2014年12月31日水曜日

All’s right with the world!

『すべて世は事もなし』

と訳詩集『海潮音』で、上田敏が名訳を施した由縁から、日本人にも広く親しまれるようになった、ロバート・ブラウニングの詩句が、本日のタイトル。

しかし直前の『God’s in His heaven.(神、そらに知ろしめす)』と、対をなす一節だと承知していなければ、その真価は玩味できない。『All's right』と屈託無く人生を謳歌するには、自身の住まう『the world』を如何に感受しているかが肝要……というironyが、この詩句に籠められた趣意なのだから。

長野正毅先生が、再々用いておられる言い回しを拝借すれば。『私は「私」ではあるものの もうちょっと大きな何か』すなわち『全体の一部』に過ぎないと弁え、『全体の意志』全体の知恵』をこそ尊重する。そんな『考え方』が、『All's right with the world』の秘訣ではなかろうか。

とは言え、その心境に達する事ができるのは、“少数派”なのだと思う。

“多数派”つまり“普通の人”が、『私は「私」ではあるものの もっと大きな全体の一部』と達観できかねている最大の枷は、恐らく“私利私欲”なのだろう……と、つい推定的な語調になってしまうのは、憚りながら私自身も、“普通の人”に比較すると極度に我欲を欠いた、“普通じゃない人”だから。

どんな分野であれ、生業となさっている職務の範囲を大きく超え、他者の「為に成る」べく、各々お持ちの「溜め」を役立てようと、欲得抜きで天然自然に行動化してしまう物好きな御仁w は、間違いなく私利私欲に疎い“少数派”だ。

『ひなママ』さんは、ご自身が『うまくいっちゃったADHD』である旨、“種明かし”してらっしゃるが。実は私にも、『うまくいっちゃった“少数派”(多分、ADHDクラスタ)』の自覚がある。語弊を怖れず言及すれば、実はノーベル賞受賞者の大多数も、『うまくいっちゃった“少数派”』ではなかろうか、と拝察する。

私利私欲の桎梏に囚われ、『with the world』の境地に未だ至らぬ“普通の人”には、『うまくいっちゃった“少数派”』を、僻む輩も居りましょうが。“少数派”の脳の“普通じゃない”機能様式は元来、地球上の生命を司る万世普遍の“多様性”で。ゆえに彼らは生来、人類の住まう世界を『All's right』へ導く駆動力となるべき存在で。

我欲の軛から天然自然に解き放たれた、あるいは『全体の意志』『全体の知恵』を極めて近しく感じ得る、“普通じゃない人”に生まれ付いたからこそ。空気読めないとか自己中だとか、“普通の人”の私利私欲に揉まれ忌避され、二次障害に苛まれる顚末に至ってしまった“少数派”が、発達障碍当事者なのだ、と私は思う。

妙な具合に先鋭化し、ますます狭量になりつつある教育課程で、“普通じゃない子”を忌避すべく貼られた、“タグ”や“レッテル”がASDであれADHDであれ。

より良き処を目指して努力する純粋な心根を持ち、自分には達し得ない未来を担って下さるお若い方達を、『うまくいっちゃった“少数派”』へお迎えしたい。

***

先月末に身内の不幸がございました喪中につき、年頭の御挨拶を謹んでご遠慮申し上げます……という次第で、年明けの賀詞に代えての一筆啓上。

来たる新しい年も、欲得抜きで、
天然自然に『好奇心と敬意と仁愛』を以て。

本来、万世普遍の原理である筈の“多様性”が、
何故“障害特性”と呼ばれるようになってしまうのか? 

ボンヤリ考え始めた仮説を、より鞏固な主張へ展開し、
具体的な戦略戦術へと結びつける努力を、続けて参ります。

世界中の皆様に良いお年が訪れますよう、祈念を籠めて……
God’s in His heaven. All’s right with the world! 


