確に助言・提案できる、支援者や専門家へ
迷わず・躊躇せず相談することが、最善かつ充分な対応であり

我が子でも よそ様の子でも 発達に凸凹が有るか否かは 一切関係なく
未来を生きる若者達の幸せを願うことこそ、大人が果たすべき責任なのです。

2015年6月11日木曜日

“合理的配慮”アカンのは何?

前回は明記しませんでしたが。この“事件”は、今から10年以上前、娘が小学校低学年の時に起きました。発達障害者支援法が施行されて、11年目の現在、

1. クラスメイトの15%以上が、発達凸凹当事者(専門家から勧告を受けた)
2. 上記のうち、定常的な他害行動を発現しているクラスメイトが1名
3. 上記の他に、多動傾向があって立ち歩いてしまうクラスメイトが10%

という、当時としてもかなり稀だった深刻な状況は、滅多に生じないのではないかと思います。

***

それから、努めて客観的な記述を心掛けましたので。『入学以来の経緯』があったにしても、子どもの“大切な物”が教室で紛失しただけで、わざわざ別の自治体へ転校するなんて随分大仰な、とお感じになった方もいらしたかも知れません。

実際、クラスメイト達の保護者も、私の決断に共感し励まして下さった、ママ友達だけではなく。悪いのは「2.のお子さん」なのに、何故お宅が転校までしなきゃいけないのか、と義憤しつつも、暗に疑問を呈された親御さんがおられました。

正直な所を打ち明ければ、私自身の裡にも、大きな困惑がありました。

当事者でも支援者でも専門家でもなく、所詮は野次馬に過ぎないという自戒から。加えて、科学者としての矜恃にかけても。発達凸凹当事者である「2.のお子さん」に、「悪い子」という“ラベル”を、決して貼り付けたくはなかった。

でも“事件”を機に、娘が転校すれば……
残された子ども達・大人達から、『「2.のお子さん」って、そんなに「悪い子」なんだ!?』と思われてしまうかもしれません。

その一方、実験研究者としての経験は、複数の問題が錯綜しているために、期待される結果を出せないシステムは、部分的な改善を試みても徒労に終わる。ゆえに手間は掛かっても、再構築する方策が最も有効、と冷徹に告げていました。

然れど、決め手になったのは理系女子の屁理屈ではなく。
強烈な危険信号を発していた、母親としての直感でした。

「2.のお子さん」が“大切な物”を秘かに紛失させた可能性は、極めて考えにくい。

ですが、だとすれば『他罰的で療育を怠っている「悪い親」の、他害行動を発現している「悪い子」は、懲らしめてやるべき。そのためには、もう一人の子の心を傷付けたって構わない』と考える、独善的な人物が教室に居たことになるのです。

もしかすると、あの人が“真犯人”だったのかもしれない……

なんて、『動機の根源』から冷静に、分析的な推理が可能になったのは、事が済んで数年経った頃です。当時はとにかく、ウチの子をあの“場”に置いてはならない!という、利己的な母性に衝き動かされていました。

***

“真犯人”が抱いた『動機の根源』を、示唆してくれたのは娘の“後遺症”でした。

あの日、教室後方のロッカーから、忽然と消えてしまった“大切な物”は……

とあるコンクールで頂戴した、大きくて立派な表彰状。キッチリ丸めた上、主催団体が用意して下さった筒に納めてありました。『校長先生の指示』は、全校集会で改めて表彰したいから学校へ持参しなさい、というお褒めの言葉でもあり。

謂わば、「良い子」の“ラベル”だったわけです。

ただし、小学校低学年の子ども達にとって賞状用の丸筒は、単に見慣れない“珍しい物”に過ぎず。その意味する価値……「良い子」の“ラベル”となる“大切な物”……を一目で承知できたのは、恐らく大人だけだったのではないかと思うのです。

娘は生来、誰かと競うこと、殊に、誰かを残して自分だけ先んずることを、嫌う性分で。最初に就学した小学校でも、先を争って課題に取り組むより、発達の凸凹ゆえ何かと遅れがちな友達へ、寄り添っている方が好きな子でしたが。
《追記:本人から「算数だけは面白かったから、積極的に取り組んでたよ!」と訂正の申し入れがありましたw 》

“事件”後は更に、表立って賞められることを、事情を知らない方からすれば奇異に映ずるほど、忌避するようになりました。

幼いながら直感的に、「悪い子」の“ラベル”のみならず「良い子」の“ラベル”も等しく、あの“場”に沈潜していた不穏な『動機の根源』だと、明確な言葉には出来ずとも、鋭敏かつ的確に看破していたのでしょう。

***

すなわち、障碍当事者への“合理的配慮”を具現化するために、必ず乗り越えなければならない、最大最強の心理的障壁とは……

我が子でも、よそ様の子でも。発達に凸凹が有るか否かは、一切関係なく。
「悪い子」であれ、「良い子」であれ。“責任者”であれ、“真犯人”であれ。
“ラベル”を貼り付け、優劣を付けたがる、人間の至極自然な感情なのです。

次回はこの心理的障壁を、乗り越える方法について考察していきたいと考えてます。

2015年6月9日火曜日

“合理的配慮”て何ですのん?

