2014年6月29日日曜日

階上と階下の運命

最終回も勿論、余す所なく堪能させて戴きました! 『ダウントン・アビー』!!!

実は「巧い脚本家は『円環する物語』がお好き」てのが、持論だったり。僭越ながら此度も、その私説に超絶強力な“実証”を賜り、心中ニヨニヨしておりますv

そして第6話「通い合う想い」レビュウで、第1シーズンの時系列と併せ、考察を試みたご令嬢お三方の社交活動状況(特に長女・メアリー嬢のギリギリ婚活っぷり)にも、目出度く“正解”の答え合わせを戴けました〜vvv

更に加えて「正統派群像劇の一番の醍醐味は、会話の妙なのだよ」と、辣腕を惜しみなく振るって下さるジュリアン・フェローズ御大!!!

午後のお茶仲間な「ヨメ・トメコンビ」とか。喫煙仲間な「悪巧みコンビ」とか。お馴染みになった組み合わせだけじゃなく、意外な取り合わせで展開した対話にも、登場人物の“想い”を忍ばせる見事なスクリプト。偉大な劇作家を生んだ英国の奥深い伝統を、ヒシヒシと感じました〜(ウットリ)

てな調子で、萌えまくり・滾りまくりの拡大版な最終回!

毎度お世話になりました、村上リコ様設営ハッシュタグご参加の皆様と一緒に、ガッツリ盛り上がります!!!

《以下、第7話「運命のいたずら」のネタバレ御注意!》

2014年6月26日木曜日

夏越の京【追補】

京の街に住まわせて戴いたのは、
ほんの5年ばかり。20年も昔の事。

なのに未だに、梅雨の季節を迎えると、
何故か無性に、あの佇まいが慕わしく、思い起こされる。

三方を囲う峰々や
街中を幾筋も流れる川
地下を這う伏流水から……

湧き上がった湿気が、しんねりと居座り
“お天道はん”から、ねぶねぶと蒸される
一年の中でも、最悪の時候だと言うのに。

例年6月の上旬、祇園祭第一報となる長刀鉾の稚児・禿選びに、
辻々の稽古場から漏れ聞こえて来る、鉦や太鼓のはんなりした音色が、
耳の奥で甦るからだろうか。

日が暮れて猶、凌ぎかねる室内の蒸し暑さに追われ、白川や疏水の
涼やかな流れに寄った折、彼方此方で儚く微風に舞っていた蛍の光が、
目に浮かぶからだろうか。

夏至を過ぎれば夏越の祓に備え、郵便物と一緒に“撫で物”の形代が、
否応なしにポストに放り込まれた、穢れを厭う古都の遺風を、
ゆかしく思い出すからだろうか。

生憎、今の住まいがある近郷近在の御社では、
茅の輪くぐりも“撫で物”の祓も、祭事になっていないけれど。

今年も、6月晦日の水無月だけは、欠かさず戴こうと思てますw

【追記】
あ、“水無月”ってのは“ういろう”の上に甘く炊いた小豆やうぐいす豆を
散らして、三角に切った和菓子。京都では6月末の夏越の祓に合わせ、
無病息災を祈願して戴く習となってます(リンク先、ご参照下さい)。

それから記事タイトルは「なごしのみやこ」と読んで戴けますと幸甚。
あぁ…出町ふたばの水無月食べたい……


2014年6月23日月曜日

「山下清展」取材日記

視覚の天才(1)』は、展覧会のレビュウと言うより『私的 山下清論』になっちゃいまして、恐縮でしたが。

長野県信濃美術館の「放浪の天才画家 山下清展」は、画伯のお人柄がジンワリ伝わって来る、とっても素敵な企画展でしたv 

訪れたのは5月末日。つまり、会期最終日の前日に当たる土曜です。今回は時間に限りがあったため、お馴染みの東山魁夷館はパスさせて戴き……

正面入り口への階段に、画伯の自画像がディスプレイされてました

企画展会場となっている、1966年竣工の旧館のみ見学。入場すると、生前の山下清を御存知であろう、御年輩の方々から、お子さんの手を引いていらした、お若いお母様方まで。ご来館の皆様は幅広い年齢層で、和やかな雰囲気です。

記録映画『はだかの天才画家 山下清』を放映中の受付ロビーには、「祝 来場2万人」の愛らしい“くすだま”が飾られてました。ちなみに長野市の人口は約38万人なので、平均すると19人に1人は来場なさった感じです。

