2018年4月30日月曜日

A Hasty Lonely Cassandra

保育園で『危うさ』を指摘された際に専門医を受診していれば、高機能自閉症と診断されたであろう拙宅の娘彼女の「多様性」は、4年前の初冬に亡くなった父方の祖父、すなわち二等親血縁者から受け継いだと理解するのが最も蓋然的と私は考えています。

娘自身の自己理解をゴールに据え、小学3年生あたりから本格的な「自家製療育」を始動した拙宅ですが、同じ時期に夫から義母へも孫娘が抱える「障害」を改めて告知しました。発語発話が極端に遅れていた初孫へネガティヴな反応しか出来なかった私の実母とは真逆に、義母は動揺を表に出すことも無く愛情を注いでくれており、きっと受容して戴けるだろうと期待が持てたからです。

その折に夫が自閉圏の情緒的特性について説明すると、義母は突如「それ、ウチのおとうさんだわ!」と瞠目し、結婚以来ずっと被ってきた数々の「迷惑」を堤防を決壊させた奔流のごとく語り始めました。孫娘の障害告知は、数学者だった義父が未診断ながらアスペルガー症候群であり、義母が「カサンドラ情動剥奪障害」に長年陥っていた可能性を、強く示唆した瞬間でもありました。

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義母が繰り返し話してくれた義父の「迷惑」エピソードは、例えば
友人と夫婦同士で会食した時に、初めて会った相手の妻君をマジマジと眺めた上、感服した調子で「奥さんは、太ってますねぇ」と言ってしまったため、恥ずかしいやら恐縮するやらで、冷や汗をかかされた。
と、いかにもアスペルガー的でありつつどこか微笑ましい落語調でしたが、義母の明朗な天性が昇華させた「思い出」だからでしょう。そんな夫婦の間で息子として育った(自閉圏寄りですが「障害」には到っていない)夫からすれば、母親の「正論」が通用しなくなる度に差異をめぐる不和や対立勃発必至だった実家へは、根強い悪印象しか抱けない様子。子どもの視点からは、寡黙な「聞く耳を持たない父」より「口やかましい母」の方が悪者だと見做されがちな経緯も、「カサンドラ情動剥奪障害」の典型と言えます。

義母が同居していない「内孫」(夫が唯一の男子なので、拙宅の一人娘は唯一の「内孫」)と嫁に、結婚以来の差異をめぐる不和や対立を微笑ましい「思い出」へ昇華して語るのは、血縁であっても同居していない者は「お客様」そして内孫には跡取り(家業は無いため実質的には墓守)になってもらわねば、との「正論」が遠慮として働いてくれるから。ちょっと意地悪な考え方ですけれど、義父から自閉圏の情緒的特性を受け継いだと思われる娘が、「カサンドラ」状態にある(と推察される)祖母の不信感・被害感の傷心が起爆する攻撃的な反応を避けるには、きっと丁度良い心理的な距離を置く旨こそ最善なのでしょう。

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では、そんな夫婦の間で育ったもう一人の子、すなわち実の娘である義理の姉と「外孫」には何が起こったのか?と考察を広げれば、義姉が実父の告別式に参列せず(おそらく妻の強固な反対を押し切って)列席して下さった義兄に娘と息子を同伴させなかった事情を、不調法を憚らぬ理系な弟嫁と言えど一応の妥当な根拠で事実に迫る推理ができます。

義父と義姉が「アスペルガーの父」と「カサンドラの娘」だったのと同時に、義母と甥は「カサンドラの祖母」と「アスペルガーの孫」だったと解題すれば、義姉は実父への遺恨ゆえに告別の礼を拒んだとの推察も、「カサンドラ」状態にあって「アスペルガーの孫」へ被害的・攻撃的な反応をしがちな祖母から息子を守るために(との発想も「カサンドラの娘」ゆえの不信感・被害感による過剰反応なのですが)参列させなかったとの推察もできるのです。