当事者でも、支援者でも、専門家でもなく。

ヒトの脳の働きをあくまでも趣味の範囲で勉強してきた「野次馬」の「傍目八目」と、いつも前置きさせて戴いておりますけれど。発達凸凹当事者さんと直に関わりを持った経験が、これまで皆無だった訳ではありません。

娘ひとりだけでしたが、子どもを育ててきた過程でも
今は離職しましたが、教員や研究者を務めた職場でも

専門家ではない以上、“診断”は無論のこと“判断”さえすべきでない旨、自戒しつつ。あくまでも“可能性”として、発達障碍当事者と拝察した方が彼らの言動に整合性を見出せる、あるいはその仮定で応接した方が上手くいく、子ども達・大人達に出逢いました。

研究の現場を離れても、多様性こそ地球上のあらゆる生命を司る万世普遍の原理、と知悉した科学者として生きたい。そんな矜恃で、当事者さん達の往々にして慮外な言動にも、好奇心と敬愛を以て接するよう、心掛けてきたつもりですが……

実は一度だけ、自戒を捨て矜恃を曲げて、利己的な決断を下した事があります。

***

その“事件”は、娘が最初に就学した小学校で起きました。当時の状況を、出来るだけ客観的に箇条書きしてみると……

1. クラスメイトの15%以上が、発達凸凹当事者(専門家から勧告を受けた)
2. 上記のうち、定常的な他害行動を発現しているクラスメイトが1名
3. 上記の他に、多動傾向があって立ち歩いてしまうクラスメイトが10%
4. 加配の教職員は、学級当たり1名しか付けられない
5. 保護者会で話し合い、都合がつく親は随時教室で担任を支援することに

2.のお子さんについては、お母さんが「ADHDの診断を受け、服薬させている」と仰っていました。けれど繰り返される他害行動は、学年が上がるに連れてむしろ増悪し、娘を含め複数のクラスメイトが“対象”にされている様子でした。

そんな中、娘が学校へ持参した“大切な物”が、紛失してしまいます。

校長先生の指示で持って行った物なので、その朝すぐ、担任へお渡しすれば良かったのですが。娘も私に似た粗忽者ゆえ、教科書やノートを机へ移した後、空になったランドセルと一緒に、ロッカーへ入れた儘にしてしまったそうで。

長くて嵩張る物だったため、クラスメイト達のランドセルや机を捜索するという、最悪の事態は避けられましたけれど。その時、偶々サポートに入って下さっていた親御さんが、校務員さんと協力して学校中を探して下さったのに。

娘の“大切な物”は、その欠片さえ発見されず、忽然と消えてしまいました。

***

入学以来の経緯から(別件で、救急車が出動した事さえあり)、2.のお子さんは「悪い子」だという評価が、すっかり定着していました。同時にそのお母さんは、他罰的な言動で複数の保護者とトラブルになっている模様でした。

そして“大切な物”は、如何にもADHDのお子さんが関心を惹き付けられ、いたずらを誘惑されそうな、子どもにとっては“珍しい物”でもあったので……

娘は「2.のお子さん」の“被害者”と考えるのが、妥当なように見えました。

クラスメイト達の保護者は勿論、恐らく先生がたでさえ、そう思っていました。
この“事件”後に、拙宅が別の自治体へ転校すると決めた時、共に担任支援へ協力していたママ友達や、わざわざ面談の時間を設けて下さった校長先生は、逃げ出す私を非難するどころか、むしろ励ましてくれました。

でも私は、「2.のお子さん」が娘の“大切な物”を紛失させた可能性、ほとんど無いと考えてます。“大切な物”のサイズや形状から、大人ふたりが学校中探しても見つからないよう隠すなんて、ADHDなあの子には到底無理だったのでは、と思うのです。

ならば一体、“真犯人”は誰だったのか?

ここまで読んで下さった多くの方は(ひょっとしたら全員)、そう疑問に思うでしょう。
しかし、悪いのが誰なのか・責任は誰に在るのかを追求したくなる、人間として至極自然な感情こそ、“真犯人”が抱いた動機の根源であり。

障碍当事者への“合理的配慮”を具現化するために、必ず乗り越えなければならない、最大最強の心理的障壁なんですよね……

次回はこの問題に焦点を当てつつ、“事件”を解題していきたいと考えてます。

>> 次回『“合理的配慮”アカンのは何?』を読む

2015年6月6日土曜日

『それ町』第14巻感想!

巻頭には、物語の“起点”たる入学式をオールカラーで描き下ろし、巻末には、思わせぶりに「エピローグ」と題した第98話を配して置きながら、『一応言っておきますが、終りじゃありません。もうちょっとだけ続きます』と、確信犯的あとがきを記した第12巻の後で。

毎度お馴染みなエピソードの連打に、素知らぬ顔で紛れ込ませた想定外の一撃・第104話「暗黒卓球少女」を、ガツン!!! とお見舞いされちゃった第13巻と同じく「もくじ」ページに『……に掲載された作品をまとめ、加筆修正を加えました』と但し書きした、最新の第14巻も。

遂に来ましたね〜第108話『夢現小説』+第111話『夢幻小説』!
単行本で11巻・話数にして82話後に、まさかの見事な伏線回収!!

布石が配されたのは、遡ること8年前の第26話『少女探偵誕生』
あ、今回はネットに頼る事なくバッチリ自力で探索致しましたv

丸子商店街に古道具屋を構える亀井堂店主の孫娘にして、主人公・嵐山歩鳥嬢の“師匠”たる亀井堂 静女史の初登場は、第2巻の第12話『それ町サスペンス劇場 湯けむりツアー密室慕情 乙女の誘いは奈落の罠!?』ですが。

この回は、商店街の慰安旅行に参加した、単なるモブキャラ止まり。歩鳥が探偵を志望するに至ったのは、静さんの“助手候補”に任ぜられた事が由縁らしいと、示唆されるのは第3巻の第20話『パンドラの箱』です。

そして同じく第3巻の第26話で、『この前 資源回収一緒にやった』だけの小学生女子へ、大学受験を控えながら書き上げた自作ミステリを、唐突に『真相を推理するんだ 探偵のように』と託した女子高生は一体……

その豊満な胸の裡に、如何なる深慮遠謀を秘めていたのか?!!