2014年12月29日月曜日

為に成るには溜めが要る

年の瀬も押し詰まり、皆様ご多用の時季だというのに、警察のご厄介になった。

と言っても、単なる落とし物で。現場は、自宅から徒歩5分の、商業施設。
モノは、内科やら眼科やら、同じく近所にある掛かり付け医の、診察券数枚。

恐らく何日間かは、サービスカウンターで預かっていて下さったのだろうに。粗忽な持ち主が、その間に落とした事さえ気付かなかった結果、恐らくは最寄りの交番経由で、自宅から徒歩で片道25分の所轄署送致となった。

診察券は、貴重品ではない。次の受診時に、再発行して貰えば、事足りる。
落とした分は全て、拾得・保管戴いているようだから、悪用される危惧も無い。

かえって遠くなった保管先へ、“処分”を依頼する選択肢もあった。

実際、“関係先”の一つとして“捜査依頼”を受け、お仕事の合間に「診察券、落とされたみたいですよ」と、電話でお知らせ下さった内科医院の受付嬢からも「引き取りに行くかどうか、事前に電話を」と、警察署の代表番号から担当課の内線番号まで、懇切丁寧なご伝言を戴いている。

しかし、私は小一時間掛けて、徒歩で往復する事を選んだ。

***

動機の第一は、いつも図書館へ向かう途上、横目で見遣るだけだった所轄署へ、入ってみたいという好奇心運転免許どころか自転車さえ持たぬため、警察との御縁は滅多に無いのだ。そして第二には、自分の不注意で、関係各所へご面倒をお掛けしてしまった次第を、虚しくするのは心苦しいゆえ。

床に散らばった診察券に気付き、拾い集めてサービスカウンターへご持参下さった方。そこで所定の保管期間を過ぎ、駅前交番へ届け出て下さった担当者。交番から所轄署まで、送致して下さった制服警察官。“捜査依頼”を承け、カルテで検索した拙宅の電話番号へ、連絡して下さった医院の受付嬢……

日頃から習い性となった妄想の“癖(へき)”が、脳裏に在り在りと描出するから。

関わって下さった方々は一様に、いつも通りに当たり前の事をしただけ、と仰るかも知れないが。名前こそモノに明記されているとは言え、見ず知らずの粗忽な持ち主の「為に成る」べく、各々お持ちの「溜め」を少しずつお分け下さった次第を、ひたすら有り難く愛おしく感じてしまう。

理系女子の行動原理は、やっぱり『好奇心と敬意と仁愛』

***

冬型の気圧配置が、少しずつ強まって行く気配の寒空。斑に浮かぶ雲の群れを見上げ、初めて警察のご厄介になったのも落とし物、ソプラノリコーダーを失くしたんだっけ、と思い出す。

あの時は、さすがに帰宅して即、気付いた。慌てて探しに戻ったけれど見付からず、母に叱られ、警察へ届けを出しに行ったのだ。生まれて初めて捺印を要求され、印鑑なぞ持ってはいない小学生だから、こういう時は拇印を捺すのだと係官に教えてもらった。

埒もない追憶に耽りつつ、同じ頃、学校の図書室で二類の棚を総ナメにするほど、伝記・評伝を読みまくり、哀惜の念という感情を生まれて初めて抱いたことも、ついでに想い起こす。

  今在る自分が多少なりとも、他人様の「為に成る」大人になれたのは、
  生い育って来る間にお分け戴いた「溜め」が、深く積み重なった必然。

北西の季節風に舞い上げられたメタセコイアの葉が、空中に描く赤銅色の落下軌道を追う束の間。未だ襁褓の取れぬ私の裡に、既にして棲み着いていた『本当の自分』が、そう告げてくれる


2014年12月24日水曜日

名乗りの由来は

拙ブログを開設して、9ヶ月あまりが経ちました。

“タイトル”と“アドレス”を決めた(と言うより、Bloggerから指示されるが儘に、入力したw)経緯は、最初の記事で『事のはじめに』と題して綴りましたが。

筆名については何も解説してなかったなぁ、と思い当たり。『訊かれて名乗るも、烏滸がましいが』となる以前、訊かれてもいないのに説明しちゃうのは、自己顕示欲丸出しみたいで恥ずかしい事この上無いのですけど。

どうやら「ヒルマ」という名乗りが「屁理屈、上等!」な文体と相俟って、御笑覧下さる皆様方へ、「筆者は男性」という事実に反する、そして全く意図していなかった印象を与えてしまっている様子でしてw

