2016年2月28日日曜日

どうして東京大学は?

>>前篇『どうして京都大学を?』を読む

とは言え東京大学にも、短い間でしたが予算のごく一部を、お給金として頂戴していた恩義がございます。今年度から始まった『推薦入試』を、特設サイトが見づらい・大学当局主体の上から目線なぞと扱き下ろすのみでは、いささか忍びない経緯もあったり。

かつて研究を共にしていた御仁が、当時お世話になってた教授の最終講義を、丁寧にご連絡下さった折も折。憚りながら解題を試みれば、推薦入試特設サイトで、受験生への配慮にまで気配りが及ばなかった件は、恐らくその余裕が無いのだろうと拝察します。

七帝大長男”たる天下の東大に「余裕が無い」とは、我ながらずいぶん不遜な申し様ではございますが。『推薦入試トップページ』冒頭に提示されている文中二行目の一節に、語るに落ちた苦衷の本音が垣間見えている、と僭越ながら読解させて戴きました。

東京大学の『推薦入試トップページ』2016年2月25日現在のスクリーンショット

当局主導の推薦入試制度実施で、『多様な学生構成の実現と学部教育の更なる活性化』を目指す、ということは。裏を返せば、従来の一般入試では学生構成が一様・単調になり、学部教育が沈滞しつつある現状をこそ、憂慮しておられるご様子が伺えるのです。

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一昨年の12月、赤崎勇先生天野浩先生が、ノーベル物理学賞の栄誉に輝いた折も折。
“七帝大の末っ子”たる名古屋大学が、東大・京大を上回り国内最多のノーベル賞受賞者を輩出している根源を、『どうして名古屋大学が?』と題した拙文で……

2016年2月26日金曜日

どうして京都大学を?

昨日から、大多数の国立大学では、前期日程の個別学力検査が実施されています。

特に東大京大では、例年2月25日より2日ないし3日間に渉って二次試験、3月10日もしくは3月9日に合格者発表、という日程が原則として遵守されてきました。

しかし本年度から、一般入試の第1段階選抜(センター試験の得点を基準にした出願倍率調整)合格者が発表される2月10日に、推薦入試・特色入試の最終合格者も併せて発表される運びとなりました。遂に東大・京大でも推薦枠が!と各種媒体で報道された所以です。

受験生を指導なさる高等学校の先生がたも、多大な関心を寄せていらっしゃるであろう新制度でしたから。とある私立高校ではお喜びの余り、合格した受験生たちの個人情報を詳細に地方新聞へ掲載させちゃった、ツッコミどころ満載なケースも散見されたり。

当該記事の一件に拠れば、東京大学推薦入試で理科1類に合格した男子生徒は、
英検準1級、沖縄空手初段を有するほか国際交流や東日本大震災の被災地での支援活動にも継続的に取り組んだ。センター試験得点率は91%
とのこと。一方、京都大学特色入試で経済学部合格を決めた女子生徒は、
英検1級、剣道4段のほか、数々の英語スピーチ大会で上位入賞した。 センター試験得点率は85%
だったそうで。文言どおりの文武両道にして校外活動にも積極的、かつ1月中旬に実施されたセンター試験でオールマイティな成績を修めた結果、ツッコミどころ皆無な最終合格を見事獲得なさった、という次第のようです。

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さて、受験生の視点から見ると、東大だろうが京大だろうが、極め付きに優秀じゃなきゃ出願さえ叶わないし、書類選考や面接・論文等に加えて、センター試験での高得点が必須。てことは、一般入試の方が楽じゃね?というオチになっちゃいますが。

ちょっぴり斜め上な俯瞰に視点を据え直してみると、“七帝大長男”と“七帝大次男”が、それぞれ如何なる“個性”を有しているのか? 今年度実施された『推薦入試』『特色入試』の有り様から、面白いほど鮮やかに浮かび上がって来ちゃったり。

2016年2月24日水曜日

美食に非ず 飽食に非ず

とは言え「育ち」に囚われたままな「生き方」も、その「私」が据えていらっしゃる覚悟次第で、唯一無二の独創的概念、すなわち「食っていける」主題になったりもしますから、人間が暮らす世の中というのは、誠に興味深いものです。