展示を一巡後、ミュージアムショップで、『パリのエッフェル塔』のクリアファイルと、清美社(山下清作品管理事務局)発行の『山下清作品集』を購入。企画展仕様の作品集も、あったんですが。参考資料にしたかったので、掲載作品数が多い&作品修復の記事や略年譜が詳細な方を、選びました。

下から重ねた順に、出品目録・クリアファイル・作品集・入場券

本篇中では、言及出来ませんでしたけど。1961年のヨーロッパ旅行中に描かれたペン画水彩作品は、いずれも素晴らしく洒脱。洗練を極めた闊達な描線と、温かみのある穏やかな色彩は、50年以上経った今でも古さを感じさせません。

特に、ペン画水彩の“最高傑作”として一押し!なのが『パリのエッフェル塔』。

伝えられる所では、下絵無し・用具無しのフリーハンドで、画面の下から上へ、淀みなく一気に描出して行くのが、画伯の常だったようですが……

この絵に限っては、道路の真ん中に立ってる
交通整理のお巡りさんから描いたのかな〜?などと妄想w
端正なパースペクティブと精緻な描線が超絶美味なのですv (ジュルル)

『きれいな景色やめずらしい物』を、ボンヤリ眺めているだけのように見えて。
山下清の脳裏では描くべき絵が、精細な解像度と澄明な色彩を伴った映像記憶として、細部に至るまで完璧に構成されていたんですね!

***

さて美術館を出ると、同行してくれた地震・防災クラスタな相方が、善光寺に寄りたいと所望。何度もお参りした事あるのに、なぜ今更? 

まぁ、美術館がある城山公園のすぐ近くだし、構いませんけど……

本堂向かって左の回廊に、用があるらしい……なんだろ?
あれっ? 柱に大きな傷痕が!
善光寺地震の際、梵鐘が落ちてぶつかったそうで……ひゃあ、知らなかった!
ちなみに、この鐘は戦後に寄進された物。当時の梵鐘は戦時徴用されちゃったのかな?

1847年5月に発生した善光寺地震は、推定マグニチュード7.4。折悪しく御開帳の真っ最中で、市中だけでも死者2千人を超える被害があったとのこと。柱の傷には何の掲示もありませんが、境内に犠牲者の回向を祈念する塚があります。

この後、大門脇の八幡屋礒五郎で、当代ご店主が考案した七味マカロンをお土産に。北陸新幹線開業を来春に控え、駅前・駅舎絶賛工事中な長野駅から、あさま536号で(鉄分多めでもある相方は、E7系グリーン車試乗もバッチリ織り込み済みw)レッグレスト付きシートの心地好さに爆睡しつつ、帰京しました。


2014年6月21日土曜日

世間の噂・家族の絆

>>第1話レビュウ『階上と階下のドラマ』を読む
>>第2話レビュウ『貴族の威信・市民の矜恃』を読む
>>第3話レビュウ『華麗なる婚活・隠然たる不穏』を読む
>>第4話レビュウ『変わる勇気・変わらぬ気概』を読む
>>第5話レビュウ『凡愚の浅略・聖賢の無謀』を読む


第6話は、いよいよ混迷を増して参りましたね! 『ダウントン・アビー』!!!

第5話「嫉妬の炎」のレビュウで、なんだか『宮廷女官チャングムの誓い』に雰囲気似てるかも〜?などと書いておりましたが。こちらのドラマで窮地に陥るのは、長今と韓尚宮だけじゃなくw

階上も、階下も!この方も、その方も、あの方も!ってのが、正統派群像劇ならではの醍醐味。喩えて言えば、“英国式朝食”と“午後のお茶会”と“正式な晩餐”を、一息に戴いちゃった感じで、超絶美味な上に大満足でした〜vvv

第1話冒頭でも、精妙な脚本と巧緻なカメラワークに、滾りまくっておりましたけど。複数のエピソードを一挙に綴った今回は、ジュリアン・フェローズ御大ならではの場面転換の妙技が、殊更に際立ちました!

なんてったって、朝ドラ風味な三女・シビル嬢の大活躍+『大長今』の水剌間編も斯くやな従者・ベイツ氏の難局+ソープオペラ仕様な長女・メアリー嬢のギリギリ婚活が、同時進行。それでいて視聴者を幻惑させない超絶技巧に、感服です!

群像劇を物語る、楽しさも苦しみも。ちょっぴりですけど味わった事がある、字書きの端くれとしては、ホント、素晴らしく勉強になりましたです。

もちろん物語の方も最終回直前で、ますます好調。当然、期待が高まります!