然りながらその実体は、性差を超越した存在こそ正義!な、中二病魂を引きずってる小母ちゃんですから。意想外な現況を、大いに好ましく感じております一方、誤解を与えたまま蔭でニヨニヨしてるのも大人気ない、という事で。

***

カタカナ表記すると、その字面から往年の外国人プロ野球選手、または監督を想起させてしまうのが、「筆者は男性」と誤解される原因?と、拝察してますけれど。

Hilma」は、歴とした女性名。

リンク先の解説に拠れば「20世紀の変わり目に、時折」あるいは「19世紀初頭のスカンジナビア文学で、恐らくはWilhelminaの一変形として」用いられたらしく。個人的には、Wilhelminaの趣意が"willing to protect"、すなわち「守護を志すこと」という字義だと知った件が採用の決め手だったり。

正直に白状すれば、「Wilhelminaの一変形」と知って最初に連想しちゃったのは、無論『灼眼のシャナ』の“ヴィルヘルミナ・カルメル”女史ですけどね!って、やっぱり実体は、中二病魂を引きずってる小母ちゃんですw

あ、ついでに姓の「箭澤(やざわ)」ですが。

日本人の姓では用いられない「箭」を敢えて採用したのは、勿論『xxxHOLiC』の“壱原侑子”女史に肖ってのこと。ちなみに「箭」の字義は、ヤダケ。使い様によっては、矢軸にも筆軸にも釣り竿にも侑子さん愛用のキセルの羅宇にもなる、という含意ですw

***

などと、あれこれ蘊蓄を並べてはみたものの……
実の所、最初に閃いたのは「昼間っから、駄文を綴っております」の、「ひるま」だったりw

兎にも角にも、「ヒルマ」は女性名と、お心得願えれば幸甚です。


2014年12月21日日曜日

大統領さんへの返信

『ヒルマさんへの手紙』
そして『ヒルマさんへの2度目の手紙』

どちらの記事も、たいへんありがたく、

感謝感激でピャーッとなりながら、拝読しました。

メチャメチャ嬉しかったんですけど、12/17の記事

寄せさせていただいたコメントで、
「いってらっしゃい!」のみならず
ウッカリ新年のご挨拶まで、してもうたんで。

自分の“せっかち”を悔やみつつ、家事を片付けながら

どうお返事したものか……モダモダしておりましたw

そんなんしてたら、ひなママさんから

「励ます力の連鎖」いい言葉ですなぁんて、
またまたありがたい記事を、賜りまして。

ガッツリ『励ます力』を分けて戴けましたし、

今日は頑張れそうですw

***


『僕には ほめてくださったポイントの

 意味がよくわからず』てのは、11/28の記事
宛てたコメントの文章、かなぁと拝察しました。

『「まあそうなんだ」と思う様にしたまま』で、
実は、断然OK! どっちゃかと言うと
サポートスタッフの皆さんが、判って下されば……
てな心積もりやったし。「まあそうなんだ」と
心に留めていただけただけで、充分ありがたいです。

でも、あん時の“予言”もう当たってますねんでw

第一に、
『ヒルマさんへの手紙』で知らせて下さった
『もう一人の僕』を感じることができた
『本当の自分』こそが、“メタ認知”ってヤツ
なんですよ。

第二に、
『ヒルマさんへの2度目の手紙』で書いてはった
僕だけでなく、スタッフそして青木さんまで
 巻き込んで、「HAPPY」をシェアした
あの感じが、まさに“感覚情報の共有”で。

そして最後に、
12/17の記事で、決断して下さったこと。

ヒロさんに遠慮せんで、
「ブログをお休みします」「後はよろしくね」
青木先生やスタッフさんに遠慮せんで、
「いろんな体験をする旅にでます」

あれこそが、最終ゴールの『妥当な行動化』
だったんです!

……って言われても、大統領さんご自身は、
全然、気付いてはらへんかったでしょ?