無論、“謎解き”をネタバレしちゃうような野暮なマネは致しませんw
巻数を重ねてこそ一層磨きが掛かってきた本作は、取り分け是非とも
漫画にせよ、小説にせよ 商業にせよ、自主制作にせよ、二次にせよ

物語を創り出し世界観を紡ぎ出す、“語る力”と“描く力”に
衝き動かされる熱情と、メタ認知の容赦ない冷徹の狭間で
孤独な煩悶に震える夜を、幾度も明かした創造者の皆様へ

久方ぶりに広瀬 正先生の、タイムトラベル小説の最高峰『マイナス・ゼロ』『鏡の国のアリス』で平行宇宙の超絶技巧を読みたくなってしまった、SF厨なへっぽこ字書きが泣いて喜ぶ洗練の一冊。超絶オススメです!!!


2015年5月8日金曜日

前略、担当編集者さま【追補】

はじめまして、ヒルマと申します。
御多用の最中、素性の知れぬ部外者が啓上した記事を、
御笑覧下さいまして誠にありがとうございます。

私は、当事者でも支援者でも専門家でもなく。
学生の頃からヒトの脳の働きに興味があって、
趣味として勉強してきただけの「野次馬」に過ぎません。

自閉症スペクトラム(Autistic Spectrum Disorder(s)、略称:ASD)についての私見は、拙文『好奇心と敬意と仁愛と』をご参照戴けますと幸甚です。

全くの無関係にも拘わらず、たいへん差し出がましい申し様ではございますが。
一歩離れた所におります者の「傍目八目」が、担当者さまのお役に立てることもあろうかと、お邪魔いたしました次第です。

まずは、NPO法人青少年生活就労自立サポートセンター名古屋青木美久先生へ、書籍出版をご提案下さった事、そして、長期に渉り原稿を辛抱強くお待ち下さっている事に、心より感謝申し上げます。

サポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』にて、青木先生が綴っておられる記事を拝読したところ、再び筆が滞ってらっしゃるご様子。

無論、締切が守れない最大の理由は、信じ難い程たくさんの事案を抱え、日夜ご自身が休息なさる時間さえ惜しみ、粘り強く解決へ導こうと努めておられる、不断のご多忙にあるのですが。

連休中、原稿に専念すべく『山籠り』しても、執筆が遅々として捗らない原因は、青木先生ご自身の“特性”を考慮する必要があると、僭越ながら拝察しております。

***

サポートセンターの責任者である青木先生へ、担当編集者として接しておられる限りでは、思いも寄らぬ事かと存じますが。

発達障碍当事者でもある青木先生は、他者の【感覚情報】を、過ぎるほどに鋭敏な五感を介し、非言語的な“事実情報”として精細緻密に読み取れる一方、身体の内外から【細かく大量に】受け取り続けるご自身の【感覚情報】を、【絞り込み、意味や行動にまとめあげるのがゆっくり】なのだと考えられます。

つまり定型多数派とは逆に、ご自身の【感覚情報】すなわち「感じる事・思う所」こそ、むしろ「まとまらない・客観できない」という“特性”があるため、『内容は決められていて、それに沿って原稿を書いていけば良いだけ』なのに、『現実問題、原稿が書けていません』と難儀なさっておられるのではないでしょうか。

自分の【感覚情報】を総体的に把握できない“特性”は、売り上げ数でしか成果を実感出来ないご様子にも顕れています。

『今まで100人を越える人達の回復に手を貸してきたこと』、殊に予後が非常に難しかったヒロさんの目覚ましい社会適応は、定型多数派なら溢れんばかりの喜びと達成感に満たされる『素晴らしく嬉しいこと』であるはず。

しかし、“事実情報”として認知することは出来ても【感覚情報】として『実感がない』ゆえに、数字にこだわってしまうのだと思います。

然りながら、青木先生ご自身の“難儀”こそが、“強み”なのだと私は考えます。

名言に倣えば「当事者の・当事者による・当事者のための」支援を、果敢に実践かつ地道に実績を積んで来た事実が、サポートセンター名古屋の“特性”であり“強み”なのだと、私は思います。

率直に言えば定型多数派の“上から目線”を、当事者の皆さんに非言語的な“事実情報”として察知させることで、『発達障害者です。みなさまのご理解を!!』と『首からプラカードでもぶら下げ』ているような、負の【感覚情報】を与えることなく。

支える者と支えられる者が対等な立場で、けれど心から信頼し合う“師匠と弟子”のように、正の【感覚情報】を共有しつつ。社会で生き抜ける“溜め”を着実に蓄えられることが、サポートセンター名古屋に『まず、望まれること』なのだと思います。

***

青木先生はご提案を貴く思うあまり、『早い段階で増刷できて、1万部を売りきったら』と、ベストセラーを目指しておられますが。

過ぎるほどに強烈な責任感も、ご自身の【感覚情報】を客観できず、原稿が書けない状態に陥らせている一因と拝察。たとえ時間はかかっても、不登校や引きこもりを支援する全国・全世界の現場で、広く読み継がれる謂わば“バイブル”として、ロングセラーをこそ目指して戴きたいと、卒爾ながら願っております。

どうか担当編集者様におかれましても、書籍出版をご提案下さったご高見と、長きに渉り原稿をお待ち下さったご仁愛を以て、無事の発刊へお導き下さいますよう。心底より上梓のご成功を祈念申し上げております。

#【】内は、綾屋 紗月 氏『発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい』より借用した表現です。

《追記:文中で言及した『「当事者の・当事者による・当事者のための」支援』の妥当性については、京都大学・福井大学の共同研究グループから報告された『自閉スペクトラム症がある方々による、自閉スペクトラム症がある方々に対する共感』という研究結果でも支持されています》