情緒的に自閉圏寄りの夫は、十年以上続く母親と姉の不和について「考えたくもない」と「聞く耳を持たない父」によく似た態度で辟易する一方ですが、「カサンドラ」同士の被害的・攻撃的な反応が生じた対立では?との仮説を質してみたところ「確かにおじいちゃんがKちゃん(義姉の娘)に不躾なことを言ったか、おばあちゃんがAくん(義姉の息子)に余計なことを言ったのが、おおかた原因なんだろう」との合点を得られました。

さりながら状況が俯瞰できていても、私は義母や義姉からすれば赤の他人の「お客様」に過ぎません。各々家庭を主導している彼女たち自身が「我が家には『障害』がある」と認め、家庭の埒外へ援助を求めなければ膠着を解決する糸口もつかめないのです。

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今年の春休みも拙宅の娘は孤独を託つ祖母へ、好物の手土産と大学3年目の成績が更新された単位取得状況のプリントアウトを携え、ご挨拶に参じました。例によって私が同伴しなかったのは嫁への気遣いを義母に強いたくなかったのと、娘が自閉的な行動パターンの表出を自制し相手の振りかざす「正論」も受け流す経験を積ませたいから。

果たして娘は不躾なことも余計なことも表出を自重し、うまく祖母のご機嫌を取り結べた模様。しかし彼女の帰宅後、ちょっとした行き違いで咄嗟に義母が呈した行動は、「カサンドラの祖母」が「アスペルガーの孫」(孫の発達障害を承知であっても)不信感・被害感を我慢しがたい性向をも実証していました。「せっかち」だから「見えていない」↔「見えていない」から「せっかち」という悪循環で極まった「カサンドラ情動剥奪障害」へ、義母と義姉が向き合える契機を蔭ながら待ち設けている不肖の嫁なのです。

>>前篇『An Easy Lonely Mathematician』を読む

2018年4月27日金曜日

カサンドラの孤立

「普通」なら大人になるまでに自然と出来るようになることが、何歳になっても出来ないまま看過され、思春期以後の学校生活への不適応や、成人しても社会参加できない状況へ陥ってしまった……端的に言えば、それが「発達障害の二次障害」です。

しかし、二次障害を契機に全く意想外だった発達障害の診断が我が子へ下されても、それは金輪際「伸びない」と断定する烙印ではありません。当事者の成長を心から「待ち設ける」ご家族の支えがあれば、ゆっくりですが確実に「伸び行く」可能性を潜在させていますが、いかがしますか?と未来の選択を問うている informed consent なのです。

ところが、親御さんに「待てない」ご事情があり、療育されなかったお子さんが「伸びない」まま二次障害へ陥ったとしても、親御さんの「学び」が叶えば障害の受容と支援への信頼に基づいた当事者本位の「合理的配慮」で過去への後悔を払拭し、我が子の二次障害回復と社会適応という未来へ進めるのに、学ぶどころか不信感・被害感を我慢できず攻撃的にしか反応できない「親の障害」が、特に深刻なケースで散見されます。

前回の記事では、殊に重篤な二次障害は当事者の『ほとんどがアスペルガーという分析、そしてネット上で多くのお母様がたが家庭内に差異をめぐる不和や対立先行していた経緯を吐露なさっている旨をヒントに、「親の学び」を支障する主因は、相当数のケースで「カサンドラ情動剥奪障害」なのではないか?との仮説を考察しました。

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では、お子さんの養育を主導してきた親御さん(多くの場合は子の母親)が、一等親(多くの場合はお子さんの父親)もしくは二等親血縁者(お子さんの祖父母のいずれか)との継続的なコミュニケーションの不全に疲弊・消耗した結果、「カサンドラ」状態へ到っていた旨を強く示唆するケースだと、「待てない」事情は一体どんな「親の障害」まで極まってしまうのか?

