自分が修めた専門、あるいはraison d'êtreの一部に関わる事案が続いたため、この十日ばかりはGoogle+の方に、敢えて注力してました(あ、メイドとテニスと色鉛筆画と『名探偵ポワロ』関連は、趣味の一環w)。
全般に言えるのは、皆さん一様に真摯である、ということ。
決して不真面目だったり、当初から不誠実を企んでいたりした訳ではなく。“当事者”とされる方達は勿論のこと、客観的には“衆愚”と称されても致し方のない、negativeなコメントを書き散らかしてらっしゃる方達に至るまで。
総じて、御自身が良かれと思う遣り方で、頑張っておられる。
それなのに、全体として好ましい結果が生じていない。
あるいは、明らかに誤謬としか言い様がない事態に、陥ってしまった。
理由は存外単純で、『頑張る』という行為は本来ベクトルであるべきなのに、スカラーだと誤解している方が一部いらっしゃって、しかも少なからぬ影響を状況に及ぼしてしまっているから…と私は解釈しています。
つまり、“当事者”を構成する個々人の『頑張る方向』が揃っていないので、総体として望ましい成果が上がらない、ってことですね。
私自身は常々、一人の人間が感じて・考えて・選んで・決意したことを、自分の評価基準に合わないという理由で、一概に否定したり拒んだりは決してしない旨、矜恃と心得ておりますが。『決意』に相応しい覚悟を伴なわぬ行為、もしくはメタ認知を欠いた主義主張は、個人的嗜好に過ぎないと一蹴させて戴く所存。
その上で、“当事者”の決定権を担うべき方から、糾弾コメントを書き込み続けて居られる方まで、皆々様へ是非お訊ねしたい。
『ウチは別格』という慢心を、矜恃と履き違えてはいませんか?
『頑張る方向』を揃えないのが、革新だと勘違いしてませんか?
明白な誤謬に陥った原因を、他人の所為だと転嫁してませんか?
今日有る状況を他山の石と成すべく、書き留めておきます。
0 件のコメント:
コメントを投稿