2018年4月27日金曜日

カサンドラの孤立

「普通」なら大人になるまでに自然と出来るようになることが、何歳になっても出来ないまま看過され、思春期以後の学校生活への不適応や、成人しても社会参加できない状況へ陥ってしまった……端的に言えば、それが「発達障害の二次障害」です。

しかし、二次障害を契機に全く意想外だった発達障害の診断が我が子へ下されても、それは金輪際「伸びない」と断定する烙印ではありません。当事者の成長を心から「待ち設ける」ご家族の支えがあれば、ゆっくりですが確実に「伸び行く」可能性を潜在させていますが、いかがしますか?と未来の選択を問うている informed consent なのです。

ところが、親御さんに「待てない」ご事情があり、療育されなかったお子さんが「伸びない」まま二次障害へ陥ったとしても、親御さんの「学び」が叶えば障害の受容と支援への信頼に基づいた当事者本位の「合理的配慮」で過去への後悔を払拭し、我が子の二次障害回復と社会適応という未来へ進めるのに、学ぶどころか不信感・被害感を我慢できず攻撃的にしか反応できない「親の障害」が、特に深刻なケースで散見されます。

前回の記事では、殊に重篤な二次障害は当事者の『ほとんどがアスペルガーという分析、そしてネット上で多くのお母様がたが家庭内に差異をめぐる不和や対立先行していた経緯を吐露なさっている旨をヒントに、「親の学び」を支障する主因は、相当数のケースで「カサンドラ情動剥奪障害」なのではないか?との仮説を考察しました。

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では、お子さんの養育を主導してきた親御さん(多くの場合は子の母親)が、一等親(多くの場合はお子さんの父親)もしくは二等親血縁者(お子さんの祖父母のいずれか)との継続的なコミュニケーションの不全に疲弊・消耗した結果、「カサンドラ」状態へ到っていた旨を強く示唆するケースだと、「待てない」事情は一体どんな「親の障害」まで極まってしまうのか?

第一に「カサンドラ情動剥奪障害」を思わせる親御さんは、歯に衣着せぬ不調法をご容赦願えば「待てない」と言うより非常に「せっかち」です。お子さんの二次障害を契機に「親の都合」で直接の指図を我が子へ下す癖は辛うじて自重できたとしても、日常的に苛まれておられる混乱や当惑/不安や罪悪感ゆえ「そうせねば(自分が)迷子になってしまう」との強迫観念に駆られ、我が子の進路を性急に決したがるご様子。

大学の相談室や就労移行支援事業といった当事者支援へ我が子が繋がれても、むしろ親御さんの方が足繁く面談へ赴き、されどその内容は概して「カサンドラ情動剥奪障害」の可能性を想定していない限り)ご家庭内のいざこざから生じた愚痴に過ぎないので、支援のパフォーマンスを著しく削ぐばかり。担当者とトラブルを起こして「モンスターペアレント」認定され、お子さんへの支援を途絶されてしまった例さえお見かけしました。

かと思えば「親の都合」で設定してきた進路をお子さんが踏み外した途端、親御さんご自身の自己嫌悪・自己喪失が我が子に対する関心へ反映され、「期待していた私がバカだった」「生まれつきだったんだから障害者枠で就職するしかない」との短慮を即座に実行。当事者の自己理解を導く暇も無いわずか数ヶ月の就労移行支援で、二次障害の傷心も癒えぬままのお子さんを障害者雇用へ追い立てる例が後を絶ちません。

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第二に「カサンドラ」状態へ陥っている親御さんは、僭越な物言い誠に恐縮ながら「待てない」と言うより「見えていない」のです。その自覚はご本人にも重々あって見聞を広めよう・知識を増やそうと努力なさる勉強会や講演会へ熱心に通う等)のですが、ご自身の感覚・感情に強く囚われておられる(自閉圏当事者が陥る負荷過剰(メルトダウン)に酷似しており「カサンドラ情動剥奪障害」「鏡症候群(ミラーシンドローム)と旧称された所以)ため、効果は薄い模様。

「アスペルガー」「カサンドラ」という言葉・概念は「知っている」のに、差異をめぐる不和や対立を常時勃発させているご家族とご自分の関係性に対しては応用できず、自身を取り巻く状況が「見えていない」まま疾うに「迷子になって」いるのです。進むべき道を見失った時は、子どもであれ大人であれ周囲に援助を求めるのが鉄則ですが、自閉圏当事者(多くの場合はお子さんの父親、あるいは祖父母のいすれか)が潜在していた家庭内で家族全員のフリーハンドを仕切って来たゆえに、援助の求め方も「見えていない」。

「せっかち」の具体例で前述したように、他者を信じる/委ねるという感性がすっかり摩耗し相手へ縋り付く/さもなくば拒むという二択の人間関係しか結べなくなっているので、家族外でも「モンペ」「毒親」と非難されている(お子さんの問題点を指摘されただけで、そう感じてしまう)不信感・被害感の傷心を、享楽的・刹那的な交友で紛らわせる自転車操業の精神生活しか営めない。それが更に「せっかち」を加速する悪循環を絶てません。

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もちろん拙ブログの本旨は、「待てない」事情から「親の障害」へ極まってしまった旨を責めることではございません。我が子の未来を短慮で諦めてしまう前に、あなたの心の奥底で道を見失い途方に暮れている「迷子」を、先ず助けて戴きたいだけなのです。

ここまで閲覧下さって尚「勝手にウチの内情を書き立てられた!」との被害的な反応しか心に生じなかったとすれば、それこそ「カサンドラ」状態へ陥っている証左。ご自分が感じておられる「どうして私はすぐキレるのか」という自己嫌悪を迂闊に放置せず、お子さんの発達障害を診て下さっている主治医を、親御さん自身も受診して戴きたい。

診断名は気分障害や発達障害と下されるかも知れませんが、専門医が準拠するアメリカ精神医学会の診断基準「カサンドラ情動剥奪障害」が未だ含まれていない所為です。お子さんの養育を主導してきた、言い換えればご家庭を主導なさってきた親御さんが思い切って医療へ繋がれば、長年に渉って受け続けた不信感・被害感の傷心へのケアが実現できますし、ご家族全体のQOLを改善する方策も実行に移しやすくなるでしょう。

「せっかち」だから「見えていない」↔「見えていない」から「せっかち」という悪循環で極まった「親の障害」へ、一例でも多く向き合って戴けるよう願って止みません。

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