また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。
2018-12-25
58才人生初デートは消滅。東大
『ついに疲れが溜まった僕は、体調を崩してしまいました。
それで、急遽 青木が僕の住む街に かわりに来てくれるのです。
「こんな状況ですから、デートを辞退するしかないです。」
「残念だけれど、今は生徒の回復に一緒に全力をそそぎましょう。」と青木。
そんなことで相手の女性にお断りのメールを送った後、改めて電話をしました。
「『引きこもり』そんな状態は聞いたことがないです。日本固有の症状? 100万人の若者が、親以外との交流を持つことができない? 日本の話ですよね。私が理解できるように もう少し話してください。」
大勢の若者が ひきこもっているという状況は、世界中でも日本と韓国にしか見られないのです。
それを理解することは できないと思います。
「東大さん、丁寧に説明をしてくださって ありがとう。あなたの誠意は感じました。」
「しかし、ごめんなさい。私は とても かなしいのです。看護学生にとって、クリスマスが とても貴重な休みだということを理解してください。それをあなたに ささげたのです。少し、時間をください。また私からメールをします。Merry Christmas and Happy New Year !!」
働いてお金を貯めて、看護学部に席を置く、24歳の彼女。
とても綺麗な女性でした。
そして思慮深くて、優しさも持ち合わせてもいました。
正直、好きになっていた僕でした。
しかし、大丈夫です。
「次行こ、次」って青木の言い方に笑ってしまった僕です。』
***
「自信が無いから、ひきこもるしか無い。」
当事者の皆さんは一様に、社会から物理的に距離を置いた理由を、そう述べます。
すると親御さんも支援の専門家も、ご自分の五感や認知だけを鑑みて「失敗体験を上回る成功体験があれば自信がつくはず」とお考えになってしまうケースが続出する。されど生来の五感や認知に凸凹を抱えるゆえ「みんなと同じ」育ちが叶わなかった、すなわち発達障害と称された当事者さんご自身の五感や認知に寄り添うと、彼らにとっては「失敗体験を上回る成功体験があれば」との設定が無理ゲーだと分かってきます。
この数日、Mr. Joeと山田さんの記事へ、以下の拙文を寄せさせて戴いて参りました。
これら表題を整理すれば
当事者さんに自信を育むには、成長こそ必要
↓
成長を体験させるには、自己理解こそ必要
↓
自己理解には、当事者が失敗を書くことこそ必要
との論旨になります。もっと簡単にまとめると、社会から物理的に距離を置くことを選んでしまった当事者さんへ、再び他者と繋がり社会へ呼応する自信を育むためには
失敗を懼れずに経験する
↓
失敗を自ら体験として書く
↓
失敗を素に自己理解を促す
↓
失敗を成長体験へ昇華する
といった具合に当事者さんご自身の五感や認知へ寄り添うと、多くの親御さんや支援の専門家がお考えになってしまう「失敗体験を上回る成功体験」という無理ゲーとは全く逆に、むしろ失敗をこそ回復の材料へ転換する方がよほど筋が良いと分かります。
では多くの親御さんや支援の専門家は、どうして上述の方策を選ばない(選べない)のか? 歯に衣着せぬ不調法をご容赦願えば、自ら失敗について書くよう当事者さんを導くのが極端に面倒くさいゆえに、きっと最初から不可能だとお考えだからでしょう。
まず第一に十中八九、彼らは書字が極端に苦手です。イラスト担当のBambooさんが『字が汚くて ごめんなさい…』と律儀に綴って下さったとおり、当事者の皆さんはご自分の書字に自信がありません。その罪悪感にも近い自信の無さは、書字の美醜が人格をも象徴すると捉えがちな東アジア特有の文化に起因している(日本以外の国ですと、ひきこもりは中国や韓国でしか見受けられない、というサポートセンターの知見は興味深いですね)と私は拝察しています。
そして第二に間違いなく、彼らは自分の経験を文章化↔文章から他者の経験を共有することが極端に苦手です。生来の五感や認知に抱える凸凹の所為で『頭が混乱してしまう』ため、『答えは1つだけで、はっきりして』いる教科だけに注力しがちで、国語教育を受けても「みんなと同じ」やり方では全く身に付きません。ヒロさんが幾度か綴っておられたとおり、日本語特有の語用論の障害も大きく影響していると考えられます。
なればこそ状況に拠っては、当事者さんに「書く」という行為を自発させるため、日本ないし東アジア以外の国へ住環境を変更することさえ必要となってしまうのです。
しかし、たとえ親御さんが懸命に本邦随一の最高学府へ現役合格できるような教育を施したとしても、彼らを「自ら失敗について書く」ことへ導けぬ限りひきこもりの危惧が拭えぬ旨は、「東大さん」こと大野さんが身を以て証して下さったとおりなのです。
【拙ブログの関連記事】『緘黙する子 と 優しいお母さん』
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