また過去2年半分の拙ポストにつきましては、ブログ『発達障害な僕たちから』でご引用戴いた文章を中心に、重要と思われる論考を少しずつBloggerで再録していこうと考えています。こちらの対策も、ご意見・ご要望がございましたら是非お申し付け下さい。
***
程度の悪いアスペな俺。自己投資をする。 ヒロ
『残念ながら、僕には その仕事が務まらないということが、面談していただいたときに わかりました。しかし、社長さんから いろいろとアドバイスを頂きました。
1、日本は いまだに新卒採用。しかし、最近は能力や経験値が高ければ、中途採用で良い仕事につける。
だから ひたすら、自己投資をして、能力を高め続けなさい。能力がなければ、アルバイトのまま一生を過ごすことになるよ。
日本には たくさんの求人がある。しかし、それは それぞれの企業が求める能力を有している人限定だ。
能力がない僕が、いくら「やる気」を見せても どうにもならない。だったら、企業で必要とされる能力を獲得すればいいんだ。
企業が、社員を育てるという 日本式の やり方が変わっていく。日本という国に頼ることも できなくなる。国民1人1人が、自分の頭で考えて行動する時代になった。
非常に有意義な話を聞くことができました。
でも、これ、青木さんが随分昔から言っていたことです。
「いいか、英語は話せて当たり前だ。英語なんて道具でしかない。」
「日本のことに とらわれず、世界に目を向けて いれば良い。」
それで熟考に熟考を重ねた結果。「自己投資をする。」という結論に達しました。』***
大学の教養科目で臨床心理学を受講した拙宅の娘から教えられたことなのですが、昔は「発達=子どもが大人になること」という考え方だったけれど、今は「発達=生まれてから死ぬまで一生成長しつづけること」と捉えられているそうです。
就学前に発達障害の見立てを下された娘に、私は「自己理解のために、ぜひ受講しなさい」と、今振り返ればどこか上から目線で臨床心理学を奨めました。でも、人と人とが一生成長しつづける者同士として向き合う、対等な関係性こそ健やかな「発達」を支える要諦だと、年少の娘の方から更新された概念でそのとき諭されたように感じました。
ヒロさんが大学を卒業なさって以降、疾風怒濤の紆余曲折を率直に綴り続けて下さったお蔭様で、大学4年目を迎えた私ども母娘は、卒業単位を満了し質の高い卒業研究を完遂することへ専念する覚悟を据えられました。同級生の「みんな」から1年遅れて就活を始めた娘は、来年度の進路が未だ定まってはおりませんが、当人は到って意気軒昂。
『英語は話せて当たり前だ。英語なんて道具でしかない。』
『日本のことに とらわれず、世界に目を向けて いれば良い。』
青木先生のお言葉、実はそっくりそのまま私が娘へ繰り返してきた informed consent でもありました。生来の五感や認知にどれほど凸凹を抱えていても「みんなと同じ」育ちを辿ることが出来なくても、ゴールを就労ジャナクテ自己投資と定め成功を要求すること無く失敗を成長体験へ昇華する旨に邁進し、『自分の頭で考えて行動』できるまで丹念に丁寧に自己理解へ寄り添えば、ひきこもりの危惧を克服できると私は考えています。
【拙ブログの関連記事】
0 件のコメント:
コメントを投稿