2015年6月14日日曜日

“合理的配慮”どないしょか?

3回に渉り、長々と綴ってしまいましたが。思いがけなく娘が“被害者”となった
この“事件”を、端的に一文で書き表すなら、以下のようになるでしょう。
他罰的な大人と独善的な大人の争いに巻き込まれ、
利己的な大人の手段で逃避せざるを得なくなった。
あれ?『発達凸凹当事者さんと直に関わりを持った経験』の話だったのに……

1. クラスメイトの15%以上が、発達凸凹当事者(専門家から勧告を受けた)
2. 上記のうち、定常的な他害行動を発現しているクラスメイトが1名
3. 上記の他に、多動傾向があって立ち歩いてしまうクラスメイトが10%

という、クラスの4分の1が、発達凸凹あるいは問題行動が出てるお子さんで、
占められていたゆえの「学級崩壊」は、“事件”の原因じゃないの?

読んで下さった皆さんが、そう疑問に思って下さったなら、誠にありがたい。
実の所、発達に凸凹が・障碍が有るか否かは、“事件”の本質じゃないんです。

***

今、振り返ってみれば。関わっていた大人達は誰一人として、問題行動で不適応すなわち障碍を訴えている子ども達(専門家から勧告を受けたか否かは、本質的な問題ではありません)へ、妥当かつ充分な対応が、全然出来ていませんでした。

4. 加配の教職員は、学級当たり1名
5. 都合がつく保護者が、随時教室で担任を支援する

なんて、ぶっちゃけ「おためごかし」に過ぎない、名ばかりの支援は、所詮、大人の欺瞞でしかなかったと猛省しています。

他罰的だったり、独善的だったり、利己的だったり。

あの“事件”で、「悪い子」であれ「良い子」であれ、“責任者”であれ“真犯人”であれ、“ラベル”を貼り優劣を付けたがる、negativeな感情ばかりが噴出してしまったのは。大人達の側も、事態への不適応を起こしていたからに他なりません。

“合理的配慮”を具現化するつもりだったのに。人間として天然自然な、だからこそ最大最強の心理的障壁を、むしろ助長増幅してしまった、その原因は……

『発達障害者です。みなさまのご理解を!!』と『首からプラカードでもぶら下げ』るような、不愉快極まりない思いを、子ども達に強いておきながら。

その実、彼らが抱えている難儀の本質も、訴えている障碍に合致する支援が何なのかも、全く心得ていなかったのに。支援できる「つもり」になっていた大人達の、無知蒙昧自己過信にありました。

***

とは言え、私自身が蒙を啓いて戴いた、綾屋 紗月 氏『発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい』は2008年の刊行。しかも医学書院から出版された、支援者・専門家向けの単行本です。

障害特性の本体は、過ぎるほどに鋭敏な五感が、身体の内外から【細かく大量に】受け取り続ける【感覚情報】で、脳を“占拠”されること。つまり、感覚過敏による【感覚飽和】なのだと、一般に認知されるようになって来たのは、ごく最近。

今から10年以上前、しかも支援者でも専門家でもなかった教職員と保護者の不見識は、止むを得ない仕儀でもありました。

更に言えば、合理的配慮の実例として良く挙げられる、聴覚や視覚の障碍は、感覚の不全ないし欠損で。障碍を体験したことのない多数派であっても、「聴こえへんかったら・見えへんかったら、難儀やなぁ」と共感・理解しやすいのに。

発達障碍は当事者自身が、【身体内外からの情報を絞り込み、意味や行動にまとめあげるのがゆっくり】であるため、感覚過敏ないし【感覚飽和】によって障碍が引き起こされている因果を、自覚・認知できていないことさえあって……

掴み所の無い不快感や不安に苛まれるまま、発現してしまう問題行動に相応しい支援は何なのか、当事者本人は勿論、その家族でさえ、見抜くことがとても難しい。周りの定型多数派にとっては、尚更、共感・理解することが非常に困難です。

そして人間は、共感しがたい人・理解できない人へ、天然自然な感情のままにnegativeな“ラベル”を貼り付け、自分より劣った存在と見做しがちなのです。

#【】内は『発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい』より借用した表現です。

***

だとすれば、最大最強の心理的障壁を乗り越える方法は、一体なんでしょう?

