2019年2月7日木曜日

責めなくても、忘れません

精神医療や心理の臨床におられる専門職が陥りやすい『勘違い。すれ違い。』は、日頃接しておられる患者さんがたを、当事者の全体像と思い込んでしまうことでしょう。

つまり「通うべき所へ通えない」すなわち臨床や支援へ赴くことさえ出来なくなった、ホンモノの社会的ひきこもりの当事者像を、彼らは殆ど経験できていない。にも関わらず、診察や面談には通い続けられる軽度な不登校やひきこもりを以て、全て「わかったつもり」になっている所こそ、サポートセンターのブログを綴っておられる当事者の皆さんが、口を揃えてカウンセリングは役立たずだと証言する所以と私は考えています。

精神医療や心理の臨床におられながらも、ホンモノの社会的ひきこもりの当事者像を「わかっている」専門職は、言わずもがなの釈明の労なぞお執りにならないでしょう。

診察や面談に通い続けられる軽度なケースのみを以て、自分は全て「わかったつもり」になっている同職の勘違いを心底で憂いつつも、サポートセンターの皆さん同様に『わかるから よくて、わからないから ダメ ではない。』と達観し、『そうだとしても、目の前にいる青年の支援を 明日も淡々と行っていくだけ』である筈なのです。

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かつて私に対し、わかったつもりで迂闊な『ただの励まし』を書き送り、寒風の中で冷水を浴びせられたような『悲しみや辛さ』を与えた心理職も、懸命にひきこもり当事者を「わかりたい」と切望しながら、どうしても果たせないご事情を抱えておられます。

『わかるからよくて、わからないからダメ』という自己否定に囚われ、不信感・被害感を我慢できず怒りでしか反応できない「カサンドラ」状態へ陥ってらっしゃるのです。

さりながら、娘の大学生活に安堵の一息を吐いた拙文へ『苦労は大学を卒業してからが本番』とか、歴とした?機能不全家族に生い育った私へ『きっと健全なご家庭で育ったのでしょうね』とか、『上から目線で』冷水を浴びせるようなコメントをお返しされた旨、私は責めなくても忘れません。現実に『悲しみや辛さ』を感じたのは私ですから。

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