2018年12月29日土曜日

ごめんなさい が言えなくて

消費者向けGoogle+が来年8月で廃止されるとの報を受け、いつも拙文へのご愛顧を賜っておりますサポートセンターのブログ『発達障害な僕たちから』へのコメント寄稿は、今後暫定的にBloggerへ移転してみます。ひとまず新設した「コメント」というラベルで記事を一覧できますが、ご不便の点がございましたらご遠慮なくお知らせ下さい。

また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。

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2018-12-28
古着配布のボランティアで問題発生!! 東大

小学校側と色々話し合った結果、クリスマス会を午前7時から始めることにしました。式辞が午前10時です。   
それまでに終われば良い とのことでした。 
それで、午前5時には小学校について準備をしていましたら、6時になって、SPの人たちが準備の為に来られました。   
私たちに、ボランテイア団体の登録証明書を提示するように言ってきました。そんなことは初めて言われたので、事務員に登録証明書を持ってきてもらいました。   
証明書を提示するまで、準備は中断させられました。 証明書を見せたのち、急いで準備に取り掛かかったら、「1時間で全てを終了しなさい。」との命令でした。   
しかも古着配布は許可されませんでした。あとで、校長先生から聞いた話では、「テレビカメラも入るので、視聴者に貧しい小学生の姿を見せられない。」という大人の事情でした。   
私たちは とても悲しかったです。子どもたちは「新しい服で、クリスマスを迎えることができる。」と心待ちにしていたのです。   
それでも、スタッフたちは子どもたちの前では笑顔で、愉快なダンス、コントを披露しました。食事を配布して、いつもなら古着の配布の時間です。   
「みなさん、今年は古着の配布はできません。ごめんなさい。来年の1月に変わってしまいました。」とスタッフがアナウンスをしたら、子どもたちから悲鳴のような声が上がりました。  「どうして!!」の声がだんだん大きくなって、司会のスタッフは泣いてしまったそうです。   
校長先生が助け舟を出してくれて、その場は治りました。   
ということで、来年1月に古着配布をおこないます。急いで、古着をご用意してくださった皆様、ごめんなさい。皆様のご好意を無駄にしてしまいました。  
 1月の古着配布の様子を またご報告させていただきます。   
本当に ごめんなさい。

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いやはや、これは驚きました。
まだ年は明けていませんが、おめでとうございます!

ほんの2,3年前まで、あの穏やかで衒いの無い俊介さんをして『とても頭が固い というか融通がきかない』と呆れさせるほど、認知の凸凹が強烈だった「東大さん」こと大野さんが、ご自分には全く非の無い状況だったにも関わらず『皆様、ごめんなさい。』『本当に ごめんなさい。』と謝罪を述べておられるのです。これを言祝がずして、何を言祝ぐべきだと言うのでしょうか!?(念のため但し書きしますが、これは反語的表現です。)

誠に目覚ましい成長体験を遂げられました。実のところ、自分に明確な非があったと心底納得できない限り、決して『ごめんなさい』と言わない(言えない?)のは拙宅の自閉圏当事者(夫と娘)にも共通する認知特性なのです。

大学4年の娘は、日本語の『ごめんなさい』は単なる謝罪の語句ではなく、他者と繋がり社会と呼応する知恵が込められている旨、十数年に渉る自家製療育でようやく身に付いてきた模様ですが、50代の夫は依然『頭が固いというか融通がきかない』まま。殊にカサンドラ状態だった母親の正論で抑圧されていたPTSDが喚起されると、文字通り梃子でも動かない頑固さなので、彼の凸凹の修整は物好きな私も諦めかけていました。

さりながら数歳年長の「東大さん」でも、ご自分には全く非の無い事態にさえ『ごめんなさい』が言えるまでの成長を遂げられたのですから、まだまだ希望はありますね!

大学の教養科目で臨床心理学を受講した娘から、今は「発達=生まれてから死ぬまで一生成長しつづけること」と捉えられていると教示された概念も頼みに、諦めずもうひと踏ん張りしてみようと気を取り直せました。本当に どうもありがとうございます!

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