2017年5月9日火曜日

An Easy Lonely Mathematician

保育園で『危うさ』を指摘された際に専門医の診察を受けていれば、高機能自閉症という診断が銘記されたであろう、拙宅の娘。彼女が抱える「多様性」は、3年前の初冬に亡くなった父方の祖父から受け継いだ可能性が、最も高いだろうと私は考えています。

私からすれば義理の父に当たるご老体は、本稿に題したとおり数学者として至って気楽な、しかし元来希薄だった他者への関わりを遂に一切喪失し、旧知とは全く疎遠な最期を迎えました。死因は肺炎でしたが、認知症の診断で随分と長く入院していたのです。

退官時に名誉教授職を拝命するまで大学での任を果たした義父でしたから、弟子に当たる方々も幾人かおられたようです。けれど義母は、認知症という病状を報知する件に越えがたい逡巡を感じたらしく、近親のみが集い密葬を執り行った後、不肖の嫁が急ぎ用意した喪中ハガキの文面で公の関係への御挨拶に代えさせて戴く仕儀に至りました。

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診断は義父の年齢から認知症ということになったものの、運動機能の急激な低下で始まった病状は、娘の「多様性」へ緊密に接していた私から見ると自閉圏当事者の主訴とも感じられました。つまり義父の経過は、娘の育ちを逆行しているように思えたのです。

大学を退き故郷へ移転した後も、非常勤講師や翻訳(数学者の習いで、英語と露語が使えました)のお声掛けを頂戴している間は、悠々自適の隠居生活を愉しんでおりました。しかし体調を崩し仕事を一旦お断りした途端、あっと言う間に知識・知能が衰退していきました。

ただ、他者と関わり社会と呼応する知恵については、終生自得に至れなかった模様。専業主婦の義母が「毎日」を仔細綿密に支え続けたからこそ、実の娘(私にとっては義理の姉)と隔絶しながら、当人的には安閑のうちに孤高の人生を全うし得たのだと思います。

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義理の姉が何を厭うたゆえに、孫に当たる長女長男を実父の告別にさえ参列させぬほど疎遠になってしまったのか? 理系な弟嫁には2年半経っても依然、不詳なままです。

元より「変なお母さん」を自称し不調法を憚らぬ私ですから、子を二人ともに小学生から受験勉強へ邁進させた義姉とは、お世辞にも相性が宜しかったワケがなく。実弟に当たる夫の方も長年の無沙汰を解消する機微は無いため、以下は推察に過ぎませんが……

義姉が嫌厭し続けているものの正体は、父や弟とは違って「普通」の枠から外れることが出来なかった彼女自身の「平凡」かも知れない、と私には感じられてしまうのです。

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義姉の長女(拙宅の娘にとっては、2歳年長の従姉妹)は中学生の時分からいわゆる美術予備校へも通った後、念願叶って私立美大の双璧へ現役合格しました。とは言え、それ以降の様子は義母から伝え聞く限り、八王子と小平のどちらを選んで学んだのかも、順当に進級していれば卒業した筈の今年度はどんな進路を選んだのかも、残念ながら分かりません。

また昨年2月に拙ブログで言及した長男A君の件は、義姉の夫君(拙宅の娘にとっては伯父)から義母へ、一周忌に次いで三回忌へも不義理を重ねる陳謝と併せ1年遅れながら二度目の挑戦で志望校へ入学叶った知らせが、予備校の合格体験記公開と同じ頃に届いた由。

努力の義務履行に見合った「肩書き」を名乗る権利行使、例えば「△△大学の★★学部生」といった所属意識は、人格を構築していく基盤として確かに大切ですけれど……

生まれ持った多様性を保護者が疎外/当事者が卑下していることで「育ち」の大局を歪めてしまう第一の分岐こそ、最優先で手厚く顧慮すべきでしょう。「普通」の枠から外れていない兄弟姉妹へも人格を尊ぶ敬意と個性を言祝ぐ仁愛を向けることは、お子さん達の「毎日」を支えるご家族にとって等しく重視されるべき要諦と私は考えています。

>>後篇『A Hasty Lonely Cassandra』へ続く

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