また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。
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君は大丈夫。
僕だって大丈夫だったんだからね。Mr.Joe
『僕、おもうんですよ山田さん。
今まで、自分の力で なんとかしようと思っていませんでしたか。その結果は と言うと、何も よくなってないでしょう。 それどころか、時間がたつにつれて、焦りばかりが出てきた。
だから ここは、自分のスタイルを捨ててしまいませんか。そこから 新たな世界が始まりますよ。
僕が そうでしたから。自分の力で なんとかしようとしたって、何も できやしない。もがき苦しむだけですよ。
でも他人の いいなりになるのは、好きじゃないって思っていませんか。誰もが そう思って、他人からの支援の手を掴み損ねるんですよ。
僕は、青木さんと東大さんが訪問してくれて、色々と丁寧に説明してくれました。
でも、その支援の手を掴むことは しませんでした。他人の手を借りる必要などない とおもったからです。すでに20年近く ひきこもっていたのに。
どうせ、こんな状況なんだから、バカにされるだろうと思っていました。
でも、今は こう思いますね。もっと早くに白旗をあげて、全面降伏して、他人に助けてもらうべきだったと。
まあ それがわかっただけでも よしと思っている僕です。
大丈夫ですよ。本当に大丈夫。』
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社会との物理的な距離を克己なさった当事者さんが、後に続く仲間へ綴って下さったコメントに、勝るものはありません。という次第で、拙ブログの方は一呼吸置かせて戴いておりました。
『君は大丈夫。僕だって大丈夫だったんだからね。』とMr. Joeが送って下さったエールは、ヒルマ小母ちゃんが長年「心の師匠」と仰いでおりますZ会渋谷教室長の長野先生と、奇しくも全く同じ文言。かつて「『励ます力』の連鎖」と題した拙文で繋がせて戴いた御縁が、4年の歳月を経て美しく連環を遂げた感銘にしばし耽っていたのです。
当事者の皆さんは一様に、社会から物理的に距離を置いた理由を、そう述べます。
すると親御さんも支援の専門家も、ご自分の五感や認知だけを鑑み「失敗体験を上回る成功体験があれば自信がつくはず」とお考えになってしまうケースが続出する。実際、私が『励ます力』の御縁を繋がせて戴こうと目論んだ心理の専門職も、誠に遺憾の極みながら4年経っても当事者さんたちと対等な視点へはおいで下さらず、『失敗体験<成功体験』なぞという公式を立て成功による失敗の補塡を依然考えておられるのです。
確かに「自信が無いから、ひきこもる」との弁は、社会と物理的な距離を置いた彼らの状況を説明する上で、至極合理的に聞こえます。さりながらMr. Joeが具体的に表現して下さったように、当事者さん自身の『自分の力で なんとかしよう』『他人の いいなりになるのは、好きじゃない』『他人の手を借りる必要など ない』『こんな状況、バカにされるだろう』といった感情や認知へピッタリ寄り添うと、彼らの不備不足は「自信=自らへの信頼」ではなく「他者を信じ頼みにする」旨とハッキリ分かってきます。
なればこそ『失敗体験<成功体験』なぞという公式で、一応は失敗を容赦しつつも成功による補塡を迫る「上から目線」な態度にあっては、当事者の他者への信頼は一層の不備不足へ陥るばかり。子育てのお勉強に励んだ親御さんがいくら懇切な意見をなさろうと心理を学んだ専門職がいくら親身なカウンセリングに務めようと、『その支援の手を掴むことは しない』彼らの方が道理に適っていると、へそ曲がりな私は思うのです。
ひきこもり当事者さんたちの謂う「自信」とは、親御さんや専門家が考えがちな成功によって増進される「自らへの信頼」ではなく、失敗を何度繰り返そうと『君は大丈夫。』と承認し『励ます力』を注いでくれる「他者を信じ頼みにする」力なのです。ひきこもりに自閉圏と診断されたケースが多い所以は、自我他我の認知に凸凹を抱え「自らへの信頼」と「他者への信頼」を混同しがちな特性の所為かと私は拝察しています。
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