『外見そのまま、中身ごっそりと
だれかの人格と入れ替わったかのような』変化は、

本人が、いちいち意識せぇへんくらい、小っさな、
せやけど、着実にライフが溜まってくこと=成長が、
コツコツ積み重なった結果、なんどすぇ。

だからこそ、小っさな成長にめざとく気付いて、
「オイ。ちゃんと、ライフ溜まってるぞ
と声を掛けてくれる『本当の自分メタ認知

自分だけでなく、支えてくれてる周りの人達と、
気持ちをシェアする=感覚情報の共有力

ライフを溜めるために、必要な決断は
遠慮せんで思い切ってする=行動化の瞬発力

の3つが全部、揃っててくれないと、
どんな天賦の才能に恵まれてる人でも、
なかなか、上手く成長できひんのですわ。

逆に言えば、3つが全部揃った大統領さんは、
着実にライフを溜めて、グイグイ成長して行ける。
つまり……

旅のはじまりは もう思い出せない 
気づいたら ここに いた 

って感じになってかはるんやろねぇw 

***

ちなみにひなママさんはオビ=ワンで、
ヨーダはヒルマさん』て、ヒロさんの“たとえ”
なかなか、お上手でございましたけど……
わたしら二人とも、一応、女子なんでw

ひなままさんは、
秘密の地下室で腐海の謎を調べてる、ナウシカ

ヒルマ小母ちゃんは、
「青き衣の者」の伝承を語る、大ババさま

大統領さんは、
腐海の謎を解くため世界中を旅する、ユパさま
てのは、いかがですやろか?

さてヒロさんは、誰がよろしうございますかねぇw

2014年12月18日木曜日

どうして名古屋大学が?

今年の物理学賞が、赤崎勇先生天野浩先生へ授与された結果、21世紀に入ってからノーベル賞を受賞した日本人13名のうち、名古屋大学関係者は6名となった。

もう少し詳説すれば、名古屋大学を主な研究教育の場として、授与された方が3名(野依良治先生赤崎勇先生天野浩先生)。また、名大大学院で博士号を取得した後、受賞なさった方は5名(下村脩先生小林誠先生益川敏英先生赤崎勇先生天野浩先生)で、なんと東大・京大を上回り国内最多である。

毎日新聞 2014年10月08日 東京夕刊掲載記事
『ノーベル賞:関係者6人目、名大「科学で世界へ」 旧帝大最後発、伝統作る気概』
より引用させて戴きました

いわゆる“七帝大” −−− すなわち1886年(明治19年)に設立された東京帝国大學を筆頭に、1939年(昭和14年)までの五十余年で都合9校誕生した帝国大學のうち、“外地”に設置された京城(現ソウル大学校台北(現台湾大学を除く、7校を前身とした国立大学 −−− の中で、どうして最も歴史が浅い“末っ子”が、斯くも目覚ましくthe Nobel Prize winnersを輩出しているのか?

特集記事を企画した毎日新聞の取材に応えて、諸先生が熱く語って下さった「名大(めいだい)の素晴らしさ」は、実に的を射たご見解ではありますが。

学部の4年間、その恩恵にガッツリ浴しながら、大学院入試では、京都大学もチャッカリ併願。有り難くも双方から合格を頂戴できた所で、「やっぱり学位は京大で」と、アッサリ決断してしまった上。母校には終ぞ御縁の無いまま、東京大学のとある研究機関で勤務したのを最後に、研究職からスッパリ足を洗ってしまった、不肖の後輩も。

僭越ながら少々穿った視点で、国立大学法人名古屋大学の「素晴らしさ」の根源を、ズバリ申し上げれば。“七帝大の末っ子”だから、ではないかと拝察。

益川先生のコメントと、同じじゃんね」とのツッコミは、暫し待たれよ。

我が主旨の第一は、“七帝大の長男”すなわち東京大学のように、設立当初から現在に至るまで、国家予算から潤沢な資金を投じられるのが当然ではなかったこと。
そして第二は、“七帝大の長男”のように、優秀を極めた完成度の高い受験生が、難関突破を目指してくれるのが当然ではなかったこと、なのです。

