以前、『三度の飯より』と題して綴った次第で、同年齢の子達に比べれば、文章の“在庫”はそれなりに多かった。
親に促されて自分でも詩のようなものを作り、新聞の地方版に幾度か掲載して戴けたこともあって、小学校に上がった時には、すっかり散文書きが得意なつもりに。
春の遠足を主題に、生まれて初めて書いた作文は、冒頭『先生!』と担任への呼びかけで始まる、大人へ媚びた演出が満載の、思い返せば顔から火を噴きそうな(違)代物だった。我ながら小賢しさが鼻につく、イヤな子どもである。
とは言え当の担任は、私の「先生って何歳なんですか?」という、これまた今思えば失礼極まりない問いにも「百歳だよ(ニヤリ)」と返す、茶目っ気たっぷりな女性で。
いつも鷹揚かつ丁寧に、幼い知恵を精一杯絞った文章へ、大小の花丸を賑々しく大盤振る舞い。私が得意げに鼻の穴を膨らませつつ、返却された原稿用紙に見入る様子を、優しい笑顔で見守って下さっていた。
しかし先生のお心遣いは、母の親バカを全開させる事態に至る。夏休みには鼻息荒く、読書感想文の課題図書だった『モチモチの木』を読むよう、申し付けられた。
大胆にして研ぎ澄まされた描線と、素朴にして洗練された彩色の挿画に、朴訥な語り口と単純な展開を装いつつ、巧みな場面構成で読者を魅了する本文が配された絵本は、今にしてみれば、滝平二郎・斎藤隆介両巨匠の最高傑作だと思う。
とりわけ、斎藤先生にしては珍しく、説話めいた予定調和や教訓を一切排除したプロットが、人里離れた峠の猟師小屋でつましく暮らす、祖父と孫の情愛を趣深く描出して、誠に素晴らしい。
しかも主人公は『女ゴみたいに』色白で臆病な5歳の少年・その祖父は64歳にして『岩から岩への とびうつりだって』やってのける現役猟師・終盤には頼もしいお医者様まで登場!てな具合で、脱線恐縮だが現在なら個人的萌えポイント満載w
然りながら、当時はとにかく文字に餓えていたから、呆気ないほど短い上、劇的とは言い難い物語に、妙味を見出すべくもなく。何より生意気盛りの私には、年少組でとっくに卒業した筈の“絵本”を、強いて読まされたことが不服でもあった。
気乗りしないまま書いた文章は、当然、母親からケチを付けられダメを出される。
斯くして私は、作文が得手なのに「読書感想文だけは苦手」という呪縛を受けた。
さて、夏休みもいよいよ最終週。
読書感想文にお悩みの、お子様・保護者の皆様におかれては、如何なる名作であっても好きにはなれぬ本を、ゆめゆめ課題図書にはなさいませぬよう。感想を書く当人が愛読できる本を選ぶことこそ、呪縛を封じる唯一の護符でございますゆえ……
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