当事者とその家族の側も 周りの定型多数派側も
診断名の“ラベル”を貼って、済ませるのではなく。

発達障碍を正しく識るより他に、術はありません。

授業中、自席を離れて歩き回るのも 友達と仲良くできないのも
学校の成績が芳しくなくても 知能検査の点数に偏りがあっても

心の発達や脳の機能様式が違うからで、「悪い子」だからではありません。

定型多数派向けに設定された教育課程や試験の結果で、当事者自身でさえ把握しがたい“多様性”に潜在している能力を、一律に査定し優劣を付けられると考えるのは、無知蒙昧と自己過信でしかありません。

当事者本人であれ その家族であれ 周りの定型多数派であれ
発達障碍に、negativeな“ラベル”を貼り付けたくなったとしたら

“多様性”への不適応があるためで、当事者の特性が「悪い」のではありません。

定型多数派向けに設定された社会で、当事者自身でさえ予見しがたい“多様性”が、齟齬や軋轢を生じるのは、当然なのですから。“責任者”や“真犯人”を追求して、何も解決できない無意味な時間を徒に費やすより……

相応しい支援・適用すべき合理的配慮は何か
明確に助言・提案できる、支援者や専門家へ
迷わず・躊躇せず相談することが、最善かつ充分な対応であり

我が子でも よそ様の子でも 発達に凸凹が有るか否かは 一切関係なく
未来を生きる若者達の幸せを願うことこそ、大人が果たすべき責任なのです。

2015年6月11日木曜日

“合理的配慮”アカンのは何?

前回は明記しませんでしたが。この“事件”は、今から10年以上前、娘が小学校低学年の時に起きました。発達障害者支援法が施行されて、11年目の現在、

1. クラスメイトの15%以上が、発達凸凹当事者(専門家から勧告を受けた)
2. 上記のうち、定常的な他害行動を発現しているクラスメイトが1名
3. 上記の他に、多動傾向があって立ち歩いてしまうクラスメイトが10%

という、当時としてもかなり稀だった深刻な状況は、滅多に生じないのではないかと思います。

***

それから、努めて客観的な記述を心掛けましたので。『入学以来の経緯』があったにしても、子どもの“大切な物”が教室で紛失しただけで、わざわざ別の自治体へ転校するなんて随分大仰な、とお感じになった方もいらしたかも知れません。

実際、クラスメイト達の保護者も、私の決断に共感し励まして下さった、ママ友達だけではなく。悪いのは「2.のお子さん」なのに、何故お宅が転校までしなきゃいけないのか、と義憤しつつも、暗に疑問を呈された親御さんがおられました。

正直な所を打ち明ければ、私自身の裡にも、大きな困惑がありました。

当事者でも支援者でも専門家でもなく、所詮は野次馬に過ぎないという自戒から。加えて、科学者としての矜恃にかけても。発達凸凹当事者である「2.のお子さん」に、「悪い子」という“ラベル”を、決して貼り付けたくはなかった。

でも“事件”を機に、娘が転校すれば……
残された子ども達・大人達から、『「2.のお子さん」って、そんなに「悪い子」なんだ!?』と思われてしまうかもしれません。

その一方、実験研究者としての経験は、複数の問題が錯綜しているために、期待される結果を出せないシステムは、部分的な改善を試みても徒労に終わる。ゆえに手間は掛かっても、再構築する方策が最も有効、と冷徹に告げていました。

然れど、決め手になったのは理系女子の屁理屈ではなく。
強烈な危険信号を発していた、母親としての直感でした。

「2.のお子さん」が“大切な物”を秘かに紛失させた可能性は、極めて考えにくい。

ですが、だとすれば『他罰的で療育を怠っている「悪い親」の、他害行動を発現している「悪い子」は、懲らしめてやるべき。そのためには、もう一人の子の心を傷付けたって構わない』と考える、独善的な人物が教室に居たことになるのです。

もしかすると、あの人が“真犯人”だったのかもしれない……

なんて、『動機の根源』から冷静に、分析的な推理が可能になったのは、事が済んで数年経った頃です。当時はとにかく、ウチの子をあの“場”に置いてはならない!という、利己的な母性に衝き動かされていました。

***

“真犯人”が抱いた『動機の根源』を、示唆してくれたのは娘の“後遺症”でした。

あの日、教室後方のロッカーから、忽然と消えてしまった“大切な物”は……

とあるコンクールで頂戴した、大きくて立派な表彰状。キッチリ丸めた上、主催団体が用意して下さった筒に納めてありました。『校長先生の指示』は、全校集会で改めて表彰したいから学校へ持参しなさい、というお褒めの言葉でもあり。

