2015年1月11日日曜日

書籍化する力【追補】

インターネットコミュニティで無料公開されていた「作品」が人気を博し、然るべき出版社から書籍化される、と言う話は昨今、枚挙に暇が無いけれど。

昨年秋から今年初めに接した2件の事例は、「書籍」について多面的な思索を巡らせたり、妄想深読みを赴くまま爆走させたりする契機を与えて下さった。

端的に言えば、受け手の側からすると、「無料→有料」「無形→有形」という関門が生じることであり。作り手の側からすれば、「受動的な消費者」に過ぎないネットユーザを、「能動的な読解者」へ如何にして誘導するか?という課題になる。

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村上竹尾さん『死んで生き返りましたれぽ』連載を、pixivで拝読していた折。
私はぶっちゃけ「受動的な消費者」だった。新作がランキング上位に入る都度、閲覧させて戴いていたものの、評価もブクマもコメントも、付けた事は一度もない。

更に加えて、医師・看護師の教育や医薬品の臨床開発に、暫時携わった経験から、この“患者さん”は今も恢復の途上にあり、「作品」は主治医が示唆なさった作業療法なのだから、軽々に評価を云々すべきではない、と医療現場への遠慮も働いた。

しかし、完結の2ヶ月半後。
書籍発売の報に触れ、私は俄然、「能動的な読解者」へ転ずる。

能動的過ぎてpixiv版書籍版の両方へ、都合2篇のレビュウを書かせて戴いちゃったくらいw その動機は無論、目覚ましい恢復を遂げた“患者さん”と、彼女を支えたご家族・医療関係者の皆様へ宛てた、感謝と慰労の気持ちが最も大きい。

Amazonさんのカスタマーレビューとして投稿した一節では、

  心の本体たる脳と、生命の本体たる身体の有り様に、一切の疑問を抱かず、
  易々と外界へ繋がれる健康な、世界の大多数を占めている人々には、
  おそらく真価を読み解くことが、難しい一冊

と、警醒を籠めて綴ってみたけれど。

遺憾ながら、ご自身が依然「受動的な消費者」である旨を全く自覚せぬ儘、SNSの雰囲気に流されてしまっただけの御仁も、幾人か居られたようで。

「能動的な読解者」へ誘い導くべく、形有る「書籍」に凝らされた数々の工夫を、五感を働かせて自発的に玩味する事も、「書籍」として形を成すまでに関わった人々の想いへ、共感を至らせて積極的に踏み込む事もせず。

購入前に自身の覚悟が不足していたゆえの、粗忽にして横柄な勘違いを、謂われなく作者へ転嫁なさっているのは、誠に残念としか申し上げ様が無い。

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然れど2件目の書籍化、すなわちZ会進学教室・渋谷教室長の長野正毅先生が、新年早々上梓なさった『励ます力』に限っては、上記の危惧は微塵も無く。

無料公開されている「作品」、すなわちZ会ブログ『長野先生の幸せに生きるヒント』では、そもそも人生の「能動的な読解者」たる覚悟こそ『幸せに生きるヒント』なのだと、日々懇切丁寧に御教示下さっているのだから。

ネットユーザと言えども、粗忽にして横柄な勘違いをしでかす「受動的な消費者」が、そこへ集う読者の皆様に居られる筈は、有り様も無いのである。

渋谷教室の採光が良くて伸びやかな、心地好い空気を鮮やかに切り取った写真も
セフィロトの樹では、美を象徴する黄と理解を象徴する黒を、基調にした装丁も
一見無難なようで、実は精緻な配慮の下に洗練された、静かに注意を促す写植も

人影まばらな『こだま号のグリーン車』……静謐な夜明けの『あるホテル』……清冽な湧水に恵まれた街の『駅近くの公園』……お気に入りの『香を焚いた自室』……と『納得のいく空間』を選りすぐって、丹念に吟味した校正も。

無形のデータだったブログが、著者のお人柄そのままに「書籍」として形を成すべく、積み重なった尊い必然なのだと思う。

長野先生の『すごくいい本』を手に取って読み解く歓びに、一人でも多くの「能動的な読解者」が邂逅できるよう、心から願っている。

【追記】『励ます力』特設サイトがオープンしました!『インタビュー』のページでは、教室だと絶対お目にかかれない、イイ感じに出来上がっちゃってる長野先生のお姿も拝見出来ますw 

「読み解く」ことは「書き綴る」ために不可欠な“筋トレ”
机上にあるのはいずれも、好奇心と敬意と仁愛を以て
拙宅へお迎えした、尊くも愛おしい書籍たちですv

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