『すべて世は事もなし』
と訳詩集『海潮音』で、上田敏が名訳を施した由縁から、日本人にも広く親しまれるようになった、ロバート・ブラウニングの詩句が、本日のタイトル。
しかし直前の『God’s in His heaven.(神、そらに知ろしめす)』と、対をなす一節だと承知していなければ、その真価は玩味できない。『All's right』と屈託無く人生を謳歌するには、自身の住まう『the world』を如何に感受しているかが肝要……というironyが、この詩句に籠められた趣意なのだから。
長野正毅先生が、再々用いておられる言い回しを拝借すれば。『私は「私」ではあるものの もうちょっと大きな何か』すなわち『全体の一部』に過ぎないと弁え、『全体の意志』『全体の知恵』をこそ尊重する。そんな『考え方』が、『All's right with the world』の秘訣ではなかろうか。
とは言え、その心境に達する事ができるのは、“少数派”なのだと思う。
“多数派”つまり“普通の人”が、『私は「私」ではあるものの もっと大きな全体の一部』と達観できかねている最大の枷は、恐らく“私利私欲”なのだろう……と、つい推定的な語調になってしまうのは、憚りながら私自身も、“普通の人”に比較すると極度に我欲を欠いた、“普通じゃない人”だから。
どんな分野であれ、生業となさっている職務の範囲を大きく超え、他者の「為に成る」べく、各々お持ちの「溜め」を役立てようと、欲得抜きで天然自然に行動化してしまう物好きな御仁w は、間違いなく私利私欲に疎い“少数派”だ。
『ひなママ』さんは、ご自身が『うまくいっちゃったADHD』である旨、“種明かし”してらっしゃるが。実は私にも、『うまくいっちゃった“少数派”(多分、ADHDクラスタ)』の自覚がある。語弊を怖れず言及すれば、実はノーベル賞受賞者の大多数も、『うまくいっちゃった“少数派”』ではなかろうか、と拝察する。
私利私欲の桎梏に囚われ、『with the world』の境地に未だ至らぬ“普通の人”には、『うまくいっちゃった“少数派”』を、僻む輩も居りましょうが。“少数派”の脳の“普通じゃない”機能様式は元来、地球上の生命を司る万世普遍の“多様性”で。ゆえに彼らは生来、人類の住まう世界を『All's right』へ導く駆動力となるべき存在で。
我欲の軛から天然自然に解き放たれた、あるいは『全体の意志』『全体の知恵』を極めて近しく感じ得る、“普通じゃない人”に生まれ付いたからこそ。空気読めないとか自己中だとか、“普通の人”の私利私欲に揉まれ忌避され、二次障害に苛まれる顚末に至ってしまった“少数派”が、発達障碍当事者なのだ、と私は思う。
妙な具合に先鋭化し、ますます狭量になりつつある教育課程で、“普通じゃない子”を忌避すべく貼られた、“タグ”や“レッテル”がASDであれADHDであれ。
より良き処を目指して努力する純粋な心根を持ち、自分には達し得ない未来を担って下さるお若い方達を、『うまくいっちゃった“少数派”』へお迎えしたい。
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先月末に身内の不幸がございました喪中につき、年頭の御挨拶を謹んでご遠慮申し上げます……という次第で、年明けの賀詞に代えての一筆啓上。
来たる新しい年も、欲得抜きで、
天然自然に『好奇心と敬意と仁愛』を以て。
本来、万世普遍の原理である筈の“多様性”が、
何故“障害特性”と呼ばれるようになってしまうのか?
ボンヤリ考え始めた仮説を、より鞏固な主張へ展開し、
具体的な戦略戦術へと結びつける努力を、続けて参ります。
世界中の皆様に良いお年が訪れますよう、祈念を籠めて……
God’s in His heaven. All’s right with the world!
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