被差別部落出身という「育ち」を一貫して「生き方」の中心に据え続ける、ノンフィクション作家・上原善広氏の最新作『被差別のグルメ』は、デビュー作『被差別の食卓』の主題だった「差別される食文化」へ、10年ぶりに回帰しました。

『食卓』が『グルメ』にアップグレード(?)したものの、登場する料理は相変わらず洗練とは程遠く、美味なる描出は皆無と言って差し支えありません。「差別される」背景には必ず、社会的に阻害された困窮の歴史があるのですから、ある意味、理の当然です。

にも関わらず、食べてみたいと心惹かれる所以は、好奇心を刺激される“文化”だから。

本来は空腹を満たし命を繋ぐ行為であり、“文化”を称する洗練を経て舌を楽しませ心を安堵させる筈の「食」が、時に家庭内で重大な齟齬を出来し、命を危うくする“状況”さえ勃発させかねない「差別される食文化」へ、変容する由縁は何か?

人間が暮らす世の中に沈潜する、条理だけでは割り切れない“何か”を、朴訥に探し続ける旅路だからこそ。『食卓』『グルメ』に綴られた「差別される食」を巡る著者の彷徨は、読み手の好奇心を惹きつけて止まないのだ、と私は思うのです。

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然りながら、私自身が最も深く心打たれ、幾度も繰り返し味読させて戴いたのは、本文よりも「あとがき」だったり。『食卓』では、
それが独りでできる解放運動だと思ったからだった。
と、自身の「育ち」を「生き方」の中心に据え続ける『もともとの動機』を、お世話になった各位各人への謝辞に寄せて端的に記した、わずか2ページでしたが。

『グルメ』では、『アイヌという“他者”を書く困難』を克服する20年間の道程を経て、「私」の「育ち」から著者自身が“解放”され、より高くより広い俯瞰に立つことが可能となって初めて到達し得た、深遠かつ精緻な考察が6ページに渉り展開されています。

2016年2月19日金曜日

「育ち」と「生き方」

世の中では、いろいろな「事象」が起こります。

この言葉を辞書で調べてみると、『(認識の対象としての)出来事や事柄』と説明されています。三省堂の大辞林では例文に「自然界の-」と挙げていますが、特に自然界に限らずとも、世界中のあらゆる所で起こる『出来事や事柄』です。

しかし「事象」は、辞書の説明に括弧書きで但してある通り、『認識の対象』となって初めて、何らかの意味を持つようになります。つまり「誰か」が認識しない限りは、世界中あらゆる所で起こっている事だとしても、無いも同然なのです。

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そうなると「誰」が認識するか?で、全く同一の「事象」である筈なのに、意味合いが変わってしまう、という状況が生じます。

「私」の身の上に、何らかの「事象」が起これば、まず「私」が認識する。
また、「私」が人間であれば、必ず認識した「事象」によって感覚を刺激され、五感を通じていろいろな情報を感受することになります。

つまり、単なる『出来事や事柄』すなわち、事実情報に過ぎなかった「事象」は、「私」の五感を通じて認識されたことで、いろいろな感覚情報へ変わってしまいます。

さらに、複数の「私」すなわち、別々の人間が認識すれば、同一の『事実情報』だった筈なのに、各々全く異なる『いろいろな感覚情報』へ、変換されてしまうのです。

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以上の、人間が「事象」を認識する「心の働き」は
心理を考察する上での、基本概念だと思っています。

この文章を書いている「私」は、心理を専門的に勉強した経験が無いのですが。自然界の「事象」の(ことわり)を窮める学問で、学位を頂戴した大学・大学院の課程を通じ、教えを請うた師父・師兄の「生き方」に倣って、天然自然に体得へ至った概念です。

2016年2月16日火曜日

そうだ 大学、行こう

「えっ! 行けますか?  大学」
「もちろんです。行けますよ」

9年前の5月、小学5年生の娘を新学期から担任して戴くことになったS先生は、差し出された緑茶の碗に手を伸ばしながら、至極当然という調子で即答してくださった。

家庭訪問で娘の「育ち」を……保育園で臨床心理士から障害告知を受け、定期観察の結果「普通学級で大丈夫」とご判断戴けた一方、就学前健診では校長先生の面接に緘黙。保育主任のN先生がお口添え下さったおかげで普通級へ入れたものの、クラスの4分の1が不適応による問題行動を出来している状況下、ある“事件”をキッカケに転校を決断した経緯を……長々とご説明したところ、にも拘わらず。

