2016年2月16日火曜日

そうだ 大学、行こう

「えっ! 行けますか?  大学」
「もちろんです。行けますよ」

9年前の5月、小学5年生の娘を新学期から担任して戴くことになったS先生は、差し出された緑茶の碗に手を伸ばしながら、至極当然という調子で即答してくださった。

家庭訪問で娘の「育ち」を……保育園で臨床心理士から障害告知を受け、定期観察の結果「普通学級で大丈夫」とご判断戴けた一方、就学前健診では校長先生の面接に緘黙。保育主任のN先生がお口添え下さったおかげで普通級へ入れたものの、クラスの4分の1が不適応による問題行動を出来している状況下、ある“事件”をキッカケに転校を決断した経緯を……長々とご説明したところ、にも拘わらず。

S先生は「大学へ入ってからの方が、彼女は上手くいくタイプです」と断言なさった。

当時の娘は、毎日学校に通い、そこそこの成績で勉強が出来ていたとはいえ、同級生達との関係は、ぶっちゃけ精神的不参加状態。クラスメイトに恵まれ、ギリギリ仲間外れにはなっていないが、「いてもいなくても、どっちでもいい子」に過ぎなかったから。

高学年への進級、さらに中学校への進学を控え、不登校にさせないことが何より最重要課題だった私には、大学進学の可能性など全く想定外。新学期開始からわずか一ヶ月で、娘の“伸びしろ”をそこまで広範に見積もってくださった俯瞰に驚いた所以である。

後に支援学級での指導へ転向なさったS先生は、トップダウンの指示に慣れたスポーツ少年達のママからすると、あまり評判が芳しくはなかった。反抗心が芽生えつつあった5年生の子ども達を束ねるには、いささか迎合的すぎると思われてしまったのだろう。

しかし、娘が生来苦手な同級生達との関わりではなく、委員会活動や放課後活動を通じた下級生や先生がた・主事さん達との関わりを、S先生のご指導で繋いで戴いた結果。
娘は勿論、親である私も、ようやく「将来の夢」へ目を向けられるようになったのだ。

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中学・高校ではなく、大学へ入ってから不登校にさせないためには、何が必要か?

S先生が家庭訪問へおいでくださった後、五里霧中の試行錯誤だった“自家製療育”に、明瞭な、しかし程好い「あそび」も確保できるコンセプトが生まれた。確かに大学生活を想定すれば、同級生だとて最早「こども」ではなく、18歳以上の「おとな」である。

仮に、高卒で就職することを選んだとしても・大学以外の上級学校へ進むにせよ。
「おとな」との関係なら、妥当な行動化が出来るようになりつつあった娘にとって、学力と生活力を相関させながら、解決すべき課題を具体的に設定できることに気付いた。

もし国立大学へ合格可能な得点をセンター試験で獲得できるほど、学力面の凸凹が補填できれば、高校を卒業した時点で、一人暮らしに必要な生活力も身につけられるはず。
逆に学力の凸凹が高校3年生でも依然として大きく、私立へ進学させる他に無ければ、自宅通学でさらに4年間、療育を継続して生活力の不備も補填する必要があるだろう。

S先生の「大学、行けますよ」という一言で、霧が晴れるように見通しが立ち始めた。

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現実は無論、9年前に立てた“仮説”のように、単純明快ではなく。

昨年度の大学受験で勝率5割だった娘は、ある国立大学から一般入試(前期)で合格を頂戴できた一方。二次試験への出願さえ叶わなかった第一志望の国立大へ大学院入試で再挑戦すべく、入学を許可戴けた複数の併願私学のうち、図書館の蔵書数が最多、加えて多彩な学問分野の講義を広く受けられる一校へ、進学することを選んだ。

“自家製療育”の観点で振り返れば、中学・高校の先生がたや、進学教室・通信添削指導で賜った手厚いご指導が実を結び、学力面の凸凹を「みんな」の「普通」レベルまで補填できた一方。一人暮らしをさせるには、依然として心許ない生活力の不備を、自宅通学の4年間で、大学院進学までに補填していかねばならない結果である。

けれど当時の見通しは、コンセプトとして正しかったと考えている。S先生のお言葉どおり、娘の「生き方」は、大学へ入ってからの方が確実に上手くいっているからだ。

同級生が全て18歳以上の「おとな」になって初めて、娘には心から打ち解けられる友達が、基礎ゼミやサークルを通じて何人も出来た。同時に、大学で不登校にさせないために育てた一人で群れずに行動する力を以て、主体的に学ぶことが今のところ出来ているから、「親としての支援」が大学構内で必要になる“状況”は、未だ出来していない。

「苦手を避けて、得意を伸ばす」にしても
「自己肯定感を持たせるために、成功体験を」にしても

親の主観で惹句を文言通りになぞるだけでは、「育ち」と「生き方」に大きな乖離を生じさせる顛末を招くのみ。当事者の“伸び代”を客観的に見積もれる、俯瞰を心得た支援者のご指導を賜ってこそ、有意有用なコンセプトになり得るのだと私は考えている。

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