謂わば、「良い子」の“ラベル”だったわけです。

ただし、小学校低学年の子ども達にとって賞状用の丸筒は、単に見慣れない“珍しい物”に過ぎず。その意味する価値……「良い子」の“ラベル”となる“大切な物”……を一目で承知できたのは、恐らく大人だけだったのではないかと思うのです。

娘は生来、誰かと競うこと、殊に、誰かを残して自分だけ先んずることを、嫌う性分で。最初に就学した小学校でも、先を争って課題に取り組むより、発達の凸凹ゆえ何かと遅れがちな友達へ、寄り添っている方が好きな子でしたが。
《追記:本人から「算数だけは面白かったから、積極的に取り組んでたよ!」と訂正の申し入れがありましたw 》

“事件”後は更に、表立って賞められることを、事情を知らない方からすれば奇異に映ずるほど、忌避するようになりました。

幼いながら直感的に、「悪い子」の“ラベル”のみならず「良い子」の“ラベル”も等しく、あの“場”に沈潜していた不穏な『動機の根源』だと、明確な言葉には出来ずとも、鋭敏かつ的確に看破していたのでしょう。

***

すなわち、障碍当事者への“合理的配慮”を具現化するために、必ず乗り越えなければならない、最大最強の心理的障壁とは……

我が子でも、よそ様の子でも。発達に凸凹が有るか否かは、一切関係なく。
「悪い子」であれ、「良い子」であれ。“責任者”であれ、“真犯人”であれ。
“ラベル”を貼り付け、優劣を付けたがる、人間の至極自然な感情なのです。

次回はこの心理的障壁を、乗り越える方法について考察していきたいと考えてます。

2015年6月9日火曜日

“合理的配慮”て何ですのん?

当事者でも、支援者でも、専門家でもなく。

ヒトの脳の働きをあくまでも趣味の範囲で勉強してきた「野次馬」の「傍目八目」と、いつも前置きさせて戴いておりますけれど。発達凸凹当事者さんと直に関わりを持った経験が、これまで皆無だった訳ではありません。

娘ひとりだけでしたが、子どもを育ててきた過程でも
今は離職しましたが、教員や研究者を務めた職場でも

専門家ではない以上、“診断”は無論のこと“判断”さえすべきでない旨、自戒しつつ。あくまでも“可能性”として、発達障碍当事者と拝察した方が彼らの言動に整合性を見出せる、あるいはその仮定で応接した方が上手くいく、子ども達・大人達に出逢いました。

研究の現場を離れても、多様性こそ地球上のあらゆる生命を司る万世普遍の原理、と知悉した科学者として生きたい。そんな矜恃で、当事者さん達の往々にして慮外な言動にも、好奇心と敬愛を以て接するよう、心掛けてきたつもりですが……

実は一度だけ、自戒を捨て矜恃を曲げて、利己的な決断を下した事があります。

***

その“事件”は、娘が最初に就学した小学校で起きました。当時の状況を、出来るだけ客観的に箇条書きしてみると……

1. クラスメイトの15%以上が、発達凸凹当事者(専門家から勧告を受けた)
2. 上記のうち、定常的な他害行動を発現しているクラスメイトが1名
3. 上記の他に、多動傾向があって立ち歩いてしまうクラスメイトが10%
4. 加配の教職員は、学級当たり1名しか付けられない
5. 保護者会で話し合い、都合がつく親は随時教室で担任を支援することに

2.のお子さんについては、お母さんが「ADHDの診断を受け、服薬させている」と仰っていました。けれど繰り返される他害行動は、学年が上がるに連れてむしろ増悪し、娘を含め複数のクラスメイトが“対象”にされている様子でした。

そんな中、娘が学校へ持参した“大切な物”が、紛失してしまいます。

校長先生の指示で持って行った物なので、その朝すぐ、担任へお渡しすれば良かったのですが。娘も私に似た粗忽者ゆえ、教科書やノートを机へ移した後、空になったランドセルと一緒に、ロッカーへ入れた儘にしてしまったそうで。

長くて嵩張る物だったため、クラスメイト達のランドセルや机を捜索するという、最悪の事態は避けられましたけれど。その時、偶々サポートに入って下さっていた親御さんが、校務員さんと協力して学校中を探して下さったのに。

