2014年10月30日木曜日

メガネの極意

娘は、小学2年生。
私は、小学3年生。
そして相方は、小学4年生。

というのが一家揃って単純近視、メガネ女子&メガネ男子揃いな拙宅の“メガネデビュウ”学齢。娘と私は「本ばっかり読んでたから」、相方は「時刻表ばっかり読んでたから」と、原因は『環境説』ということで全員の意見が合致してます。

当人が掛けてるから……なのか、何なのか。

所謂メガネキャラが萌えポイントである点も、合致していて。例えばアニメの『PSYCHO-PASS』では、主人公たる「朱ちゃん」と「狡噛さん」の御両人を差し置いて、娘ともども「宜野座さん」が断然!必然!絶対!の一押しキャラだったりw

相方は「俺は特に、メガネ女子への執着無いけど」とか冷静を装いつつ、『書生葛木信二郎の日常』に登場する「大室 丹 先生」の超絶貴重な水着姿(無断リンク、平にご容赦!!!)に「をを!すっげーメニアックじゃね?」とメチャメチャ反応してたりw

で、ここから先は、夕食の膳を囲みながらの馬鹿話、なのですが。意想外に、かなり説得力がある(?)屁理屈を展開できたかも〜と自負してる次第を、記録として残しておきます(あ、一家揃って「屁理屈、上等!」な考察好き、でもありますw)。

まず、筋金入りのメガネ男子萌え(あ、私です)の主張は、「弱点を顕わにしている所」こそが最重要ポイント! 

具象的表現としては、“世界一(?)有名なメガネ男子”こと「のび太くん」の『メガネ、メガネ』すなわち両手を前へ伸ばし、メガネを探してる姿が代表的ですねv

つまり、視力が悪いというハンディキャップを表象する事によって、保護欲ないし庇護欲すなわち萌えの代表的「感情」を喚起する、という戦術なのです!(と、大先達・藤子・F・不二雄先生がそこまで意識して居られたか、は不明ですけどw)。

実は前出の宜野座さんの場合、何を隠そう“伊達メガネ”だったんですが。
アニメ2期では、メガネを外しちゃって……誠に、残念至極)

『父に似た自分の目元が嫌いという理由で掛けていた』との1期設定は、すなわち「父に対するコンプレックスこそ彼の弱点」という隠喩表現なのです!(と、メタファが大好物な虚淵 玄氏であれば大いに有り得る、と勝手に深読みしてますw)。

そして、冷静を装いつつ「屁理屈、上等!」な考察欲求(?)に弱い、相方が主張する事には「女子のメガネは、すっぴんと同義」こそが最重要ポイント! 

つまり審美的に優位なコンタクトレンズを敢えて使わない飾り気の無さが純粋な好意や愛着というこれまた萌えの代表的「感情」を喚起する、という解釈(でも大室先生が御活躍の大正時代は、未だコンタクトレンズは無かったんですけどw)。

然りながら、嘗て見合い結婚全盛だった数十年前は、良縁に支障する“欠点”でしかなかったメガネが(我々の両親の時代は、そうだったみたいですよマジで)『萌えのジャンルの一つ』として、むしろpositiveに捉えられるようになった訳で。

日本から発したsubcultureの、多様性をそのままに愛でる懐の深さは、大いに言祝ぐべき“美点”だよなぁ……と、それにドップリ魅了されてる自分自身の心理をも「屁理屈、上等!」な考察で解題してみる、秋の一夕でした。


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