なにしろ娘本人は、親も気付かぬ間に療育を“卒業”しておりましたもので。無論、自閉圏当事者に有りがちな「勘違い」は時折やらかすものの、指摘されればイケずな理系女子にも文句の付けようが見つけられぬほど理の通った自己分析で応えますから、「自家製療育」のメンターを気どる私は弟子から暇を言い渡されたも同然だったり。
子育て現役世代の皆様がたへ、合理的配慮の真髄をご提案すると同時に、敬愛する心を繋いで戴きつつ。放っておいてもひとりで群れずに、しかし他者に対する受容・信頼・配慮の間合いを弁え、勉学に精進・助言を拝聴・人脈を尊重しながら、将来への希望を具現化して行く娘の「成長体験」を、半ば驚嘆しながら絶賛観察中です。
という次第のおかげさまで、一息ついて気懸かりなのは、同年同月に数日だけ娘に先んじて生まれた従兄弟が、再度の大学受験で迎えた顛末。中学受験の準備を始めた小学4年以降は全く疎遠となり、一昨年の初冬に亡くなった祖父の告別にさえ、姿を現さなかったA君は、果たして彼なりの「成長体験」を積むことが叶っているのかどうか……
実は、春休みが終わろうとする3月下旬、大学初年度の報告を兼ねて、娘を祖母(私からすれば義理の母)の一人住まいへご挨拶に赴かせたのですが。祖父の仏前へ成績表(が未着だったので、学内SNSの「単位取得状況」プリントアウト(^_^;)を供えたり、不調法な嫁がお邪魔するよりもと、娘へ託した手土産を喜んで下さったりした一方、A君の動静は話題に上らず。
志望校の合格発表は例年3月10日と(短い間ながら、お給金を頂戴していた経緯もあり)心得ておりましたから、後日、義母から届いた丁寧な礼状でも、A君の進路が一切言及されていないのは、頑なに疎遠を固持して報告が無いのか・再三の大学受験を選んだ旨を話題にしかねるのか、一体どちらなのだろう?と無愛想な叔母なりに気を揉んでおりました。
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年度が改まって2ヶ月が経ち、ふと思い立ってA君の氏名をネットで検索したところ、ある大手予備校のサイトで、彼の合格体験記を読むことが出来ました。同じく一浪していた同窓生や現役受験の後輩たちと共に、彼が卒業した中高一貫校では合格して当然の、本邦最難関とされる最高学府へ、どうやら入学叶ったようでひとまず安堵です。
ただ、一点だけ……合格体験記なのですから、当該予備校の長所を様々に挙げた言葉が並ぶ中、合格へ導いてくれた筈のテキストや授業を、A君だけが貶めるような文言で批判している一節に、不穏を感じました。偶然、同じ予備校でお世話になった私も、確かに30年前、初めてテキストを開いた際に、同様の印象を持った覚えはあるのですが……
1年間の予備校生活でクラスメイトと悲喜交々を共にし、幸甚にも合格体験記を採用して戴けた時(未だ予備校機関紙へ掲載される時代で、何某かの原稿料を下さったのも懐かしい思い出)には、初見で感じたテキストや授業に対する肩透かしの心象は完璧に払拭され、ひたすら自分の浅薄さを羞じ入り、沈着にして懇切な指導方針の卓見へ感謝感服するばかりでした。
ごく短い文章でA君が露呈した、相手の不足を指弾する他罰・想定外の落胆を言い募る狭量・自らの過失を顧みない不遜……自分の五感や認知を迂闊に優先し、場に相応しくない軽率な言語化で、他者の反感を徒に煽る不適応は、拙宅の「自家製療育」で擦り込むように繰り返し、娘が表出せぬよう戒めてきた『自閉的な行動パターン』の典型。
「苦手を避けて、得意を伸ばす」という惹句のままに、早熟な知能を切磋琢磨することへ専心し、A君は僅か十歳で定めた志望大学に合格しました。最近になって進学を知らされた義母の話(義理の息子であるA君の父が、内々に連絡したようです)では、数学を志している由。その一分野で本邦の筆頭だった祖父の血を、A君は最も濃く継いだ孫なのでしょう。
「生まれ」が定めた「苦手を避けて、得意を伸ばす」ことで、「自己肯定感を持たせるために、成功体験を」積むことのみへ邁進したA君の10年間は、生まれついての「多様性」へ客観的に配慮し、群れずに努力を重ねる我慢を身につけて、「幸せに生きる」力を獲得する「成長体験」をこそ心掛けてきた娘の10年間とは、全く違っていました。
祖父の告別に参列せず 祖母と朗報を喜び合えぬ「育ち」が、同年同月に僅か数日だけ娘に先んじて生まれた従兄弟の、「生き方」に昏い影を落とさぬよう祈るばかりです。
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