2015年4月25日土曜日

センター試験の憂鬱

時節外れの大学受験ネタ、しかも連投で恐縮ですが。

とにかく30年振りでしたし、受験生の親ってのは所詮、当事者じゃないのでw
勿論あれこれ気は揉みましたが、正直いろいろ面白かったんですv

***

30年振りの大学受験で次に大きかった変化は、センター試験の重要性が、思うに企画運営者の意図を遙かに超えて、過剰なほど増してしまった件です。

25%未満だった大学進学率が約50%にまで上昇した20年間は、共通一次が1990年に大学入試センター試験へ変更されて以降、私立大学もセンター試験の成績を利用するよう奨励され、試験自体も汎用性を高めて来た期間に、ほぼ合致してます。

同時に文科省は、大学の新規開校や短大の四年制化・学部新設や組織改編によって、募集定員の拡大を推進。大学進学率の向上を目指したこれらの施策は、2009年度に50%の大台へ乗るまで、至極順調に奏功していたかに見えたんですけど……

「大学へ行く子・行かない子」が、ほぼ五分五分という拮抗状態は、依然として継続中。実態に即した言い方をすれば、「大学へ行ける子・行けない子」という形で経済格差・地域格差の二極分化が表出し、進学率の伸びに歯止めを掛けています。

大学進学率を本気で上昇させたいなら、「(学力的には)行けるのに(諸般の事情で)行けない子」の支援策をこそ、定員増と連携させるべきだったのですが。所詮は省内方針に過ぎず、小手先のセンター試験汎用化より遙かに莫大な予算が必要な、奨学金制度や障碍者支援体制の大幅な拡充を、敢行する気概は毛頭無かったらしく。

ならば片落ちの施策で、センター試験の重要性のみが過剰に増した件は、「大学へ行ける子・行けない子」の二極分化へ、どう寄与してしまったのか?

***

国公立だけでなく、私立大学の入試にも汎用できるようになった、センター試験

公式サイトの『センター試験の役割』を拝読すると、『最適な大学入試の実施』という理想に向けて、この四半世紀ホント頑張って来たんだ!と、思わず共感しちゃいますけど。畢竟、入学試験を実施する側の視点なんですよね……

受験する側としてもチャンスが一挙に増えたでしょ、と仰りたいのでしょうが。汎用化というのは、言い替えれば試験方式の煩雑化ですし。出願できる機会が増えたことは、センター試験に負荷される重圧も、グンと増したということ。

この辺の機微に、拙宅のへっぽこ娘でもどうにか対応できたのは、指導が手厚い私立高校で懇切丁寧なご対応を戴けたからだと思います。

加えて、出願も受験もタダじゃ済みませんから。親からすれば、入試期間中の必要経費がグンと増えちゃったワケで。特に地方にお住まいのご家庭は、旅費・宿泊費を鑑みれば、安易に受験チャンスが増えた!なんて到底喜べないでしょう。

結局、経済的に一定の余裕がある・大学が多数集中する大都市圏のご家庭が専ら、センター試験の恩恵に浴すこととなり。企図に反して、経済格差・地域格差の二極分化を大学進学率として表出させる、一因となってしまったのでは?

***

四半世紀の間、失態を逐一あげつらう声にもめげず、頑張って来たのに。『最適な大学入試の実施』という理想には到達し得ず、遂に教育再生実行会議から廃止を提言されてしまった、“センター試験の憂鬱”へ大いに同情しつつ。

試験を企画運営する側の……てか実態に即した言い方をすれば、都内在住でお子さんを中高一貫私学へ通わせてらっしゃるであろう、文科省官僚の視点ではなく。

地方にお住まいで公立校へ進学させるのがようやく、というご家庭であっても、お子さんが四年制大学進学のリアルな希望を抱き、努力するチャンスを増やす方策こそが『最適な大学入試』という、国政を執るに相応しいメタな視点で。

ご尽力下さる事こそが、“憂鬱”を払拭する正道と、何卒お気づき戴けますように。


2015年4月19日日曜日

温故知新の大学受験

ちょうど30年振りの大学受験を堪能している間に、ブログの更新が2ヶ月も滞ってしまいました。あ、この度の当事者は無論、娘です。

なので、タネを明かせば『どうして名古屋大学に?』は、センター試験を半月後に控えた娘へ宛てて、殊にわざわざ太字にした件なぞ、私自身の経験を懇々と言い聞かせていたようなもの(あ、娘の第一志望は、名大じゃなかったんですがw)。

『2015−1995=20 〜大寒〜』が「1月16日」に間に合わなかったのも、実は今年度のセンター試験初日が1月17日だったためで。更に上梓が一週間も遅れたのは、センター終了後の自己採点で、目標へ遙かに及ばぬ惨憺たる結果が判明したゆえ。

2月に入っていよいよ筆が重くなり、下旬を以て遂に更新が休止してしまった次第は最早、仔細に綴らずともお察し戴けるかと存じます。

***

30年振りの大学受験で最も大きな変化は、25%未満だった進学率が約50%にまで上昇した件でしょう。進学者数で比較すれば精々1.4〜1.5倍ですが、少子化で『高等学校及び中等教育学校後期課程本科卒業者』の総数が減ったため、率としては2倍増。

すなわち「大学へ行く子・行かない子」の、二極分化が生じたことになります。

それから、参照先の数字だと判りにくいんですが。30年前、女子は高卒で就職する場合も少なくありませんでしたし、進学しても四年制大学より専門学校や短期大学が主流。対して現在は、大学へ進むなら四年制を選ぶのが、断然多数派です。

しかし、受験生のお母様がたは、四年制大学を受験しなかった層が多数派なので。

ご自身が経験したことの無い“難関”へお子さんが挑むとなれば、心配が嵩じ不安が募るのも無理からぬ仕儀。受験生に甲斐甲斐しく付き添う親御さんの様子を、『過保護な親』と批判的に報道するだけじゃ、些か浅薄に過ぎるのでは?と思います。