第一に「カサンドラ情動剥奪障害」を思わせる親御さんは、歯に衣着せぬ不調法をご容赦願えば「待てない」と言うより非常に「せっかち」です。お子さんの二次障害を契機に「親の都合」で直接の指図を我が子へ下す癖は辛うじて自重できたとしても、日常的に苛まれておられる混乱や当惑/不安や罪悪感ゆえ「そうせねば(自分が)迷子になってしまう」との強迫観念に駆られ、我が子の進路を性急に決したがるご様子。

大学の相談室や就労移行支援事業といった当事者支援へ我が子が繋がれても、むしろ親御さんの方が足繁く面談へ赴き、されどその内容は概して「カサンドラ情動剥奪障害」の可能性を想定していない限り)ご家庭内のいざこざから生じた愚痴に過ぎないので、支援のパフォーマンスを著しく削ぐばかり。担当者とトラブルを起こして「モンスターペアレント」認定され、お子さんへの支援を途絶されてしまった例さえお見かけしました。

かと思えば「親の都合」で設定してきた進路をお子さんが踏み外した途端、親御さんご自身の自己嫌悪・自己喪失が我が子に対する関心へ反映され、「期待していた私がバカだった」「生まれつきだったんだから障害者枠で就職するしかない」との短慮を即座に実行。当事者の自己理解を導く暇も無いわずか数ヶ月の就労移行支援で、二次障害の傷心も癒えぬままのお子さんを障害者雇用へ追い立てる例が後を絶ちません。

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第二に「カサンドラ」状態へ陥っている親御さんは、僭越な物言い誠に恐縮ながら「待てない」と言うより「見えていない」のです。その自覚はご本人にも重々あって見聞を広めよう・知識を増やそうと努力なさる勉強会や講演会へ熱心に通う等)のですが、ご自身の感覚・感情に強く囚われておられる(自閉圏当事者が陥る負荷過剰(メルトダウン)に酷似しており「カサンドラ情動剥奪障害」「鏡症候群(ミラーシンドローム)と旧称された所以)ため、効果は薄い模様。

「アスペルガー」「カサンドラ」という言葉・概念は「知っている」のに、差異をめぐる不和や対立を常時勃発させているご家族とご自分の関係性に対しては応用できず、自身を取り巻く状況が「見えていない」まま疾うに「迷子になって」いるのです。進むべき道を見失った時は、子どもであれ大人であれ周囲に援助を求めるのが鉄則ですが、自閉圏当事者(多くの場合はお子さんの父親、あるいは祖父母のいすれか)が潜在していた家庭内で家族全員のフリーハンドを仕切って来たゆえに、援助の求め方も「見えていない」。

「せっかち」の具体例で前述したように、他者を信じる/委ねるという感性がすっかり摩耗し相手へ縋り付く/さもなくば拒むという二択の人間関係しか結べなくなっているので、家族外でも「モンペ」「毒親」と非難されている(お子さんの問題点を指摘されただけで、そう感じてしまう)不信感・被害感の傷心を、享楽的・刹那的な交友で紛らわせる自転車操業の精神生活しか営めない。それが更に「せっかち」を加速する悪循環を絶てません。

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もちろん拙ブログの本旨は、「待てない」事情から「親の障害」へ極まってしまった旨を責めることではございません。我が子の未来を短慮で諦めてしまう前に、あなたの心の奥底で道を見失い途方に暮れている「迷子」を、先ず助けて戴きたいだけなのです。

ここまで閲覧下さって尚「勝手にウチの内情を書き立てられた!」との被害的な反応しか心に生じなかったとすれば、それこそ「カサンドラ」状態へ陥っている証左。ご自分が感じておられる「どうして私はすぐキレるのか」という自己嫌悪を迂闊に放置せず、お子さんの発達障害を診て下さっている主治医を、親御さん自身も受診して戴きたい。

診断名は気分障害や発達障害と下されるかも知れませんが、専門医が準拠するアメリカ精神医学会の診断基準「カサンドラ情動剥奪障害」が未だ含まれていない所為です。お子さんの養育を主導してきた、言い換えればご家庭を主導なさってきた親御さんが思い切って医療へ繋がれば、長年に渉って受け続けた不信感・被害感の傷心へのケアが実現できますし、ご家族全体のQOLを改善する方策も実行に移しやすくなるでしょう。

「せっかち」だから「見えていない」↔「見えていない」から「せっかち」という悪循環で極まった「親の障害」へ、一例でも多く向き合って戴けるよう願って止みません。

2018年4月25日水曜日

カサンドラの呪縛

「普通」ならこの月齢/年齢では自然とこんなことが出来るようになる、という目安に対し、遅発していることと早発していることの凸凹が極端に大きい……語弊を懼れず端的に言えば、それが「発達障害の徴候」です。

