就学前の告知以来、「苦手を避けて 得意を伸ばす」「自己肯定感を持たせるために 成功体験を」という療育の専門家が仰る定法を遵守し、背伸びを戒め失敗をさせないことこそ、娘の「生まれ」に対する適切な合理的配慮だと、中学まで心得て来たのですが。
高校受験を控えてお世話になった進学教室で、『励ます力』の極意に気付かせて戴いたのを契機に、むしろ失敗の経験を懼れずそれを乗り越えた「成長体験」が、「生まれ」に支障された彼女の「育ち」を促せる最善かも知れない、と考えるようになりました。
改めて娘へ訊ねてみた所、疎外感の原因だった「多様性」を、「みんな」の「普通」な努力だけでは克己しがたい「障碍」と客観的に認識し、ひとりで群れずに精進する我慢の必然を、渋々ながらも承服するに至ったのは、高校2年へ進級した頃だったそうで。
具体的には何がキッカケ?と質問を重ねれば。成績不振で学年主任から呼び出され、面談では「頑張ります」と答えたものの。きっと特進クラスから外されてしまう、と内心諦めていた時に、新学期の学級編成で再挑戦の機会を与えて戴けた件、だったらしく。
国立大へ合格なさった皆さんが辞退した席を補うべく、辛くも入学をお許し戴いた受験結果にも関わらず。学業成績でも人間関係でも大過なく成長への努力が叶ったこの1年の所以は、要するに高校2年で予習済みの「難関」だったからという次第のようです。
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