《以下、本音全開な『どうして名古屋大学が?』のネタバレ(?!)御注意!》

2014年12月12日金曜日

敬愛する心の共振

前回レビュウした、司馬遼太郎『胡蝶の夢』。実は、臨床心理士ブロガー『ひなママさん』へ、初めてコメントさせて戴いた話題だったりします。当該の記事で、

 『「発達障害」をはじめとする
  自閉スペクトラム症の研究や分類が
  普及するほどに
  文化、文学までもが退化していくのではないか』

と慨嘆なさっておられた一節に、深く感ずる処があったゆえ、なのですが。

ひなママさんのブログ『グレーな卵、金の卵になあれ』の読者は、障碍当事者の親御さんが、圧倒的に多いご様子。ですから、当事者でもなく支援者でもない、謂わば“野次馬の突撃”には、内心きっと面食らっておられただろう、と拝察します。

然りながら、当方と致しましてはジックリと、時に数ヶ月あるいは年単位で、ブログなり作品なりを、僭越ながら吟味させて戴いた上、「この御方は、敬愛申し上げるに相応しい」と確信できた場合に限り、“突撃”させて戴いておりますので。

一緒に紹介させて戴いた、“小説家たる心の師匠”こと長野正毅先生は、勿論申し上げるに及ばず、『発達障害な僕たちから』のお二方も、当方が捧げたささやかな敬愛へ、ガッツリバッチリお応え下さっています。

あ、大統領さん&ヒロさんへ向けた気持ちも、無論、敬愛なんです。定型多数派に有り勝ちな、「自閉症スペクトラム当事者さんで、二次障害に苦しんできたのに、頑張ってて偉いなぁ」という、ぶっちゃけ“上から目線”な、ではなく。

より良き処を目指そうと努力する、純粋な心根こそが、敬意の念の対象で。
自分は達し得ない、未来を担ってくれる若さこそが、仁愛の向く先なんです。

そして、当方が捧げたささやかな敬愛は必ずや、その相手に共振するんです。

***

私がブログを始める、キッカケになって下さった、“敬愛するブロガー様”へ。
あなたは、私が捧げた密やかな敬愛の心へ、共振しようとして下さってます。

けれど、生来鋭敏すぎる五感が、身体の内外から細かく大量に受け取ってしまう、あなたの“感覚情報”は、量も質も他の人達と異なっていたから。“事実情報”を共有することでしか、他者と繋がることが出来なかった。

今のあなたが、行動化を通じて天然自然に、他者への敬愛を示す方法を”知らない”のは、心の発達や脳の機能様式の違い、すなわち地球上のあらゆる生命を司る、万世普遍の原理=多様性の所為。

ですから、まずは、ご自分の多様性を否定せず、承認して下さい。
それから「多様性の承認」という行動を、周りにも向けて下さい。

見解の相違・価値観の違い・嗜好の差異……あなたと他者との間には、数え切れないほど、“事実情報”の共有に齟齬が生じていることでしょう。でも全ては、万世普遍の原理=多様性の所為なので。

全能の神でもないのに、それら齟齬の存在を否定することは、
傲岸不遜ではないか?と私は思うのです。

中にはどうしても、あなたのnegativeな “感覚情報”を喚起して、承認し難い“事実情報”もあるでしょう。 あまりに強烈な嫌悪感で、ワーキングメモリが飽和してしまうことも、あるかもしれません。

でも、negativeな “感覚情報”を、そのまま行動化するのは、危険なのです。
否定する心も、必ず相手に共振して、あなたへの否定になってしまうから。

あなたにとって承認し難い“事実情報”は、ひとまず文章に書き下すことで、ワーキングメモリの“感覚飽和” を、回避できるかも知れません。あまりに強烈な嫌悪感を喚起された場合は、それも一緒に書き出しちゃいましょう。

少し落ち着いたら、今度は、あなたのpositiveな “感覚情報”を喚起する、好ましい“事実情報”を書き足して。相手について、思いつく限りの事実情報”を、1枚の紙面上(PCやタブレットの、ワークシートでもOK)で、総覧できるようにします。

さて、ここに至っても、その齟齬は依然として、承認しがたい存在ですか?
敬意の念の対象や、仁愛の向く先が、発見できない残念な御方でしょうか?
どうにも判断に迷う場合は、個々の“事実情報”へ、重み付けしてみて下さい。