S先生は「大学へ入ってからの方が、彼女は上手くいくタイプです」と断言なさった。

当時の娘は、毎日学校に通い、そこそこの成績で勉強が出来ていたとはいえ、同級生達との関係は、ぶっちゃけ精神的不参加状態。クラスメイトに恵まれ、ギリギリ仲間外れにはなっていないが、「いてもいなくても、どっちでもいい子」に過ぎなかったから。

高学年への進級、さらに中学校への進学を控え、不登校にさせないことが何より最重要課題だった私には、大学進学の可能性など全く想定外。新学期開始からわずか一ヶ月で、娘の“伸びしろ”をそこまで広範に見積もってくださった俯瞰に驚いた所以である。

後に支援学級での指導へ転向なさったS先生は、トップダウンの指示に慣れたスポーツ少年達のママからすると、あまり評判が芳しくはなかった。反抗心が芽生えつつあった5年生の子ども達を束ねるには、いささか迎合的すぎると思われてしまったのだろう。

しかし、娘が生来苦手な同級生達との関わりではなく、委員会活動や放課後活動を通じた下級生や先生がた・主事さん達との関わりを、S先生のご指導で繋いで戴いた結果。
娘は勿論、親である私も、ようやく「将来の夢」へ目を向けられるようになったのだ。

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中学・高校ではなく、大学へ入ってから不登校にさせないためには、何が必要か?

2016年2月9日火曜日

大切な事は、みんな

4年前の8月、とある事情で京都大学を訪れていた私は、とある経緯で総合人間学部の一校舎にいた。私自身は「当事者」ではなかったので、目的とする部屋への入室を遠慮し、所用が済むのを廊下で待つ事にした。

旧い校舎だから、全館空調の設備は無い。そして夏期休業中だから、人通りが疎らな所では照明の電源さえ入っていない。つまり、ひどく蒸し暑い上に薄暗い場所で、いつまでとも知れぬ暇を持て余す事となった。

当初は「当事者」たる娘が入って行った扉の前で、室内の気配を伺っていたが。教授と思しき紳士の声が、何やら語り続けているのみ。その部屋の出入りが知れれば差し支えなかろうと判断し、廊下を歩いてみる。

無聊を慰めるべく、周囲を丹念に観察しながら……とは言え大学の廊下なぞ、何処も埃っぽく雑然としているばかりで、変わり映えはしない。特段興味を惹かれる事物も無く、一方の端まで突き当たりかけた時。思いも寄らぬ“再会”に、はっと息を呑んだ。

絹糸のように繊細な金髪と、深い湖を想わせる翠色の瞳。一目で「彼」と知れる、少女のような美貌と娼婦のような妖艶を描き手から賦与された少年は、驕奢なフォントルロイ・スーツを纏い、無造作に貼られたポスターの中から物憂げな眼差しを投げかける。

最期の瞬間に切望した『未だ誰をも知ることのない』瑞々しい春の光の中……架空の存在でありながら、真向かう者を圧倒する佇まい。蒸し暑くて埃っぽい薄暗がりに、突如顕現した儚くも甘やかな肖像へ、五感の不快も心底の屈託も忘れて魅入られつつ……

私の脳裏に閃いたのは、『人間についての根源的、総合的理解』をraison d'êtreと定めた学府で、その少年に再び邂逅できた奇遇が導く天啓だった。

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その年の暮れ、とある創作漫画へ耽溺した私は、翌年の2月、慮外な拍子に構想を得て猛然と二次小説を書き始めた。合算9万2千余字に至った連作の発端は、「彼」を創出なさった竹宮惠子先生が、教授職を勤めておられる大学で主催されたシンポジウムのポスターを、あの日、娘が第一志望と定めた学部でも掲示していた一事に行き着く。

描かれていた少年の名はジルベール

2016年2月7日日曜日

『わるいのはママ』ですか?