《以下、第6話「通い合う想い」のネタバレ御注意!》

2014年6月18日水曜日

視覚の天才 (3)

>>『視覚の天才 (1)』を読む
>>『視覚の天才 (2)』を読む


戦前にも17歳にして、美術雑誌『みづゑ』の特集記事で紹介されたり、銀座の画廊で個展を開催したり。“天才少年”山下清は、安井曾太郎をはじめとする画家や、ジャーナリストの注目を集めていたが。

1953年・31歳を迎えた秋に、その画才だけでなく、個性的な“ライフスタイル”を取材しようと、グラフ雑誌『Life』の特派員が来日する。しかし折悪しく、お目当ての“天才画家”は、一昨年の5月以来、放浪中ゆえの行方知れず。

それを知った朝日新聞が、通信網を駆使して捜索を開始。翌年1月6日には、遂に全国紙上に捜索記事が掲載され、“リアル・ウォーリーをさがせ!”とでも言うべき事態が出来した。これが功を奏し、4日後に大好きな桜島をボンヤリ眺めていた所を、鹿児島の高校生に“発見”されるのだが……

容貌・風体が周知され、気ままな放浪生活を送る事が、事実上、不可能となる。

致し方なく、迎えに来てくれた弟と、実家に戻った山下清を待ち受けていたのは、思いも寄らぬ原稿依頼。15年間の放浪生活を克明に綴った日記を、東京タイムズで連載することになったのだ。

これを発端に、彼の“キャラクター”が世人の関心を集め、徳川夢声との対談が週刊誌に掲載されたり、記録映画が製作されたり、バラエティ番組へ出演したり。映画舞台・テレビドラマでお馴染みの、“裸の大将”が構想・脚色されて行く。

もちろん、画業の方も多忙となった。鹿児島で“発見”された2年後に、東京の大丸百貨店で開催された「山下清作品展」は大盛況。約1ヶ月で入場者は80万人を超えた、とも言われ、翌年には、全国約50ヶ所で催される運びとなる。

律儀な画家は、自由な放浪が叶わなくなった無聊を慰める意図もあり、出展会場へ出向いたらしい。けれど行く先々で、決まってファンに囲まれてしまい、以前のように『きれいな景色やめずらしい物』を眺めている訳にはいかなかった。

その合間にも、小は雑誌や本の挿絵から大はモザイク壁画まで。
相次ぐ依頼に、放浪中は無尽と思えた時間が、消費されていく。

油彩では絵の具が乾くのを待ち切れないと、以前と変わらず好んでいた貼絵さえ、落ち着いて取り組む事が難しくなったのか。更に手軽な、黒のフェルトペンを用いた素描に、水彩で着色した作品が、散見されるようになる。

心ゆくまで『きれいな景色やめずらしい物を』“入力”する至福と、脳裏に焼き付いた映像を『ゆっくり思い出して』“出力”する忘我に、時間を忘れて浸る事ができなくなったのは、なにやら気の毒にも思えるが。

境遇の激変は期せずして、映像記憶という“異能”が命ずるまま、『視覚の下僕』となる桎梏……“平行遠近法”すなわち、法悦の恍惚へ至る過程に欠かす事のできない“プロトコル”……から、解放される事でもあったのではないだろうか?

そして、わざわざ己を訪い対価を支払ってまで、絵を描いて欲しいと乞い願う、他我の存在を識った時。山下清は生まれて初めて、「絵を描きたい!」「絵を描こう!」という自我を、認知できたのではないだろうか?

戦時下の徴兵検査でも、不合格。戦後、職業安定所で紹介された仕事も、一日で辞めてしまった。誰もが世のため人のため、祖国を復興するため勤労に励んでいる世界で、たった一人。桜島を、ボンヤリ眺めているだけだった自分が……

(絵を描く事が……僕の、仕事なんだな)

画家を天職と認知した瞬間。山下清は、“異能”がもたらす本人にも理解し難い衝動を、抑え切れずに出奔してしまうのではなく、生まれて初めて明晰な自意識、所謂メタ認知を以て、美しい風景を希求し、旅に出たいと切望したのではないだろうか?

彼が目指したのは、洋画を志す者なら誰もが憧れる、ヨーロッパだった。

***

1965年制作の「ロンドンのタワーブリッジ」は、「貼絵になったヨーロッパ」と題された展示の、最後に掲げられていた。