ジックリ吟味して戴いた上で、猶、あなたが承認すら出来ない相手は、「敬愛申し上げるに相応しい御仁ではない」と結論して差し支えない、と私は考えてます。

あなたの公平で誠実なお人柄は、重々、信頼申し上げておりますから。

ただし、そこまでの悪人は、滅多にいないものですし。仮に、そんな御仁に出逢ってしまったら、むしろ遠ざけるべきで。その節は、別途お知らせ下さい。

長文、失礼致しました。
より良き処を目指す、あなたの険しい道を、些かでも照らす灯となれば幸甚です。


2014年12月9日火曜日

愛されなかった天才

山下清『視覚の天才』だとすれば、司馬凌海は“聴覚の天才”だった。

しかし『放浪の天才画家』が、肉親や支援者や、彼の作品を愛好する無数の人々に、早世を惜しまれつつ逝去したのに対し。佐渡新町の富裕な商家に生まれ、神奈川戸塚の旅籠で、誰にも看取られることなく世を去った『語学の天才』は、官職も位階も剥奪され、明治維新の混沌に茫漠と埋もれてしまった。

サヴァン症候群あるいは自閉症スペクトラムを強く示唆する、司馬凌海の『奔放不羇な性格』を、今、窺い知ることが出来るのは。

同じく偉大な先達の姓を肖った司馬遼太郎御大が、当時の記録・逸話を丹念に蒐集・再構築し、歴史小説『胡蝶の夢』に登場させた「島倉伊之助」の、強烈かつ難儀な“個性”として、精緻詳細に活写して下さったおかげだ。

さもなくば、医学を『日本語で最先端のところまで勉強できる』『自国語で深く考えることができる』礎に、我が国が恵まれたのは、幼名を伊之助、長じて「海を凌ぐ」と傲岸不遜にも取れる名を自称した男に、天が賦与した“異能”の賜物だと。

今に生きる私達が、百三十余年前に世を去った“聴覚の天才”へ、深謝する機会は、たぶん永遠に失われてしまっただろう。

***

『胡蝶の夢』は、幕末・維新に同期して、一息に西洋化を果たした日本医学界の、紆余曲折を鮮烈に描出した作品だ。

第一の主人公は、松本良順

将軍家・奥医師の婿養子となるも、蘭方医学への熱意止みがたく、幕末の長崎に医学伝習所を開設。江戸にも西洋医学所を創立するが、在京・在阪の一橋慶喜・徳川家茂を往診した折、新選組との親交を深めた縁から、戊辰戦争で野戦病院の指揮を務める。仙台で官軍に降伏、のち赦免されて、維新後は山縣有朋らの推挙を請け、帝国陸軍の初代軍医総監となった。

良順先生こそは、勇気果敢・積極能動。“行動化の瞬発力”の体現者だ。

幕末・維新の混沌に怯むどころか、むしろ機に乗じて旧弊を除き、四民平等の世を切り拓くべく挑んでいく。遼太郎御大の歴史小説ではお馴染みの、坂本龍馬土方歳三を想わせる“個性”で、当初は彼一人を主人公とする構想だったかとも拝察する。

けれど、連載開始に当たり、著者が長編の稿を起こしたのは。

幼い頃から聞かされた、「佐渡は波の上」という常套句の比喩を解さず、字義の通りに受け取って、『波の上なら舟のように揺れるはずなのにどうして揺れないのか』と訝しむ、第二の主人公・島倉伊之助の“こだわり”を記述することからだった。

続く文章は、伊之助が生まれ育った故郷の風土を、紀行連作『街道をゆく』でもお馴染みの、簡にして要を得た筆致で、しかし鳥瞰図を展開するかのように、広大かつ明朗な眺望として、描出していくのだが。

『波の上に井戸があってたまるものか』
『波の上にこんな大きな山があるはずがない』

と、十歳になって猶、『波の上』という言葉の表面的な意味にこだわり続け、奇妙な疑義を呈する、伊之助少年の特異な“個性”も、再々巧みに織り込まれる。

執筆当時、サヴァン症候群自閉症スペクトラムの情報は、未だ手に入れ難かった筈なのに、あたかもそれらに精通していたかの如く。島倉伊之助こと司馬凌海が、生涯を通じて周囲から疎まれた、良く言えば『奔放不羇な性格』、有り体に言えば障害特性の異様を、精確に看破した著者の慧眼こそ、心底驚嘆に値する。

