だとすれば、我が子のひきこもりに悩む親御さんへの最善最上のサポートも、当事者の皆さんに対する最善最上の支援と、同じやり方を踏襲すればいい。
それが私の、この数年間に渉り敬愛するブログ『発達障害な僕たちから』で学ばせて戴いたお蔭様で得ることが叶った、たったひとつの冴えた結論です。
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2019-02-28
他の兄弟とは違うことを ご理解ください。ヒロ
『僕の母親は、僕が良い成績を取ることを望んだ。父のように大手の企業に入社できるのだからと よく僕に言った。
しかし、母の願い通りには ならなかった。それどころか、警察にお世話になるような人間に なってしまった。
母にも僕にも 希望は なくなっていた。
僕は発達障害の2次障害で、家庭内暴力や ひきこもっている子どもを持つ お母さんの相談に多くのった。
そして、そこで、昔の僕の母親と なんども出会った。お母さんたちは、僕に言う。「息子のために なんとかしたいと思って。」
その言葉を聞いた僕は、ただ深いため息を つくしかなかった。
今日も日本のどこかで、同じ光景が繰り返される。
心から願っています。母と子が ともに笑いあう時が来ることを。』
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いずれは
2019.02.27 03:47
『自分の場合、大人が正直でない部分が 許せなかった。 何かしら 欺瞞がある。
ですから、自分は息子には とにかく正直に接しました。「お父さんは一般的な意味で昔から やる気がないんだ」とか「人と普通に つきあうのさえ苦手だ」とか、いわゆるマイナス面も正直に話してきました。
「小学生時代 万引きをした」「いまも 蒸発願望がある」・・・そんなことまで理由や感想を交えて話した。欠陥だらけの人間(私)が、何とか世間並みになろうと悪戦苦闘してきた経緯を息子は ずっと聞いてきた。そこにある種の可能性や 生きることの切なさや 物悲しい応援の気持ちなどを 見つけてくれたのではないか と感じます。
少年時代、お前のためなのだから という大人たちの言葉の中に別の要素が宿っていることを私は つねに感じました。やる気のなさを楽しんでいる時期の私に「少しでも上をめざせ」と叱咤激励するのは、完全に そっちの都合じゃないか と考えたものです。
いずれにせよ、10代は相当なものでした。それが あるところから落ち着いて両親とも話せるようになった。あのころの私よりは、みんな まともだと思いますよ。』
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以前のヒロさんは、心を大きく揺さぶられる出来事に遭うと決まって、『俺』『僕』『おいら』という3種類の一人称が混在する文章を書いておられました。私はそれを、ヒロさんのメタ認知が未だナイーヴであるゆえに人格全体を俯瞰できていない証左と拝察していたのですが、今回の記事は完璧に『僕』だけで書き通していらっしゃいます。
昨年末の「自己投資宣言」以来、沈黙を保ち続けておられたヒロさんが再登板なさった記事に対して、ヒルマ小母ちゃんから『わずか1ヶ月の間に理知的で洗練された筆致へ急変なさった』『これまで13年間受けてきた支援の「本懐」を『やっと この私も理解した』顛末、すなわちメタ認知の完全覚醒』とコメント寄せさせて戴いた所以ですね。
そして、メタ認知が人格全体を俯瞰できるまでの成熟へ到れば、『家庭内暴力や ひきこもっている子どもを持つ お母さんの相談』に乗る中で『昔の僕の母親と なんども出会った』としても、大声を出したり物に当たったりブログへ記事を延々と書き続けたりすることもなく、青木先生と同様に『ただ深いため息を つくしかない』境地へ達する旨も、重々お分かり戴けたことと拝察いたします。
私が昨日の記事へ綴ったように、我が子のひきこもりに悩む親御さんへの最善最上の支援も、「当事者の・当事者による・当事者のための」支援でなければたったひとつの冴えたサポートにはなり得ないでしょう。つまり、ひきこもった(あるいは、ひきこもりのリスクを抱えた)我が子への不安を克己できた親でなければ、お母様がたをサポートする側にはなれないのですから、心から『母と子が ともに笑いあう時が来ることを』願うなら、先ずヒロさんご自身が我が子に対する不安を克己できた親となる旨こそ必要なのです。
という次第で本日は特別に、常々ヒルマ小母ちゃんが「心の師匠=メンター」と仰いでおります、Z会渋谷教室長・長野正毅先生のブログからも引用させて戴きました。この一節、きっとヒロさんの心は激しく共鳴して下さると、私は信頼申し上げております。
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長野先生にしても、昨日の記事で触れた「我が子に対する不安を克己できた親御さん」の候補にしても、あるいは不肖ヒルマ小母ちゃんのケースも、共通しているのは「ひとりっ子」である点です。きちんと統計を取ったわけではなくネットの渉猟で得た私見に過ぎませんが、生まれながらに大きな凸凹を抱えるお子さんと『とにかく正直に接する』には、「ひとりっ子」であることの寄与が大きい旨はご納得戴けるかと思います。
ヒロさんが記事に題して下さったとおり、他の兄弟とは違うことを親御さんがたにご理解いただきたい!というのは、全く正論です。さりながら現実的には、生来大きな凸凹を抱えたお子さんに「みんなと同じ」ことを易々と出来るごきょうだいがあったとすれば、どうあっても比べずにはいられないのが親御さんの人情、というものでしょう。
ヒロさんが『母と子が ともに笑いあう時が来ることを』願いつつ「親になる」ことを志すならば、ひとりっ子のアドヴァンテージは極めて大きい、と私は考えています。
【拙ブログの関連記事】『親の光は七所照らす』 『Parenting is Difficult or Not?』
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