京の街に住まわせて戴いたのは、
ほんの5年ばかり。20年も昔の事。
なのに未だに、梅雨の季節を迎えると、
何故か無性に、あの佇まいが慕わしく、思い起こされる。
三方を囲う峰々や
街中を幾筋も流れる川
地下を這う伏流水から……
湧き上がった湿気が、しんねりと居座り
“お天道はん”から、ねぶねぶと蒸される
一年の中でも、最悪の時候だと言うのに。
例年6月の上旬、祇園祭の第一報となる長刀鉾の稚児・禿選びに、
辻々の稽古場から漏れ聞こえて来る、鉦や太鼓のはんなりした音色が、
耳の奥で甦るからだろうか。
日が暮れて猶、凌ぎかねる室内の蒸し暑さに追われ、白川や疏水の
涼やかな流れに寄った折、彼方此方で儚く微風に舞っていた蛍の光が、
目に浮かぶからだろうか。
夏至を過ぎれば夏越の祓に備え、郵便物と一緒に“撫で物”の形代が、
否応なしにポストに放り込まれた、穢れを厭う古都の遺風を、
ゆかしく思い出すからだろうか。
生憎、今の住まいがある近郷近在の御社では、
茅の輪くぐりも“撫で物”の祓も、祭事になっていないけれど。
今年も、6月晦日の水無月だけは、欠かさず戴こうと思てますw
【追記】
あ、“水無月”ってのは“ういろう”の上に甘く炊いた小豆やうぐいす豆を
散らして、三角に切った和菓子。京都では6月末の夏越の祓に合わせ、
無病息災を祈願して戴く習となってます(リンク先、ご参照下さい)。
それから記事タイトルは「なごしのみやこ」と読んで戴けますと幸甚。
あぁ…出町ふたばの水無月食べたい……
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