そして、「普通」なら大人になるまでに自然と出来るようになることが、何歳になっても出来ないまま看過され、思春期以後の学校生活への不適応や、成人しても社会参加できない状況へ陥ってしまった……端的に言えば、それが「発達障害の二次障害」です。

しかし、二次障害を契機に全く意想外だった発達障害の診断が我が子へ下されても、それは金輪際「伸びない」と断定する烙印ではありません。当事者の成長を心から「待ち設ける」ご家族の支えがあれば、ゆっくりですが確実に「伸び行く」可能性を潜在させていますが、いかがしますか?と未来の選択を問うている informed consent なのです。

つまり、親御さんに「待てない」ご事情があり、療育されなかったお子さんが「伸びない」まま二次障害へ陥ったとしても、「普通」のことが自然と出来るようにはなれない「障害」なのだから、我が子を「伸ばす」ため適切な支援をしようという親御さんの「学び」が叶えば、障害の受容と支援への信頼に基づいた当事者本位の「合理的配慮」で過去への後悔を払拭し、二次障害の回復と社会への適応という未来へ進めるはず……

すなわち、お子さんの成長を心から「待ち設ける」ためには、先ず親御さんの「学び」を妨げている「待てない」ご事情へ向き合うことが、どうしても不可欠になります。

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とは言え、親御さん方が「待てない」ご事情は、ご家庭ごとに千差万別。
複雑に絡み合った事情をあまり仔細に考察させて戴くと「あぁ、アソコのお宅か」と察しが付いてしまうほど特異性が高いため、「親の都合」を個別に解題していくだけでは恐らく混迷が深まるばかり。要諦を見極めるのは却って難しくなってしまうでしょう。

多数のケースで共通している因子(主因である可能性が高い事象)を抽出し、そこへ重点的に対処する方が奏功を期待できるのですが、「子の都合」ゆえの「二次障害」すなわち成人しても社会参加できない「ひきこもり」の実態把握さえ端緒に付いたばかり。親御さんの「学び」を妨げる「親の都合」の調査は、いっそう立ち後れているのが現状です。

さりながら、手がかりが全く無いわけではありません。第一のヒントは、幾度か拙文が引用の栄誉を賜っておりますブログ「発達障害な僕たちから」にありました。この春から、めでたく訪問支援スタッフとして就任なさった俊介さんの記事に拠れば、
それで他の人と会ってみて わかったことは、
このサポートセンターで支援を受けている人の ほとんどが
アスペルガーと診断されている人だ ということです。
間違っていたら、スタッフの人が訂正してくれます。
青木さんに聞いたんですけれど
LDとの診断を受けて支援をした人は20年間で1人だったそうです。
ADHDとの診断も わずからしいです。
問題の多くはアスペルガーの人たちなんだ ということでしょうか。 
との傾向が見られるそうです。サポートセンター名古屋は殊に重篤な二次障害を対象として、20年に渉根源的かつ先鋭的なサポートを実践してきた発達障害支援のパイオニア。やはり「親の都合」の方も取り分け深刻なケースを多数ご経験と拝察されますが、当事者は『ほとんどがアスペルガー』との分析こそ第一の重要な手がかりとなります。

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第二のヒントは、ネット上でお母様がたが吐露なさっておられる率直なご真情です。

前回の拙ブログでは、二次障害以降の『親の学び』が簡単には実現し難い理由として、親御さんが「こういう場合は、こうするもの」という「正論」を頑なに奉じておられる信念と、「障害」と「人格」を混同しがちで我が子に対する「不憫な子だ」という卑下や「厄介な子だ」という厭悪を拭い去れない葛藤を挙げました。

けれどもう少し広くご家庭の人間関係を俯瞰すると、親御さんの強固な信念と執拗な葛藤の背景には、発達障害と診断されたお子さんとは別の成人家族との間に、親御さんご自身が習い性としてきた「正論」の通用しない差異をめぐる不和や対立を、必ずと申し上げてよいほど先行・併存させてきた経緯が窺えるのです。