あ、もっとも拙宅では、付き添いませんでしたよ。面倒くさいからw

受験当日だけでなく、受験校を決めた最後の個人面談も出願手続も、本人自身が考えて遂行するのが、お世話になった高校・担任の指導方針でしたし。第一、受験日程を自己管理できないようじゃ、大学へ入れたって箸にも棒にも掛かりませんし。

でも覚悟を据えた『肝っ玉母さん』で居られたのは、私自身の経験があったから。

そして、休止していたブログの代わりに、屁理屈を捏ねてずっと避けてたツイッタで、小説家たる心の師匠や、敬愛する描き手様や、脳の機能様式の多様性ゆえに生ずる難儀へ立ち向かう皆様と、『励ます力』を繋がせて戴けたから……なんです。

***

最後にもう一人、昨年度の大学受験に当事者として果敢に挑んだ“彼女”へ、心からの御礼と励ましを……公立トップ高への意想外な合格以来、秘やかな疎外感を3年間耐え抜いたあなたの“結論”は、完璧と申し上げて良いほど優れた正論です。

『後悔しない』覚悟はきっと、必然にして最善の道へあなたを導くと信じてます。


2015年2月22日日曜日

至高の恐怖譚

その病の名を知ったのは、私が小学2年生だった時。
一冊の児童書に綴られた、不思議な物語の中だった。

本の題名は『びんの中の小鬼』
作者はロバート・ルイス・スティーヴンソン
私が“一番好きな童話”にして“至高の恐怖譚”

***

現在手に入る本は、『びんの悪魔』あるいは『壜の小鬼』と改題されている。

そして本文中に、その病名は明記されていない。前者では『当時「中国の悪魔」とよばれていた、おそろしい伝染病』、後者では単に『疫病』と訳出された。

福音館書店世界傑作童話シリーズにあっては、訳者あとがきでさえ『“中国の悪魔”という病気』と記すのみ。岩波文庫版は訳注で、その疫病を発症した患者達の療養所が、かつてモロカイ島北海岸のカラウパパにあった旨、端的に言及している。

***

40年前に読んだ『びんの中の小鬼』では、『らい病』と明記されていた。

抗酸菌の一種である『らい菌 (Mycobacterium leprae)』が、皮膚のマクロファージ内および末梢神経細胞内に寄生して、引き起こされる感染症。ゆえに『らい病』という命名は、至極当然にして客観的だったのだが……

「病気への理解が乏しい時代に、その外見や感染への恐怖心などから、患者への過剰な差別が生じた時に使われた呼称である」ため、偏見・差別を助長する含意を帯びるに至り、歴史的文脈以外では“禁句”となった次第。

代わりに現在、用いられている疾患名は『ハンセン病』。1873年に『らい菌』を発見したノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセンの姓に由来する。

《以下、邦題『びんの中の小鬼』『びんの悪魔』あるいは『壜の小鬼』他、『The Bottle Imp』のネタバレ御注意!》

2015年2月8日日曜日

画力じゃないのよ涙は

諸般の事情で、ブログ更新がすっかり滞りがちになっている。
にも拘わらず、毎日一定のお運びを賜っている仕儀が、誠に貴く有り難い。

ご閲覧が多いのは無論、人気ブログに『繋がる力』をお分け戴いた記事だけれど。愛好する作品への想いを綴った「『それ町』第13巻感想!」を始めとするレビュウも、健闘してくれている次第が『字書きの右往左往』たる面目躍如。

そして勿論、キーワード検索で御来臨下さる偶然が多いのだろうが。再読に訪れて下さっている気配も、そこはかとなく感じて……

思う相手へ思う処が通じた歓びを、妄想深読みの裡に面映ゆく玩味している。

拙ブログで啓上するレビュウは、消費者としての感想ではなく。
“描く力”と“綴る力”を発揮して下さる、創造者への献辞だから。

***

コミックスの単行本を収めた、我が家の書棚へ改めて目を遣れば。

画風には一切こだわらない、むしろ物語る力をこそ最重要視する“マイナー贔屓”の難儀な嗜好を、つくづく自覚する。

たとえば「Welcome back to your "HOME" !」で心酔を語らせて戴いた、萩尾望都先生の作品でさえ。所蔵しているのは、ハヤカワ新書版・第1刷が秘かに自慢な『銀の三角』と、SF作品最新刊の『AWAY -アウェイ-』第1巻のみ。

全く以て、不肖の読者の最たるもの。然れど『11人いる!』『トーマの心臓』も拝読し得た限りの作品は、バッチリ画像を添付したエピソード記憶すなわち“在庫”として、ガッツリ脳内に蓄積させて戴いておりますので。

物語る力を最重要視して、読む作品を選ぶ習いが性となった所以であり。
書籍として愛蔵させて戴くのも、創造者への敬意を表す方途なのである。

***

清原なつの先生『千利休』を購入した経緯は、その典型かも知れない。

《以下『千利休』『3丁目のサテンドール『銀色のクリメーヌ』他、清原なつの諸作品のネタバレ御注意!》


2015年1月24日土曜日

2015−1995=20 〜大寒〜

阪神・淡路大震災の発生から20年です。
皆さんは震災の前日を覚えていますか。
1995年1月16日、月曜日、3連休の最終日。
神戸の天気は晴れのち曇りでした。
1月16日に思いをはせ、そこから20年をふりかえってみませんか。
神戸新聞NEXT 【特集】阪神・淡路大震災『震災20年ブログ』より引用)

