その病の名を知ったのは、私が小学2年生だった時。
一冊の児童書に綴られた、不思議な物語の中だった。
本の題名は『びんの中の小鬼』
作者はロバート・ルイス・スティーヴンソン
私が“一番好きな童話”にして“至高の恐怖譚”
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現在手に入る本は、『びんの悪魔』あるいは『壜の小鬼』と改題されている。
そして本文中に、その病名は明記されていない。前者では『当時「中国の悪魔」とよばれていた、おそろしい伝染病』、後者では単に『疫病』と訳出された。
福音館書店の世界傑作童話シリーズにあっては、訳者あとがきでさえ『“中国の悪魔”という病気』と記すのみ。岩波文庫版は訳注で、その疫病を発症した患者達の療養所が、かつてモロカイ島北海岸のカラウパパにあった旨、端的に言及している。
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40年前に読んだ『びんの中の小鬼』では、『らい病』と明記されていた。
抗酸菌の一種である『らい菌 (Mycobacterium leprae)』が、皮膚のマクロファージ内および末梢神経細胞内に寄生して、引き起こされる感染症。ゆえに『らい病』という命名は、至極当然にして客観的だったのだが……
「病気への理解が乏しい時代に、その外見や感染への恐怖心などから、患者への過剰な差別が生じた時に使われた呼称である」ため、偏見・差別を助長する含意を帯びるに至り、歴史的文脈以外では“禁句”となった次第。
代わりに現在、用いられている疾患名は『ハンセン病』。1873年に『らい菌』を発見したノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセンの姓に由来する。
《以下、邦題『びんの中の小鬼』『びんの悪魔』あるいは『壜の小鬼』他、『The Bottle Imp』のネタバレ御注意!》
今は『びんの悪魔』『壜の小鬼』と名を変えた童話の中で、主人公の青年は言葉巧みに丸め込まれ、乳白色の小さなガラスびんを売り付けられる。
表面が虹色に変化して輝く不思議なガラスは、地獄の炎で焼かれたもの。びんの中には一匹の小鬼が封じ込められていて、持ち主が「欲しい」と口にするだけで、何でも望みを……ただし寿命を延ばす以外なら……叶えてくれるという。
無論、うまい話には“条件”が付きもの。しかも悪魔が持ち込んだのだから、びんの持ち主が死ぬと永遠に地獄の炎で焼かれる、という“仕様”は定番だ。しかし、命が尽きる前に買った時より安い値段で売れば、地獄行きは免れられる。
この“設定”だけで、スジを先読み出来ちゃう皆様も、少なからずおられるだろう。
青年は所持金の全額、すなわち『49アメリカドルとチリの硬貨で1ドル』を渡して『壜の小鬼』を手にした途端、叔父が遺した莫大な財産を相続し、望みどおりの美しい家を建てた後、首尾良く友人に悪魔のびんを売り渡すのだが……
一目で恋した乙女への、求婚が承諾された夜、不治の業病に罹ったことを知る。
恋人への愛を貫くため、小鬼の魔力で『おそろしい伝染病』を治癒することを決意した青年は、紆余曲折の後、わずか1セントで悪魔のびんを買い戻すけれど。最早他人へ売り渡すことが出来ない、地獄行きの宿命に直面した瞬間……
健康な身体も 美しい家も 愛する妻も
全ての希望は、その光を失ってしまった。
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小学生向けの、世界傑作童話シリーズなればこそ。物語の顚末も、先読み出来ちゃう方は少なくないかも。端折って言えば、若い夫婦の互いを思い遣る“自己犠牲”が、遂に二人の魂を救った!という“A Spiritual Happy Ending”へ帰結する。
なのに当時の私は、読了した後も猶、この童話が恐ろしくて堪らなかった。箱入りの児童書を、あたかも“悪魔のびん”そのものであるように忌み嫌い、挙げ句の果てに、本棚から落としたフリを装って、学習机の裏へ押し込んでしまった。
幼い私の手に余った恐怖譚の所以は、大人になった今ならよく判る。大きな苦難に打ち勝った若く勇敢な夫婦の“自己犠牲”を賛美し、『ふたりは、ずっと幸せに暮らしている』と目出度く結語する一方、この物語は不幸な人々を救わない。
健気な若妻の頼みを聞き入れ、悪魔のびんの仲買に手を貸してくれた、結核を患っていると思しき、咳に苦しむ『年老いて貧しく、島に身寄りがないよそ者』も。
真実を知って改心した主人公に頼み込まれ、2サンチームで若妻から悪魔のびんを買い取った、地獄行きも厭わない『下品で嘘つきの』元『捕鯨船の水夫長』も。
敬虔なクリスチャンとして育った子どもなら、「主人公たちの“自己犠牲”をご覧になった神さまが、きっと『身寄りがないよそ者』や『捕鯨船の水夫長』の姿で、救い主をお寄越しになったのだ!」てな一件落着も可能だったのだけれど。
あいにく母方の田舎で「悪人正機」を説いた「親鸞さま」の伝記マンガを、読み耽ってた子どもだったので。
物語の最後で、真の幸福を手に入れた、若く美しい二人よりも
悪魔のびんを抱え込んだまま、闇に消えた、水夫長の姿が……
『先祖の地を遠く離れたモロカイ島の、断崖絶壁にさえぎられた辺境の地カラウパパで』『らい病』にゆっくりと身体を冒されていく他、術の無かった人々と同化し、深く心に刻まれてしまった。そして、彼が目の前に現れたなら……
自分は、悪魔のびんを、1サンチームで買い取れるのか?
病苦と偏見に苦しむ人々のためにこそ、魔力を使えるか?
私利私欲の軛から解き放たれ、『全体の意志』『全体の知恵』を近しく感じつつ。
若く美しい善良な魂のみならず、罪障を覚悟して地獄行きの自棄に沈む魂も、辛苦と差別に苛まれて絶望した魂も、等しく敬い愛することが出来るのか?
そう問い掛けてくれる物語ゆえに、『びんの中の小鬼』は
私が“一番好きな童話”にして、“至高の恐怖譚”なのである。
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