重篤な二次障害の当事者は『ほとんどがアスペルガー』という分析。
そして差異をめぐる不和や対立先行していた経緯。

二つのヒントを総合すれば、実はお子さんが二次障害へ到るずっと以前から、養育を主導してきた親御さん(多くの場合はお子さんの母親)が、未診断ながらアスペルガー症候群もしくは高機能な自閉圏の特性を呈する一等親(多くの場合はお子さんの父親)あるいは二等親血縁者お子さんの祖父母のいずれか)との継続的なコミュニケーションの不全に疲弊・消耗しており、いわゆる「カサンドラ情動剥奪障害」に陥っている可能性が強く示唆されます。

ウィキペディアに引用されている解説に拠れば、
カサンドラ情動剥奪障害(-じょうどうはくだつしょうがい, Cassandra Affective Deprivation Disorder)とは、アスペルガー症候群の夫または妻(あるいはパートナー)と情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉である。アスペルガー症候群の伴侶を持った配偶者は、コミュニケーションがうまくいかず、わかってもらえないことから自信を失ってしまう。また、世間的には問題なく見えるアスペルガーの伴侶への不満を口にしても、人々から信じてもらえない。その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じるという仮説である。
と、主に夫婦間の不和から生ずる状態として定義されていますが、後述には
カサンドラ症候群は妻だけでなく、家族、友人、会社の同僚にも起こるとされている。
との引用もあり、発達障害と診断されたお子さんの二等親血縁者祖父母のいずれか)自閉圏の情緒的特性を呈していた結果、近しく交わらねばならなかった親御さん(多くの場合はお子さんの母親)「進行中の心的外傷体験」へ陥るケースも大いに考えられるのです。

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「待てない」親御さんの抱える「親の都合」が全て「カサンドラ情動剥奪障害」だ、と断ずるつもりは無論ございません。けれど相当数のケースでは、お子さんのゆっくりですが確実な成長の萌芽を「待てない」ご事情を静観させて戴くうちに、我が子が呈する自閉圏の情緒的特性や疎外感に起因する認知の歪みについて「学ぶ」どころか、不信感・被害感を我慢できず攻撃的にしか反応できない「親の障害」が垣間見えて来ます。

次回は引き続き、子の養育を主導してきた親御さんが「カサンドラ」状態へ到っていたゆえの「待てない」ご事情について、より具体的な解題を試みていきたいと思います。

>>後篇『カサンドラの孤立』へ続く

2018年4月7日土曜日

待ち設ける親 と 伸び行く子

「普通」ならこの月齢/年齢では自然とこんなことが出来るようになる、という目安に対し、遅発していることと早発していることの凸凹が極端に大きい……語弊を懼れず端的に言えば、それが「発達障害の徴候」です。

そして、「普通」なら大人になるまでに自然と出来るようになることが、何歳になっても出来ないまま、殊に思春期以後の学校生活への不適応や、成人していても社会参加できない状況へ陥ってしまった。端的に言えば、それが「発達障害の二次障害」です。

つまり親御さんに「待てない」ご事情があり、お子さんが「伸びない」まま「発達障害の二次障害」へ陥ったとしても、「普通」のことが自然と出来るようにはなれない「障害」なのだから我が子を「伸ばす」には適切な支援が不可欠、と親御さんが「学ぶ」ことで考え方を改めお子さんへの接し方を変えれば、障害の受容と支援への信頼に基づいた当事者本位の「合理的配慮」で二次障害から回復し社会適応を遂げられるはずです。

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しかし二次障害以降の『親の学び』の現実は、そう簡単ではありません。

第一に「待てない」タイプの親御さんが、お子さんの抱えている発達の凸凹や「自分の『なにか』が自然には伸びない」という疎外感の自発を見過ごしたまま、古今東西の例に倣って「親の都合」を優先し拙速な指図を我が子に二次障害を生じてしまうまで続けて来られたのは、「こういう場合は、こうするもの」という「信念」をお持ちで、且つそれが万人に普遍の「正論」なのだという枠に嵌め込まれておられる証左だからです。

