そういえば萩尾望都先生の最新作『AWAY -アウェイ-』第1巻も、主人公がメガネ男子なんですよね……
物語の“主役”は、カバー表に描かれた鹿賀 一紀(カガ カズキ・中学2年生)嬢に違いないんですけど。第1巻収録の、世界が『メチャメチャ』になって十日余りが経過した「4月1日」と、日付が変わるのとほぼ同時に各国で“異変”が起きた「3月21日」は、彼女のイトコに当たる大熊 大介(オオクマ ダイスケ・高校2年生)君の視点で語られます。
なんとなれば大介は、『榛野市のイケメン』『ミスター榛野』と称され、みんなから人望を寄せられる『桜木台高のプリンス』なので。高校生を束ねるリーダーとして、大人たちが消えてしまった町で、残された子どもたちを守るため、八面六臂の活躍をせねばならなかったから……
十代の少年少女が、就学年齢に達していない『小さい子』は勿論、生後間もない『赤ん坊』の生命まで預かる事になる設定は、確かに小松左京御大の短編小説『お召し』ですが。原案どおりの12歳以下の小学生達ではなく、中学生・高校生が次々に勃発する難題へ、大人の手を借りず対処せねばならない状況は、『11人いる!』あるいは『トーマの心臓』で描かれたモチーフの、“変奏”でもあります。
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『トーマの心臓』の舞台となったシュロッターベッツ高等中学には、何人かのメガネ男子が脇役ながら登場してるんですけど。同級のヘルベルトも、一学年下のレドヴィも、最上級生のバッカスも。メガネを掛けた生徒達は共通して、みんなから人望を寄せられる『委員長』ことユリスモール・バイハンの、品行方正・成績優秀で優等生然とした振る舞いに、むしろ懐疑的な眼を向けます。
更に、『八角メガネ』を掛けて登場する、サイフリート・ガストの役回りを考え合わせると。極めて勉強熱心な『委員長』でありながら、メガネを掛けて“いない”主人公・ユリスモールに対峙するメガネ男子達は、一見して非の打ち所が無い優等生の、ずっとひた隠しにして来た弱点を、時に冷静もしくは冷淡な、時に酷薄あるいは残忍な視線で、暴き出す存在だったりするのです。
然りながら、自らメガネを掛けて“いる”主人公・大介は、『桜木台高のプリンス』としてリーダーシップを発揮しようと、懸命に努力しつつも、ちゃんと動揺したりテンパったり、時に遣り場の無い憤りをぶちまけたり。自身の弱点を顕わにする事に、何の屈託もありません。
でも……カバー裏に描かれた大介は、メガネを掛けてないんです!(とは言え萩尾先生が、その点に何らかの意図を込めてお描きになったのか、は不明ですけどw)。
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物語の行方は、大人たちが消えてしまった町で、今後ますます、大変な事態が生じていくに違いないんですけど。萩尾先生がこれまで描いていらした、時に極めて深刻もしくは残酷な、あらゆるモチーフの“変奏”を交々満載しつつ、『AWAY -アウェイ-』の空気はちっとも重苦しくない。むしろホッとするような、『11人いる!』を想起させるイイ感じのゴタゴタ感があります。
多分それは、舞台となっている『榛野市(ハンノシ)』のモデル、すなわち萩尾先生がお住まいになってる飯能市の空気が、反映されてるんじゃないかなぁ、と拝察(あ、娘が まだ小学生だった頃、偶然ですが品川に住んでて、飯能まで何回かお邪魔した御縁がありましてw)。
子どもたちが抑圧される事なく、ちゃんと動揺したりテンパったり、自身の弱点を顕わにする事に、何の屈託も抱かず暮らしているhometownで。
時に冷厳あるいは酷薄なメタ認知が命ずる“描かねばならぬ事”ではなく、心が天然自然に“描いてみたくなった事”を創作のhome groundたるSFで。
自由闊達に物語って下さる萩尾先生へ、“Welcome back to your HOME !”と言祝がせて戴きたくなる最新作ですv
#9月半ばより始まった怒濤の“秋季コミックスレビュウ”は、これにて完結!
#お時間許す範囲で、他の5篇にも御笑覧を賜れますと幸甚です。
>>第1回『奇譚の日常』
>>第2回『日常の奇譚』
>>第3回『『それ町』第13巻感想!』
>>第4回『日常の偶然・必然の奇譚』
>>第5回『エゾノー発・イーハトーブ行』
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