然れど、遼太郎御大の闊達な筆は、明晰鋭利なだけではない。機会のある限り『言語という言語を無限におぼえた』伊之助の、『異能としか言いようのない記憶力』つまり他者から唯一、重宝された『語学の天才』こそが、彼を温和な故郷から引きずり出した“災厄”だったと、『涙ぐむような悲しみとともに』慨嘆している。

その哀惜が著者をして、第三の主人公・関寛斎を登場させたのだ、と私は思う。

《以下『胡蝶の夢』のネタバレ(って歴史小説なんですけどw)御注意!》

2014年12月6日土曜日

『励ます力』の連鎖

私事で恐縮ですが、先週末から今週始めにかけて、身内の不幸があり。
故人は高齢でもあり、数年来の患いに、恢復の見込みは無かったので。

配偶者が万事周到に、準備していて下さったことから、私自身が格別の御用を仰せ付かる必要は、無かったのですが。それでも交々に耽る想いがあり、数日間、更新が滞ってました。

さて、上記の報せが届く直前、思いも寄らぬ、ありがたい出逢いに恵まれました。

にほんブログ村「発達障害」カテゴリで、『グレーな卵、金の卵になあれ』というブログを書いてらっしゃる『ひなママ』さんから、『コメントを そのまま記事としてアップしていいですか?』というご提案を戴きました(2014/11/28公開『「強迫観念」と「こだわり」』という記事に寄せた一文)。

『ひなママ』さんは臨床心理士としてお勤め、しかもカテゴリ上位のブロガーさんですから、光栄の余りピャーッとなりつつ……厚かましくも、逆リンク張らせて戴いちゃいます!超絶嬉しいのでw

   >>『「こだわり」行動まとめ・これは当然であり平常なこと』

ひなママさんが持ち前の“行動化の瞬発力”で、迅速なコメント紹介をして下さったのに、御礼の記事がすっかり遅くなってしまいまして、誠に申し訳ございません。

それから、この件に先立つこと数日、同じくひなママさんの、2014/11/20公開『母が助けてくれたひと言・それはすごくエキセントリック』という記事で、遣り取りさせて戴いたコメントを契機に。

やはり「発達障害」カテゴリで、『発達障害な僕たちから』というブログを書いてらっしゃる、当事者のお二方・大統領さん&ヒロさんと御縁が繋がりました。
以後、数件寄せさせて戴いたコメントを、昨日公開して下さったようなので。
これまた図々しくも、逆リンク張らせて戴いちゃいますよ!

  >>『程度の悪いアスペな俺 THANK YOU MR くそじじい ヒロ』
  >>『ヒロ、むかつく男だね、あんたは!! 大統領』
  >>『2つの悲しみ 大統領』
  >>『第三者からの「承認」 大統領』
  >>『突然の訪問者、70近いおじいさんの正体とは 大統領』

NPO法人青少年生活就労自立サポートセンター名古屋の、スタッフの皆様、内容確認のお手数をお掛けしまして、恐縮です。コメント公開、ありがとうございました!

さらに加えて、本日の記事タイトルでオマージュさせて戴いてるのは。
“小説家たる心の師匠”こと、Z会進学教室・渋谷教室長の長野正毅先生が、来年早々に上梓なさる御本の題名だったり。

配色やフォント、文字の大きさや配置……一見、無難なようですが、
実は精緻な配慮の元に、スッキリと上品な、それでいて静かに注意を促す……
著者のお人柄をそのままに表現する、デザインを目指して下さったんだなぁと感じた書影

長野先生もまた、にほんブログ村「高校受験(指導・勉強法)」カテゴリで、長年上位を維持してらっしゃる『長野先生の幸せに生きるヒント』の書き手です。

ノーベル賞の栄誉に輝いた、天才的な理論物理学者も。
障碍当事者さんを支援する、臨床心理士もサポートスタッフも。
受験生と保護者のみならず、読者全てに「幸せ」を教える小説家兼塾講師も。

発達の凸凹が あってもなくても。 学校の成績が 良くても悪くても。
未だ見ぬ将来へ思いを馳せ そこに生きる子ども達・若者達の幸せを願う。

『励ます力』の連鎖を、一介の素人字書きもまた、繋ぎ続けて行こうと思ってます。