問いかけに応じられぬまま稿が滞り、10日以上経ってしまった。

理由は明白で、『1995年1月16日、月曜日、3連休の最終日』の具体的な思い出が、どう記憶を探っても、私には全く見付けられないからだ。

すると次は、なぜ思い出せないのか?という方が懸案になった。

***

最初は、震災当日の17日に予定されていた、博士号申請論文の公聴会(と呼び習わしているが、要は論文の概要を口演し、主査・副査の試問に答える審査会)に備え、曜日も何もお構いなく、スライドや原稿の作成に没頭していたから、とも考えたのだが……

『震災20年ブログ』に寄せられた『1月16日』の思い出は、今にして思えば大地震の予兆かと、推察される“異変”も散見されるが。大半は、普段と変わらぬ平凡な出来事。私が『震災の前日』を覚えていない所以はそれではない、と気付く。

震災当日の事、特に地震発生直後の次第は、克明に記憶している。

当時は京都の花折断層が成した崖の近傍で、昭和30〜40年代に建てられたと思しき、木造モルタルの二階家を借りていた。しかも相方が数ヶ月先んじて留学してしまった、後を預かる一人住まいだったから……

激しい揺れで叩き起こされ、即座に点けたテレビは、京都タワーのガラス破損を報じるのみだったけれど。ガス管破損を懼れて、唯一の暖房だったファンヒータは点けずに震えながら身仕舞いし、払暁の薄明かりで家屋の外回りを確認した。

仔細は端折るが、ともかく京都市内に大事は無く。鉄道各線は路盤の目視点検のため、不通ないしダイヤが乱れていたものの、京阪沿線にお住まいの主査はタクシーで来着。公聴会は予定より若干遅れつつ、全ての審査が粛々と履行された。

被災地の状況を私が知ったのは、博士号申請を認可された後。同じく公聴会を済ませた朋輩や、口演を聴きに来てくれた後輩と、研究室へ戻った時で……

***

学位申請を早々に断念していた同級生が、支援物資を徒歩で運ぼうとしている旨を知り、自宅にあった余分の食糧や生活用品を掻き集め、託した事はあったけれど。私自身が被災地を訪れ、支援に直接携わる機会は、遂に逸してしまった。

私が『1月16日』を、どうしても思い出せないのは。

博士号の認可後も、指導教授が退官してしまった研究室の始末を付け、相方の留守を預かる家を畳んで、自分も研究員として留学する算段、つまりは“日常”に忙殺されたまま、『阪神・淡路大震災』を目撃しなかったから、とも考えたのだが……

1995年1月16日、月曜日、3連休の最終日。
思い出を寄せた方々が、『震災の前日』を克明に記憶しておられるのは。

その翌日未明、前触れも無く遮断されてしまった、普段と変わらぬ平凡な、けれど尊くも愛おしい“日常”が、確かに存在した『最終日』だから。

昨日も今日も明くる日も。普段と変わらぬ平凡な、けれど和やかな“日常”が幾度も積み重なって、導かれる必然こそ幸福と知っておられるから。

20年の時が経っても未だに、『1月16日』には確かに存在した平凡にして尊い和やかな“日常”を、取り戻せない寂寥が胸の裡に蟠っているから。

あの日、兵庫県南部地震を起こした野島断層の、近傍に住まっていた数多の人々と、あの日活動しなかった花折断層の、近傍に住まっていた私を、別した相違は“偶然”の一事のみなのだ。

被災の事実を共有することは、二度と叶わないけれど……
感覚を共に分かち合える“日常”の記憶から『20年をふりかえって』みたいと思う。


2015年1月11日日曜日

書籍化する力【追補】

インターネットコミュニティで無料公開されていた「作品」が人気を博し、然るべき出版社から書籍化される、と言う話は昨今、枚挙に暇が無いけれど。

昨年秋から今年初めに接した2件の事例は、「書籍」について多面的な思索を巡らせたり、妄想深読みを赴くまま爆走させたりする契機を与えて下さった。

端的に言えば、受け手の側からすると、「無料→有料」「無形→有形」という関門が生じることであり。作り手の側からすれば、「受動的な消費者」に過ぎないネットユーザを、「能動的な読解者」へ如何にして誘導するか?という課題になる。

***

村上竹尾さん『死んで生き返りましたれぽ』連載を、pixivで拝読していた折。
私はぶっちゃけ「受動的な消費者」だった。新作がランキング上位に入る都度、閲覧させて戴いていたものの、評価もブクマもコメントも、付けた事は一度もない。

更に加えて、医師・看護師の教育や医薬品の臨床開発に、暫時携わった経験から、この“患者さん”は今も恢復の途上にあり、「作品」は主治医が示唆なさった作業療法なのだから、軽々に評価を云々すべきではない、と医療現場への遠慮も働いた。

しかし、完結の2ヶ月半後。
書籍発売の報に触れ、私は俄然、「能動的な読解者」へ転ずる。

能動的過ぎてpixiv版書籍版の両方へ、都合2篇のレビュウを書かせて戴いちゃったくらいw その動機は無論、目覚ましい恢復を遂げた“患者さん”と、彼女を支えたご家族・医療関係者の皆様へ宛てた、感謝と慰労の気持ちが最も大きい。

Amazonさんのカスタマーレビューとして投稿した一節では、

  心の本体たる脳と、生命の本体たる身体の有り様に、一切の疑問を抱かず、
  易々と外界へ繋がれる健康な、世界の大多数を占めている人々には、
  おそらく真価を読み解くことが、難しい一冊

と、警醒を籠めて綴ってみたけれど。

遺憾ながら、ご自身が依然「受動的な消費者」である旨を全く自覚せぬ儘、SNSの雰囲気に流されてしまっただけの御仁も、幾人か居られたようで。

「能動的な読解者」へ誘い導くべく、形有る「書籍」に凝らされた数々の工夫を、五感を働かせて自発的に玩味する事も、「書籍」として形を成すまでに関わった人々の想いへ、共感を至らせて積極的に踏み込む事もせず。