そんな固定観念が形成されたのは、親御さん自身が育つ過程で「自分は何も わかっていない」という焦燥に耐えつつ真摯に考え続け理解への道を切り拓くこと、すなわち「学ぶ」ための「我慢」を習い損ねてしまった結果と拝察しています。語弊を懼れず端的に言えば「待てない母」が習い性となさったのは多くの場合、無知の自覚に耐え真摯に考え理解を模索する「学び」ではなく単なる知識の集積に過ぎなかったのでしょう。

第二に、とりわけ高機能の自閉圏ですと「待てない」タイプの親御さんの視点からは、お子さんの「障害」と「人格」を別個の事象として捉えるのが難しいご様子。生来抱える中枢神経機能の凸凹を療育されなかったゆえの未熟や、疎外感が看過されたゆえの二次障害に因る認知の歪みといった「障害」を、お子さん本来の個性に基盤する「人格」と混同してしまう杜撰な感性は、辛辣な物言い誠に僭越ながら指摘せざるを得ません。

我が子に対する「幼稚な性格」あるいは「人格が歪んでいる」という誤った認識が親御さんの心底に潜んでいる限り、前述した固定観念に拠る「親は目上、子は目下」という価値観も相俟って、「待てない母」がお子さんへ向ける視線から「不憫な子だ」という哀れみや「厄介な子だ」という蔑みの色を拭い去ることは、決して出来ないでしょう。

以上の次第から「待てない」親御さんは残念ながら多くのケースで、我が子を二次障害へ陥らせた過去を後悔していたとしても、「子の都合=発達障害」に対し無知の自覚に耐え真摯に考え理解を模索する「親の学び」の実行が難しいのです。いくばくかの知識を集積できた途端「学んだ」つもりになり相変わらずお子さんの繊細な変化を「待てない」まま、「病院へ行って薬を貰って来なさい」「障害者手帳を取って支援を受けなさい」「障害者枠で雇って貰いなさい」と「上から目線」な指図に終始してしまいます。

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されど拙ブログの本旨は、「待てない」親御さん方を責めることではありません。拙宅の経緯を顧みても、私が保育園の先生方の指摘を拒み(実際、障碍の見立てを嫌いお子さんを転園させたお母様が当時おられました。)娘を二次障害へ陥らせてようやく、適切な導きが不足していた旨を悔悟している立場だったら「親の学び」の実行は極めて困難と想像するのです。

幸い私自身の育ちの過程では「好きなこと」へ邁進する機会を得、「自分は何も わかっていない」という無知の焦燥に耐えつつ真摯に考え続け理解への道を切り拓く「学び」を習い性とすることが叶いましたが、思春期を過ぎて身体ばかりは大人同然に育った我が子が眼前で認知の歪みを連発していたら到底、辟易を禁じ得なかったでしょう。

だからこそ「待てない」親御さん方には少なくとも、あなたの「上から目線」な指図が成人当事者であるお子さんの「人格」を貶めている旨に気づいて戴きたい。たとえ障害者雇用という情緒的庇護による当座の救済で、あなたが一旦は安堵の息をつけても、成人当事者であるお子さんのフリーハンドを尊重した彼ら自身による決断でなければ、再度「親の都合」で二次障害へ陥る危惧を我が子に負わせた旨、せめてご覚悟願いたい。

高機能発達障害の成人当事者を対象とした雇用制度の現状は、彼らを「受益者負担」という「正論」の枠に嵌め込み、本来は社会が担うべき合理的配慮に係る経費を当事者自身が生んだ成果から搾取しつつ、経済的にも人格的にも自立の見通しが立たぬ彼らの疎外感を看過した、「普通」を自認する「みんな」にだけ都合が良い情緒的庇護でしかありません。なればこそ決してあなたのお子さんの「ゴール」ではないという証左です。

発達障害の診断は、当事者が金輪際「伸びない」と断定する烙印ではありません。
彼らの成長を心から「待ち設ける」親御さんの支えがあれば、ゆっくりですが確実に
「伸び行く」お子さんですよ、と未来の選択を問うための informed consent なのです。
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【補記】「お母さん」と「子」連作として、不定期連載しております。

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>>第2回『「変な子」と「変なお母さん」』を読む
>>第3回『暴れる子 と『頑張るお母さん』』を読む