高校受験で第一志望だった都立の不合格、という敢えての失敗を体験させた後、併願私学で娘の高校生活がどうにか軌道に乗った4年前。トップダウンの“自家製療育”に限界を感じ始めた私は、それまで拝読する一方だった「とある成人当事者ブロガー様」のコメント欄へ、再々お邪魔させて戴くようになりました。

中学までと打って変わって、高校では専らに生徒本人の主体性を求められる指導を戴くようになり、上から目線で教諭する親と子ではなく、不適応の解消へ協同して取り組む当事者と支援者の「距離」へ、移行していく必要性を感じたからだと思います。

無論、当初はそこまで明確に目的意識を自覚していた筈も無く。初めてコメント寄せさせて戴いた動機は、紛糾している読者同士のクロストークを出来る限り有意義に収拾させたい、という元fj.*住人にはお馴染みの傍目八目なお節介に過ぎませんでした。

以後、現在に至るまで、あちこちのブログへ軽率にお邪魔させて戴いておりますが。支援者でも専門家でもない旨を厳しく自戒し、改善へ向かって適正な対処をなさっているのに、誤解や屈託で停滞を生じている場合に限定し、参上仕っております次第。

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そんな調子で当方の立場を明かさぬまま、文章のみで遣り取りを交わすうち段々と見えて来たのは、第一に「連想の射程が極端に短い」という、当事者さんが抱える“難儀”。

身体の内外から精緻・膨大な感覚情報を、脳が絶え間なく感受し続けている状態らしいので致し方ない仕儀なれど、とかく物事の解釈が短絡的になりがち。語弊を恐れず喩えて言えば、身辺に起こった不都合を全て飼い主のせいにする、猫のような……

拙宅でも幼い頃の娘が、『わるいのはママです!』と言葉遣いは慇懃でも内容は自分勝手な発言を繰り返す有り様に、頭を抱えたものですが。「みんな」が共有している「普通」の価値観で「自己中心的」というnegativeなラベルを貼り付ける代わりに、「連想の射程が極端に短い」障害特性として理解すれば良いのだと、腑に落ちました。

無責任な傍目八目に敢えて甘んじてみると、次に見えてきたのは当事者の「毎日・毎年」を支えてらっしゃる親御さん、殊にお母様がたが抱える“屈託”でした。ブログ記事であれコメントであれ、一定の「誤読」をなさってしまう傾向があるような……

2016年2月1日月曜日

どうして東京大学じゃ?

拙宅の娘には、従兄弟が一人います。
同年同月に、数日だけ娘に先んじて生まれた彼は、しかし大学生ではありません。

発語・発話の顕著な遅れが最初の所見だった娘に対し、その従兄弟は……仮にA君と呼びます……自立・歩行が「みんな」の「普通」より少し遅れた事で、ご両親を若干心配させました。小学校低学年までは折々の休みに、祖父母の家で娘と一緒に過ごしたりもしましたが、A君が中学受験の準備を始めた小学4年以降、全く疎遠になっています。

昨冬の初め、拙記事の冒頭で触れた『身内の不幸』は、娘とA君の祖父に起こった事でした。センター試験を数週間後に控え、どうしても欠席できない模擬テストを受けさせた翌日、娘を伴って参列した葬儀に、同じく高校3年生だったA君は最後まで姿を見せず……彼の父親だけが、長年の疎遠を押して義父への告別の礼に訪れてくれました。

義理の母(娘とA君にとっては祖母)を通じて漏れ知った限りでは、A君は今年度も大学受験に挑むことを選んだ由。彼が卒業した中高一貫校は、本日の記事タイトルに名称を拝借した国立大の合格者数で、例年の報道にも取り上げられる名門私学。ですから彼にとって再度の受験は、単に同窓生「みんな」の「普通」に倣っただけ、なのかも知れません。

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でも……どうして東京大学じゃなきゃ、いけないのか?

本来、その理由は各人各様な筈で、一概に論ずるのは難しいところです。そしてたった一人の祖父(父方のお祖父様はA君が生まれる前に亡くなっています)の死を、悼み弔う儀礼に参列することより、自分の志を最優先に眼前の問題へこそ専心するというような、いかに生きるべきかを選択する価値観も、同じく各人各様で一向に構わないと、私は思います。