購入前に自身の覚悟が不足していたゆえの、粗忽にして横柄な勘違いを、謂われなく作者へ転嫁なさっているのは、誠に残念としか申し上げ様が無い。

***

然れど2件目の書籍化、すなわちZ会進学教室・渋谷教室長の長野正毅先生が、新年早々上梓なさった『励ます力』に限っては、上記の危惧は微塵も無く。

無料公開されている「作品」、すなわちZ会ブログ『長野先生の幸せに生きるヒント』では、そもそも人生の「能動的な読解者」たる覚悟こそ『幸せに生きるヒント』なのだと、日々懇切丁寧に御教示下さっているのだから。

ネットユーザと言えども、粗忽にして横柄な勘違いをしでかす「受動的な消費者」が、そこへ集う読者の皆様に居られる筈は、有り様も無いのである。

渋谷教室の採光が良くて伸びやかな、心地好い空気を鮮やかに切り取った写真も
セフィロトの樹では、美を象徴する黄と理解を象徴する黒を、基調にした装丁も
一見無難なようで、実は精緻な配慮の下に洗練された、静かに注意を促す写植も

人影まばらな『こだま号のグリーン車』……静謐な夜明けの『あるホテル』……清冽な湧水に恵まれた街の『駅近くの公園』……お気に入りの『香を焚いた自室』……と『納得のいく空間』を選りすぐって、丹念に吟味した校正も。

無形のデータだったブログが、著者のお人柄そのままに「書籍」として形を成すべく、積み重なった尊い必然なのだと思う。

長野先生の『すごくいい本』を手に取って読み解く歓びに、一人でも多くの「能動的な読解者」が邂逅できるよう、心から願っている。

【追記】『励ます力』特設サイトがオープンしました!『インタビュー』のページでは、教室だと絶対お目にかかれない、イイ感じに出来上がっちゃってる長野先生のお姿も拝見出来ますw 

「読み解く」ことは「書き綴る」ために不可欠な“筋トレ”
机上にあるのはいずれも、好奇心と敬意と仁愛を以て
拙宅へお迎えした、尊くも愛おしい書籍たちですv

2015年1月3日土曜日

2015−1945=70

本日のタイトルは無論、第二次世界大戦、殊に太平洋戦争が、日本の降伏で終結して以来、経過した年数だ。

日本に住まう数多の人々の中で、この歴史的事実に対する“当事者意識”を、最も強烈に感じて居られるのは、今上天皇・継宮明仁陛下ではないか?と私は拝察している。その御覚悟のほどは、先年81歳の誕生日をお迎えになった折の、宮内記者会代表質問に対する、懇切丁寧なお答えからも如実に伺える。

【注:「陛下」とお呼びするのは、己を「臣民」と自認している次第ではない。天皇制についての見解は、あくまで中立。文化的には非常に貴い存在だが、政治的には矛盾と危殆を孕んだ制度との認識だ。尊称の所以は、孤高な身位に相応しいお働きを厳正に励行なさる、真摯誠実なお人柄への敬愛を礼法に則り表しているのみである】

まずは当該部分を、そのまま引用させて戴く。
先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう,常により良い日本をつくる努力を続けることが,残された私どもに課された義務であり,後に来る時代への責任であると思います。そして,これからの日本のつつがない発展を求めていくときに,日本が世界の中で安定した平和で健全な国として,近隣諸国はもとより,できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう,切に願っています。
卑近な物言いで、誠に恐縮だが。
全面的に、激しく同意! 

殊に『世界の中で安定した平和で健全な国』『近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って』と言及を重ねた語調は、なにやら現首相の不徳を、深く懸念しておられるようで。僭越ながら、お労しく感じてしまった。

3年前の2月、ご高齢を押して冠動脈バイパス手術をお受けになったのも、節目の年をご健勝の内に迎え、『残された私どもに課された義務』『後に来る時代への責任』を果たしたい、という切なる願いをお持ちだったからこそなのだろう。

新年に当たっての『ご感想』でも、以下のように述懐しておられる。
本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。
敢えて『満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なこと』と、不徳の輩へ明晰な苦言を呈しておられる一文に、陛下のご心痛がヒシヒシと感じられ、ますますお労しさが募る。

歳を重ねる毎に戦後生まれの人口が増え、直接的な戦争体験の継承が困難になっていくのは、やむを得ぬ仕儀ではあるが。

より良き処を目指して努力する純粋な心根を持ち、未来を担って下さるお若い方達にこそ。数多の犠牲を強いた戦争が終結した後、残された者としての責務を果たすべく、強烈な“当事者意識”を以て努めていらした、陛下の年頭所感をこそ。

是非とも『終戦から70年という節目の年に』直接、宮内庁の公式ページで拝読の上、『戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えて』戴きたいと思う。

【追記:全くの偶然ですが、ジャーナリストの江川紹子氏も、同じテーマで記事を寄せてらっしゃいましたw リンク先も、併せてご参照戴けますと幸いです】


2015年1月2日金曜日

どうして名古屋大学に?