娘の“大切な物”は、その欠片さえ発見されず、忽然と消えてしまいました。

***

入学以来の経緯から(別件で、救急車が出動した事さえあり)、2.のお子さんは「悪い子」だという評価が、すっかり定着していました。同時にそのお母さんは、他罰的な言動で複数の保護者とトラブルになっている模様でした。

そして“大切な物”は、如何にもADHDのお子さんが関心を惹き付けられ、いたずらを誘惑されそうな、子どもにとっては“珍しい物”でもあったので……

娘は「2.のお子さん」の“被害者”と考えるのが、妥当なように見えました。

クラスメイト達の保護者は勿論、恐らく先生がたでさえ、そう思っていました。
この“事件”後に、拙宅が別の自治体へ転校すると決めた時、共に担任支援へ協力していたママ友達や、わざわざ面談の時間を設けて下さった校長先生は、逃げ出す私を非難するどころか、むしろ励ましてくれました。

でも私は、「2.のお子さん」が娘の“大切な物”を紛失させた可能性、ほとんど無いと考えてます。“大切な物”のサイズや形状から、大人ふたりが学校中探しても見つからないよう隠すなんて、ADHDなあの子には到底無理だったのでは、と思うのです。

ならば一体、“真犯人”は誰だったのか?

ここまで読んで下さった多くの方は(ひょっとしたら全員)、そう疑問に思うでしょう。
しかし、悪いのが誰なのか・責任は誰に在るのかを追求したくなる、人間として至極自然な感情こそ、“真犯人”が抱いた動機の根源であり。

障碍当事者への“合理的配慮”を具現化するために、必ず乗り越えなければならない、最大最強の心理的障壁なんですよね……

次回はこの問題に焦点を当てつつ、“事件”を解題していきたいと考えてます。

>> 次回『“合理的配慮”アカンのは何?』を読む

2015年6月6日土曜日

『それ町』第14巻感想!

巻頭には、物語の“起点”たる入学式をオールカラーで描き下ろし、巻末には、思わせぶりに「エピローグ」と題した第98話を配して置きながら、『一応言っておきますが、終りじゃありません。もうちょっとだけ続きます』と、確信犯的あとがきを記した第12巻の後で。

毎度お馴染みなエピソードの連打に、素知らぬ顔で紛れ込ませた想定外の一撃・第104話「暗黒卓球少女」を、ガツン!!! とお見舞いされちゃった第13巻と同じく「もくじ」ページに『……に掲載された作品をまとめ、加筆修正を加えました』と但し書きした、最新の第14巻も。

遂に来ましたね〜第108話『夢現小説』+第111話『夢幻小説』!
単行本で11巻・話数にして82話後に、まさかの見事な伏線回収!!

布石が配されたのは、遡ること8年前の第26話『少女探偵誕生』
あ、今回はネットに頼る事なくバッチリ自力で探索致しましたv

丸子商店街に古道具屋を構える亀井堂店主の孫娘にして、主人公・嵐山歩鳥嬢の“師匠”たる亀井堂 静女史の初登場は、第2巻の第12話『それ町サスペンス劇場 湯けむりツアー密室慕情 乙女の誘いは奈落の罠!?』ですが。

この回は、商店街の慰安旅行に参加した、単なるモブキャラ止まり。歩鳥が探偵を志望するに至ったのは、静さんの“助手候補”に任ぜられた事が由縁らしいと、示唆されるのは第3巻の第20話『パンドラの箱』です。

そして同じく第3巻の第26話で、『この前 資源回収一緒にやった』だけの小学生女子へ、大学受験を控えながら書き上げた自作ミステリを、唐突に『真相を推理するんだ 探偵のように』と託した女子高生は一体……

その豊満な胸の裡に、如何なる深慮遠謀を秘めていたのか?!!

無論、“謎解き”をネタバレしちゃうような野暮なマネは致しませんw
巻数を重ねてこそ一層磨きが掛かってきた本作は、取り分け是非とも
漫画にせよ、小説にせよ 商業にせよ、自主制作にせよ、二次にせよ

物語を創り出し世界観を紡ぎ出す、“語る力”と“描く力”に
衝き動かされる熱情と、メタ認知の容赦ない冷徹の狭間で
孤独な煩悶に震える夜を、幾度も明かした創造者の皆様へ

久方ぶりに広瀬 正先生の、タイムトラベル小説の最高峰『マイナス・ゼロ』『鏡の国のアリス』で平行宇宙の超絶技巧を読みたくなってしまった、SF厨なへっぽこ字書きが泣いて喜ぶ洗練の一冊。超絶オススメです!!!