大学の4年間、お世話になった女子寮は、二人部屋だった。

合格が決まった翌月、一番乗りで入寮した私の同室は、数学科3年のU先輩。
「こ、これはっ!普段全く顧みずにいる崇高な存在から下された『数学嫌いを克服すべし!』」との預言?!」だと思ったのだが。

明朗で活動的、かつ勤勉で効率的なU先輩は、長期休みには合宿や公演旅行もあるサークル活動と、家庭教師や塾講師のアルバイトで多忙を極め。結局、数学を教えて戴ける機会には、一度も恵まれなかった。

予備校で、生涯最高と断言しても良いほど、真剣に取り組んでいた時でさえ、悩まされた数学。ゆえに大学合格後の向学心は、推して知るべし。殊に「解析」は、教科書を開いた途端、睡魔に襲われる有様で。

細かい経緯は端折るが、教養の2年間で取得できた数学の単位は、「線形代数1」の2単位だけ(奇跡的に“良”)。けれど、入学したのは理学部であるからして、「解析1および2」「線形代数1および2」の合計8単位を取るのは、まず当たり前。

要するに、理学部生としてあるまじきレベルで、数学が不出来だった訳だ。

***

そんなお前が、どうして入学試験に合格できたのか?と問われれば。
志望したのが名古屋大学だったから、とお答えする他、所以が無い。

あ、名大は二次試験(“個別試験”に非ずw )の数学が簡単だった、って事じゃないですよ。実は当時、募集人員の10%を限度として、数学もしくは理科(2科目)の高得点者は、その他の教科の成績にかかわらず、選抜して戴ける“特別枠”があり。

恐らく英語はreasonable、数学は相当残念な結果だったと思われるが。化学・生物が満点に近い成績だったからこそ、合格できたのだろうと自負している。

特に生物は、ほぼ全ての大問が最初に仮説を立てさせ、それを証明する実験を計画させる形式だったから。「屁理屈、上等!」な考察愛好、かつ設計立案が大の好物な私にとっては、試験本番だというのに、答案を書くのが楽しくて仕方なかった。

無論、どんな単元・形式でも、一定のレベルで解答できるのが最善だが。
出題者、すなわち大学の先生がたとの相性が良いからこそ、合格できる

そして、入学者を選抜する段階から、完成された優等生のみならず、苦手を抱える個性派も、可能な限り受け入れようと努める教授陣だからこそ。入学後も、懇切丁寧に指導して戴けるのではないだろうか?

***

センター試験では、所定時間内に大量かつ正確な、問題処理能力を発揮できる、段取り力と集中力を要求されるが。

個別学力検査では、出題者との対話をこそ楽しもう、という気概を持てれば、勝機が掴めるのではないだろうか?

ただし、名大理学部の“特別枠”は現在、『センター試験を課す推薦入試(定員50名)』で代替されてしまったようなので、ご留意を! 一方、工学部と農学部では今尚、個別学力検査によるセンター試験“リベンジ枠”が、設定されている。

詳細は『平成27年度 入学者選抜要項』でご確認の上……
個性豊かに学んできた受験生こそ、母校を志望して下さる事を願っている。


2015年1月1日木曜日

初春の中国緑茶

ついに! とうとう緑茶にも! 手を出してしまいました……orz

あ、日本茶じゃなくて中国茶の方、ってタイトルにも書いてましたねw 中国緑茶の代表格は、摘んだ茶の葉を半日ほど天日に晒して青臭さを抜き、釜で煎って発酵を止めた上、揉捻して扁平な茶葉に仕上げた、龍井茶

とは言え、獅峰・虎跑・雲栖・梅家塢といった、本場・杭州市内の有名産地はお値段が素晴らしすぎて、初心者且つ小心者の私に、手を出す勇気はなく。お隣の紹興市新昌県大佛で産した「大佛龍井茶」から、入門させて戴くことに。

横濱中華街の中国茶専門店・悟空の「大佛龍井茶」
初心者でも安心v の懇切丁寧な解説付き
お湯を注ぎ足して3〜4煎は楽しめますv
それでも20 gで¥700ほど、100 gに換算すれば¥3000を優に超えちゃうわけで!
茶処育ちの相方曰く、日本茶なら最上等・最高級の新茶が買える値段(ガクブル)

日本茶は茶葉の旨味を引き出す事に傾注し、全生産量の8割を「蒸し煎茶」が占める“一意専心”の世界。ですが、中国茶は広大な国土に在って、形状・香味・水色の多様性を追求し続けており、千種を超える銘茶が群雄割拠しているそうで。

殊に「明前」「雨前」と新茶の早さを競う緑茶、そしてビンテージが投機対象にさえなっているという黒茶には、手を出すまいと自重してたんですが……

とある二次小説を介してご結縁を戴いた、原典作者様御用達の茶荘に伺った折。わざわざ横浜まで来たんだからと、勢いで買っちゃったんですよね〜w

しかし、なかなか開封する勇気が持てぬまま、遂に年越し。せっかくの龍井を陳年茶にしてはもったいないので、元旦を言祝ぐべく賞味してみました!

モノの本によっては、60〜70℃のお湯で淹れるよう指示されてますが、まずはパッケージの解説どおり熱湯で。ホントは蓋碗を使いたい処ですが、先年、相方に蓋を割られてしまったため(シクシク)、長年愛用のやたら丈夫な景徳鎮製量産型ポットで。

隣の市で産したとは言え、龍井を冠した茶を淹れるには、些か邪道な方法。ですが、鷹揚を是とする大陸で生まれた緑茶なれば、馥郁たる香気に揺るぎ無く。一煎ごとに変わっていく風味・僅かずつ赤みを増す水色も、興趣深く楽しめました。

お茶請けにしたのは、焼いた餅やら、栗きんとんやら、練り切りやら。家族各々が所望した、日本のお正月ならではの好物でしたけど、拙宅的には違和感全く無しw

本年も些事にはこだわらず、美味しいものを、美味しいままに。
天衣無縫・自由闊達を旨として、賞味させて戴こうと存じます。

日本茶より浅い色味・平べったい形の、如何にも龍井らしい茶葉
緑豆を想わせる香ばしさがあり、“一心一葉”の大きさが
非常に良く揃っています。お値段に相応しい高級品と拝察v